一日を母と過ごしていた
藤哉は、日が暮れかかると次第にそわそわし始めた。
少しは時計が読めるようになったようで、何度か長い針と短い針を間違えぬようにじっと眺めている。
子供ながらに、母が在宅している日は父も夕方には帰宅することを理解しているのだろう。
白哉もほぼ決まった時刻に邸に戻る為、
藤哉はその頃になると玄関先を陣取っていた。
「おとさま、おかえりなさーぃ」
「ただいま、
藤哉。本日もよい子にしておったか?」
「はぃ、おとさま」
かしずく従者らの前に立ち、
藤哉は白哉を出迎える。
藤哉は父・白哉が朽木家の当主であり貴族でも指折りの名門であり
そして未だ仕事に関してはよくわからずとも護廷十三隊という尸魂界で誇るべき職の隊長であるということを知っている。
先程までは子供らしくちょこまかと動いていたが、父の後ろをついて歩く姿はさながら小さな白哉と言ったところだ。
「
藤哉様は本当にお父様の真似が上手い」
「何事も人真似からというが、正に白哉様の全てを継がれることでしょうなあ」
当主と後継ぎの姿が屋敷の奥に消えると、従者らも自然と口元が綻び口数が多くなった。
1
白哉が自室に入る直前、
藤哉は隣室に声をかける。
「おかさま。おとさま、おかえりしました」
「まあ、
藤哉。教えてくれて、ありがとう」
既にその気配を悟っていても、息子に礼を言った後に
さくらは続きの襖の前に座り直す。
伝え終えた
藤哉はすぐさま白哉の少し開けておいてくれた入口に手をかけて入室する。
さくらも息子が部屋に入り、少し足を開き気味に白哉の隣で背筋を伸ばした頃を見計らってしずしずと襖を開くと、頭(こうべ)を垂れた。
「本日もお勤め、真にお疲れさまでした。白哉様」
母の、父を労う美しい仕草を
藤哉も満足そうに眺める。
「今帰った。何か変わったことは無いか?」
日がな一日一緒に居た
藤哉は知っている。
母はどんなに些細なことであろうとも喜び、良き一日であったことを報告することを。
殊更
藤哉のことでひとつはいいところを言ってくれるものだから、
藤哉がこの時間に立ち会いたいのも肯(うなず)ける。
「然様か。
藤哉は六十も書けたのか…」
藤哉は母が褒めてくれるものだから書いたに過ぎないが、父もまたそれを褒めてくれる。
同じ字を何度も書くのはつまらないうえにすぐに墨が擦れて投げ出したかったが、こうして父にもう一度褒めてもらえるのが嬉しくて明日はもっと書こうと思う。
そう言うとまた二人に褒められるから、
藤哉は両親が揃っているとくすぐったいような、それでいて心地のいい時間に浸れるのだ。
2
ひとしきり褒められた
藤哉の満足そうな表情を眺めながら、白哉が手甲を外し始めた。
静かに両手を差し出し受け取る母に続いて
藤哉が両手を揃えて差し出すと父は牽星箝を渡してくれる。
最近はこの上級貴族の証である牽星箝を手入れするのは
藤哉の仕事となっていて、今では絹布を突起に引っ掛けることも稀で上手に拭いてくれる。
時折頭に乗せて鏡をのぞき込んだりしているが、白哉は子供のすることだと咎めることもない。
以前は
藤哉も
さくらの小さな牽星箝で満足していたが、今では父への尊敬か憧れか白哉の牽星箝しか乗せたがらない。
当然
藤哉の頭には合わず手を離すとズルズルと落ちるで
さくらははらはらするのだが、牽星箝は畳に落としたぐらいで割れたり傷つくこともないと白哉は見て見ぬふりだ。
白哉が着替え終えると、親子揃って食事の間へ移動する。
客人を招き入れる部屋でなければ、白哉は食事の間に限らず
藤哉の絵や書を装丁して飾ってくれていた。
「……これが、そうか」
本日は
藤哉が手伝った花が床の間に飾られていた。
花を選んだり長さなどは
さくらが調節しているものの、子供の感覚で放り込んだ花だ。
どこか締まりのない印象である。
3
「ほう…
藤哉はこの花を中心に置いたのか。なかなかの感性だ」
大きくもなければ白い目立たぬ花が中央に投げられているのを、白哉は殊の外褒めた。
どうして自分が一番こだわった点が父にはわかるのか。
不思議であったが母が「お父様はね、お仕事中でも
藤哉が頑張っていることを御存じなのよ?」という通り、
藤哉にとって父は物凄い人なのだ。
実際の白哉は洞察力に優れ…
否。そうでなくとも子供と妻の腕の差ぐらい見極められるが故に一目瞭然なのだが。
食事を終えると、白哉は遊戯に付き合ってくれる。それは将棋や囲碁などの場合もあれば、体を動かす遊びのこともある。
最近は専ら目隠し鬼が
藤哉のお気に入りだ。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ~」
