翌朝、
さくらは目覚めると 胸に 穴が 空いている ような気がした。
半身を起こすと頬にかかる毛髪が、頭の軽さが、嗚呼もう私の髪は長くないのだ…と言っている。
少し、涙が滲んだ。
いざ無くなると、こんな虚無感に襲われるだなんて自分でも驚きだった。
「
さくら」
「!」
夜着の袖で急いで涙を拭くと、
さくらは戸を開けた。
「お母様…」
母は僅かに身長が高いが、ほぼ同じ目線だ。
さくらを見た途端にほっとしたような母を、部屋に迎え入れた。
夜着のままの
さくらに向かい合って膝立ちすると、
はるかは優しく
さくらの髪に触れた。
時折、梳くように撫でる。
「………」
慈しむように。
長い頃と同じように。
よく頑張ったと褒めているかのように…。
母の指に触れられる毎に、
さくらはぽっかり空いた胸に温かな柔らかな何かが満ちてきた。
そうだ。私はこういう時の為に髪を伸ばすと決めたのだ。
そして父の教え通り、本当に役に立った―――。
さくらが自信を取り戻したのを察したのだろう。
「立派になったわね」
はるかは自慢の娘だと、喜んでみせた。
このままでも誇らしいが
さくらも母が来てくれた目的通り、髪を整えてもらう。
「…斬魄刀で切ったのですか?」
「ぁ。えっと…小刀で、ちょっとずつ削いで…」
準備を済ませた
はるかは静かに頷いた。
「どうしたい?」
「んーとね。折角だから―――」
髪で命綱を作ろうと決めた時から、髪型は考えていた。
35
ああ…そりゃあ気掛かりだよね…。
八番隊の通路を横切る
武礼に、今から二人で食堂に向かうのだろうと察する。
さくらにとっても弟と美味しい朝食
(ごはん)を一緒に食べるのはいい事だ。
京楽は自分が話しかけては邪魔になるだろうかとも思ったが、朝の日課を終わらせてから様子を見に行くことにした。
朝一番の食堂は空席が目立つので、すぐに
武礼を見つけられた。
「………」
さくらは髪を染めたのか、褐色になっていた。
それに妙に色気が増しているではないか。
「わあぁ~~、
さくらちゃあ~ん♪」
髪を切って、こんなに変わるとは思いもよらなかった。
京楽が抱き着かんばかりに両手を…両の指をもにょもにょさせて近づいていく。
「あ、京楽隊長。おはようございます」
「――――――…」
武礼が、
さくらの声で挨拶をした。
そして色っぽい
さくらが「娘がいつもお世話になっております、京楽隊長」と言った。
…いや、
さくらの声ではなかった。
もっと色っぽい、その表情、その泣きぼくろ、その胸に相応しい、女の子というより女性らしい声だった。
「―――――お…お母さん!?……
さくらちゃん、と……?」
昨夜
さくらが母に髪を整えてもらうと言っていたのと現状を鑑みて
さくらの母親と、
武礼と同じ髪型にしてもらった
さくらだと判断した。
「はい。
武礼とお揃いにしてみました♪」
さくらの返事は酷く遅く感じたが、それは京楽の頭がフル回転した為の感覚的時差である。
「へえ…。違和感、ないね」
「えへへぇ~、姉弟ですもん」
「それに、お母さんも……よく、似てる…ね」
今はまだ幼い
さくらも二百年後ぐらいには、あんな色香が漂う大人の女性になると明らかになったのだ。
朝から京楽は眼福を得たが、臨時隊首会へ赴く足取りは重かった。
36
実は檜佐木灑掃隊が連絡を絶った当日に二番隊が。そして翌日から三・五・八番隊の順に任務地に赴いていた。
その件は昨日既に檜佐木灑掃隊全員の耳に入っている。
