「
天宝院殿。本日は義骸をお持ちくださるようにと白哉様より仰せつかっておりまする」
藤袴にそう告げられた
さくらは、現世にての指導かと面食らった。
通常、義骸は死神が穿界門を通る前に別ルートで現世に運ばれる。
それも数日前に、だ。
今日は昼食前に会いたいと言われていたから、いつもとは違う指導になるだろうと予想はしていたがまさか現世に赴くとは…。
部屋から運んできた
さくらの義骸を朽木家の者は玄関先で梱包し、門前には
さくらが乗り込む馬車とは別に荷車が待機していた。
「では。出立いたします」
さくらの義骸を積み終え一礼した者に、
藤袴は白哉様の義骸同様大切に扱うようにと告げる。
当然朽木邸に向かうと思いきや、馬車は
天宝院家から程近い屋敷に向かった。
程近いと言っても朽木邸よりはと言う意味で、門前のやりとりからして此処は別宅のようである。
四大貴族が所有するに相応しいこれまた広い屋敷で、白哉は平庭にて白髪白髭の男性と待っていた。
斬魄刀を所持しているものの、今日の白哉は死覇装姿ではない。
こちらへと促され、白哉の隣に立つ。
「爺様。
天宝院さくら殿でございます」
白哉に恭しく紹介され、状況もわからぬままに「お会いできて光栄です」と当たり障りのない挨拶をする。
「朽木銀嶺と申す。……これほど奥方似では、
鏡月も溺愛して当然であろう」
孫を見るような物言いで親しみを感じるが、
さくらとしては父をご存知かと訊くのは失礼なのか話題として適切なのかも定かではない。
「護廷十三隊前六番隊隊長であり、我が祖父だ」
白哉が己との関係を明らかにしてくれたおかげで、多少は会話も続けられそうだ。
「では。護廷十三隊にて父をお見知りおきくださったのですね」
「うむ…あれは有能な男だ。山本総隊長も目をかけておられた」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。…父に直接聞かせとうございます」
「そうじゃな。久方ぶりに会いたくなったのう」
「然様ですか。あの……?」
「此処は隠居した儂の屋敷よ。
鏡月ならば知っておる」
さくらの知りたい事を銀嶺は全て告げてくれて助かった。
さくらが手短に返事をしたのは、従者が近づいてきているのを知っていたからだ。
「銀嶺様、白哉様。ご用意が整いました」
従者が報告すると、では参ろうと銀嶺が歩き出した。
今日は現世へ向かうのだろうか?と忘れていた疑問が再び頭をもたげる。
しかし銀嶺の後ろを歩く白哉に話しかけていいものか……。
白哉の後ろ髪を眺めながら、結局
さくらはついていくしかできなかった。
1
「では。行って参れ」
はい‼大正解。
銀嶺に通魂符を手渡された
さくらは心中、自分に拍手した。
しかも死神が通る断界とは違い人力車で現世に赴く。
上級貴族ならば穿界門を設けていても当然だが、
さくらは
天宝院家の穿界門が何処にあるのかもどうすれば利用できるかも知らない。
もしかしたら我が家には穿界門はないかもと道中考えていた。
何しろ維持費は莫大で、上級貴族でも一桁どころか二桁間違っているのではないかと思う額なのだ。
死神ならば護廷十三隊の穿界門を使えるし、死神でもない貴族ならば現世へ赴く用などまずない。穿界門を邸内に維持しているという事はステータスシンボルに過ぎない。
それを四大貴族の朽木家は、各々の主の邸宅に設けているようだ。
そんな事を考えているうちに明るい光が見えてきた。
車を降り、白哉と共に現世へと足を踏み入れる。
そこは山中の、神社の境内だった。
少し向こうには人間がいる。
ぱん、ぱんっ。
柏手を打つ、乾いた音がする。
こちらへと白哉を案内する死覇装の者は六番隊の隊士であろうか。
神社の敷地内の建物に近づいていくと、巫女がすっと戸を開けた。
偶然開けたように思えたが、目の前でよく見ると巫女は義骸だった。
黙々と前を歩く巫女について歩く。
一室の前で立ち止まると、巫女は「白哉様はこちらのお部屋をご利用くださいませ」と静かに礼をした。
「
天宝院様はこちらのお部屋に…」
案内された部屋には、既に
さくらの義骸が横たわっていた。
「ルキア様がお見立てくださったお洋服でございます。組み合わせはこの通りでなくとも構いません」
それと、現世で
さくらの年代に見合う服も用意されていた。
「着方はご存知でしょうか?」
「ええ、多分…」
さくらが死覇装に着替えてから義骸に入ろうとしているのに気付いた巫女は、そのままで結構ですと告げた。
