四季折々
「ディオン、丁度いいところに!寄って行きなよ!」
アトリウムのテーブルにできた人集りの中心で、まるで屋台の呼び込みのように声を張るミドに、名前を呼ばれてしまったディオンは何事だと足を向けた。テーブルに向かう子供達は皆同じように小さな紙に言葉を綴っている。栞ほどの大きさの紙には、それぞれ目標のような事が書かれていて、よくわかっていない様子のディオンに、お祭りだよ、とミドは朗らかに笑った。
「星祭っていってね、外大陸では有名な言い伝えさ」
「星祭?」
不思議そうな顔をするディオンに、ミドが大きく頷く。
むかーしむかし、あるところに。子供に言い聞かせるように語りだすミド。導入は、ありきたりな昔話の冒頭である。
──昔々、天空の主である天帝には一人の娘がいた。娘の名前は織姫。彼女は機織りの仕事を一生懸命していて、天帝はそんな娘を誇りに思っていた。
ある日、織姫は恋に落ちる。相手の名前は彦星。彼は真面目な牛飼いの青年で、彼もまた織姫に恋をして、やがて二人は結婚するんだ。だけど、二人は恋愛に夢中になりすぎて、織姫は織物を、彦星は牛の世話を怠ってしまう。天帝はこれに激怒して、二人を天の川の反対側に引き離しちゃったんだってさ。
その天の川を挟んで向かい合っている織姫と彦星が会うことが許されたのが七月七日、一年に一度だけ、天の川を渡って再会するという言い伝えから、祭りが始まったっていう話だよ。
天の川ってのは、無数の星が集まった光の帯。夜空を横切るように存在する、雲状の光の帯として見える星々を空の河に見立ててるってわけ。
そこに願掛けするようになったのは、織姫が機織りの名手だったからさ。織物の上手な織姫のように、織姫にあやかって「物事が上達しますように」ってお願い事をしたのが始まり。
一年に一度、再会を果たして喜ぶ二人の加護が与えられる、みたいな感じかな。この栞……短冊って言うんだけど、これに願い事を書いて、笹の葉に飾ると、織姫と彦星の力で願いが叶えられたり、みんなを悪いものから守ってくれるんだって。
全部、父さんが教えてくれた事なんだけどね。
「ま、皆こういうお祭りに乗っかりたいのが本音!さ、一人一枚なんだから、ディオンも!」
歯を見せて笑うミドにほら!と差し出された紙を反射的に受け取ったディオンは、しかし、と困惑を見せた。
「私はなにも願いたいことがない」
神に願うこと。天に祈ることは、何も。
首を横に振ったディオンが続ける。
「私は五体満足で生きて戻れた。まだ体力は戻っていないが、自由に動く手足があり、私の帰りを待っていてくれたテランスも傍にいる。生活に困る人々を助けるのは我々の使命で、願いに託すものではないから」
だから、何も短冊に書くことが思い浮かばない。
と、眉を顰めたディオンに、ミドは「それも承知の上!」と腕を組んだ。
「そんなかたっ苦しい事じゃないんだよ。皇子様の好きなことを好きなように書けば良いんだ!なんでもいい、今したいこと。欲しいもの。突拍子もないことでもなんでも!書けたらあたしに渡せよ〜!」
わかったならさっさと行った!そう言って背中を押されるままアトリウムを追い出され、一文字も埋まらない紙を片手に途方に暮れたディオンは、昼を過ぎた頃に隠れ家に戻ったばかりのテランスを出迎えて早々に「困った」と縋ったのである。
願い事をひとつ書いて。等と言われても。
全部を失う覚悟で戦って、落とすはずの命を救ってもらえた私には、それ以上に願いなんて無い。意識を取り戻して、目覚めを待ち続けてくれていたテランスも「お帰りなさい」と迎えてくれた。
生きて恩を返し、いつかこの隠れ家から出て、ベンヌ湖を去って充分に魔物と戦える程に回復できれば、テランスは二人で暮らす選択肢も出してくれた。そんな幸福をもらえたのに、さらに願うなんて欲深いことを。
世界の混乱を終息させるのは魔法を捨てさせた我々の責任だし、魔法に頼っていた部分の全てを、魔法に頼らないまったく違う方法で補う為に、知恵を絞り、発明を続けていくのも、破壊という行動を起こした我々の役目だ。
桟橋からデッキに上がり、大広間を抜けて裏デッキへ、二人の部屋に戻る道すがら、至極真面目に語るディオンの話を聞く内に、テランスはみるみるうちに萎んでいった。遂には肩を丸めて項垂れたテランスに、なんなんだ、とディオンは怪訝な表情を浮かべた。
「俺は……願いを書いたよ」
「なんだと?」
驚いて目を瞬かせたディオンに、朝、出発する前に紙を貰って、それで……、と声を潜めて言い淀むテランス。視線を泳がせてから、ああ、だのうう、だの珍しくまごつくテランスの姿をみて、本当にどうしたのかと心配してしまった。
立ち止まったテランスが気まずそうにディオンと目を合わせる。
君がそんなに真面目に考えているとは思わなかったから、なんて言い訳して。油断すると聞き逃してしまいそうな声量で、ぽそりと白状した。
自由にしたいことを書いて。って言われたから。
「……君の好きを独り占めしたい」
「……は?」
「って…………書いちゃった……ん、です……けど…………」
君がそんなに真剣に考えてるのに、俺なんか本当に駄目だね?