そして先程檜佐木のみ隊首会にて消息と通信を絶っていた経緯を説明させたが、終わると同時に山本が一方的に任務懈怠である旨を伝えた。
檜佐木も、その扱いに不満はなかった。
もしも自分が護廷十三隊に残っていた側ならば、妥当な判断だからだ。
そうして檜佐木が退室すると、本題に入った。
無力な魂魄を立ち入らせない程度の結界は死神には無意味なはずが、どの隊もあの場所から奥へと入ることはできなかった事の方が重大なのだ。
無論二番隊が査察に行った際、入り口だけでなくその周囲と上空からの進入を試みたが最終目標地点の森を越えた先まで結界が張られていたのである。
いくら副隊長が四名居ようともそれ程までに広範囲に死神の進入を防ぐ結界は不可能である。
第一、査定任務時にそのような結界を張る理由がない。
「砕蜂隊長。それでは今朝の現地調査でも、何の異常も見当たらなかった。ということじゃな?」
「はい。再三調査しましたが現在は何の障害もなく森まで往復できました」
この話だけを聞けばやはり檜佐木灑掃隊によって結界が張られたと見なすのが一番納得できるのだが…。
37
「けどさ、副隊長が四名も居ながら嘘を言うワケないでしょ」
京楽が昨日から漂う、最悪の事態を免れた後の死神の体裁を保とうとする雰囲気に嫌悪を露わにした。
「誰も嘘とは言っていない。ただ今朝の調査では現地に異常はなかった。それだけだ」
砕蜂が淡々と告げる。
「そやかて。何の異常もあらへんのに結界が張られとったり死神の霊圧が消えるなんて。そない可笑しな事、受け入れられへんわ」
「…市丸隊長は自分の副官を信じられないのかい?」
「嫌やわ、藍染隊長。僕がいつ、イヅルを信じられへんて言いましたん?」
首どころか視線さえ動かさずに市丸が言い返す。
「では、疑っているのは調査の方かい?」
対して僅かに顔を下げた藍染の眼鏡が反射した。
「――僕は受け入れられへん言うただけですやん。何を疑ってるとか信じてるとか言うてませんよ?」
「静粛に。この件は本日の砕蜂隊長の報告を以って終了とする。それは前回決定したとおりじゃ」
「待ってよ、山じい。今日が現地調査の最終日だってのには異論はないよ?でもさ、それじゃあウチの子らの処遇は…?」
「それはお主ら隊長が判断せよ。兎に角、この一件は終いじゃ」
これ以上の問答は下らぬと、山本は昼を待たずして閉会させた。
今日の臨時隊首会はこの案件のみの為に開かれたので直接関係のない隊長にとっては迷惑な話だ。
そんな雰囲気の中、隊長達が押し黙ったまま自隊へと戻って行く。
最後まで足を動かさなかった京楽も、山本が一番隊専用の出入り口に向かってしまったので仕方なく皆と同じ天井近くまである大扉の出口へとのろのろと向かった。
38
一番に部屋を出た浮竹の白い髪が、角を曲がったところで視界に入った。
きっと何処かの隊長とちょっとした世間話をしているうちに、皆に“追い越され”たのだろう。
隣に並ぶ瞬間少し歩みを緩めた京楽が一歩踏み出すと、浮竹も同時に歩き出した。
互いに前を向いたままだ。
――あれ、どう受け取った?
京楽がなるべくあらゆる意味合いに取れるよう、浮竹に霊圧で問う。
――お前達直属の隊長の判断で処遇を決めろと言うのは、最悪でも隊内で処罰すれば中央四十六室の耳に入れる必要もない。そういう事だろ。
――…そう、受け取っていいと思うかい?
――ああ。
――………今回の処分は…浮竹なら、どうする?
