八番隊の女性隊士の私室が個室なのは京楽の趣味――という噂が、真かどうかは定かでない。
副官の伊勢がついているのである。恐らくは八番隊を志願する女性隊士が少ないからという理由が尤もらしい気がするが、とにかく平の身でありながら
さくらは個室を宛がわれていた。
さくらは湯浴みを済ませて部屋に戻ると、もう一度斬魄刀を抱き締めた。
もう一度というのは、食事の前後と湯浴みに行く前にも抱き締めていたからである。
さくらは明日からは朝も鍛錬しようと、早々に布団に潜り込んだ。
昼下がりの一刻、席官らの指導を受けて斬魄刀の鍛錬に当たれる。
それ以外に修練場を新人が使えるのは仕事前の早朝と夕方の僅かな時間のみだ。
「おやすみ。…
武礼、お父様」
刀台は用意してあったのだが、確かに弟や父のぬくもりのようなものを感じられる斬魄刀を、この日は布団の中に持ち込んだ。
1
床に就いて、どのくらい経っていたのかは定かではない。
僅かに眠りが浅くなっていたのだろう。
何やら
さくらの眠りを妨げるものがあった。
それは
誰かが頭を撫ぜるような感触。
それが時折
頬を擽り…
息が、かかる………。
息っ!?
さくらは寝惚けた頭を必死で擡げて、自分の傍らにいる者を見た。
「―――誰…?」
得体の知れない相手に怖くて声も体も、小刻みに震えた。
『…わからんか?お前の最も傍に居る俺が』
しかし気配とは裏腹に、闇の中のその優しい声ときたら…。
「…お父様?」
最も印象に近い者の名を呼んでみた。
『――なんで親父なんだよ!』
グワッといきなり顔面に迫ってきたそれは、青白い炎のように揺れる獣の顔。
「はひっ、火ぃ――…」
ろうそくの炎のように一歩、動きに遅れてしなやかに揺れる。
獣で言えば毛先まで、品があるように見えた。
2
『ったく。お前ってば、本当にファザコンだな』
「ひ、火、………」
外見とは裏腹に言葉遣いが悪いことまでは、気が回らなかった。
『お前、俺が誰だかわかるか?』
「―――キツネ?」
『誰がキツネだ!!せめて狼とか言え!!!』
またグワッと顔が…大きくなるのか近づいたのか、とにかく視界が青白く占められた。
常にゆらゆらとしている全身は機敏そうだが、敵意は感じられない。
寧ろどこか人懐っこいようにも思えた。
「どっちだってイヌ科じゃないの…」
『つーか、俺はキツネでも狼でもねー』
だったら自分から狼とか言うべきではないのでは?と思ったが、あんぐり開けたら
さくらの頭が入ってしまいそうな大きな口と牙に、グッと言葉を呑み込んだ。
人懐っこい印象というのは、撤回だ。
3
『―――で?』
「―――で?」
『こっちが訊いてんだよ!』
ブワッと揺れた青白い…前足のようなものが
さくらの頭を掠めた。
熱くはない。
拳で殴られたような痛みもない。
ただ、軽く叩かれたような感じはした。
しかし触れられたにしては感覚として何だかおかしい。
『俺が誰だかわかるかって訊いてんだ』
「えー …っと?」
さくらは首を大きく傾げるだけだ。全然思い当たらないらしい。
大きな鼻息を漏らすと舌打ちをし、自ら正体をバラした。
『俺はお前の――斬魄刀だ』
わかったか。と鼻面を突きつけられる。
「斬魄刀…」
さくらは布団の上を見回した。
そう言われてみれば、添い寝していた斬魄刀が見当たらない。
このゆらゆらと揺らめく獣のような青白い炎。
これが私の斬魄刀の姿なのだと、漸く
さくらにも受け入れられた。
4
そして
「ね、こんなに早く具象化できたのは嬉しいんだけど―――」
と話しかけた瞬間
『阿呆!』
と、一蹴りされた。
さっきより痛い気がするのは蹴りだった所為だろうか?
