白哉が新婚旅行の為に長期休暇願を出して早十ヶ月。
妊婦なら子連れ新婚旅行になってしまっているところだ。
斯様に護廷十三隊の手続きは遅く、
さくらがプロポーズを受け入れた早々に申請した白哉の判断は正しかった。
朽木夫妻が新婚旅行に行けたのは四月に入ってからのことで、行き先を検討するには十分すぎるほど時間があった。
「いかが致しましょう?白哉様」
さくらはずっと現世のパンフレットという配布物に見入っている。
現世の鮮やかな色彩の写真など目にしたことのなかった
さくらには、それだけで上等な書物に匹敵した。
申請に時間がかかるのは目に見えていたので、二人は尸魂界でのちょっとした新婚旅行は既に終えている。
ただ、
さくらは未だ現世を見たことがない。
ならば新婚旅行で
さくらに現世を見せてやろう。
白哉はそう考えていたのだ。
1
私費にて行くのには全く持って問題はなかったのだが、如何せん休日が取れない。
白哉は勿論だが、
さくらも四番隊の一詰所を任されている身だ。
さくらが結婚して二人の新人を配置したが、詰所を任せられるようになるまではまだ何年もかかりそうだった。
既婚の先輩も、そろそろ子供が欲しいと願っている。
下手をすれば医薬品取扱専門詰所は機能しなくなる一歩手前だ。
一番頼りになり居座ってくれそうなのが
さくらである。
卯ノ花が怖いのは妊娠出産子育て時期に辞められることだ。
とは言え嫁ぎ先が朽木家である。出産前後さえ譲歩すれば、
さくらが医薬品取扱専門詰所を取り仕切ってくれる可能性は十分にあった。
「喜ばしいことですが、
さくらが護廷十三隊を辞めることのないよう、ご配慮いただけますね?」
卯ノ花は朽木にしっかりその点は念押しして、
さくらとの結婚を賛成してくれていた。
2
それでも十日を希望した白哉の要望は通らず、休暇は七日で許可が下りた。
四番隊は五日を先輩が、残りの二日を卯ノ花と虎徹で切り盛りする。
六番隊は阿散井に任せられることになったが、やはり心もとないので
武礼達のサポートと白哉への毎日の業務連絡を命じられた。
かくして漸く朽木夫妻は新婚旅行の日取りが決まった。
「…おい、
武礼。そう言や隊長達って、ドコに行くってたっけ?」
「ああ、それはですね…」
二人を見送った後に暢気に頭を掻いて尋ねる阿散井に、
武礼は
さくらに教えてもらった旅程表を見せた。
「…え ?」
阿散井が即座に理解できなかったのには、わけがあった。
遡ること、数ヶ月前。
つまり旅行先が決まった冒頭の日のこと…。
「白哉様、これは何ですか?」
「これはどういう目的の構造物なのでしょう?」
何もかもが初めて目にする現世のパンフレットの写真に、
さくらは白哉を頼る。
しかし白哉とて現世を知るのは遥か以前の話。
急速に発展する現世の情報は駐在した死神の噂話と瀞霊廷通信ぐらいである。
3
「白哉様、これは?」
現世に興味津々な
さくらが、廃棄しようとしていたパンフにまで目を通し始めた。
「…それは異国の観光案内綴りだ」
新婚旅行=ハネムーン=海外旅行
現世は最早地球の裏側でも旅立てる為、新婚旅行のパンフレットの中には沢山の海外向けのそれも入っていた。
「異国…」
尸魂界も国ごとにある。時に日本と異国の魂魄を持つ者は魂を引き裂かれ、或いは異国の魂魄でありながら日本で死した者はこの尸魂界に辿り着く。
海で命を落とした者の魂が最も彷徨易いのは、尸魂界は陸にて管轄されているためだ。
「綺麗な処ばかりですね」
パンフレットなのだから当然ではあるが、
さくらはそれを知らなかった。
旅行代理店でどう説明したのか、現世駐在中の死神に送ってもらった日本の国内旅行と言えば娯楽施設や温泉やら食べ放題ツアーやらと何やら庶民じみている。
これならば、海外の自然豊かな地へ赴いたほうが
さくらの好みではないかと白哉も薄っすらとは感じていた。
4
「異国が良いか」
白哉が海外旅行パンフに食い入る
さくらに提案した。
