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いとし


 茨の谷はその日悲しみに包まれた。国民の父たる国王の寵愛を最も受けていた妃が亡くなったのだ。人間にしては随分と長生きしたために周りは天寿を全うした、と言って国王を慰めた。その顔には苦しみの陰はなく、ただ安らかな微笑みが浮かんでいた。棺には生前彼女が好んだ花やそして国王と婚姻を結んだときに贈られた指輪が入れられた。その指輪は血の通っていない指に嵌められてきらりと涙を溜め込んでいるように輝いた。

「本当に良いのか、マレウス。今からでも変えることは出来るぞ」
「いいんだ、リリア。これが彼女に出来る僕の最後のことだ」
茨の谷の埋葬方法は一般的に土葬である。特に王たるマレウスは亡くなった時に絶対にその遺体を火葬してはならない。というのは魂の一部でも現世に留めておく必要があり、遺体が無ければ現世との繋がりを断つことになる。茨の谷の住民は魂が現世から消えることを最も恐れていた。
 しかし、元はこの世界の住人ではない彼女はそう考えなかったようだ。彼女の遺書には自分の遺体を灰にして、どこか高いところから撒いて欲しい、という旨が記されてあった。それを発見した当初マレウスを始め全員が驚いてどうするべきかを議論した。火葬でさえも敬遠されるのに、ましてや灰にしてそれを撒くなんて、とショックを受けている動揺する高官もいた。
 最終的にマレウスは彼女の遺言に従うことを決めた。沢山の反対を押しのける姿に「あんなにも深く愛していらっしゃったのに、どうして」という声が水のように浴びせられかけた。

「愛してるからこそ、これを選んだんだ」

国王はそう短く答えるだけであった。

「こんなにも軽くなってしまったな」
マレウスは遺灰の入った白磁の壺を布に包んで大事そうに抱えた。
「本当はこんなことをしたくはないんだ。お前とずっと共にありたいと今でも思う」
つう、と涙が頬を伝い布に染みを作る。マレウスは暫く骨壺を抱いたままであったが、ふっと淡い緑色の光とともに消えた。


 そして茨の谷でも険しい山の頂上に彼は移動した。朝焼けの美しい色が東の空から少しずつ染め上げていく。生前、彼女は最もこの時間帯が好きで、彼女をその腕に納めて朝焼けをベットの中で待ち続けたこともあった。この時間帯に送り出してやれば、彼女もきっと元の世界に辿り着けるだろう。

「僕を憎むか。あの時、お前の邪魔をし、元の世界に戻れなくしたことを」

 白磁の骨壺に語りかける。返事はもちろん返ってこない。彼女はいつも幸福そうだったが、その本意を知ることも今は叶わない。せめて、こうすることが、今のマレウスに出来ることだった。
 遺灰を一掴みし、それを風に乗せるようにして撒く。さらさらと手からすり抜けていく様にマレウスは酷く心が痛み、涙はますます零れ出た。

「さようなら、僕の最愛」
 
鷺がその白い羽を朝日に美しくはためかせる。彼女は真に今、自由を手に入れたのだ。

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