鬼の
藤哉に声をかけるだけでなく、前後左右からパチパチと手を叩く。
叩く位置で父か母かわかるようになると、拍手の高さを上の方や下へわざとずらした。
「おかさま、つーかまえるーぅ」
それでも
藤哉は区別がつくようになった。
つまりは白哉と
さくらの手の大きさや力から違いを判断できるようになったのだ。
無論
さくら達はわざと捕まっているが全ての遊びは全ての学びの機会だと、捕まえる前に父母を言い当てるとご褒美に抱きついた
藤哉よりも強く抱き返す。
4
今度は
さくらが鬼の番だ。
藤哉が声を出して逃げる時や周りをうろついている時は捕まえてほしい時なので、最初は全く違う方向へ手探りで進んで少し近づいて…。
「
藤哉を捕ま~える~」
空を掴むと見せかけて、息子を抱きしめた。
「おかさま、ざんねん!」
さくらには確かに
藤哉の小さな含み笑いと興奮して漏れた息が聴こえたのだが捕まえた…というより、抱きついた相手は白哉だった。
え!?と驚く
さくらの目隠しを
藤哉が解いて囃したてる。
間違えた相手を捕まえると減点になる特別ルールだからだ。
さくらは白哉の膝上で訴えた。
「今、
藤哉が退いたでしょ?」
「だから何だ。捕まえ損ねたのは事実であろう」
白哉はずっと気配を消して座っていただけだが、あれほど捕まえて欲しそうだった
藤哉が退いたのは白哉の入れ知恵のような気がするのだ。
「ずるいです、白哉様」
「私は何もしておらぬ」
二人しかいない相手の、それも大人と子供を母が間違えたのが愉快だったらしく
藤哉はきゃっきゃっきゃと笑いが止まらない。
「ん、もぉ~う」
藤哉を追いかけようとした
さくらは離れ際、白哉に耳元で囁かれた。
「
藤哉にも弟妹(きょうだい)が居れば良いのだがな…」
出鼻を挫かれた
さくらはニ、三歩よろけるように歩いただけで顔を真っ赤にして立ち止った。
「おかさま、めかくししないとだーめ!おかお、まっかっか~」
そんな母を、
藤哉はまた冷やかすのだった。
5
白哉も望む次の子の誕生日はまだ迎えられそうにないが、
さくらの誕生日はもうすぐだ。
白哉の部屋には誕生日に
藤哉にもらった贈り物が、一番目立つところに飾られている。
藤哉を座らせ己を見れば、必ず背後に見えるようにという意図がありありなのだが、当の本人はさり気ないと思っているのだ。
今日は息子をその位置に座らせると
さくらへの贈り物を白哉は相談し始めた。
白哉が非番で
さくらは当番という日は滅多になく、大抵は侍女か義弟が
さくらを連れ出しているうちに
藤哉と贈る物を親子で考える。
この場に居なくとも
藤哉の準備では察しがつくのは避けられない。
白哉でも気付いて当然なのだから、母である
さくらに悟られるのは致し方なかった。
それに
藤哉が何を贈っても
さくらは―――勿論白哉もだが―――喜ぶのは当然だ。
それでも、白哉はできることなら妻が思いもよらぬ贈り物をしたかった。
6
「さて、何にするかだが……」
去年は歌を贈った。
今年は何か楽器でも演奏してみようかとも考えてみたが、曲だけでなくなかなか楽器も決まらない。
「
さくらの一番好きな歌とは、何であろうな……?」
父の呟いた言葉に、何かひらめいたらしい。
「―――
藤哉、きまったの」
「ほう…。何に致すのだ?」
目線を息子に戻した白哉が問うた。
すると
藤哉は喜びのあまり両手を挙げて言った。
「おかさまの、いちばん好きなもの!」
「
さくらが、一番……」
さくらの好きなものと言えば
花に
舞に
馬に
うさぎに
香道と、白哉がすぐに思いつくだけでも両手を占めるが一番となると何かは知らなかった。
「
藤哉。母が一番好きなものとは、何だ?」
母が子供に一番好きだと告げているこの場合、自分ではなく
藤哉だったとしても嫉妬はすまいと腹を括ったうえで問う。
7
「えーっとねぇ…。おかさま、一度しか行ったことないの」
そう言って暫く考える。
「
藤哉は一度も行ったこと、ないの」
まるで問答のような説明が始まった。
「それは…場所か?」
「おとさまも、いっしょに行った?」
「…つまり……
さくらと私が一度だけ訪れた場所、という意味か……?」
ならば最近の話ではない。
藤哉が生まれる前に訪れた場所を白哉は次々に思い浮かべたが、
さくらが気に入れば二度と訪れてはいない場所などないはずだ。
「お花が虹色なんだよ?」
「虹……」
「うん!お花、ふってくるの」
「虹色の花が…空から……?」
花の多い季節…花見をした場所を優先的に思い返してみたが、