いきなり現世で着物姿での斬術かぁと思うものの、難易度はそう高くない。
最近の指導で白哉に注意された点がなく、だからこそ現世という慣れない地での戦術を指導してくれるつもりなのだろう。
2
敷布の上に寝転んで、初めて義骸に入る。
瞬きをし、呼吸を確認。
成程。霊子の薄い現世でも義骸に入っていれば疲労は防げそうだ。
上体を起こし、お洋服を眺める。
「……これでは、ダメなのでしょうか?」
今、義骸は空座高校の制服を着ている。
「そちらは高校の制服でございます。こちらは今の季節にもぴったりと存じます」
プライベートの用事の際、学校の制服で外を歩くのが好ましくないのは現世も尸魂界も同様のようだ。
さくらがわかりましたと答えると「何かございましたらお声がけください」と言って、巫女は部屋の外へと向かった。
改めて洋服に歩み寄り、三種類の服を見比べてみる。
流石はルキアだ。どれも
さくらの好む膝丈のスカートを選んでくれている。
トップスはブラウスだけでなくカットソーやシルクのセーターもある。
どれにしようか悩んだが、一番好きな色と軽やかな素材のスカートを選んだ。
自分で組み合わせを変えて着こなす自信はなかったので、ルキアのコーディネートのままで着替えた。
知っている物は全て着用したが、紙芯の入った袋が余る。
自分で思案しても時間の無駄と、戸口の巫女に声をかけた。
「あのぅ、これは……?」
「こちらはストッキングと申しまして、足に履く物です」
袋から出すと、向こうが透けて見える極めて薄い織物が出てきた。
薄く長く、初めての
さくらには手繰り寄せるのもたどたどしい。
現世の下履きは、どれも履くと伸びるようにできていた。
「………」
滑る。
それがストッキングを履いた感想だった。
このまま畳の上で戦ったら、明らかに不利であろう。
それとも白哉もストッキングを履いているのだろうか?
そんな事を考えながら、巫女と部屋を出た。
「一般的に履物は靴と申しますが、こちらは女性専用のパンプスでございます」
先程入った勝手口からではなく、玄関先に案内された。
ルキアは服を何着もくれたが、畳の上だったので現世の履物の知識は全くない。
細い踵のついたパンプスは、重心を綺麗に乗せないとぐらついた。
「白哉様。
天宝院様のお支度が整いました」
巫女が、玄関先に佇んでいた白哉に声をかける。
3
牽星箝は現世に来る前からつけていなかったが、春用のセーターにチノパン、革靴姿の白哉を見て
さくらは「足元不安定な私、絶対不利!!!」と心中で叫んだ。
「――――…」
互いに無言のまま時が流れること暫し。
いくら
さくら(の義骸)が現世の洋服を素敵に着こなしていても褒め言葉がさらりと出ないのが白哉である。
頭の中では数多の感情と表現力豊かな言葉があふれんばかりであるのに、だ。
「…では、参ろう」
漸く白哉が動いたので、
さくらは後ろを歩き始めた。
すると振り返った白哉が手を差し出してくるではないか。
その手を取ると、隣に並ばされた。
白哉もれぃでぃふぁすとを知っているのだなぁ、といつもより近い距離にあるいつもの澄まし顔を眺める。
そのまま車の側まで連れて来られた。
「こちらに腰掛けるがよい」
さくらが腰を車内に滑り込ませる際、頭を打たぬようにそっと髪に手を添えてくれた。
「………」
そのまま
さくらが固まってしまった。
「…靴のままでよい」
履いたばかりのパンプスを脱ぐのか思案していた
さくらに、白哉が気付いてくれた。
ぱたん。
ドアは静かに閉じられた。
白哉は反対側のドアを開けて座席に腰を下ろす。
「車は知っておるな。規則があり、走行中はシートベルトを締めねばならぬ」
白哉が
さくらの頭上にある金具を引っ張ると、スルスルと伸びてきた。
右腰辺りに
さくらのシートベルトを差し込むと、白哉も自分のシートベルトを締めた。
それからドライビンググローブを嵌める。
さくらには白哉が何をしたのかわからなかったが、滑るように進みだした。
牛車よりも早く馬車よりも揺れず快適な空間。あっという間に流れ去る景色を眺められる大きなガラス窓。それらに関心しているうちに山を下りていき、次第に建築物が多くなってきた。
魂葬実習で来たが、ほぼ初めて見るに等しい現世の街並み。
道路、信号、店舗、住宅。真央霊術院で習ったので、大抵の建築・構築物は判断できた。
そして人間が、歩いている。
「あ…」
「…どうかしたか」
「硝子に、触れてしまいました…」
