事の起こりは
「はぁ……ι」
さくらの溜息からである。
非番の昼下がり
「はぁ……ι」
さくらは独り、深い溜息をついていた。
蜜月旅行:浮竹
1
どうしてお子が、授からないのかしら………?
浮竹はしょっちゅう寝込む体の弱い隊長
だから子作りに励めないのは致し方ない
のではない。
さくらとて最初は子宝に恵まれないかもという不安はあった。
しかしそんな危惧は何処へやら
浮竹はしょっちゅう寝込む体の弱い隊長
なのに
とんでもなく精力絶倫なのであった。
詳しくは説明できないが昼夜回数時間を問わず
何故か浮竹はできる。
しかしあの体質、あの性格、あの無邪気さである。
誰もが騙されてしまうのだ。
「浮竹…キミ、子供の授かり方知ってるの?」
夫婦円満なのは承知しているが、浮竹は勿論
さくらも何時まで経っても初々しさが残っている為
本気とも冗談とも取れる質問を京楽が投げかけたことがある。
「知ってるさ。コウノトリが運んで来るんだろ?」
隊首会が終わった直後の全隊長が揃っている時で、浮竹は「皆の前で俺をからかうつもりだな」と思い、逆に京楽をからかってやっただけだった。
2
しかしこれが後々まで尾を引いた。
浮竹や
さくらに夜の営みを指導する者も現れ、有り難迷惑な二人としては真剣に話を聞きはしない。
とうとう
“なるべく浮竹隊長が元気な日は、二人っきりにしてやろう”
という暗黙の了解が出来上がってしまったほどだ。
しかし非番とはいえ
昼下がりにこうして
さくらが腑抜けてぼーっとしているのも
実はさっき終わったばかりなのである。
「はぁ……ι」
さくらは深い溜息をついた。
「どうしてお子が、授からないのかしら………?」
こんなに数をこなしているのに。
十四郎様の霊圧が強すぎる所為?
という思いからだった。
その思わず零してしまった愚痴を、女性死神協会理事長が耳にしたのには全く気付いていなかった。
卯ノ花は静かにその場を去った。
「そろそろ、
さくらにも時期が来たのかもしれません…」
そう、呟きながら。
さくらを子育てに奪われるのを恐れていた卯ノ花でさえ、生涯に何度チャンスがあるか知れないと考えを改め協力することを決めた。
こうして次回の女性死神協会の議題は決まってしまった。
『浮竹夫妻の円滑な夫婦生活のために我々がすべきこと』
そして導かれた結論が、
『浮竹隊長の十分な休息と行為に及ぶ環境作り』であった。
かくして
浮竹を除く隊首会が開催され、そちらでも可決された。
3
ざざあああぁぁん
シュワシュワシュワ
ざっざあああぁぁん
シュワシュワシュ……
二人は朝日に煌く海を眺めていた。
「綺麗ですね―――…」
初めて現世で海を目の当たりにした
さくらは、見渡す限りの大海原に立ち尽くすこと半刻あまり。
漸く感動の日の出の感想を漏らした。
「それで十四郎様。どうして私達は此処へ参ったのでしょう?」
来る前に確認しておけと突っ込みたくもなるが、そこが
さくらのいいところでもある。
「んー、俺もよくわからん」
十四郎も暢気である。
「しかし二人で現世に遊びに行って来いと言われたんだ。楽しめばいいんじゃないか?」
そうこうしているうちに、ちらほらと現地の人間達も姿を現し始めた。
4
ここはオーストラリア
ゴールドコースト
サーファーズパラダイス
浜辺に着物姿で立っている
さくらを、現地のサーファー達が取り巻き始めた。
「……きゃっ!?」
気付いた時には十人強が日に焼けた鍛えられた体を朝日に曝して
さくらを取り囲んでいた。
「□〇×△?」
「「????」」
何やら話しかけられたが、さっぱりわからなかった。
「Hi,youwe…beau…annic…,so――.veyou…somethingan…?」
「「 ?? 」」
更にもう一人。何やら
さくら達を気遣って話しかけてくれているようである。
「
さくら。わかったか?」
