―――が存在しなかった世界線
召喚獣フェニックスを宿すドミナントである、旧ロザリア公国の第二王子、ジョシュア・ロズフィールドと、イフリートなどという意味のわからない新たな召喚獣のドミナントとなった、ジョシュアの実兄、クライヴ・ロズフィールド。
なんとも仲睦まじい兄弟だ。揃って互いを信じ、思いやり、尊重して、気が置けない二人が同じく心を預けたことによって融合を可能としたらしい。そんな家族愛だとかいう大層なものによって余は倒された。あぁ全く、感動的な話で涙が出てしまうな。
父上のため、国のためにと振り翳していた翼も奪われ、死に損なった余のどこに生きる理由があるというのか。無様に敗けて、父上に会わせる顔が無い。義母上にも見限られる。義弟からもつまらない玩具だと捨てられてしまうに違いない。バハムートが墜ちるということは、今まで積み重ねてきた信用も期待も裏切ってしまうも同然の事だった。
ここまでやってきた全てが無駄になった。どうして死ねなかったのか、そんな悩みすら烏滸がましいということなのだろうか。
生き延びた事が許されなかったのか、墜落して気を失い、拾われた果てに「ここはお前が元いた世界とは別の世界だ」だの何だのと告げられて、全てがどうでもよくなった。どうでもいい。何もかも、心底どうでもいいと投げ出すつもりだった。……だが。
「気が変わった」
ここに来て、初めて興味というものを覚えた。
この世界に存在するもう一人の余の、側近だという人間。
黒茶色の髪を短く刈り上げた、獣性を羊の皮で隠したテランスと呼ばれたあの男。この世界の余──“あれ”があんな顔になるのは面白い。本当に余か?“あれ”は。
今日もあれの監視の目を抜けてうろうろと玩具を探す。暇つぶしにあれの振りをしてその辺にいる者達を騙すのも面白い。
「そこのお前。喉が渇かないか?」
「はっ……!?ひぇ、ディ、ディオン様!?」
「なあ、余は渇いているのだが……」
「ぇええっ?!いやその、そんな……!えっ?テランス様に申し訳が……!」
「やめないか馬鹿者!!」
元の世界のように畏怖されることが無いのが新鮮で、そればかりか指一本触れさせるだけで狼狽し、いけません等と熱に浮かされた顔をして言うのが愉快だった。ここの余はどうやら徳でも積んだらしい。
テランスは日中あまりこの遺跡跡地には残っていないようで、仲間だとかいう竜の紋章の描かれたザンブレク兵の甲冑を装備した奴等を連れて、週の半分以上は湖の向こうへと繰り出していた。
「なんだ捨てられたか」
「そんなわけがあるか」
テランスとその他の船を見送るあれを揶揄ってやろうとしたのに素気無く返されたのは、初めてその光景を目にした日の話である。なんてつまらない奴だ。
あれに見つかると邪魔をされるし面倒だ。そしてつまらない。
同じ顔で同じ生まれ方をした同じ人間だというのに、ああも真面目な優等生のような、あんな風に育った自分に疑問しか浮かばない。余に似ても似つかないあの性格。あれは何をどうやってああいう性格に矯正されたのだろうか。産まれてから今に至る成長の中で、人格形成を行うに大きく関わったと思われる男に酷く興味を唆られる。テランス。顔も悪くはなかったし、寧ろ今まで出会った人間で一番可愛い顔立ちだと言ってもおかしくはない。テランスという男の、隠された二面性にも面白そうな気配しかしない。早く戻って来ないだろうか。
「えっ……?!ディオン様が、二人…………!?」
「チッ」
そう思いながら近くにいた人間と戯れようとして、またあれに見つかっては首の後ろを掴まれるという邪魔をされる。なんて鼻の効く男だ。同じ自分だとは思えない。今回もまた悪戯が未遂に終わり、次はどうやってあれを出し抜いてやろうかと策を練るのだった。
その日は奴がいた。余を誘ったドミナント。あまり見たくは無かったのだが、あの姦しい発明家の娘を避けて行こうとすれば狭い裏デッキの道ですれ違う確率も高く、運悪く反対側から来た奴もこちらに気付いたようだった。特段言いたいことはないが、思うところはある。それはフェニックスも同じだったようで、向かい合って立ち止まれば、視線を彷徨わせたフェニックスが口を開こうとしたのを先に制した。
「最期に見たお前の眼を覚えている。余を憐れんだな、フェニックス」
「……それは僕じゃないから」
「わかっている」
ただ言いたかっただけだ。そう付け足せば、どうして、とフェニックスは余に問い掛けた。
「どうして交渉に応じなかったんだい」
決裂の理由か。世界が崩壊すると聞いて尚、クリスタルを護ろうとした理由。
「そんなもの」
余には何も無かったからだ。
テランスという存在を知れば知るほど“あれ”を忌々しく思う。酷い苦痛だ。余には何もなかったというのに。あれの生き様を聞いて、この生温い環境を見て、初めて知る感情に飲まれていく。