人間の姿に夢中になって思わず手を伸ばしてしまった。透明なガラスでは指紋も目立つので、隊首室の清掃の際でも素手で触れぬよう気を付けているのだが。
「構わぬ。窓を開けてみるか?」
走行中に扉を開けるのは危険ではなかろうか。それを問う間もなく静かに
さくらの目の前のガラスは下へ下へと下がっていった。
ガラスだけを開閉できるとはこれまた驚きだ。
4
風が車内に吹き込む。
霊子が薄い。
確か実習の時も街中で同じことを思った。
人間はこんなに薄い霊子の中で、こんなに重い肉体を動かしている。
ある意味凄い事だ。
珍しくてずっと外を眺めていたら、少し景色が変わった。
変わったとは言え、
さくらに公道と私道の区別がつくはずもない。
丸く一周している道を車が半周すると、道まで屋根のせり出している建物の下で停まった。
白哉が先に降りたが、助手席のドアを開けたのは人間だった。
「
さくら」
白哉が手を差し出す。
再びそっと手を重ね、乗った時とは逆に足を地に下ろしそれから腰を浮かせると、白哉はもう片方の手をまた
さくらの頭の上に翳してくる。
髪に触れるか触れないかの距離を保っていたが、
さくらが頭を打つことなく車を降りるとそのまま
さくらの髪に沿って手は降りていき、少しだけ肩に触れると「こちらだ」と屋内へと導かれた。
「お待ち致しておりました。朽木白哉様」
先程とは服装の違う人間が、店内へと案内する。
「メニューでございます」
男はまず、
さくらにメニューを手渡してくれた。白哉が開いたので
さくらも真似て広げると、どうやらメニューとはお品書きのようである。
人間が去ると、
さくらは小声で話しかけた。
「あの、朽木たぃ……」
白哉は指を一本立てて口元まで上げたので、
さくらは一度口を閉じた。
指をゆっくりと下ろすと、
さくらを見つめた。
「現世では隊長とは特殊な職業の官位だ。私を隊長と呼んではならぬ」
ああ、そうだ。現世に溶け込むには言葉遣いにも気をつけねばならないのだった。
「はい…」
しかし何と呼べばいいのか。
思案していると「メニューの見方はわかるか?
さくら」と話しかけられる。そうだ。今は隊長の呼び方よりもこのメニューだ。と、再び視線を手元に落とした。
「…わかりません。これは、お品書きなのでしょうか?」
大きな字は意味はともかく読めるが、その下の小さな文字は初めて見る。
「然様。異国の料理を提供する店だ。此処はフレンチレストランでもカジュアルな店故、大きな括りの中から一品ずつ注文すれば良い」
「フレンチレストランにおよばれファッション…」
はっ!と、
さくらは自分の服装を見下ろした。
良かった…。ルキアが選んでくれた服は今日のお出かけ先に合っている。
否。フレンチレストランに来るからこそ、ルキアはこういう服を見立ててくれたのだ。
一先ず服装に安堵した
さくらは、メニューに集中しようとした。
5
「このオードブルとは前菜に当たる、食欲を増進させる品だ」
どのような目的の料理かはわかったが、テリーヌやゼリーなどの片仮名用語はわからない。
「スープとは吸物の事だ」
白哉は続いてポワソン、ソルベ、アントレ、デセール、カフェ・ブティフールとはどんなものか教えてくれ、
さくらはふむふむと聞き入る。
レストランは貸し切りではないので
さくら達が席についた後も何組かが入店していた。
テーブルの間隔はゆとりがあり、はっきりと会話が聞こえるほどではないが後から来た人間が注文し終えている。
「あの…早く選んだ方がよろしいでしょうか?」
店内で未だ注文し終えていないのは自分達だけである。
白哉も長々と説明をしてしまった自覚はあるが、
さくらはよくわからぬままに注文できる性分でないことも既に知っている。
「…あれはコース料理を注文したのであろう。コース料理はターブルドートと言う。メニューとは本来コース料理の献立表で一品料理の献立表はカルトと言い、単品を選んで注文する料理をアラカルトと言う。多くのレストランは区別なくメニューのみだ。
シェフのお勧めの品で良ければ、主菜を選ぶ程度で済む」
七品目、全てを
さくらが理解し自分で注文していては小一時間はかかりそうだった。
「シェフさんがお勧めしてくださるのを頂いてみとうございます」
「うむ…」
ウェィターを呼ぶ前に白哉はシェフとは料理人の呼称であることを教えた。
白哉が「彼女にはフルコースを」と頼むと、ウェィターは各項目の一番上の品を読み上げていった。
途中どれが良いか訊かれた品もあったが、白哉が簡単に説明して判断を仰いでくれたので然程迷わずに済んだ。
