音もなく障子を開けば、視界の先に白い褥がふんわりと浮かび上がる。
月明かりを頼りに敷布の隅まで寄ると、そうっとそうっと上掛けを捲った。
敷布の上には、月明かりに浮かび上がる艶やかな少女の脚。
まだ男を知らぬ幼い曲線でありながら、この男を魅了するには十分だった。
両手を敷布につき、まずは口付けようと頭(こうべ)を垂れた瞬間
どすっ
少女の清らかな脚の間に、筋肉の張った若々しいそれが割り込んできた。
1
「何を、してるんです?こんな夜中に」
まだ声変わりもしていない少年の囁き声は、少女の普段の声と同じ高さの音域で問うた。
「…邪魔をするな」
漸く拝めた少女の太腿を無粋な少年の脚に遮られて不機嫌にならないわけがないという声だ。
「俺があなたの邪魔をしましたか?」
更に膝をねじ込み、少女の股を完全に塞いだ。
「この脚が、儂の邪魔をしておる」
「ですから何の邪魔になるんです?」
「決まっておろう…」
男は僅かに白い歯を覗かせた。
そして口付けを邪魔された腹いせに、少女の外側の脚をさわさわと撫で回した。
「それが父親のすることですかっ」
「其方(そち)は添い寝までしておろうが!」
「邪な気持ちはありませんっ」
「嘘をつけ!こんな触り放題で愉しまぬわけなかろうっ」
「あなたと一緒にしないでください!」
「ええいっ、その脚を退けよ!」
2
「 ん――… 」
少女の微かな声に、二人は徐々に上がっていたトーンを一気に落とした。
「…?」
「いい子だね、
さくら姉……」
そう言って眉尻に口付けると、目覚めかけた少女は安心して再び眠りの旅に出た。
ふう、と溜息をつくと
「いい加減にしませんか?父上」
武礼は掌で顔を一撫でして此処に泊まりに来る度に自分の睡眠を妨げる父親を嗜めた。
「儂が本気になれば、そのように悠長では間に合わぬぞ?」
先程までの情欲さは失せた声に変わっていた。
「部屋に入った時からわかっていましたよ」
まだ
さくらの股に脚を差し込んだ体勢のまま、
武礼は欠伸をする。
「…つまり、障子を開けたのには気付かなかったというわけじゃな?」
「……まあ」
その返事を聞くと、父親の口許が上がった。
鏡月は部屋に入る直前まで、霊圧を消していたのだ。
そしてその場で再び霊圧を消して見せた。
3
「――!?」
とろんとしていた
武礼の目が、薄闇の中で見開かれる。
そして恐る恐る、未だ側にいるはずの父を捉えようと頭を回した。
「これが“霊圧を消す”ということじゃ」
そう語る父の姿は其処に見えるのに気配がなく声は届くのに実感がない。
父の存在を見誤らぬように頼れるのは己の目だけだ。
込み上げた溜飲を下げる為に、
武礼は喉を無理矢理鳴らした。
今、此処にいるのは娘に懸想している助平で危険な父親ではなく
隠密機動第五分隊裏挺隊隊長
天宝院鏡月その人であった。
4
「心して、
さくらを護れ…」
武礼が瞬きした瞬間に
鏡月は立ち上がり障子を開けていた。
だから
武礼の耳に父の去り際の言葉が届く頃にはその場に気配すらも残っていなかった。
霊圧を消し、その場に霊圧の名残なく瞬歩にて去りし男。
彼は実践を重視して、武礼に死神に必要な全てを教え込もうとしていた。
5
「んー!
武礼が悪いのよ!?」
朝から母に寝坊したことを叱られた
さくらは、いつもなら自分を起こしてくれる弟の頬を包み込んで唇を尖らせていた。
勿論、起きなかったのは自分が悪いのであって本気で武礼を責めているのではない。
「…ごめん」
ところが
武礼は素直に謝った。
あれから煽った心臓を、冷たくなった背筋を持て余し、彼は明け方まで眠れなかったのだ。
「 ?