羨望、嫉妬、悔恨。自分はあんな顔もできたのか、なんて思った。聖竜騎士団、なんてものを設立したと聞いた。ままごとではないか。偽善に満ちた正義が鼻につく。交わす言葉全てに苛立ちが募る。
何も無かったから、上辺だけの国の象徴として振る舞った。求められる威厳を出した。“家族”には蔑まされ、しかしそれを受け止めるしか拠り所はなかった。自嘲するのは自分が愚かだとわかっているからだ。自分は傀儡である。ならば器らしく鏖にして、壊していくしかなかった。
ザンブレク以外での生き方など、何一つわからないのだ。
***
──船から降り立った桟橋から、昇降機へ向かう道で。
“ディオン”に声をかけられたテランスは、その質問に面食らった後、正直に答えた。
「お前はあれの何だ?」
「……俺は、ディオンの。……幼馴染で、従者で、恋人で……」
言葉を噛み締めるように一つずつ、律儀な返事をしたテランスが可笑しかったのか、ディオンはふん、と鼻を鳴らして嗤った。
「余にそんな物はいなかった」
そう言って遠い目をしたディオンの自嘲めいた声とは裏腹に、我慢しているような寂しそうな顔が、根本的にはディオンと同じ人間なんだとテランスは感じた。
「余には何もなかった。支えなど。馬鹿馬鹿しい」
そう吐き捨てたディオンの姿が、出会ったばかりの頃のディオンと重なる。
──ああ、君も。
テランスの心が締めつけられるような痛みを覚えたのは、いつかのディオンと同じ眼をしていたからで。
──つらくて、さみしい思いをしていたんだね。
そう思うと同時に、テランスは思わず彼に手を伸ばしていた。
僅かに驚いた顔をしたディオンを抱き締めると、「慰めのつもりか」と腕の中からくぐもった声が聞こえた。彼と彼を同一視するわけではないが、違うようで同じ場所に彼らはいたのだと、テランスは思う。ただ、自分の存在が消失していただけの世界の。
「かもね」
愛はこちらの世界のディオンにだけ向いている。傍にいると誓った、自分の唯一。
この“ディオン”は、まるで捨て猫のように見えて目が離せない。
「ふん……動物扱いか」
「そうだね」
「腹が立つ」
このまま余の物になれば良いのに。そんな世迷言を呟くディオンに微笑む。悪知恵が働くほど元気ならそれで良い。
どんな世界のディオンでも、自分という人間は彼に笑って過ごしてほしいのだから。
──それから直ぐ。数分も経たない内に。
「…………何を……している……!!」
抱擁を交わす二人をディオンが目撃して、怒った彼の誤解を解くことに懸命なテランスを指差して嘲笑う悪童の姿がそこに見られたのだとか。
なんとも仲睦まじい兄弟だ。揃って互いを信じ、思いやり、尊重して、気が置けない二人が同じく心を預けたことによって融合を可能としたらしい。そんな家族愛だとかいう大層なものによって余は倒された。あぁ全く、感動的な話で涙が出てしまうな。
父上のため、国のためにと振り翳していた翼も奪われ、死に損なった余のどこに生きる理由があるというのか。無様に敗けて、父上に会わせる顔が無い。義母上にも見限られる。義弟からもつまらない玩具だと捨てられてしまうに違いない。バハムートが墜ちるということは、今まで積み重ねてきた信用も期待も裏切ってしまうも同然の事だった。
ここまでやってきた全てが無駄になった。どうして死ねなかったのか、そんな悩みすら烏滸がましいということなのだろうか。
生き延びた事が許されなかったのか、墜落して気を失い、拾われた果てに「ここはお前が元いた世界とは別の世界だ」だの何だのと告げられて、全てがどうでもよくなった。どうでもいい。何もかも、心底どうでもいいと投げ出すつもりだった。……だが。
「気が変わった」
ここに来て、初めて興味というものを覚えた。
この世界に存在するもう一人の余の、側近だという人間。
黒茶色の髪を短く刈り上げた、獣性を羊の皮で隠したテランスと呼ばれたあの男。この世界の余──“あれ”があんな顔になるのは面白い。本当に余か?“あれ”は。
今日もあれの監視の目を抜けてうろうろと玩具を探す。暇つぶしにあれの振りをしてその辺にいる者達を騙すのも面白い。
「そこのお前。喉が渇かないか?」
「はっ……!?ひぇ、ディ、ディオン様!?」
「なあ、余は渇いているのだが……」
「ぇええっ?!いやその、そんな……!えっ?テランス様に申し訳が……!」
「やめないか馬鹿者!!」
元の世界のように畏怖されることが無いのが新鮮で、そればかりか指一本触れさせるだけで狼狽し、いけません等と熱に浮かされた顔をして言うのが愉快だった。ここの余はどうやら徳でも積んだらしい。
テランスは日中あまりこの遺跡跡地には残っていないようで、仲間だとかいう竜の紋章の描かれたザンブレク兵の甲冑を装備した奴等を連れて、週の半分以上は湖の向こうへと繰り出していた。
「なんだ捨てられたか」
「そんなわけがあるか」