さくらの注文を確認すると、白哉にも注文を訊ねる。
「私は玉葱のスープを。ポワソンは―――」
白哉は
さくらとは異なる品を注文し、アペリティフは車で来店しているからと断った。
ウェィターが去ると、
さくらは「あの…白哉、様……?」と呼んで問題ありませんか?とまでは言わなかったが、反応を伺う。
それでよいと返事をする代わりに白哉は何だ?と返した。
注文と呼び方をクリアした
さくらは安堵し、白哉に自分は現世のしきたりに無知だと告げ教えを乞うた。
「良かろう。現世で行儀作法はmannersと呼ばれている」
「めぁなぁーず。ですか」
「此処では食事のマナーに限ろう。まずこれはナプキンと言い、食事の際は膝に置く。二つ折にし、折り目側が手前だ。これは食事を運んで良いという合図だ」
「…今からで間に合いますか?私の注文が遅くて、めぁなぁーずに反しては…」
「問題ない。注文し、給仕が離れた頃が好ましい。フォーマルなレストランではメニューにamuseを載せずに運んでくる場合もある。食事をする準備ができたなら、広げればよい」
「あみゅーず……は、先附
(さきづけ)でしょうか?」
話の流れから、
さくらはお通しの事ではないかと察し白哉もそれを肯定した。
「しかもフランス料理にはなかったもので、和食の影響を受けたそうだ」
「まぁ」
現世では異国の影響が大きいのは承知しているが、互いの文化交流も盛んなようだ。
6
ナプキンに関して一通りの説明を受けた
さくらは皿の上の布をはらりと崩して膝の上に置く。
きちんとできたかどうか白哉に視線を送ると、それでよいと言うようにそっと目を伏せられる。
安心した
さくらは次の疑問を投げかけた。
「では。いつナプキンを外すのでしょう?」
「帰るまで外さぬのが普通だ。後程教えるつもりであったが、中座せねばならぬ場合は椅子に掛けるなどして置いておくと後で戻るという合図になる。また帰り際にテーブルに置く際、丁寧に畳む必要はない。あまりにも丁寧に畳むと、料理が不味かったという意味合いになるそうだ」
「―――先に聞いておいて良かったです…」
丁寧に畳む方が失礼になるなんて、思いもよらなかった。
「疑問があればその都度問うてくれれば良い」
「あの…ナプキンを給仕やお店を出る合図に使うのなら膝の上では目立ちませんが、何故膝に置くのでしょう?」
白哉に訊く事ではないかもしれないが、と思いながらも素直に疑問を口にした。
「…これは、手や口を拭く布だ。拭くのは見えぬ場所…上になっている布の内側を利用する」
懐紙代わりだったのかと、漸く
さくらは合点がいった。
白哉には使い方を教わった流れでそのような疑問はなかったが、確かに今の説明では給仕への合図のみと受け取られてしまったか…と、己の説明の下手さを反省し始めた直後に
さくらは次の質問を投げかけてきた。
「それと、このスプーンに挟まれた…」
「ナイフのことか」
「あ、はい。こちら側のフォークと、こちら側のナイフやスプーンは沢山ございますが、何時どのように…?」
さくらがフォークとスプーンを知っているとは意外だったが、テーブルの上の物だけでもまだ興味が尽きないようだ。
此処は初心者向きのレストラン。本日は雰囲気を楽しめればと思ったのだが、次から次へと湧き出る
さくらの疑問は料理が提供されるまでに答え終えられないほど続いた。
7
「オードブルでございます」
さくらの目の前に置かれた皿の真ん中に三色のテリーヌがちょこんと並べられ、その上にエディブルフラワーが正
(まさ)しく花を添えており、周囲にはソースが雫のように散りばめられていた。
先程教わった通り、両端のナイフとフォークを両手に持つ。
食べるのが勿体ないくらいかわいい盛り付けに躊躇っていると、白哉が手本に一口大にカットして見せた。
「カトラリーが使いづらければ、箸を用意してもらおう」
「…お箸で頂いてもよろしいのですか?」
「この店では提供してくれると聞いておる」
ちょっと試しにテリーヌを切ってみる。
容易く切れ、ケーキで使い慣れたフォークは左手でも問題なく使えた。
「お箸でなくとも大丈夫そうです」
一口目を堪能し終えた
さくらはフォークとナイフを八の字に皿に置く。
「朽…他に注意することはございますか?」
今、朽木隊長と言いかけたなと白哉も気づいていたが「大きな音を立てねば然程気にする作法はない」と告げる。
「通常カトラリーは一皿につき1セット使う。カトラリーレストがある場合、箸置きのように次の料理でも使う為に置いておくが今日のセッティングでは食べ終えたならカトラリーは皿の右に揃えて置き、下げてもらう」
