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純愛

「ツノ太郎、ここ座るね」
監督生は僕の返事を待たず隣に座る。僕の両隣、さらにその前後も空席だった。常に学内で一人というわけではないが、基本的に他寮生は話しかけてこない。そのため知り合いもなかなかできず、今日のような選択授業の時はほとんど一人で受けていた。そういうものだ、と理解したときから。
しかし、監督生は僕と同じ選択授業をとっていると気づいたその次から僕の隣に座るようになった。その日、「ここ座っていい?」と突然話しかける監督生の姿にもちろん僕も驚いたが、さらに驚いたのは他の生徒だった。その瞬間、教室にいる生徒の関心は一気に僕がどう対応するかに向いた。さっきまでとは違う静かな重い空気にふ、と少しだけ笑う。僕は監督生の方を見上げた。
「ああ、もちろん」
「ありがとう。この授業とってるなら最初から言ってくれたらよかったのに」
「違うんだゾ。コイツ、友達いねーのバレ…むぐ」
「ツノ太郎頭良いから分からないとこあったら教えてもらお」
「それはどうだろうな」
「え?」
監督生はきょとんとした顔になる。僕はそのまぬけな顔を見て声を上げて笑ってしまった。監督生は全く理解できないといった顔になって生徒たちは戸惑いの色を強くする。その日から一気に生徒たちの間で二人の関係についての憶測が飛び交った。セベクはその度に激怒し、シルバーはそれを必死に抑えていた。どうなんじゃ、その実は。とリリアに尋ねられ、僕はそれを微笑みで返した。周りがどう考えようが、興味がない。それで僕の愛が変わることはない。
驚き誤解や畏れで彼に話しかけることの出来ない生徒は、監督生のマレウスに対する一挙一動を注意深く観察する。あんな平凡を絵に描いたような人間とマレウス・ドラコニアがどうして親密なのかと、その秘密を探るために。
「そういえば今日サムさんがおまけくれたんだよね。一個あげる。あ、チョコ嫌いじゃない?」
監督生はポケットの中からピンクの包み紙を取り出して僕の手にそれを載せた。
「ありがとう、チョコレートは好きだ。しかしなぜ貰ったんだ?」
「今購買でそのメーカーのチョコを三つ買ったらおまけを一つ貰えるんだよ」
「ふむ」
 手のひらに載せられたピンクの包み紙を見る。監督生はこの菓子を好んで食べているのだろうか、今度オンボロ寮の近くに行くときはこれを持っていこう。それにしても、食べてしまうのが少々惜しい。いっそ魔法で加工してやろうかという考えが頭をよぎったが、きっとそれをすると監督生は残念がるだろう。とりあえず僕はそれをポケットに仕舞った。
 監督生は僕の方に身を寄せてノートを覗き込む。その拍子に石鹸の香りがふわりと香る。
「どうかしたか」
「ツノ太郎、予習完璧だなって思ってた」
「こんなもの造作もない。既に学んだことを繰り返しているだけだ。もっとも、やらなければ後が面倒だからな」
「なるほど。偉いよね、やったことあるのに手を抜いていなくて」
「ふっ、そうか」
「なになに、なんかおかしかった?」
「いや、なにも?」
 僕は当たり前のことを当たり前にしているだけだ。こんな問題、赤子の手をひねるより簡単だ。それでも、監督生にそう褒められると少しだけむず痒いような気持になる。僕は表情を悟れぬように顔を背ける。偉い、か。監督生のそれは嫌味もなく行き過ぎた尊敬の念も持たないものだった。生まれてからその単語を浴びせかけられているが、監督生の「偉い」は他のどれとも違う。盲目な信仰心でも嫉妬からくる皮肉でもない。
 監督生はいつもその吸い込まれるような瞳をこちらに向けて目を逸らさずに話しかける。『次期国王』ではなく、ただの一生徒としてのマレウスに。
それがマレウスにとっては新鮮であり、愉快であり、慰めだった。