と、両手で顔を隠してあぁぁ……!とくぐもった叫びを上げるテランスに、じわじわと何かが込み上げて来る感覚を覚えたディオンは狼狽えた。
駄目ではないが?!いや!お前!本当に…!
こんなところでまた初心な部分を見せてくる婚約者に、どうしてそう可愛い事を!とディオンは心の中で叫んだ。
もう本音を言ってしまうとね!とテランスはやけくそ気味に言う。
──ディオンが昏睡から目覚めて半年。一宿一飯の恩義を返すとリハビリがてら手伝いを続けて、コルマックやモリーと仲良くなって、モーグリにはキラキラとした目を向けて、時々トルガルを触ってみたそうに見つめて、ハルポクラテス先生には褒められる度、ふわふわと擽ったそうに喜んでいる。それは大変に嬉しいし、隠れ家の皆と打ち解けて喜ばしいことなんだ、けど!
「独り占めしたいと思ってしまったんだ」
羞恥が一周してむすっと頬を膨らませるテランス。それを言うならお前も!とディオンも応戦した。
「ガブと仲が良すぎないか!石の剣の者達とも、隠れ家の外にいる者達とも!」
「仲が良すぎるって!?そりゃあ君が見つかって目覚めるまで、眠り続けた半年の間に彼等の手伝いをしていたんだ、仲良くだってなる!意識の戻らない君を見て動けなくなって、迷惑だって沢山かけてしまったし、それでも励まし合って前へ進めた。だからこれは必然的にそうなってしまうわけで……」
言い募るテランスに更にディオンが噛みつく。
「だからといってハンドシェイクまでするのか!お前はガブとどれだけ親密になって私に妬かせたいというんだ!」
「はっ!?」
とっくに通り過ぎたラウンジで、ガブがくしゃみをしたことに二人は気付かない。
「この間の戯れだって、私は見たぞ!船から降りる時にやっていただろう!サロンからずっと見ていれば、お前達はああもいちゃいちゃと「煩い!!」」
知らず内に大声で言い争う形になっていたのを止めたのは、滅多に見ない程に素晴らしい笑顔を浮かべ、青筋を立てたジョシュアだった。
「二人とも。声が大きい。煩い。静かに」
「は……はい……」
「ここをどこだと思ってるの?まだ君達の部屋じゃないよね?痴話喧嘩なら皆に聞こえない所でやって」
「すまなかった……」
勢いを削がれて仲良く反省を見せた二人に、ジョシュアはやっと怒りを鎮めた。
「それで、七夕の願いは?」
ミドのお使いだと片手を出して短冊を寄越せというポーズを取るジョシュアに、ディオンがポケットに仕舞っていた紙を取り出す。心配そうにディオンを見つめるテランスを横目に、ディオンは未だ真っ白な短冊に視線を落とした。
何でも良いとミドアドル嬢は言った。好きなこと。したいこと。欲しいものでも、なんでも。
私の、願いは。
「もう!結局二人とも同じじゃないかよ!」
ミドが軽快に笑う。ジョシュアから受け取ったかの皇子様の短冊には、美しい文字で、彼の唯一を独占する権利を主張する言葉が綴られていた。
【ディオンの“好き”を独り占めできますように】
【テランスは余のものだ】
アトリウムのテーブルにできた人集りの中心で、まるで屋台の呼び込みのように声を張るミドに、名前を呼ばれてしまったディオンは何事だと足を向けた。テーブルに向かう子供達は皆同じように小さな紙に言葉を綴っている。栞ほどの大きさの紙には、それぞれ目標のような事が書かれていて、よくわかっていない様子のディオンに、お祭りだよ、とミドは朗らかに笑った。
「星祭っていってね、外大陸では有名な言い伝えさ」
「星祭?」
不思議そうな顔をするディオンに、ミドが大きく頷く。
むかーしむかし、あるところに。子供に言い聞かせるように語りだすミド。導入は、ありきたりな昔話の冒頭である。
──昔々、天空の主である天帝には一人の娘がいた。娘の名前は織姫。彼女は機織りの仕事を一生懸命していて、天帝はそんな娘を誇りに思っていた。
ある日、織姫は恋に落ちる。相手の名前は彦星。彼は真面目な牛飼いの青年で、彼もまた織姫に恋をして、やがて二人は結婚するんだ。だけど、二人は恋愛に夢中になりすぎて、織姫は織物を、彦星は牛の世話を怠ってしまう。天帝はこれに激怒して、二人を天の川の反対側に引き離しちゃったんだってさ。