とても気にするべき作法な気がするが、一手先に教えてくれるのはありがたい。
ほぼ同時に食べ終えた白哉のカトラリーの置き方を見ると、4時ぐらいの位置に置いている。右手で持ったナイフは上だろうし刃先を自分側にするだろうとは予想できたが、フォークはどちらを上に…とちらりと盗み見しようとすると「セッティングしてあった通りだ」と
さくらが知りたかった事を教えてくれた。
「スープでございます」
さくらのスープは濃厚な甘いコーンだった。
「スープはスプーンだけ使用する。手前から掬って口に運ぶ」
匙とは逆なのかぁ~と、危うく手前に掬いそうだった
さくらはつの字を逆になぞるようにスプーンをスープに沈めた。初めてでは難しい気もしたがスプーンから雫が垂れていないかどうかを確かめる時間があり、難なく馴染めた。
「これは英国式だそうだが、フランスでは日本と同じと聞いておる」
フランス料理をフランス式に食べないというのはよくわからないが、ここは人間のしきたりに従っておく。
8
「真鯛のポワレにございます」
さくらのポワソンにはヴァンブランソースがかかっていた。
魚のアラでとったダシを煮詰めて作る、伝統的なフランス料理のソースだそうだ。
白哉のはブールノワゼットソースがかかっている。
パセリと焦がしバターで作ったソースとのことで、塩胡椒を多い目にと頼んでいた。
「ソルベと、サラダにございます」
さくらには口直しのシャーベット。白哉はサラダが運ばれてきた。
「より格式高いレストランでは、サラダはアントレの後に提供され、チーズ、アントルメ、フルーツと続く」
死神となって多少の片仮名用語に馴染んでいた
さくらは、アントルメ以外は理解できた。
当然アントルメとは何ですか?と問う
さくらに、「…甘い菓子だ」と言うのも辛そうに答えた白哉にちょっと笑いがこみ上げる。
シャーベットはさっぱりとしていて然程甘さを感じない。白哉は甘いものを極力避けたいのだろうが、生野菜をフォークとナイフで口に運ぶほうが
さくらには至難の業だ。
さくらのアントレはブラウンソースでじっくり煮込んだ牛肉、白哉は子羊の肉を選んでいた。
デセールでは「入らぬか?」と白哉は自分のチーズケーキを
さくらに勧めた。
最初から食べるつもりはなかったのだろう。それでも断られた時の為、白哉はなるべく甘くないケーキを選んでいた。
さくらは小さな丸や正方形のケーキを白哉の分も全て頂いた。
そして最後のカフェ・ブティフールは
さくらにはコーヒーではなく白哉が紅茶を勧めてくれていた。
現世で初めて飲む紅茶はこのランチを締めくくるに相応しい味だった。
雀部の紅茶はやはり渋すぎるのだ。もしかしたら茶葉も違うのかもしれない。
それに紅茶にミルクやレモンを合わせるなど、初めて知った。
さくらは料理もですが、こんなに美味しい紅茶は初めてですと褒めちぎる。
9
「またのお越しをお待ちしております」
まだ高校生の少女と裕福な20代の若者の、フランス料理のマナーを教えがてらのデートに人間には見えたことだろう。
上級貴族は幼い頃からありとあらゆるしきたりを教わって育っていく。
さくらにとって現世を教えてくれる白哉はありがたい存在だったし、白哉も上級貴族らしく礼儀作法に関心を持つ
さくらは好ましかった。
エントランスに出ると、既に車は回されていた。
まずは
さくらが乗り込む。
要領を得た
さくらが天井で頭を打つことはないが、白哉の手は無言で
さくらの頭を庇いながらついてくる。
白哉が運転席に座ると、再び車は滑らかに動き出した。
僅かな手と足の動きで車は動くのか…と運転を眺めていると、興味があると思われたのだろう。白哉が「この車は―――」と説明を始めた。
車両重量が1720kgというのは先日雛森にもらった換算表から途轍もなく重いのはわかったが、四輪駆動だの排気量3799ccだのV型6気筒だの最大トルクだのは何のことかわからなかった。
ただ、最高出力441kWとはおよそ591馬力と聞いた瞬間に理解した。
現世の慣習とはいえ白哉が自ら運転する車に乗せてもらうというのは違和感があったが、これは白哉が操る馬なのだと。
馬に二人乗りならば白哉が手綱を握って当然だ。そう言われてみればステアリングを右に切れば車は右に動く。
あれは丸い手綱なのだとわかると、
さくらも車が馬に思えてきた。
ただ、591頭分の力を
さくらは591頭の馬でしか想像できず、頭の中は豪