武礼?」
さくらも様子がおかしいことに気付いた。
どうしたのと訊ねようとした矢先、とうに食事を終え席を外していた父が部屋に戻ってきた。
6
「おおう、
さくら。相変わらず愛らしい娘よ」
「…おはようございます、お父様。今朝は遅れまして申し訳ございません」
きりりとした眼差しに常に自分を愛でる言葉を放つ薄い口許。
正面からも横からも後姿さえ様になる姿勢と体躯。
父は常にまぶしい存在であった。
「どれ、儂の可愛い
さくらよ。近う」
「はいっ」
膳の片付けられた席へ今一度腰を下ろすと、父は
さくらを呼んだ。
指先まで鍛えられたその腕に包まれて、
さくらは朝から至福の一時を過ごす。
「旦那様。姫様はまだお食事を終えておりませぬ」
侍女の
ツバメは親子の触れ合う貴重な時間を解さずに現状を重視する。
7
「私、いりません」
さくらが食事など放り出して中々会えぬ理想の男・父との時間を選ぶのは当然のことであった。
「おおう、それはいかん。どれ、儂が食べさせてやろう。
ツバメ、此方(こち)へ寄せい」
膝の上に
さくらを乗せたまま、
鏡月は
さくらの膳を持って来させるとヒナに餌を与えるように箸を動かした。
「いい子じゃ、
さくら。いい子じゃのう」
一口食べる毎に鏡月はたんと褒め、
さくらは褒めてほしいが為に必死に口を動かす。
娘を溺愛する夫の傍にいる妻と、黙々と朝食を片付ける弟は静かに二人を見守っていた。
8
あれから
さくらが
卯月家を出ることを許され
此処、枝垂桃の宮に身を移し
漸く手許に娘を置けるようになった父が狂喜のあまり『愛する女』、つまりは妻と娘の区別がつかなくなった時から
幾年月が過ぎていた。
父、
鏡月の精神異常は時間を経て収まり
今ではこうして穏やかに非番の日に娘に会いに来ては父娘仲睦まじく貴重な一日を過ごしている。
月に数える程度の一日二日の短い休日の間に
鏡月は
さくらを存分に愛し、
武礼を鍛え、そして仕事に戻って行く。
自分を愛して止まぬ男に、
さくらが懐かぬわけがなかった。
よもや自分の実の父親が夜這いを試みているなどと露とも知らずに。
9
勿論それは、半分は
武礼を一流の死神に育てる為であり、残りは趣味である。
さくらは未だ護衛や両親を伴うことなく、枝垂桃の宮より外に出たことはない。
将来的には
武礼が供をするのであればそれなりの外出を認めるつもりではあるが、まだこの少年に任せられるほどではなかった。
一人前と認めた
武礼がもしも暴漢から
さくらの貞操を守り切ることが出来なかった場合、恐らくはこの父親
一晩中どころか三日三晩かけようが、
さくらに真の男の味を骨の髄まで味あわせ、そのおぞましい出来事を葬り去るつもりであろう。
自分の妻に、仕込んだように。
己の快楽をも満たす為に。
………一応は、それは最後の切り札と考えてはいるようであるが。
だからこそ
武礼は、ひとつの目標を達成できればすぐさま次の課題を与えられる。
万が一にも武礼が負け、
さくらを護れぬようなことが無いように。
この幼き弟は、姉を護る為だけに生まれてきたのだ。
10
昨夜
前回までの課題。
霊圧を感じ探ることで相手を捉えられると知り、裕に達成できたその成果を
一瞬にして霊圧を消すという所業にて意味のないものとされ
武礼はまた振り出しに戻された。
「選ぶがよい」
代々
天宝院家に伝わる宝刀――始祖が斬魄刀を生み出した際に
天宝院を継ぐ者の証として選られた二本の刀がある。
そのどちらかの刀に認められなければ、跡継ぎにはなれない。
幼き
武礼には、まだどれも同じ刀に見える。
父はどの刀を選んでも何も言ってはくれず
後で選ぶ父の刀こそが宝刀であったのかと、いつも唇を噛み締めてみるものだ。
11
「お願いします」
「こちらこそ頼もう」
刃を交える際の礼儀には篤く、自分の息子であろうとも
鏡月は姿勢を正して一礼する。
さくらは、その稽古を眺めるのが好きだった。
まだ父の身長に全く足りていない弟が、それでも父が侮らず見下さず相手をする様が実に心地良かった。
互いに刀を抜き
「はっ」
一瞬にして決着のつく時もあれば
「ぬうっ」
「ていっ」
「やっ」
全くもって勝敗のわからぬ時もある。
いつも勝負が一息つく頃に、
さくらの淹れた茶が二人の前に用意された。
12
「父上。せめて俺が選んだ刀が正しいかどうか、教えてください」
宝刀が二本あるだけに、互いの刀がそうであるか否かはわかりかねると言いたいのだろう。
もっと言っても良いのであれば、自分は刀を見極められているかどうかを教えてほしいのだ。
しかし
鏡月は
武礼の手にした刀がそうであるか否かを告げた例(ためし)がない。
せいぜい全ての刀を一度戻し、ガラガラと入れ替え
「是(こ)と其(そ)よ」
と指差すと
武礼が手にする前にまたガラガラと入れ替えてしまう。
外見は浅打も宝刀も同じ故、
武礼には全く手がかりとなるものがなかった。
それは死神の持つ斬魄刀同様、刀の声を聴く為の訓練でもあるとは
この少年にはまだ知らされていなかった。
13
「
武礼、おやすみなさい」
今宵もまた、
さくらは上掛けを脇に挟むようにして指を組み、
武礼に眠りの儀式をそれとなく催促した。
「おやすみ、
さくら姉」
両の瞼に口付けを落とし、姉を眠りの旅に誘う。
さくらは弟から安らかなる眠りへの切符を受け取ると、二度とその瞼を開くことなく眠りに就こうとする。
貴女の安らかなる眠りを妨げぬように
武礼はまだ起きているうちに姉の腕を布団の中にしまってやる。
姉の未来が平穏で至福に満ちたものであるが為に
少年は今宵もまた、如何なる深き眠りの最中であろうとも
あの父親を阻止せねばならない。
まだ全く本気を出していない、斬魄刀と家宝刀の二本を解放した男に
武礼が学ぶべきことは
あまりにも多く
そして
何一つ無駄なことはない。
fin*
************************************************タイトルは誰が為に鐘は鳴るを捩りました。
姉の為に死神を目指す
武礼。
弟の腕の中で眠る
さくら様。
そして、変態おやじ
鏡月。
それぞれが見る夢はそれぞれで、何処か繋がっています。
突発的にUPしてしまいましたが
さくら様、最後までご覧いただき、ありがとうございました。m(_ _)m
2007.12.01
郛外区 風⋆花⋆雪⋆月