白哉の意見に従うつもりなのだろう。僅かな間を置いて曖昧に
さくらは返事した。
「…私も知らぬ国。案内など出来ぬが、其方が行きたいと思う地が良かろう」
優しい夫は、何よりも妻が楽しめることを優先してくれた。
「気になる地はあるのか?」
実は先程から
さくらは一枚のパンフレットを手放さなかった。
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王子様
お姫様の手をとり
女王陛下の国を訪れよう
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表紙には
さくらの大好きな馬――二頭立て馬車にフリル満載のドレス姿のお姫様を導く金髪碧眼の王子様
そして何より
さくらのハートを射抜いたのは、中の挿絵の服を着た兎が二本足で立って人参にかじりついている姿である。
5
白哉はちらりとそのパンフレットを覗いた。
さくらが魅入る隣の頁には、メスらしき服を着た兎が小さな兎の襟元を掴んで恐喝している。
白哉には野蛮な感じはしたが、
さくらはその行為自体には気付いていないようであった。
「東部卵やら東部兎とは、一体何でございましょうねえ?」
妻がこのパンフレットを見てワクワクしているのは、十分わかっていた。
上級貴族の、それも真面目なこの二人のこと。
簡単な英語の読み書きぐらいは嗜んでいた。
さくらは医術の出身階級らしくドイツ語の読み書きも出来る。
復活祭の原文を載せた写真の英語を読めたことが
さくらのイメージを掻き立ててしまい、寧ろカタカナ英語で書かれていなかったのが兎好きの
さくらの決定打となっていた。
「此処に決めようではないか」
心は決まっていようとも自分からは言い出さない妻に、白哉は告げた。
嬉しそうに頬を染めて頷く妻に、宿舎に二人っきりとはいえ真昼のその場で白哉がそっと頬を寄せ、口付けを交わしたのはこれが初めてだった。
6
ロンドンヒースロー空港
グレートブリテンの尸魂界を通して六番隊隊舎前の穿界門を繋げてもらうという無理難題を
行き先が決まると早々に私費にて事も無げにやってのけた白哉は
現世にてロールスロイスという車を調達していた。
何百馬力だか何千馬力だかは覚えていないが、そんなに沢山の馬は必要ないのでパンフレットにあった二頭立て馬車ぐらいに乗れればいいと思っていた
さくらは、それが馬の代わりだということを乗車直前に知った。
「…………」
しかしこの程度で文句は言えまい。
馬がおらずとも走るという車に乗った。
7
さくらには別荘のような田舎暮らしの方が楽しそうであったが、白哉ほどの貴族になると使用人がいない生活は不可能らしく
この案内人に送迎を頼んでホテルに滞在する予定であった。
まずは現世の車にて走ること二時間程度。
田舎を目指す。
最初は見渡す限りの黄緑色の地面に見入っていた
さくらだが、それも延々と続くうちに眠りこけてしまった。
漸く牧草地にて(白哉から見れば)みすぼらしい馬と遭遇しても車で移動していてはあっという間に通り過ぎ、
さくらに見せてやる機会はなかった。
この車というものに白哉も初めて乗車したわけだが、木と革で出来ていた。
少なくとも手綱に代わるステアリングを握る前の席は艶のある木目である。
外観は斬魄刀でも苦労しそうな硬いボディなのにだ。
また馬車ほど揺れもなく、その揺れも心地よく、
さくらが眠ってしまったのも致し方なかった。
8
白哉は妻が眠っている間に、知りたかった知識を得ようと思った。
「この兎は何処に居る」
果てしなく続く信号もない道を進む案内人は義骸に入ったこの国の死神である。
白哉は同じ貴族という身分のその男に目的のものを尋ねた。
一般的に教養の高い死神は現世の歴史にも詳しく、その兎が有名な架空の物語の主人公であることを告げた。
さくらが知れば、これにはがっかりであろう。
「奥様は兎と馬がお好きとのこと。それを短い滞在期間に堪能できるよう、手配致しました」