英語はさっぱりわからない十四郎に問われたが
最初の男よりは聞き取れたものの、訛りがあって肝心な部分が聞き取れない。
「…紙にでも書いていただきましょうか?」
さくらは英語の読み書きなら問題はない。
今、問題なのは
さくらが習った発音でないオージーの英語が聞き取れないことである。
5
「墨も筆も、現世(ココ)の書く物もないぞ」
うーんと首を捻っていると、サーファー達も言葉が通じないのでジェスチャーで伝えることにしたらしい。
さくらは腕を持たれた。
というか着物に触れられた。
「!」
さくらはこんな殆ど裸同然の男に触られて、固まってしまった。
十四郎が見る限りそれはいやらしくはなかったのだが、言っていることがわからないししたいこともわからない。
「じゅ、十四郎様ぁ…」
唯一安全な十四郎の胸に、
さくらはしがみついた。
「あー、何だ…」
さくらを宥めながら、悪気はないであろう男達に自分の言葉で話しかける。
「
さくらは大丈夫だ。何か知らんが、心配してくれて済まん」
十四郎が片手を上げた。
すると男達は顔を見合わせ、
「Okai! yousayso,it’sokai」
「Haveanicedai!」
何やら肯定的な言葉を残して海に消えて行った。
6
「
さくらー、大丈夫だぞ」
しっかり自分にへばりついている妻の背中をさすってやった。
「ふあぁぁん、怖かったですぅ…」
すっかりバランスを崩してしまい、
さくらの足元は砂にまみれてしまっていた。
「ああ、
さくら。これじゃないか?」
十四郎も漸く男達の言いたかったことの見当がついた。
「着物を潮風に晒すと、傷むだろ」
海の雄大さに向かっていく男達の繊細な気遣いにすぐには気付くことができなかったが
流石はオージーハズバンドと謳われる国である。
男性は皆、女性に優しい。
「宿に行って、こっちの物に着替えよう」
日本人観光客が多数訪れるゴールドコーストである。
日本人スタッフが従事する日系のホテルを押さえてあった。
「十四郎様…」
女性死神協会より支給された現世の服は、
さくらには風変わりなものであった。
「袷(
あわせ)がありません」
輪になった背中側だけのような短衣に思案する。
「着方はわかるが…」
十四郎はとっととラフな現世のシャツと膝丈の短パンに着替えていた。
「その前に確か、何かなかったか?」
さくらは着物を脱いだままの格好で十四郎に助けを求めている。
「これですか?もっとわかりません」
ブラの留め方は十四郎にもわからない。
7
結局
海に行くのだからという結論に達し、
海用の着衣
即ち
水着を着ることにした。
こちらはヒモだったので十四郎だって結べるのだ!
しかしそれの露出度といったら
覆う面積からすれば先程の膝丈水着のサーファー達よりも明らかに少ない。
女性死神協会、ゴールドコーストを浮竹夫妻の貸切と勘違いしているようである。
「水着というものは水辺で着用するものだから、宿からこの格好では出てはいけないんだな」
十四郎は海外での注意書きに目を通す。
先程二枚の三角形をした布切れをヒモで体に結んでもらった
さくらは、次に十四郎が自分の頭上に翳(
かざ)した服を見上げた。
ずぽっ
服は首まで下りてきた。
「ぁたた。狭い、小さいです!」
シャツは腕を通すのが、一番難儀だった。
スカートはかなり短かったが着物の腰から下だけのようなものだ。袴のように上から足を入れて履く。
「履物は、似てますね」
「そうだな」
ビーチサンダルを履いた。
8
「持ち物は…まず、バスタオル…?」
海へ行く時の持ち物を確認する。
「幅広の長い手ぬぐいのことだな」
四番隊支給の日焼け止めも忘れずに持っていく。
「金子、帽子、水、サングラス…?」
「色眼鏡か」
誰が書いたか知らないが、現世と尸魂界の単語が交じっている。
何だかんだで結構な荷物になった。
もう少し目の前のビーチまで気軽に行けないものかと思う。