(えら)いことになっていた。
591頭の馬をどう“運転”するのがベストか、色々と並べ替えているうちに二人の会話は途切れた。
互いに無駄に口を開かない性分の為このまま沈黙が続くと思われたが、
さくらがふと思い出した。
「あのぅ、朽木隊長。本日の斬術指導は…?」
何処で、どうやって?と尋ねたかったが白哉は不機嫌そうに「現世に赴いたのは斬術指導の為ではない」と言い放つ。
では一体何をしに現世にまで来たのか。
それを問おうとした矢先に目的地に着いたようだ。
10
何処に着いたのか。
降りる前から眼前の景色に言葉が出てこなかった。
水色の空の下半分が鈍い青さで占められている。まっ平ではなく、うねうねとした視界いっぱいの水。
水平線も初めて見た。
「尸魂界で海を見る機会はなかったであろう」
「う…み。これが……」
絵本で見た。
お父様が語ってくれた。
その通りの景色だった。
ただ、その先には行けない。
無論その先が崖になっているのは
さくらも承知しているが、折角目の前に海があるのに距離があって潮騒という音や海風という独特の風は感じられない。
「…………」
ただただ海を眺める
さくらの心中を白哉は推し量ることはできなかったが、とうとう
さくらが隣に佇む白哉を見上げ、沈黙を破った。
「…白哉様。あの……本日指導ではないのなら…海を見にお連れくださったのなら……。その…もっと、海の近くまで、行けますか?」
もじもじしながら問うのは、無理かもしれないという思いからだろうか。
白哉はこの後、別の予定を立てていたが
さくらが望むのならば変更した方がいいだろうと海岸へ降りる道に出て、駐車場を探す。
カーナビの扱い方を学習しておいて正解である。
車を降りるとすぐさま潮の香りがした。
さくらがゆっくりと海を眺めながら歩いていく。
白哉も少し遅れて歩き、舗装された駐車場の端で立ち止まった
さくらの隣に並ぼうとした。
が、次の瞬間
さくらは砂浜に飛び降りた。
飛び降りたと言っても僅かな段差だ。白哉が口を開こうとした矢先、
さくらは海に向かった。
「ぁああああああああ~~~…」
「………」
いきなり
さくらが砂浜を駆け出すとは思わず、注意する間もなかった。
ズブズブと砂にパンプスが埋まっていき、その場にうずくまる。
しかも戻ってくるかと思いきや、パンプスを脱ぎ捨てて再び海岸を目指すではないか。
11
「うぅーーーーーみーーーーーぃ!!」
波が引くと濡れた砂浜まで入り、波が来ると乾いた砂浜まで戻ってくる。
ゆるり、ゆるり。白哉は靴底全体に力を入れてなるべく砂を巻き上げぬよう砂浜を歩き、
さくらのパンプスを拾う。
砂をはたいてみたが湿気っているからか、全ては落ちない。
さて……。
海を満喫した
さくらが戻ってきた後、どうしたものか。
考えながら波と戯れる
さくらを眺める。
「海!うみ!波!」
潮騒に耳を聳
(そばだ)てたり波を数えたりしていた
さくらが海岸を走り出し、潮風に長い髪を揺らして小さくなって行く。
今日は斬術指導がないと知り、
さくらのタガが外れたようだ。
かなーり遠くまで走って行ってしまった。
追うべきか……。
白哉が諦めて踏み出そうとした頃、漸く
さくらは引き返してきた。
あんな顔をして走って行っていたのかと、段々近づいてくる
さくらの笑顔を独り占めする。
そしてまた、目の前を通り過ぎて行った。
恐らくまた同じぐらいの距離を走って戻ってくるだろうと言う白哉の勘は的中した。
まぁ、春先の海に入らなければ良いかと、波打ち際をきゃいきゃいはしゃぎ回る
さくらが飽きるまで待つことにした。
待つことにしたが正直、スプリングコートを取りに車に戻るべきか思案するほど長い間、
さくらは何度も海岸を行きつ戻りつしていた。
「白哉様、海!おっきい!海、広ぉ~い!!」
漸く気が収まったようで、
さくらが戻ってきた。
白哉が無言でパンプスを差し出すと、
さくらはそれを受け取った。
すると
くるん、と世界が反転する。
「…………」
その直後、白哉に見下ろされていた。
ここでパンプスを履いてもまた砂に埋もれるだけだし、足についた砂を払い落としてもいないからだろうと、
さくらも素直に白哉に抱っこされて車に戻った。
12
さくらは助手席に下ろされ足だけは車外の状態のまま、白哉が足の砂を払ってくれた。
「
さくら……」
さくらの足の砂を払っていて気が付いた。
貝殻か何かで足裏を切っている。
義骸はある程度の痛覚を施してある。