白哉が教わった通りの美しい発音で、案内人は説明した。
朽木夫妻が日本の尸魂界で有名な貴族であることを考慮し無理な日程は避けられている。
日本は尸魂界でも然程休暇の長くないことを知った英国貴族の死神は物語の兎が生まれた湖水地方への旅行を決行せず、
のどかな田舎暮らしの上辺だけの体験と有名な観光地と乗馬をメインに考えていたらしい。
9
「東部兎やら東部卵とは何のことだ?」
復活祭のことを尋ねる白哉に、今からそれを経験していただくと伝えた。
成程と白哉が理解したのは車を降りた後である。
籠を渡され、着物姿のまま二人は子供達に混じって卵形の洋菓子を探させられた。
「卵の形のお菓子、兎の形をしたお菓子のことだったのですね」
成り立ちはゆで卵だったらしいが、今では卵の殻に装飾を施す本格的なものよりも卵型の菓子を包装紙に包んだものを探すのが一般的だと教えられた。
一際大きな兎の卵を見つけて(もらった)
さくらは、自分の顔ぐらいの綺麗な包装紙に包まれた兎のチョコレートをまじまじと見詰めた。
さぞがっかりするであろうと思っていたのだが、
さくらは絵本の主人公の兎のことも、卵のこともすんなり受け入れた。
白哉は一つで籠をほぼ占領してしまった大きさのイースターエッグを抱えて、その宅のホームパーティーに招待された。
中身が渋い色にも関わらず甘い菓子だったのには辟易させられたが、
それよりもチョコレートが兎の形をしているだけで口に出来ない妻のほうが厄介であった。
10
この国の茶は白哉達の口にも合った。
白い陶器に描かれた色とりどりの花などの絵も素晴らしく、黄金色に輝く匙もチョコレートに似た地味な色の茶を彩るに相応しかった。
午後のティータイムを愉しんだ後は乗馬である。
しかしその身に着ける物の多さに舌を巻く。
キュロット、シャツ、ジャケット、アンダーウェア、帽子、グローブ、靴、鞭まで。
体に張り付くような生地が殆どで、収縮性はあると言うが二人にとってはこの国の乗馬は色々と準備が大変であった。
それでも支度のできた夫の姿は、初めて異国の乗馬服を身に着けたとは思えぬほど凛々しく気品に溢れていた。
「白哉様は何を召されても似合われますね」
騎乗した
さくらは馬のしっぽと同じく黒髪を揺らしていた。
「フッ…其方もな」
熱々の二人の会話の意味などわからずとも、案内人は気にかけず森を案内した。
毎年六月の第一金曜日には伝統ある競馬が行われるそうであるが、
白哉達がその時期に再び訪れることは叶わぬであろう。
11
今日は初日で無理をさせてはいけないと、案内人は再びロンドン近郊に向かう。
途中、二人に田舎の街中を散策させ、再び夕食時にピックアップするとのことであった。
下ろされた坂道の頂上あたりから、ゆっくりと商店街のある方へと下っていく。
アスファルトで舗装された道路を歩くにはいささか草履では苦痛だ。
この国にはこの国の乗り物がありその道があり、その道を歩くための履物があるのだと、
さくらは納得した。
屋敷の立ち並ぶ地域とのことだが、どの家もうっそうとした木々に覆われよく見えない。
ふと車止めのある広い入口までやってきた。
「玄関でしょうか?」
門扉はなく、他より自由に出入りできそうである。
ちらと覗く中はこれまた鮮やかな緑が敷き詰められたように見える。
さくらは興味を惹かれたらしい。
そうっと、そうっと、足が自然と奥へと進んでいた。
ドキドキしたその空間は
一面緑に覆われていた。
何もないといえば何もない。
あるのはやや中央を外れた位置にベンチがひとつ。
たったそれだけの公園ではあったが、住宅街のその一角は子供が遊ぶには十分な広さで、恋人達が愛を語らうに必要な物は備わっていた。
12
「この国は息吹の色をしているのですね」
重苦しい冬の終わりを漸く迎えたこの国の喜びを、
さくらは感じ取っていた。
しかしそれが全てではないことまでは短い滞在ではわからないであろう。