 その日監督生は食堂で珍しく一人で昼食を摂らなくてはいけなかった。エース、デュース、それにグリムはクルーウェル先生のところで昼休みを削りテストの補習をしている…はずだが、グリムはちゃんとやっているのか分からない。というのは、先程授業にはグリムの姿はなかったからだ。多分どこかでさぼっているんだろう。しかしグリムがさぼるとこちらにもしわ寄せが来るので、監督生としてはエースかデュースが引きずってでも補習に連れて行ってくれていると信じたい。
「今日は一人か」
いつものメンバーがいないと何ともいえない寂しさが静かに広がる。ちゃんと勉強しておけば良かったのにと監督生は呟き、ほうれん草のスパゲティーをフォークでくるくると巻きとりそれを口に入れた。
味気ない食事を手早く済ませ、次の授業の教室に移動していた時に突然声をかけられた。緑色のベストから判断するにディアソムニアの寮生だ。しかし、全く面識がない寮生だったので最初は人違いかと思い監督生はそのまま通り過ぎようとした。
「お前、こちらに来い!」
「えっ、痛い痛い!」
骨がミシミシと音を立てそうなくらい強く摑まえられる。どうして。監督生の頭の中はその四文字に埋められた。こんなことをされるような恨みを買った覚えもなく、監督生は恐怖に襲われる。ディアソムニア寮生は監督生をずるずると引きずられるようにして歩く。
  連れてこられたのは、いかにも人目につかなさそうな敷地内の林檎の木の下だった。
「おい、最近マレウス様の近くにいる人間を連れてきたぞ」
「どんなものかと思えば、このような平々凡々な人間にあんなにお心を砕いていらっしゃるとはな」
木の下で待機していたもう一人のディアソムニア寮生は監督生を一目見ると鼻で笑った。監督生は無言でそれを睨む。
「生意気な奴だ」
不愉快そうに顔を歪めてこう言葉を投げかけた。
「マレウス様は次期茨の谷の国王となる御方。お前が気安く話しかけて良い相手ではない。この人間風情が、調子に乗るなよ」
「なんの役にも立たないくせに、マレウス様のお傍にいても何も感じないとは。お前は余程厚顔無恥な人間なんだな」
「…どういうことですか」
 監督生は頭にきた。確かにマレウスと自分とでは月とすっぽん、天と地ほどの差があるだろう。しかしそれが事実であっても交流することを否定される謂れはない。大体自分とマレウスが交流することで目の前の人間に迷惑をかけた覚えもない。そもそも、初対面なのにも関わらず、どうしてそう言われるのか理解に苦しんだ。
反抗的な態度をとった監督生にディアソムニアの寮生は一瞬戸惑ったがすぐにそれは怒りに変わる。寮生の一人はブレザーを仲間に預けると監督生の目の前に進み出た。

「さらに理解が悪いときた。こういう奴には力で理解させるしかないな」

 寮生の剥き出しの敵意にひゅっと息を呑むと監督生はすぐに林檎の木の下から逃げ出す。後ろから怒号が聞こえてきて、監督生はさらに脚に力を込める。とにかく人目のつくところへ。脚がもつれそうになりながらも必死に走る。どうして。先程の問を反芻する。走って、走って、走り続けていると先程授業を一緒に受けた人物を見つけた。マレウスだ。
 監督生と寮生の異様な様子にマレウスは目を少し丸くし、次の瞬間には監督生を背中に隠し眉間に皺をよせて寮生達に質問した。
「何をしている。何故お前たちが人の子を追いかけているのだ」
 寮生たちが今度は息を呑む番だった。彼らは目に見えて動揺し、少しだけ後ずさる。
「マレウス様、違うのです——この人間は必ず貴方様にとって害になります、どうかご英断を」
「…なんだと?」
 その短い言葉でもマレウスが烈しい怒りを覚えたことが十分に分かった。マレウスが一歩前へ歩み出る。
「この僕に意見を?あまつさえ人の子を処分しろと。笑わせてくれるな、雷に打たれたいのか?」
 凛々しい目元に激しい怒りが滲む。いつもの冷静さは表情から消え去り空は鉛色へと変わる。その様子に寮生たちは途端に青ざめて跪きマレウスに赦しを乞い始める。まずい、このままでは命も危ういと思った監督生は咄嗟にマレウスの腕を強く掴んだ。
「ツノ太郎の名に傷を付けたくない。将来、国民を虐げた王と汚名がつくのは嫌だ」
監督生の声に振り向いたマレウスの目は血走っていて、いつも見せる落ち着きはすっかりと隠れてしまっていた。その姿に監督生は怯みそうになったがそれでも腕を掴んだままマレウスを見つめ返した。
「今回はこれに免じて赦してやろう。しかし、この人間に仇為す者はこの僕、マレウス・ドラゴニアに仇為していると心得よ」
マレウスと監督生が暫く見つめ合った後、マレウスは居住まいを正すと静かに寮生たちに告げた。寮生たちは口々に礼を述べるとすぐ二人の前から立ち去った。
「良かった、なんとか治まって。びっくりした」
「すまない。全て僕の力不足だ」
 監督生はその言葉に黙り込む。その様子を見てマレウスはやはり制裁の一つでも加えれば良かったと胸の内で思う。すると監督生は息を吸い込んで努めて明るくこう言った。それはまるでテストの点数が友人達よりも少しだけ悪かった時のように、意にも介さないといった風に。

「悔しいね」

マレウスは監督生の気丈に振る舞う姿に、心にひびが入ったかのような胸の痛みを覚えた。その笑顔は引きつっていて見るに堪えなかった。監督生の頬を手で包み、顔を上に向かせる。そのとき、涙が重力に従ってまろい頬を流れる。
「お前はそのままでいい、変わる必要なんてない。力が無くとも、お前が傍にいるというだけで僕は慰められている」
 監督生はその言葉に堰を切ったように泣き始める。マレウスは躊躇うことなく監督生を抱きしめた。
「泣かないでくれ、瞳が溶けてしまう。僕はお前のその瞳が一等好きだ。水晶のように美しい、その瞳が…頼むから、これからも傍にいてくれないか。他がどう言おうが、僕にとってお前を失うことは耐え難い苦痛だ」
手で涙を拭いながらこくりと頷く。その返事にマレウスはゆるやかに口の端を上げ監督生の頬を撫でた。
「ありがとう、優しい人の子。少し休んでから校舎に戻ろう。何、授業の心配はしなくてもいい」

 世界がお前を拒むのならば、僕はその世界を塵一つ残さずに壊してしまおう。そして、僕とお前しかいない世界を作るのだ。お前はただそこにいるだけでいい。どうだ、悪くないだろう?




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