いや。具象化できたとはいえ、実体ではないはずだ。
「……あのう?」
『お前の力で俺が具象化できたんじゃねーよ』
「はいいー??」
斬魄刀は対話と同調ができると始解、具象化と屈服ができれば卍解に至れると教えられたのだが……。
5
呑み込みの遅い
さくらに痺れを切らしたのか、再び荒っぽい言葉を浴びせる。
『お前の弟!』
「…
武礼?」
鼻息荒く
さくらにそうだと言い、続けた。
『アイツの献身的な努力と、お前の親父』
「お父様?」
『あの方の類稀な技術で、俺はこの姿を取り戻すことができたんだ…』
「元の、姿?」
ふわふわと揺れていた青白い炎が一瞬逆立った。
『…もう、済んだことだ。
――それよりまだ、お前に礼を言ってなかったな』
「お礼?」
布団の上に手をついて首を傾げる
さくらから、ちょっと顔を背けた。
『あん時の俺…。マジで最悪だった。どうにでもなっちまえ、ってな。
お前があんな状態の俺にするって言った時、友達や隊長らに俺なんかやめておけって言われても治すって言ってくれた時……全部、有り難かったぜ。
親父さんも俺を見ても文句ひとつ言わず。お前の弟も、お前が選んだ斬魄刀(ヤツ)なら手伝わせてくれって頼んでよ……』
「――――うん」
さくらは父と弟の話に、嬉しそうに頷いた。
6
『全く…。凄ぇよな、お前ら』
「凄いのは、
武礼とお父様。私はただ治す前に捨てるのって納得がいかなかっただけ…」
『ああ。…ありがとう、な』
頬ずりするように、
さくらに顔を寄せた。
「なんか、擽ったい気がする」
そうっと背中の炎に手をかざしてみた。
実体ではないのだから当然かもしれないが、熱くも冷たくもない不思議な青白い毛並みに
さくらは心が浮き立った。
「綺麗な色。眼もキラキラだね」
『当然だ』
更に
さくらに擦り寄り、体を触らせてくれた。
「柔らかーい」
その感触は
さくらへの感謝の表れなのだろう。
7
「本当に。よく元気になってくれたね…」
動物を飼ったことのない
さくらには斬魄刀が生物の形をしていて、しかもこんなに早くその姿を目の当たりに出来たことだけでも夢のように思えた。
『まあ、その…愛の力ってやつかな///』
「成程」
さくらはまだ背中に頬ずりをしている。
『………』
「………」
『ツッコミなしかよっ!?』
「つ、突っ込んで欲しかったのっ?」
『こんなクサい科白ん時ゃ、そういう反応だろーが。普通…///』
青白い炎の頬の辺りに赤みが差したように見えたのは、気の所為だろうか。
「私ね、信じるよ。だって、本当に治るって思ったんだもん。
あなたを――傷つけたのは、前の持ち主だったの?」
『……まだ、名前。教えてなかったな』
それには答えず、するりと
さくらの手の中から抜け出ていった。
「…教えてくれるの?名前………」
『ああ。あんな俺を見ても俺を選んだお前だ』
スッと脚を揃えると表情は一変し、威厳のある顔つきになった。
8
この後、話の流れで具象化した斬魄刀に鍛錬に付き合わされることになった。
付き合わされると言ったのはまだ日付が変わったばかりの時間で修練場を使えるはずもなく、隊を離れて解放できる場所を探せと斬魄刀に無茶を言われ、渋々応じたからだ。
しかも腰を落ち着けて、まず聞かされたのは
さくらの性格分析――というよりは
さくらの短所だ。
「……ゃ、それはちょっと酷いんじゃない!?」
『お前の為を思って言っているんだろーが!』
だいたいこの斬魄刀は選んだその日の夕方には父に修理を依頼し、昨日の昼過ぎに戻ってきたばかり。
つまり全ての時間を併せても、
さくらと一日と向き合っていないのだ。
それなのに
さくらの死神として至らぬ点を辛らつで正確に述べられた。
さくらとしても付き合いの短さ故に納得ができなかったのであろう。
だから
さくらがそれを告げると、斬魄刀は言い返してきた。
『お前とは付き合い短くっても、お前の弟と親父からは散々お前のことを聞かされてんだよ』
「
武礼と…、お父様が………?」
それを聞いた
さくらは泣きそうな顔になった。
『馬鹿、違ぇーよ!あいつらはお前のことそんな風に言ってねーって。
お前のこと、可愛くて純真で一生懸命で真面目で…えーっと茶を淹れるのも上手ぇし、あと…』
斬魄刀は前足を挙げて数え始めた。
うん、うん、と
さくらはその言葉に慰められながら聞いている。
9
『つーか。なんでお前を褒めなきゃなんねーんだよ!だからお前は死神に向いてねーって言われるんだ』
「え?でも今の話だと、誰も私を悪く言ってないでしょ?」
『だから俺が言ってやってるんだ』
「――や!!?」
ザ――ッ!!!