――まぁ、減給だろうな…っと。もし俺のところの副隊長が率いていたのなら、だ。平の
さくらには任務報告書を書かせて終わりにするさ。
京楽も、それが通るならばそうしたかった。
しかし虚と遭遇したわけでもないのに消息を絶ち、当時は霊力を失っていましたでは理由にならない。
何より、救援に向かった死神が結界に退けられるなど、あってはならない。
一番隊敷地を抜けると、浮竹の唇が漸く動いた。
「霊圧を失っていた証拠はないが、一番説得力があるのは
さくらの髪だ。あの綺麗な髪を切り、命綱とし、全員が谷を渡ったという事実だ」
「ん…」
ある意味、東仙隊長が赴いた際に発見できて幸いだった。
さくらのあんな姿を護廷十三隊にて曝したことで、檜佐木灑掃隊がどんな目に遭っていたかを周知できたのだ。
39
八番隊隊舎に戻り、改めて山本の言葉をじっくり嚙み締める。
本当に浮竹の言った通りの…自分の思い通りの意味なのか。
今は伊勢が執務室に不在なのもあり、棚から規約違反に関する書類を自分で捜した。
「…失礼します、隊長…」
この隊首会にて処遇が決まる事が、もう情報に疎い
さくらの耳にも入ったようである。
「何か、聞いたかい?」
声をかけながら、手にした本を棚に返す。
「はい…。檜佐木副隊長が任務懈怠で処分を受けられるとのこと。その件について、弁明させていただきたく、参りました」
一瞬目を見開いたが、優しい
さくらが己の身より檜佐木を案じたのだと京楽は小さくため息をつく。
「…檜佐木君の処遇は、東仙隊長が判断するよ。キミは僕が…ね」
だから報告書を提出してよと続けると、
さくらは「東仙隊長は、どのようなご判断を下されるでしょうか?」と檜佐木に拘った。
「
さくらちゃん…。まずは自分の事じゃないの?」
先程までは隊首会に漂う護廷十三隊の面子を保つ雰囲気に嫌気がさしていたというのに。自分を顧みず檜佐木を想う
さくらには、正反対の事を望んでしまっている。
「私は、いいんです」
軽く目を伏せると、小さく首を振ってみせた
さくらにやれやれ…と、ゆっくりと歩み寄る。
「大切なのは自分でしょ。どうして
さくらちゃんは、そんなにいい子ちゃんなのかな?」
膝に手を当てて、目線を近づけた。
「檜佐木副隊長は…檜佐木副隊長のみならず、吉良副隊長も、雛森副隊長も大前田副隊長も、私達を守りながら帰隊に全力を注いでくださいました。感謝こそすれ、あの副隊長方が処分を受けるなんて、納得できません」
その言葉に偽りはないのをしかと確かめた京楽は背筋を伸ばした。
「…もしキミが代わりに処分を受けられるなら代わって受けるぐらいの威勢だねえ」
「はい。…霊力を失った怖さに比べれば、どうってこと、ないんです」
嗚呼、この娘(コ)は――――。
京楽が感じると同時に、
さくらは言い放った。
「死神でいられること。それが何より、私の支えとなっているのですから」
既に一人前の、気高き死神なのだ…。
40
京楽の手が、ゆっくりと持ち上がり
さくらに近づいてくる。
大きくて温かくて男らしい両掌
(りょうて)が
さくらの顔を包み込む。
「…
さくらちゃん……」
若さと美しさを誇る髪を失いながらも死神の矜持を語る
さくらに愛しさが溢れ出す。
「ぁ――――…」
京楽の唇が
さくらの髪に触れたのが目の当たりにすることはできずともわかる。
その温もりに身を委ね、どのぐらいそうしていただろう。
長いようで短かい……
さくらのときめきとは裏腹な時間は過ぎ、京楽の「それじゃあ」という別れの言葉に曖昧に頷き執務室を出た。
部屋に戻った
さくらはうつむき加減に文机
(ふづくえ)の前に座ると、筆と紙を用意した。
『主……?』
先程、主の精神世界の薔薇は甘く馨しく次々と蕾をつけ競うかのように花開いた。
てっきりかの隊長と甘美な一時を過ごしていると思った主が戻ってくるなり色気のない報告書を書き始めたのである。
白夜でなくとも何があったか理解できないのは当然であろう。
そうっと後ろから近寄り主の横顔を眺めると、瞳は潤んで頬は紅潮している。
『………』
相手をしてもらえない白夜が精神世界を見に行くと、ふわふわと揺れながら芳香を放つ薔薇に初めて棘を見つける。
今一度主の元に戻り、筆を置いたタイミングで如何なされた?と問うてみた。
「任務報告書を提出しなきゃ。正確に、詳細に、私達が本当に霊圧を失って、徒歩で帰隊した一部始終を――――」
