ED後、隠れ家で生活シリーズ

朝。与えられた自室を出てすぐに植物園に向かい、沢山の果実の入った籠を両手に1つずつ受け取り、裏デッキを通って工房の職人と商人に差し入れだ、と籠の中の果実を手渡す。そのままラウンジにいる料理長に籠ごと1つ。
次に書庫に入り、先生へ1つと、そこに居る数人にも手渡し、大広間からデッキに出て、すれ違う人々に声を掛けながらサロンへ向かい、オットーにもう1つの籠を差し出した。
「予想以上の成果だ。皆へ配るよう任務を与えられた。これはこちらで分けると良い」
「そうかい。ほう、こりゃあ大したもんだな…ありがたく頂くとするよ」
「うむ」
自分はただ運んでいただけなのだが、果実を手に取った皆の顔が綻ぶ様子を見ていると、少し誇らしくなった。
生きる為に、生きやすい居場所を作る為に隠れ家に住む各々が仕事に追われ、頭と身体を使い、休む時間を忘れて日々奔走する。
そして蓄積された疲労は表情を険しくさせて、笑顔と安らぎを奪っていく。
それでは駄目だと最初に言ったのは、この果実を育てているコルマックだったか。食事は元気の源。美味しい物を食べると笑顔になる。
続いて声を上げたのは料理長のモリーで、ならばその材料を、と肥料を揃え、土を弄り、足りない物は動ける者に調達を頼み、どうすれば上手く育たせることが出来るのか、と頭を突き合わせた植物研究家達の中に、知識の豊富なハルポクラテス先生と自分は混ざっていた。
皆の力で暮らしが良くなっていく。それがとても楽しくて、大変ながらも充実した日々を送れていると思った。
が、しかし。未だに不満に思うことも、また少しばかりある。
本当は「自分も外に出れる」と何度も主張してはいたのに、負傷した仲間の中で1番目覚めるのが遅く、なお且つ傷がなかなか癒えなかったからか、若干1名が頑なに首を縦に振らなかったのだ。
過保護な奴め。共に戦場へ赴くようになってから、今まで一度もそのような振る舞いをしたことはなかったのに、あの日から、再会を果たしたあの時、あの瞬間から、我が最愛の頑固さはより強くなったように思う。
頑固なのは貴方だ、そんな声が聞こえた気がするが、全くもってそんな事はない。
その頑固な頭を持つ男は裏デッキからアトリウムに向かい、ミドの工房で籠を1つ渡した後、居住区と医務室に寄って果実を配り終えてから、このサロンで私と落ち合う予定だ。
何となく居住区の方を見上げる。待ち人の姿はまだない。ここで待っていると多少落ち着かなくなるのは、この間ジョシュアに繰り広げた赤裸々な恋人自慢─そのつもりは無かったが、どうやらそうだったらしい─の後のお説教のせいか、それとも、それより更に前に起こった、恋人との喧嘩……というか、ちょっとした出来事を思い出してしまうからなのか。