しかし海辺の日差しを舐めてはいけない。
さくらの肌を思いやっての詳細な指示であった。
「随分と人が増えたなあ」
日本人観光客は多数いたのだが、
白髪の体躯のいい男に長い黒髪の露出度の高い女はサーファーズパラダイスでも目立った。
「海、入ってみるか?」
さくらは泳いだことがなかったので、川や海に入るのは好まなかった。
しかし十四郎の笑顔を見ていると、折角だから少しぐらいはという気になる。
「足の着く所までなら…」
言い終えるか終えないかの早さで、十四郎に手を取られて海へと向かっていた。
9
「海って、くすぐったいですね」
波が
さくらの足下の砂を攫い、海の泡が足首を駆け上がる。
サーファーが海に向かう途中、十四郎達に声をかけていく。
先程の男達がその方がいいと水着を褒めてくれているようだが、顔の区別がつかない二人は皆に愛想をふりまく。
人懐っこい二人だから、どう考えても早朝の人数より多い男達にかまわれる羽目になる。
十四郎なぞ、サーフィンに誘われていた。
流石にそれは断ったが、波乗りに挑む男達はいつでも目が合うと笑顔を返してくれた。
心安らぐ波の音
ネイティブの一瞬の波に賭ける熱い思い
観光客ののどかな眼差し
今となって思えば現世の日本では十四郎達も中々のんびりできそうもないと、この国を選んでくれたのだろうか。
「もう少し、入ってみないか?」
水に恐怖心のない十四郎は
さくらを誘う。
「はい」
繋いだ夫の手に安心し、
さくらも波を膝に受け、腰に水飛沫がかかり、どんどん海に入って行くと……
「ぷ、きゃあ!」
突然波に攫われた。
「オイオイ、
さくら?」
グイと
さくらを引き寄せる。
波間に漂うようにふわふわしていた
さくらは、一瞬にして大波でずぶ濡れになった。
10
「かぽっ」
今度は波に足を取られたことにうろたえて、海水を呑んだ。
バシャアッと十四郎に抱き上げられて、漸く海の歓迎から開放された。
「ごほっ、ぼっ」
それからケンケンと咳をする。
さくら初体験の海、最悪の印象である。
「大丈夫か?
さくら」
時には十四郎の肩まで波がかかる。
さくらにはこの大量の塩水に立ち向かう術は無かった。
「怖い、怖いです!」
しっかりと十四郎にしがみつき、砂浜に戻ろうと訴える。
「だが、こんな綺麗な…」
「やあああっ!!」
ギュウウウと十四郎の首に腕を絡める。
さくらの状況を知らぬ者は、熱々のカップルが海で戯れているとしか見えないだろう。
「ああ、そうだ。浮きがあったぞ、浮きが」
浮き輪のことである。
ザッパザッパと
さくらを首に巻いて、十四郎は浜辺へと戻った。
11
さくらが肩でゼイゼイ息をしている傍らで、十四郎が浮き輪を膨らます。
「これに掴まれば大丈夫だ」
浮き輪はイルカの形をしたものだった。
普段ならパンダイルカのキュートさに二つ返事だろう
さくらも、今回ばかりは警戒する。
「行くぞ」
片手にパンダイルカの浮き輪、もう片方に
さくらを抱えて
「じゅ、十四郎様!私はもういいです!」
十四郎はサーファーズパラダイスの波間へと進んでいく。
一旦自分から
さくらを引き離し浮き輪に乗せるのには苦労したが、しがみつける物に兎に角しがみつくのが溺れる者の心情だ。
ザザ―― ぷっかん
ちゃっぷん
ザバ―――…
ぷか ぷか
チャプ…
「…………」
漸く溺れずに済む状況を把握した
さくらは、浮き輪からちょっと顔を上げた。
見るとパンダイルカの頭の上に、十四郎は顔を乗せていた。
波に漂う白い髪と穏やかな夫の微笑みに、
さくらも落ち着きを取り戻した。
「もう少し深いところまで行ってみるか」
馬に乗る時のように跨った妻ごとイルカの浮き輪を引っ張って沖に向かう十四郎の泳力は見事なものだった。
12
ただ幾らなんでもサーファー達の挑むウェイブにパンダイルカの浮き輪で立ち向かうのは無謀であった。
波に乗れない
という意味ではない。
