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捻れた恋

 青色に金で縁取られたソファにシャンデリア。壁には往年の大女優の白黒写真。日光が店内に満遍なく行き届くように設計された大きな窓。若い女性をターゲットに某ラグジュアリーブランドが経営しているカフェは写真で見るよりもきらきらとしていて少しだけ入るのに躊躇した。外のうだるような暑さに比べて店内はよく冷房が効いていて涼しかった。「何名様ですか?」「二名です」案内されたのは外の景色が見下ろせる窓際。暑いのになあ、という愚痴は心の中に仕舞った。
「暑いのに、って思ったでしょ」
「言わなくていいから」
「ふふ。ちょっとだけ苦笑いする君の顔が面白かったから、つい」


周助は穏やかに笑った。


「今日楽しい?」
「うん、楽しいけど」
「そうか」
周助はテーブルの下で脚を組んだ。大人っぽく綺麗な顔立ちをしているので、そういう仕草も様になる。にい、と口を歪めて腕を組んだ。
「僕ならこの時間をループさせることもできるけど」
「それはいい。たまにあるから楽しいの、ずっとこれはつまんない」
 周助の突然の提案を即座に蹴る。残念だといったふうに椅子にもたれた。朱に染まっていた瞳が本来の色を取り戻す。コバルトブルーが印象的な瞳だ。『ライ麦畑でつかまえて』の表紙のような切ない色。私は年老いたときに、記憶の底に沈んでしまった鮮やかな青春をこの色で思いだすのだろう。
 「ひどいな。君は頑なに僕の提案を断る」
「私は周助のその手の提案には乗らないよ」
「そう」
 周助は短く返事をするとメニューを開いた。こんな物騒なことを言うけど、周助はなんだかんだ優しい。今日も辛いのが好きなくせに、私がここのいちごタルトを食べたいと言ったから二つ返事でついてくきてくれた。しかしさっきのような提案、例えば私を小人にしてテラリウムで飼うとか、魂を体から抜き取ってそれを結晶にしたいなどという怖いことを「レモンティーを一つ」とでもいう風にさらりと言う。そしてそのようなことを言うときにはいつも彼の瞳はコバルトブルーから朱に変わり、形のいい唇を歪ませる。
 「レモンティーをご注文の方」
「はい」
周助は姿勢を正し澄ました表情をする。若い女性の店員はちらりと周助の顔を見て、私の顔も見る。子ども特有のあどけなさと人目を引く容姿で周助は大抵の人間に関心を持たれる。


しかし、人を惑わす美しい貌を剥いだその下には何もない。虚無が永遠に続いているだけ。


 人間の真似をするのが上手な化け物は中学三年の時に同じクラスだった私に興味を持ったらしい。「何かあった?」と尋ねれば分かっていないから好きになった、と返された。イケメンは明け透けにアプローチされるのには慣れているから無意識の好意には弱いと勝手に納得した。最初こそどこにでもいるカップルと同じようにやっていたが、あることがきっかけで周助は本性を現した。自分は人間ではなく邪神であること、そして私を閉じ込めて永遠の命を与える準備はできていると。その時の顔は、強い西日の逆光になってよく見えなかった。強く言い切った割に握った拳はブルブルと震えていた。だから、人間は嫌なんだと呟いた。
 かく言う私はその話を信じていなかったので、「何言ってんの?」と聞き返すしかなかった。周助は近くのパイプ椅子を組み立てた。そして私の顔を覗き込んだ。周助の顔にはぽっかりとブラックホールのような穴が開いていた。
やだ、怖い!と言って激怒し私は大泣きした。周助は元の顔を取り戻して再び私を見た。彼の双眼からは涙がぼたぼたと零れていて、声も上げずに泣いていた。
「なんで周助が泣いてんの」
「僕は君のことを想っているのに」
「そんなの嘘。その考えに私の意志は入ってないじゃん」
  周助は無表情だった。のっぺりとした仮面を着けていた。
「僕は人間の真似事しかできない。人間は愛する対象じゃないから」
「じゃあ私は」
「例外だ。バグだ。本当なら起こらなかったはずの、有り得ないことだ」
 看護師さんがそのとき丁度「お加減どうですか~」と病室に入ってきた。周助は涙を手で拭うと何も言わずに病室から出て行った。「あら、彼氏いたの?」「そんなもんです、たぶん」
私は曖昧に答えた。看護師さんはにこにこと微笑まし気に出て行った方を見ていた。


 当時のことを思い出しながらタルトをつつく。とても美味しい。ルビーのようないちごは食べるのが勿体ないと思いながら一口で食べた。周助はその光景を黙って見ていた。グラスに沈むレモンの輪切り。周助はそれをストローでつつく。
 店を出て、次はどこに行こうかと相談しながらぶらぶらと歩く。映画とかいいかもね、と私が言ったときに、周助が私の手を握った。
 「ちょっと痛い」
手はリボンを解くようにするりと離れる。キツく言い過ぎたかな。私にはその気がなくても言葉が厳しく聞こえることがあると最近指摘された。私はごめん、と言おうと周助の方を振り返った。


「僕は君の手を握るときの力加減も分からない。僕は多分、いつか君を壊すんだろうね」


「なんでそんなこと急に言うの?いつももっと物騒なこと言ってるのに」
周助は階段を下りる途中で立ち止まっていた。コバルトブルーの瞳は手のひらを見つめているのにどこも見ていないように見えた。周助のところに戻って私は彼の手を握る。
「この力加減なら痛くないから」
握られた手をじっと見つめ、彼はゆっくりと握り返す。
「そうか。ありがとう」
長い睫毛がふるふると震える。そして一粒の涙が頬を伝った。
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