「終わったか…?」
他に言葉を選べばいくらでもあるだろうに、浮竹は
さくらが実家に帰る準備が整ったのかをそんな言葉で確認した。
「…はい」
明日の朝必要な物以外を、侍女は全て部屋から持ち出し本日の仕事の終わりを確認すると静かに姿を消した。
「明日から大変だろう。今夜は早く休まないとな……」
きちんと正座をし何処か申し訳なさそうな妻の前に屈むと、浮竹はなるべく笑みを浮かべた。
ゆっくりと目を合わせた妻の眼差しは、覚悟のできているものだった。
そして何処か悲しげである。
1
「済まん…」
過酷な任務に従事させることになった原因は俺だとわかっている浮竹は、ただ謝ることしかできなかった。
「…構いません」
双極とは隊長格の処刑の為のもの。
磨かれ鍛え上げた魂魄を一瞬のうちに苦しむことなく霊子までに分解する為に、言わば燬敝王は流刃若火100万本の能力を備えていた。
その衝撃を受け止めるだけの磔架が無くば、瀞霊廷ぐらい容易く消失してしまうだろう。
「
天宝院家の者は、我々が生み出した武器が万能ではなく永遠でもなく、そしてまた無敵でもないことを承知しております」
だからこそ四楓院家には双極を破壊できる盾を渡したのだ。
「武器に限らずあらゆる道具は使い手と使い方次第で生きもすれば死にもします」
問題なのはその武器を手にする目的であり、武器で武器を破壊したことなど気にすることはないと
さくらは言う。
2
「双極の矛に対抗するあの盾は、本来ならば二隊長以上の者が揃わねば解除できぬもの。十四郎様は、良くぞあの封印をお一人で解かれました」
「
さくら……」
自分を称える愛しい妻に、本来ならば5000年以上要する任務をたった数ヶ月で終わらせるそれが、どれ程のものかは想像を絶する。
「俺に、出来ることはあるか―――?」
たとえ全ての行いを肯定されようとも、
さくらの使命の重さが軽くなるわけではない。
微々たるものでも力になれるものであれば、なりたかった。
「そう、ですね……」
遠くを眺めるような眼差しでぽつりと呟く。
「抱いて下さいません?十四郎様……」
3
妻の声が僅かに震えているのを、浮竹は聞き逃さなかった。
「
さくら……」
浮竹の驚いた声に、
さくらは自嘲気味に笑ってみせた。
「だめ、ですか…」
ならば特に何もないと言うように、
さくらは夫から目を逸らした。
「…いいのか?」
遠慮というよりは怖々尋ね返しているようだ。
「そう、申し上げたつもりです」
さくらは儚く微笑んで見せる。
明日からの任務に備え、妻を疲れさせてはいけないと思っていたのは事実だ。
しかし今は抱いてしまえばそれが最後の営みになってしまいそうで、浮竹は躊躇った。
4
「…何故、今なんだ?」
もう俺の許へ帰って来ないつもりなのか…?
浮竹の心には明日への不安が満ちて来る。
「…ご気分でないのなら無理にとは申しません。ごめんなさい、我儘を言っ―――」
「お前が何時我儘なんて言った!?」
いつもいつも誰かの為に人知れず尽くすことしかしなくて
どれ程自分を犠牲にしているのかを、夫である俺にも見せはしない。
そんな
さくらが腹立たしかった。
「―――済まん。大声を出して…」
妻を支えられぬ自分が、腹立たしかった。
5
身を竦めた
さくらを優しく腕に抱いた。
「俺を気遣って言ってるだけで、お前の本心なのか量りかねたんだ。
済まん…」
「十四ろ…さま」
浮竹の寝間着を握り締めたその手は震えていた。
そして貴方と離れたくないと思うのは、私の我儘です。と小さく呟いた。
「
さくら…」
重要な任務だとはわかっている。しかし夫と離れなければならないのが辛く、口にしてはならぬ言葉が込み上げてきそうになる。
「辛いのは、俺と離れることなのか?」
その問いに何度も瞬きを繰り返し涙を堪え、はいと返事しようとするが震える唇は上手く言葉を紡ぎ出せない。
「任務の重さではなく、俺が恋しくてお前は震えているのか―――?」
頷くことでとうとう堪えきれずに零れた涙を隠した。
結婚して初めて、こんなにも長く浮竹と離れる。
さくらにはそれが堪えられなかった。
6
「
さくら、俺だって同じだ。お前と一緒に居たくて夫婦になったってのに。
それを嘆いていいのなら、お前以上に俺はお前と離れたくないんだぞ?」
浮竹が自分の胸に押し付けるように
さくらの頭を撫でた。
「十四郎、様…?」
不意に嬉しそうな声に変わった夫をゆっくりと見れば、先程までの硬い表情は消えていた。
「先生の前で意見すれば、お前は益々無理をしそうだった。だから俺は黙っていただけだ。卯ノ花の次に俺がもし――」
「四番隊の任務は、どうしても当たりたかったのです」
浮竹の言葉に重なるように
さくらは言い切った。
7
「
さくら―――」
お前は生真面目過ぎると続けようとした時だ。
「卯ノ花隊長の為、ではありません…」
事実を偽っていたことを謝るような態度に、浮竹も気付いた。