いや、勿論十四郎達は波に乗れず崩れたウェイブに呑まれもみくちゃにされた。
それでも浮き輪に掴まっていれば溺れることはないとわかった
さくらは、波に数メートルの深さまで呑まれても決してパンダイルカを離さず、十四郎もまた見事にそれをサポートした。
しかし…
何度目かに浮上した二人を見て、周囲のサーファー達が慌てて波間を見渡していた。
「…!………!!」
諦めた一人が何か大声で叫んでいる。
何処までも続く広い海原では声は波と空に呑まれ、全く聞き取れない。
「何でしょう?」
「さあ…?」
またしても自分達に何か忠告してくれているのはわかるが……。
「Gotit!」
一人のサーファーがボードに腹ばいになって十四郎達に近づこうとしている。
「?」
「?」
さくらはパンダイルカの背に綺麗に跨って首を捻って背後から近づく男を見ていた。
十四郎もまた、パンダイルカを安定して保つように支えながら、
さくらの腿の上に見え隠れする男の動向を窺っている。
13
「Hey,guy」
綺麗なウェイブに導かれるように近づいてきた日焼けした男が浮竹の手に何かを握らせ、波と共に去って行った。
十四郎の手に渡されたもの。
それは 見覚えのある…
「あれ?
さくら…」
妻を見上げてみれば
髪を後ろで結んでいた
さくらの胸元は丸見え状態だった。
十四郎の視線と手にしたもので、
さくらも気付いた。
「…………い」
さくらの信じられないほどの大きな叫び声は
「ゃぁ―――――…」
あっけなく海にかき消された。
そこいらのプールで水遊びするための水着でウェイブに立ち向かおうなどと、サーファーズパラダイスの波を舐めていはいけない。
「えぐっ…ひっ、く。えっえっ ひぐ…」
泣き続ける妻を宥めつつ、不安定な波間で妻の水着のヒモを結ぶなど、十四郎にも思ってもみない事態だった。
ここはオーストラリア
ゴールドコースト
サーファーズパラダイス
トップレスの女性が浜辺に寝転んでいようとも違和感のない観光地。
しかし予期しないこの失態は、かなり
さくらを海嫌いにさせた。
14
ホテルに着くなり十四郎はコンシェルジュに相談した。
「他に海岸はないか?」
もう海はイヤだとぐずる
さくらが可哀想で、十四郎は自分が知っているような、もっと穏やかな海を求めた。
「…他に、でございますか?」
日本人スタッフが引きつった笑みを浮かべる。
何故に目の前の美しいビーチで満足できないのか。
「別に泳ぐのが目的じゃないんだ。例えば波が静かとか、二人でゆっくり過ごせる海辺とかだ」
「ああ、然様ですか」
そういうことでしたら、とコンシェルジュはにこやかに翌日の手配をしてくれた。
そうして二人が到着した海岸は
「十四郎様……」
静かな海。
穏やかで 色味の少ない海岸。
人影まばらな浜辺では
警備員がにこやかに迎えてくれた。
そう、 そこは
トップレスどころか性別を問わず
生まれたままの姿を曝すことが許される
ヌーディストビーチだった。
「十四郎様っ!?」
fin*
************************************************どうしてオーストラリアを選んだかと言うと、浮竹隊長なら言葉が通じなくても何とかできそうだったからです。
それと浮竹隊長は真夏の日差しが苦手なようですから、真冬でも海に入れるゴールドコーストぐらいが丁度いいのではないかと判断しました。
まだこの辺りなら訛りも少なく通じるとは思うのですが、サーファーは日本人と普段接触していないバリバリのオージーイングリッシュの設定です。
今回も後半のエアーズロックまでたどり着きませんでした。
私の海外旅行話って、こんなんばっかですね。
ご訪問ありがとうございました。
2009.08.17
花の護廷十三隊〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月