―――もしも檜佐木達副隊長の処遇をひっくり返すことができるとしたら、それは
さくらちゃんぐらいだ。
彼らの懲罰には触れず、皆を納得させられる報告書を出してよ。そうしたら――――。
京楽は
さくらに口付けることで、誰にも感知される事無く霊圧で話しかけていたのだ。
41
それから半月程した給料日。
さくらは明細を開いた途端、
ハルヒの元へと急いだ。
「
ハルヒ…」
振り返った
ハルヒは
さくらを見ると、満面の笑みを見せた。
「
さくらも…だよねー?」
「うん…」
「良かったぁ」
平隊士の自分達は処分には至らないと聞いていても、やはり一抹の不安はあった。
「檜佐木副隊長にもぉ確認してみるぅ…?」
「できれば、そうしたい…な」
会ってもらえるかはわからないが、檜佐木が減給されていては意味がない。
今では檜佐木から名指しで仕事を振られる事もある
ハルヒが面会を頼むと、校正の合間に会ってくれた。
「お前達か」
「はい。あの…」
檜佐木が歩み寄り、両手が
さくらと
ハルヒの肩にぽんと触れた。
「いつも通りだ」
「「わあぁ」」
我が事のように喜んでくれる二人に、檜佐木も笑みが零れる。
「吉良達にも会いに行くか?」
「「はいっ」」
瀞霊廷通信の挿し絵を受け取りに行ってくると編集中の隊士らに告げ、檜佐木は
さくら達を連れて五番隊に向かった。
42
「あ。みんな~」
かわいい雛森が、かわいい仕草で戸から顔を覗かせる。
確認するまでもなかったが、雛森もいつも通りの給金を貰えていた。
「それじゃあ吉良君にも確かめに行く?」
「ああ」
四人で三番隊へ向かうと、吉良は書類仕事に忙殺されていた。
「檜佐木さん…雛森君。それに君達も……」
この面子なら話題は問わずも哉である。
三副隊長の減給がなかったのは、霊圧を失っていたという事実も暗に認めてもらえたという事だ。
さくらの報告書を見せたどの隊長も京楽に明言はしなかったが、任務懈怠ならば減給処分が相当という見解は共有できた。
殊更平隊士の扱いを相談する形で東仙の真意を探ったところ「“査定任務”の評価は自隊隊長に一任されている」と返答したことから、
さくらの心配するような事態にはならないと告げられた。
それを
ハルヒらに黙っていたのは心苦しいが、他言無用を条件に京楽が教えてくれたのだった。
今思えば一介の平隊士が出しゃばってしまい京楽に申し訳なかったが、あの状況を乗り越えた喜びが再び蘇る。
「檜佐木灑掃隊で飲みに行くか」
皆も同じ気持ちで大前田も誘おうと二番隊に行くと、大前田の雄叫びのような…何とも言えない奇声が聞こえてきた。
檜佐木が大前田…と後ろ姿に声をかけようとした時だ。
「くそぉー!給料、いつもの半分じゃねーか」
「「「「「………」」」」」
大前田だけは減給されたのであった…。
馬酔木の花言葉 : 犠牲・危険・献身・あなたと二人で旅をしましょう・純真な心
************************************************アセビは皆さん読めると判断し、漢字にしました。
朽木隊長がお書きになった四字熟語の一意専心は「いちいせんしん」と読みます。他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中する事だそうです。獅子搏兎は「ししはくと」。たとえ簡単なことでも油断せず、全力で努めるべきことのたとえとか。
カラブリとアニメではワカメ大使でしたが公式グッズなどはわかめ大使と表記されていたので、迷いに迷って平仮名にしました。
ここまで朽木隊長関連ばかりでしたが、お次は
節結びを動画で。結び目があると手足が滑るのを防いでくれます。と言っても自身の体重を支えられる力も必要ですね。
最後に。減給処分で給料半分は酷いです。
現世の労働基準法第91条では「1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え、総額が1賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超えてはならない」とされています。
しかし大前田副隊長は可哀想ですが尸魂界での処罰なので砕蜂隊長に口出しできません。^^;
長文にもかかわらず最後までご覧いただき、ありがとうございました。
2020.10.18
百花繚乱 風⋆花⋆雪⋆月