その天の川を挟んで向かい合っている織姫と彦星が会うことが許されたのが七月七日、一年に一度だけ、天の川を渡って再会するという言い伝えから、祭りが始まったっていう話だよ。
天の川ってのは、無数の星が集まった光の帯。夜空を横切るように存在する、雲状の光の帯として見える星々を空の河に見立ててるってわけ。
そこに願掛けするようになったのは、織姫が機織りの名手だったからさ。織物の上手な織姫のように、織姫にあやかって「物事が上達しますように」ってお願い事をしたのが始まり。
一年に一度、再会を果たして喜ぶ二人の加護が与えられる、みたいな感じかな。この栞……短冊って言うんだけど、これに願い事を書いて、笹の葉に飾ると、織姫と彦星の力で願いが叶えられたり、みんなを悪いものから守ってくれるんだって。
全部、父さんが教えてくれた事なんだけどね。
「ま、皆こういうお祭りに乗っかりたいのが本音!さ、一人一枚なんだから、ディオンも!」
歯を見せて笑うミドにほら!と差し出された紙を反射的に受け取ったディオンは、しかし、と困惑を見せた。
「私はなにも願いたいことがない」
神に願うこと。天に祈ることは、何も。
首を横に振ったディオンが続ける。
「私は五体満足で生きて戻れた。まだ体力は戻っていないが、自由に動く手足があり、私の帰りを待っていてくれたテランスも傍にいる。生活に困る人々を助けるのは我々の使命で、願いに託すものではないから」
だから、何も短冊に書くことが思い浮かばない。
と、眉を顰めたディオンに、ミドは「それも承知の上!」と腕を組んだ。
「そんなかたっ苦しい事じゃないんだよ。皇子様の好きなことを好きなように書けば良いんだ!なんでもいい、今したいこと。欲しいもの。突拍子もないことでもなんでも!書けたらあたしに渡せよ〜!」
わかったならさっさと行った!そう言って背中を押されるままアトリウムを追い出され、一文字も埋まらない紙を片手に途方に暮れたディオンは、昼を過ぎた頃に隠れ家に戻ったばかりのテランスを出迎えて早々に「困った」と縋ったのである。
願い事をひとつ書いて。等と言われても。
全部を失う覚悟で戦って、落とすはずの命を救ってもらえた私には、それ以上に願いなんて無い。意識を取り戻して、目覚めを待ち続けてくれていたテランスも「お帰りなさい」と迎えてくれた。
生きて恩を返し、いつかこの隠れ家から出て、ベンヌ湖を去って充分に魔物と戦える程に回復できれば、テランスは二人で暮らす選択肢も出してくれた。そんな幸福をもらえたのに、さらに願うなんて欲深いことを。
世界の混乱を終息させるのは魔法を捨てさせた我々の責任だし、魔法に頼っていた部分の全てを、魔法に頼らないまったく違う方法で補う為に、知恵を絞り、発明を続けていくのも、破壊という行動を起こした我々の役目だ。
桟橋からデッキに上がり、大広間を抜けて裏デッキへ、二人の部屋に戻る道すがら、至極真面目に語るディオンの話を聞く内に、テランスはみるみるうちに萎んでいった。遂には肩を丸めて項垂れたテランスに、なんなんだ、とディオンは怪訝な表情を浮かべた。
「俺は……願いを書いたよ」
「なんだと?」
驚いて目を瞬かせたディオンに、朝、出発する前に紙を貰って、それで……、と声を潜めて言い淀むテランス。視線を泳がせてから、ああ、だのうう、だの珍しくまごつくテランスの姿をみて、本当にどうしたのかと心配してしまった。
立ち止まったテランスが気まずそうにディオンと目を合わせる。
君がそんなに真面目に考えているとは思わなかったから、なんて言い訳して。油断すると聞き逃してしまいそうな声量で、ぽそりと白状した。
自由にしたいことを書いて。って言われたから。
「……君の好きを独り占めしたい」
「……は?」
「って…………書いちゃった……ん、です……けど…………」
君がそんなに真剣に考えてるのに、俺なんか本当に駄目だね?