テランスとその他の船を見送るあれを揶揄ってやろうとしたのに素気無く返されたのは、初めてその光景を目にした日の話である。なんてつまらない奴だ。
あれに見つかると邪魔をされるし面倒だ。そしてつまらない。
同じ顔で同じ生まれ方をした同じ人間だというのに、ああも真面目な優等生のような、あんな風に育った自分に疑問しか浮かばない。余に似ても似つかないあの性格。あれは何をどうやってああいう性格に矯正されたのだろうか。産まれてから今に至る成長の中で、人格形成を行うに大きく関わったと思われる男に酷く興味を唆られる。テランス。顔も悪くはなかったし、寧ろ今まで出会った人間で一番可愛い顔立ちだと言ってもおかしくはない。テランスという男の、隠された二面性にも面白そうな気配しかしない。早く戻って来ないだろうか。
「えっ……?!ディオン様が、二人…………!?」
「チッ」
そう思いながら近くにいた人間と戯れようとして、またあれに見つかっては首の後ろを掴まれるという邪魔をされる。なんて鼻の効く男だ。同じ自分だとは思えない。今回もまた悪戯が未遂に終わり、次はどうやってあれを出し抜いてやろうかと策を練るのだった。
その日は奴がいた。余を誘ったドミナント。あまり見たくは無かったのだが、あの姦しい発明家の娘を避けて行こうとすれば狭い裏デッキの道ですれ違う確率も高く、運悪く反対側から来た奴もこちらに気付いたようだった。特段言いたいことはないが、思うところはある。それはフェニックスも同じだったようで、向かい合って立ち止まれば、視線を彷徨わせたフェニックスが口を開こうとしたのを先に制した。
「最期に見たお前の眼を覚えている。余を憐れんだな、フェニックス」
「……それは僕じゃないから」
「わかっている」
ただ言いたかっただけだ。そう付け足せば、どうして、とフェニックスは余に問い掛けた。
「どうして交渉に応じなかったんだい」
決裂の理由か。世界が崩壊すると聞いて尚、クリスタルを護ろうとした理由。
「そんなもの」
余には何も無かったからだ。
テランスという存在を知れば知るほど“あれ”を忌々しく思う。酷い苦痛だ。余には何もなかったというのに。あれの生き様を聞いて、この生温い環境を見て、初めて知る感情に飲まれていく。
羨望、嫉妬、悔恨。自分はあんな顔もできたのか、なんて思った。聖竜騎士団、なんてものを設立したと聞いた。ままごとではないか。偽善に満ちた正義が鼻につく。交わす言葉全てに苛立ちが募る。
何も無かったから、上辺だけの国の象徴として振る舞った。求められる威厳を出した。“家族”には蔑まされ、しかしそれを受け止めるしか拠り所はなかった。自嘲するのは自分が愚かだとわかっているからだ。自分は傀儡である。ならば器らしく鏖にして、壊していくしかなかった。
ザンブレク以外での生き方など、何一つわからないのだ。
***
──船から降り立った桟橋から、昇降機へ向かう道で。
“ディオン”に声をかけられたテランスは、その質問に面食らった後、正直に答えた。
「お前はあれの何だ?」
「……俺は、ディオンの。……幼馴染で、従者で、恋人で……」
言葉を噛み締めるように一つずつ、律儀な返事をしたテランスが可笑しかったのか、ディオンはふん、と鼻を鳴らして嗤った。
「余にそんな物はいなかった」
そう言って遠い目をしたディオンの自嘲めいた声とは裏腹に、我慢しているような寂しそうな顔が、根本的にはディオンと同じ人間なんだとテランスは感じた。
「余には何もなかった。支えなど。馬鹿馬鹿しい」
そう吐き捨てたディオンの姿が、出会ったばかりの頃のディオンと重なる。
──ああ、君も。
テランスの心が締めつけられるような痛みを覚えたのは、いつかのディオンと同じ眼をしていたからで。
──つらくて、さみしい思いをしていたんだね。
そう思うと同時に、テランスは思わず彼に手を伸ばしていた。
僅かに驚いた顔をしたディオンを抱き締めると、「慰めのつもりか」と腕の中からくぐもった声が聞こえた。彼と彼を同一視するわけではないが、違うようで同じ場所に彼らはいたのだと、テランスは思う。ただ、自分の存在が消失していただけの世界の。
「かもね」
愛はこちらの世界のディオンにだけ向いている。傍にいると誓った、自分の唯一。
この“ディオン”は、まるで捨て猫のように見えて目が離せない。
「ふん……動物扱いか」
「そうだね」
「腹が立つ」
このまま余の物になれば良いのに。そんな世迷言を呟くディオンに微笑む。悪知恵が働くほど元気ならそれで良い。
どんな世界のディオンでも、自分という人間は彼に笑って過ごしてほしいのだから。
──それから直ぐ。数分も経たない内に。
「…………何を……している……!!」
抱擁を交わす二人をディオンが目撃して、怒った彼の誤解を解くことに懸命なテランスを指差して嘲笑う悪童の姿がそこに見られたのだとか。