さくらが声を荒げると同時に、近くの茂みがなぎ倒されるかのように揺れた。
さくらが驚いて、突然傍に現れた者を見ると―――
「朽木…隊、長?」
月明かりに映える白い隊首羽織で隊長なのはわかる。
それだけでは誰だかわからなかったが、頭上の牽星箝で名前を思い出した。
「此処で何をしておる」
些か怒気を含んだ声に聞こえるが、この人は入隊式の時もこんな口調だったことを思い出し、
さくらは必死で返答した。
「えっとぉ、斬魄刀との対話です…」
「………」
朽木の視線は微動だにしなかった。
10
至近距離で眼が合ったまま、動けない。目を逸らすと一瞬で朽木に斬り捨てられそうな気迫なのだ。
震えながら手探りで斬魄刀を探り当てると、
さくらは本当ですと訴えるように朽木に見えるように差し出した。
目の前に見せた所為か、やはり朽木の視線も表情も全く変わらない。
何よりも、この沈黙が怖かった。
気まずい。
などというものではない。
斬るか斬られるかの緊迫感は未だに漂っていた。
しかし朽木は腰に斬魄刀を差してはいない。
少なくとも斬りつけられることはない…だろう。
漸くそう思えた
さくらは、この重苦しい空気を打破する為、口を開いた。
「く、朽木隊長は何を?」
「……私が何をしておろうと、貴様には関係なかろう」
おっしゃる通りでございますうぅぅ!
心の中では同意したが、とても口には出せなかった。
11
しかしこの場合、心中を言葉にできたほうが良かっただろう。
再び襲う沈黙に、
さくらは失神寸前まで緊張が高まっていた。
こ、怖い…っ。
意識が遠のく矢先、朽木が遠のく気配を感じた。
隊首羽織を翻して、朽木が背を向けたのだ。
ザ、ザ、ザ、
ザ、ザ…
朽木の後姿も足音も闇に飲まれて暫く……
さくらの周囲は朽木が現れる前に戻っていた。
た、助かった…?
敵どころか親友の直属の上官なのだが、初めての接触では
さくらには命拾いした感しか残っていなかった。
脱力しヘナヘナになった
さくらを、具象化した斬魄刀が嘲笑う。
しかし今は言い返す気力もなく、あんな隊長相手に無事でいられた自分を誰かに慰めて欲しい気分だ。
「白夜――。朽木隊長…何だったんだろうね?」
『俺に訊くなよ』
「でも何か、すっごく言いたそうじゃなかった?」
『全然。殆ど喋んなかったじゃないか、あいつ』
白夜は耳垢でもほじるように前足を上げる。未だに怯える
さくらを小馬鹿にしている様子だ。
「白夜、あいつなんて言っちゃダメでしょ!仮にもあの人は隊長なんだからね!!」
『お前…”仮にも”って意味、わかってるのか?』
「…え?」
さくらの叫びが聞こえた朽木が、踵を返したいのを余程堪えたのは――――
言うまでもない。
黒種草の花言葉:とまどい・困惑・ひそかな喜び
************************************************はい。斬魄刀のお名前は「白夜」です。「白哉」ではありません。
本文中では朽木隊長が現れるまでに二度呼んでおります。最後の一文字しか表記しておりませんが、朽木隊長にはしっかり「白夜」と聞こえておりました。
でも夜中に女の子に自分の名前を呼び捨てにされていたら、朽木隊長だって確認したくなりますよね?
朽木隊長ファンの皆様、こんな出逢い方ですいません。
2009.07.22
百花繚乱 風⋆花⋆雪⋆月