恋人、テランスの気持ちはよく理解できた。残された者の辛さ。引き止められなかった後悔。大切な物を失った絶望。託された物の重さ、責任感、先の見えない苦しみ。
私とて全てを押し付けたかったわけではない。覚悟は決まっていたと胸を張れるが、死を望んだつもりはなく、最初から捨て身になった気も無かった。が、結果論として、テランスにはそう捉えられたらしい。
私が発見されたことも、目覚めたことも奇跡だったようで、渡し船で外から隠れ家に戻ってきたばかりのテランスが、桟橋からデッキに上がって直ぐにそこにいた私を見つけ、脇目も振らずに駆けてきた勢いで力強く抱き締めてきたことは、今でも鮮明に思い出せる。私が目覚めるよりも前からテランスはキエルと共に隠れ家にいたらしい。
行方不明扱いになっていた自分が見つかったという一報を受けて二人は隠れ家へ足を運び、必ず目を覚ますと信じてずっと傍にいてくれた話を聞いた時は込み上げてくるものがあった。
ただ居座るだけなのは、と隠れ家での仕事の手伝いを始めたテランスが、お使いを頼まれて外に出ているタイミングで私の意識が戻ったというのが、デッキで起こった最初の騒動である。
痛いほどに強く、意識を手放すほどに苦しく、「二度と離さない」と想いの丈を熱くぶつけられた。
狂おしい程の熱量を、与えられた情熱を、私も同じくらいに返そうと思った時には医務室にいた。
隣には小さく身を屈めたテランス。まさか本当に意識を飛ばすとは。
やってしまったと落ち込んでいたテランスを慰めて、再び生きて会うことができた喜びと、この先もずっと共に歩めることを祝した日から数日。
日が暮れた頃、どこから耳に挟んできたのか、最終決戦の前に私がクライヴや先生と話した内容を知ったテランスが、真剣な面持ちで「1つだけ、御無礼をお許しください」と告げてきたのがこの場所だった。
覚悟を決めた目だった。何かを決意した、これだけはやり遂げなければならないという表情だった。
パン、と乾いた音が響くと同時に視界が揺れた。ああ、左頬が熱い。叩かれたのは初めてだ、と見当違いな事を考えて、そっと頬に触れる。ジンジンと痺れるような感覚が不思議に思えて、横を向いたまま、夜の海を眺めながらそこを擦り続けた。
「──あぁ、ディオン。泣かせたかったわけではないんです」
何を言っているのか。馬鹿なことを。この程度の事で私が泣くわけがないだろう。
そう返事をしようとして、ひゅ、と開いた口から零れた声に動揺する。焦って話そうとする度に言葉にならない声が漏れて、どうしようもなく恥ずかしくなって口元を押さえようとした。だが、その手を握って引き寄せたのは、私の頬を張った張本人だ。
背中に回された腕が優しく後頭部を撫でて、軽く押されるままにテランスの肩口に顔を埋める。徐々に布が湿っていく感触に、本当に泣いていたのか、と自分自身に驚いた。
「ディオン」
名前を呼ばれる。応えてやりたいのに、唇が紡ぐのは嗚咽ばかりだ。震える身体を温かい手で撫で下ろされ、余計に目の奥が熱くなった。
わかっている。自分が貫き通した信念で、テランスがどう思っただろうかなんてことは。
同じようにその背に腕を回す勇気が出なくて、テランスの服の裾を小さく握る。それに何かを言うわけでもなく、テランスはただ静かに私を抱き締め続けた。ああ、本当に。こんなにも愛されていたのか、私は。
遅すぎる自覚に、これを伝えたらそなたはどんな顔をするのだろうか。と、肩口を濡らし続けながら、胸のつかえが取れていくを感じつつ、ゆっくりと夜は更けていった。


「ディオン様」
同じ口調で、ただ記憶よりは少し甘さの足りない固さで呼ばれたことにディオンはむ、と唇を尖らせた。
声のした方を振り返ると、ちょうど階段を降りきったテランスが片手を上げて「お疲れ様」と任務を完了させたことを労ってくれた。
「やっと来たか」
「すみません、思いの外配るのに手間取ってしまって」
「口調」
「あ……えっと、──ごめんね、ディオン」
照れ笑いを浮かべたテランスがディオンの頬に手を伸ばす。指先が耳朶に触れて、ちょうど回想していた部分を指の腹で優しく擦った。痛みもなく、むしろ心地良い触れ方に、ディオンは満足そうに口元を綻ばせた。
「いちゃつくなら部屋でやれよ」
甘ったるい空気を醸し出しかけたのを察知したオットーが呆れたように釘を刺してくる。わかっているさ、と返答するが、“前科”があるだけにディオンの言葉は少しばかり当てにならないところがある。テランスは「はは…」と苦笑して、左手に持っていた果実をディオンに見せた。
「部屋に戻って食べようか。それと今日の予定はもう無いから、その…」
「……なるほど?」
テランスの眼差しにディオンはにやりと笑う。自分の唇に触れて、つい、と指で下唇をなぞると、「愛い奴め」と無意識に熱い息を漏らした。
「どうせなら食べさせ合うのも良いかもしれんな。どうだ?テランス」
「是非に」
食い気味の返事にいよいよ笑いが堪えられなくなったディオンが吹き出す。並んで歩き出した二人に、全くいつまでも熱いこって。とオットーは肩を竦めて空を見上げた。
あぁ、今日も良い天気だ。
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