「―――俺の、為 か。そうなんだな?」
しかし
さくらは静かに首を振った。
「私の、為―――」
浮竹に触れていた手が、落ちる。
「十四郎様のお薬を処方する役目を、他の誰にも渡したくない――私の、我儘……」
さくらは醜い感情だと己の心を恥じていた。
「貴方に会う機会を無くしたくない、私の…わが―――」
浮竹は
さくらの顔を上げさせ、いつもの口付けを落としてその先の言葉を遮った。
「お前は甘えるのも下手だが、我儘を言うのはもっと下手だな……」
軽く唇を重ねて、弾むように少し離して。
もう一度同じ口づけをしたまま今度は舌先を合わせた。
8
「十四郎様…」
それから深く、口付ける。
柔らかな唇に微かな塩味を感じても、浮竹はこの唇に己のものを重ねられる悦びを思い出した。
「…待つさ。俺はお前と一緒に居られるようになるなら、五十年だって百年だって待つつもりだった。
この任務はほんの数ヶ月だ。ほんの、な―――」
その数ヶ月が辛くて寂しくて仕方が無いのに、二人は無理に微笑み合った。
「また…週に一度。お前に会える日を楽しみにする日が来るとは…」
あの頃、次の処方の日をどれ程待っただろう。
どれ程お前が心を開いてくれる日を待っただろう。
そっと褥に
さくらを横たえ明かりを落とすと浮竹はそのまま己の寝間着を脱いだ。
続けて
さくらも同じ姿にする。
9
肌と肌を出来うる限り触れ合いたかった。
さくらが俺になればいい。俺が
さくらになれればいいと願った。
白い髪と黒い髪は交じり合うことなく絡み合う。
浮竹の筋の発達した腕が
さくらの透き通る肌を幾ら抱こうとも、溶け合うことはなかった。
さくらの血は
さくらの中だけを流れる。
夫の病の欠片を
さくらが身代わりたくとも為らぬように、幾ら浮竹がその任を請負いたくとも代わることはできない。
「十四郎、さ ま…」
それでも
さくらは悦びに涙を流す。
頬を擽る白い髪に胸に落ちる口付けに指先までを愛おしげに撫でるその手に
そして己の全てを唯一人の男に捧げられる幸せを感じて。
10
しかし浮竹は触れ合う胸がどんなに激しく時を刻んでも
「…毎日、花を贈ろう」
離れれば永遠の別れのように感じるには変わりなく…何か約束せずにはいられなかった。
「両手一杯の花を…抱えきれないほどの花を。俺だと思って側に置いてくれ」
「――一輪…」
浮竹を体内に感じながら、
さくらは吐息混じりに呟く。
「一日一輪の花を、ください。十四郎様がその日 一番綺麗だと思う花を、一輪……」
汗の滲む妻の額の髪を撫でつけながら、浮竹はその真意を問う。
「どうして、一輪なんだ?」
「だって――花束にするなら、貴方はお花屋さんにお願いしてしまう…でしょう?
でも綺麗だと思うお花を一輪だけなら、十四郎様自身が 選んでくださる…」
さくらの指先は、浮竹の唇から顎を撫でる。
11
「一日一輪の花を…その花を選ぶ為だけに、出向き 私に贈ってください。 それが 我儘で、ないと言ってくれる なら―――」
浮竹の腕を、
さくらの手のひらが伝い上る。
「
さくら」
「
さくら」
「
さくら」
「
さくら」
「
さくら」
「
さくら」
「
さくら」
「
さくら…………」
何度、名を呼べばいい?
どれほど強く抱き締めればいい?
どんな我儘でも聞いてやる。聞いてやるのに、お前の望む事と言えば
「お花は 一輪でいい。
十四郎様の愛だけ、貴方の気持ちさえ―――…」
あれば他には何も要らない。と…
あまりにもささやかで
切なくなる。
「
さくら――――…」
浮竹の首筋にしなやかな腕が絡みつく。
浮竹が愛を打ちつける度に頬に口付けるように落ちてくる白い髪を受けながら、
さくらの唇もまた愛しい夫の名を溢れさす。
12
「
さくら…。一日一輪の花に――俺の心を託す」
どうか元気で。どうか無理をせず…
「全ての想いを託す」
お前を愛していると
「必ず受け取ってくれ」
何があろうとも俺の許に帰ってきてくれと
願い―――
「はい――十四郎…様」
祈りを込めて贈る。
一日一輪の花を
お前に――――――。
fin*
************************************************私には夢がある。一日一輪の花を飾る夢がある。
毎日花を買う為だけに出掛け、愛する人の為に部屋に飾る花を選ぶ。その贅沢、その幸せ、それが続けられる世界が続くこと。
自分の夢をこのお話に託してしまいました。
今は未だ悲しいかもしれませんが、いつか…喜びに満ちた『一日一輪の花を』浮竹ご夫妻も贈り合える日が来ると
そこまで夢小説を書くぞと自分に言い聞かせる為、タイトルはこうしました。
最後までご覧くださりありがとうございます。
2008.08.27
花の護廷十三隊〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月