無痛では“動く死体(ゾンビ)”状態に気づかず街中を歩いて大事になるかもしれないからだ。
そのような事態に備えて記憶置換機があるとはいえ、110番と119番案件は極力避けねばならない。
ただ軽い擦過傷ならば人間と同じ痛みを感じる必要はない為、
さくらは怪我をしたこともストッキングを履いた足が砂まみれなのも不快に感じてはいなかった。
だから
さくらが青ざめたのは、ルキアに見立ててもらったストッキングが破れていた事だ。
白哉は気にする必要はないと宥めたが、
さくらの意気消沈ぶりはかなりのものだった。
こんな時は原状回復するに限る。
まずはカーナビで近くの公園を検索し、最初は
さくらをブランコに腰かけさせて足を洗おうとしたが、白哉が水道の水を手で汲んで持っていく間になくなってしまう。
仕方なく、
さくらを水道の側に寄せることにした。
白哉の膝の上に腰を下ろし支えてもらって足に水をかける。
さくらは自分で立って洗えばいいと思ったのだが、(義骸に)怪我をさせたと白哉は思っているらしくあれから一度も
さくらの足を地に着けさせてくれない。
さくらが断ろうにも自分の行動が原因だ。あまり主張はできない。
洗い終えた足をハンカチで拭くと、白哉は
さくらの傷を治した。
義骸の傷は基本、死神ならば表面上は治すのは容易い。
さくらでも治せたが、はしゃぎ過ぎを反省している今は白哉に従った。
「申し訳ありません、白哉様…」
義骸の傷は治っても、ストッキングの破れは直らなかった。
助手席で項垂れる
さくらにパンプスを履かせると、白哉は立ち上がりそっと、手を伸ばした。
「謝る事は何も無い…」
さくらの髪に触れ、頭を撫でる。
「でも、でも……」
ルキアが見立ててくれたお洋服を破いてしまった。謝りたいのはルキアだが本人は此処に居ない。
ルキアの代わりに白哉に叱責されても致し方ないと自分を責めていた
さくらは、暫く気付かなかった。
「
さくら……」
名を呼ばれて漸く何をされているか、白哉に意識が行った。
撫でられている事に気づいた
さくらは、上目遣いに白哉を見上げる。
最初は様子を伺っていたが、どれだけ見つめていても白哉の眼に怒りはなかった。
13
涙ぐんでいた
さくらが漸く顔を上げたので、一先ず白哉も公園から移動する。
ストッキングは履かなくてもいいものなのか。
白哉もそこまで女性の衣装に詳しくはない。
だからこそルキアにコーディネートを任せたのだし、男の解決方法としてはストッキングを新調するのが一番だと近くの総合百貨店をカーナビで検索する。
伝令神機に触ったこともない
さくらには、現世の機器を使いこなせる白哉の横顔が眩しかった。
移動すること約一時間。
初めての立体駐車場に初めてのデパート。
見るもの全てが珍しく、人間も近くを歩いている。
そして店内のこれら全てが売り物であることにも驚きを隠せない。
それでも大人しく白哉の誘導に従って売り場へと向かった。
ストッキングはすぐに購入でき、事情を話すとその場で着用させてもらえた。
これでもう問題はないと言ってくれる白哉に、
さくらも落ち込むのはやめようと素直に受け入れた。
エレベーターだけでなくエスカレーターにも乗ってみたかったが我慢して駐車場に戻る。
エレベーターに向かう途中、白い棚に小瓶がいくつも並べられている可愛い売り場が目に留まった。
普段ならば白哉も見過ごしたかもしれないが、体が触れ合う距離にいる
さくらの視線の先に気づかないはずがなかった。
「少し…見ていくか?」
「………」
さくらは黙って白哉を見つめる。
先程の失態を繰り返しはしないかと、自分で判断しかねているのだ。
「此処は香水売り場だ」
遠慮は要らぬという代わりに、白哉が売り場に
さくらを導く。
「香水………。香りのお水ということですか?お香でも練り香でもなく…?」
白哉も失念していたが、尸魂界に香水はない。
「然様。薬草と酒精を蒸留したのが香水の始まりと聞いている」
「薬草…。元はお薬の作り方だったのですか」
「うむ。私はあまり詳しくはないが…」
いやいや、十分詳しいと思います。と店員は二人を遠巻きに眺めている。
感心した
さくらは小瓶を見ているだけでも楽しそうだ。
本来ならば他の品を予定していたが、今から移動していては帰りも遅くなる。
さくらが香水に興味があるなら、これでも良いのではないか。
そう考えた白哉が
さくらには気づかれぬよう、そっと売り場の人間に話しかけた。
「あの娘が気に入った香水を後程教えてもらえないだろうか」と。
勿論でございます。と笑顔で店員は答えた。