二人ベンチに腰掛けると、そっと肩を触れ合わせた。
「
さくら…」
「は、はい…///」
白哉は異国の作法に則(のっと)り、昼下がりの屋外であろうとも妻と唇を触れ合わせた。
この国では愛情表現とはそういうものらしく、ホームパーティー先でも白哉達の目の前でホストの一家が口付けていたほどである。
親子が人前でも頬に口付けるぐらいだ。 人目のない場所で夫婦なら口吸いするのが日常だろうと二人は解釈していた。
仲睦まじい二人のこと。夫婦の愛情を表現しているうちに約束の時間となってしまったのも致し方ないことであった………。
「Mr.&Mrs.Kuchiki, I'm here!」
案内人とはすぐに合流できた。
招待された庶民のレストランなるものの味は口に合うとは言いがたかった。
それは彼も重々承知のようで、これが庶民の食べ物だと説明した。そして明日からは貴女方に相応しい場所にお連れしましょうと言う。
それから本日最後の締めに、バーなる場所に誘われた。
酒を特に好むわけではない二人には不釣合いではあったが、何しろ和服姿の朽木夫妻である。
熱い視線を浴びた。
下手に言葉が理解できると知れると厄介だと、聞こえぬフリを通すことにしたのは正しかった。
酔って箍の外れた男共が
さくらの着物姿に釘付けで、もし堪能な英語力の持ち主と知れたなら絡まれかねない雰囲気だったからだ。
白哉が斬魄刀を帯刀していたならば、うっかり斬りつけてしまっていただろう。
休暇で赴く現世に斬魄刀を所持しないという山本との約束は、間違ってはいなかった。
13
かなり夜も更けた頃
バタ――ンッ!
さくら達の背後にあったドアが勢いよく開かれ、大声が叫ばれた。
しかし咄嗟のことで二人は聞き取れず、呆然とする。
案内人がもうこんな時間かと呟き、白哉は状況を理解した。
「酔客を起こして帰す作法らしい」
とうに酔いの回った案内人が素面のうちに説明した通り、白哉はタクシーを拾いホテルへと向かった。
「白哉様…」
ほんのり頬を染めた妻が戸惑っている。
「この国では履物を脱いで良いのは、本当に入浴時と就寝時だけなのですか?」
一息つきたいらしい
さくらが、正座できる場所を求めてふらついている。
「それがこの国の作法というものだ」
綺麗な色に釣られて口にしたカクテルに酔い、白哉の支えなしではいられない妻を手伝って、ベッドへと寝かせてやった。
傍らにて
さくらの髪を梳いてやる。
苦しいのか、
さくらは火照った体で白哉にすり寄ってくる。
「確かに、履物を脱いで寛げる場が寝台と湯船のみとは…」
子供を急いて望んでいるわけではないのだが……と、この国の『新婚用』に用意された宿とは、此処まで徹底しているものかと白哉は感心した。
「それがこの国の作法というものか…」
イギリスだけでなくホテルだけでなく、況して新婚旅行用の作法ではないと白哉が知るのは
十分にこの新婚旅行を堪能した、遥か後の話であった………。
fin*
************************************************2009/04/13 00:42 達成
朽木隊長にアジアやアメリカは似合わない。ヨーロッパ限定で探してみましたが、やはり格式あるイギリスがお似合いかと思い立ちました。
時期的に兎と馬好き(設定の)
さくら様に合わせて、一日目は復活祭と乗馬を楽しんでいただこうということになりました。
ロンドン塔とかロンドンブリッジとかバッキンガムパレスとか色々考えたのですが、それは後半でいいかあ…。
と思っていたら書く前に終わってしまいました。
イギリスまで行った意味がない?
いえいえ。
新婚夫婦ですからオチは……。(〃∇〃)
最後になりましたが、おかげさまで10万アクセス。
今後ともご愛顧いただければ幸いに存じます。
天宝院さくら
2009.04.13
花の護廷十三隊〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月