と、両手で顔を隠してあぁぁ……!とくぐもった叫びを上げるテランスに、じわじわと何かが込み上げて来る感覚を覚えたディオンは狼狽えた。
駄目ではないが?!いや!お前!本当に…!
こんなところでまた初心な部分を見せてくる婚約者に、どうしてそう可愛い事を!とディオンは心の中で叫んだ。
もう本音を言ってしまうとね!とテランスはやけくそ気味に言う。
──ディオンが昏睡から目覚めて半年。一宿一飯の恩義を返すとリハビリがてら手伝いを続けて、コルマックやモリーと仲良くなって、モーグリにはキラキラとした目を向けて、時々トルガルを触ってみたそうに見つめて、ハルポクラテス先生には褒められる度、ふわふわと擽ったそうに喜んでいる。それは大変に嬉しいし、隠れ家の皆と打ち解けて喜ばしいことなんだ、けど!
「独り占めしたいと思ってしまったんだ」
羞恥が一周してむすっと頬を膨らませるテランス。それを言うならお前も!とディオンも応戦した。
「ガブと仲が良すぎないか!石の剣の者達とも、隠れ家の外にいる者達とも!」
「仲が良すぎるって!?そりゃあ君が見つかって目覚めるまで、眠り続けた半年の間に彼等の手伝いをしていたんだ、仲良くだってなる!意識の戻らない君を見て動けなくなって、迷惑だって沢山かけてしまったし、それでも励まし合って前へ進めた。だからこれは必然的にそうなってしまうわけで……」
言い募るテランスに更にディオンが噛みつく。
「だからといってハンドシェイクまでするのか!お前はガブとどれだけ親密になって私に妬かせたいというんだ!」
「はっ!?」
とっくに通り過ぎたラウンジで、ガブがくしゃみをしたことに二人は気付かない。
「この間の戯れだって、私は見たぞ!船から降りる時にやっていただろう!サロンからずっと見ていれば、お前達はああもいちゃいちゃと「煩い!!」」
知らず内に大声で言い争う形になっていたのを止めたのは、滅多に見ない程に素晴らしい笑顔を浮かべ、青筋を立てたジョシュアだった。
「二人とも。声が大きい。煩い。静かに」
「は……はい……」
「ここをどこだと思ってるの?まだ君達の部屋じゃないよね?痴話喧嘩なら皆に聞こえない所でやって」
「すまなかった……」
勢いを削がれて仲良く反省を見せた二人に、ジョシュアはやっと怒りを鎮めた。
「それで、七夕の願いは?」
ミドのお使いだと片手を出して短冊を寄越せというポーズを取るジョシュアに、ディオンがポケットに仕舞っていた紙を取り出す。心配そうにディオンを見つめるテランスを横目に、ディオンは未だ真っ白な短冊に視線を落とした。
何でも良いとミドアドル嬢は言った。好きなこと。したいこと。欲しいものでも、なんでも。
私の、願いは。
「もう!結局二人とも同じじゃないかよ!」
ミドが軽快に笑う。ジョシュアから受け取ったかの皇子様の短冊には、美しい文字で、彼の唯一を独占する権利を主張する言葉が綴られていた。
【ディオンの“好き”を独り占めできますように】
【テランスは余のものだ】