遠慮なく勧めて良いと知った店員は、
さくらの好みを探る。
14
香の嗜みもある
さくらが香を聞くのを楽しまぬはずがなかった。
それも味覚に喩える香道とは違い、豊かな語彙で表現する香水は斬新だ。
ムスクやシプレという意味はわからなかったが、フラワーが花でシトラスが柑橘系なのは香りで判断できた。この香りが好きだと言えば同じ系統の香水を試香紙(ムエット)に付けてくれた。
途中、香りがわからなくなってきた
さくらに店員はコーヒー豆の入った瓶を嗅がせた。
「?」
「コーヒーの香りは麻痺した嗅覚をリセットしてくれるんですよ」
にっこり微笑んだ店員は、試香を再開する。
小瓶に詰まった無限の世界に
さくらは夢中になった。
かなり好みの香りは絞れてきたようだ。
白哉がそう思った頃、店員は
さくらの手首に香水をつけた。
「香水はトップ、ミドル、ラストノートと香りが変わって行きます。それにムエットで試すのと肌に着けるのでは香りの立ち方が違うんですよ」
だから本当に好みの香りかは、肌に着けてみないとわからないと。
店員に見送られ車に乗り込むまでに、
さくらは十数回は手首につけられた香りを楽しんだ。
駐車場を出ると、辺りは既に薄暗くなっていた。
渋滞も始まっている。
ノロノロと進むしかない道中に、
さくらを日のあるうちに尸魂界に帰らせられなかった白哉としては申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
殊更、
さくらがこちらを見なくなったのもあるだろう。
時折手首を顔に近づけて顔りを楽しむ以外の動きは見られなかった。
もう何度目であろう。
再び信号に捉まり、6時を過ぎてしまった。
15
「白哉様…」
とうとうしびれを切らした
さくらに文句を言われるかと、白哉も心して耳を傾ける。
「あの、木が光っているのは明かりですか?」
まるで光る木の実が鈴なりになって見えますが…と、ずっと外を眺めていた理由を
さくらが語った。
「…あれはイルミネーションと呼ばれている。光源は様々で、電飾の対象は木々以外にもある」
「綺麗ですねぇ…いるみねぇしょん」
さくらがにっこり微笑んだ。
信号が変わったので「ああ」と短く返事をするにとどまったが、日が沈んだというのに未だに帰宅させてくれぬと不満に思っている様子ではない事に白哉は再び安全運転に集中できた。
当然神社に着いた頃には辺りは闇に包まれていた。
従者らが懐中電灯(トーチ)やランタンを照らしてくれているが真っ暗な境内だ。足元に気を付けるようにと言いながら
さくらを車から降ろす。
しかし車を降りると、言われた側から
さくらはタタッと走り出した。
「白哉様。あれは何ですか?あれも、いるみねぇしょんですか?」
さくらは、山から見える連なる光を指さしていた。
「…あれは、車のライトだ」
転ぶ前に追いかけねばと身構えた事を悟られぬよう、近づきながら白哉がヘッドライトを指し示す。
「これが…あんなに、長く?」
然様と白哉が頷く。
つまりはあれだけの車、即ち人間が闇の中を移動しているのだ。
ゆるりゆるり闇の中をうねる光は、魂魄の旅路そのもののようだ。
「
さくら―――」
今日はもう遅い。帰りを促すべきであろう。
白哉もそれはわかっていたが、
さくらは現世のありとあらゆるものに興味が尽きないのだ。
「また現世に参ろう」
私と二人で―――
白哉が手を差し出すと、
さくらも「はい」と素直に頷き手を重ねた。
アザレアの花言葉:「節制」「禁酒」「恋の喜び」
************************************************やっと…やっと、朽木隊長と現世デェトを果たせましたぁ~~~!!
ぃやぁ、長かった。
遅筆なうえにどんどん長くなっていく自分の書き方が悪いのですが、11年前からご覧くださっている方はいったいどのくらいいらっしゃるのやら…。 :;(∩´~`∩);:
全般的なアザレアの花言葉が「節制」「禁酒」「恋の喜び」で、赤は「節制」、白は「あなたに愛されて幸せ」「充足」だそうです。
まだ
さくら様は「あなたに愛されて幸せ」「充足」と感じてはいらしゃらないかもしれませんが、そこを目指しております。
更に「これ、ホワイトデーのお話よね?」と思われた方、正解です。
そして恐らく次回に続きます。
次回で全てを書ききれるかはわかりませんが、本編をご覧いただきありがとうございました。
2020.3.13
百花繚乱 風⋆花⋆雪⋆月