藤哉の言うような虹色の花を見た記憶はなかった。
「おとさま。いっぱいお花作りたい。きいろいお花、赤いお花、白いお花、水色のお花―――――」
「――――…」
白哉は興奮して告げる息子の笑顔に、漸く思い当った。
「
藤哉…。私も手伝おう」
さくらが一番好きな場所。
一度しか見たことのないあの景色を再現するには白哉の助けがどうしても必要だった。
8
そうして迎えた
さくらの誕生日。
「だーめー!」
藤哉が両手足を広げて先に通してくれない。
朽木家で最も庭の眺めのいい部屋の端から端まで立ち入り禁止だと言うのだ。
「はい、はい。わかりました~」
さくらのみならず、誰もが祝いの準備に精を出しているのだと察していたが、気付かぬふりを通す。
「お昼までには終わられますでしょうか?」
覗きに来た清家も睨まれ、
さくらと共に退散する。
「ふふ。白哉様が一緒なのですから、つつがなく整いますでしょう」
最近
藤哉が花の絵を描いたり折り紙やちぎった紙で花の形を作ったりしていたのを
さくらが知らぬはずがない。
それが何なのかはわからずとも、全てが楽しみなことには変わりはなかった。
今回は白哉も大層手伝っているようで、もしかしたらお金をかけた豪華な贈り物なのかもしれない。
白哉からの贈り物ならばそれもあり得るが、それならばあれほど
藤哉と準備に時間がかかるだろうかと考え始めたところで思考を打ち切った。
祝ってくれるのを純粋に楽しみにして待つ方が、喜びは大きいものだ。
9
自室で暫く
さくらが待っていると、小さな足音が耳に届いた。
早く見せたいという気持ちと共にどんどん大きくなり近づいてくる。
そうなると
さくらの期待も急に膨らんできて喜びのあまりパチっと両手を合わせると思わず立ちあがりかけたが、読んでいたふりをしようと手近に置いてあった書物を広げ、慌てて座り直した。
「もぉ、いいよ~。おかさまの一番…」
戸が開けた瞬間に贈り物を告げてしまいそうになった
藤哉は慌てて口を塞いだ。
「ふふ、何かしら?とぉーっても、楽しみだわ」
可愛い息子に手を引かれ、
さくらは先程一歩も踏み入れられなかった部屋へと連れて行ってもらった。
朽木家の一番眺めのいい
一番長い続き部屋全てを使って
畳、壁、天井に至るまで、部屋中が色紙で覆い尽くされている。
「これは……?」
「おかさまの好きな、虹のお花つくったの」
虹の花
それは
さくらがとある場所で見た色とりどりの花のことで…
「
藤哉が申すには、其方が一番好きな景色とのことだが?」
白哉は、わかっていながら問いかける。
10
「お空、まっさおー」
あの日は…
抜けるような青空で
「赤いはっぱー、黄色いはっぱー」
秋晴れの空に映える、紅葉が包み込むように天に向かって伸びていた。
「お水はね、おとさまが水色じゃないほうがいいって…」
川の水は澄み切っていて底の岩まで見えて
その川を埋め尽くすのは…
「赤いお花ーきいろいお花ー白いお花ー青いお花ーだいだいのお花ぁーむらさきのお花ーもも色のお花ー!」
白哉と
さくらを祝福する、七色の花々。
さくらがあの日の景色を
藤哉に何度も語ったか
もしくは余程幸せそうな表情で告げた為に
藤哉の心に強く残っているのだろう。
そう…
さくら自身が場所の名を告げることも知ることもなかった為に、息子に告げられなかった「一番好きな場所」とは縁(ゆかり)の聖地から瀞霊廷に戻る川下りで見た景色のことだった。
一面の緑に覆われた山を抜け
ひとつに結ばれし滝にて清められ
輝く星を白哉と共に眺め
触れ合った 時を経て
多くの者に見送られ舟に乗り
数多の花々の、祝福を受けた……。
あまりの見事な世界に
二人の為だけに飾られた景色に
ただ、ただ、心が震えた
あの日 同様
夫と息子が
この日の為に 誕生日に
紙に描き、ちぎり絵や折り紙や布や……
ありとあらゆる物を工夫して見立てて
さくらの為だけに
咲かせた
何百 何千という花。
11
茫然と立ち尽くす
さくらを、
藤哉は自慢げに見上げ笑顔で促す。
「おかさま、歩いてもぬれないよ」
紙の川だ。
舟に乗らずとも濡れることはない。
白哉が婚礼の時と同じく寄り添い、
さくらと共に川の上をゆっくりと進む。
「こっち!こっちに歩いてきて~」
一歩、一歩、息子に言われるままに進めば
ふわり ふわり、と
敷き詰められた花々よりも沢山の、壁に仕込まれていた花が降ってきた。
「この川は、流れぬのでな。代わりに虹の花が降る…」
それも香を含ませてあるようで、甘く
清々しく そして時に華やかに
さくらの鼻を擽る。
一度だけ…
その誇りと慶びを胸に
もう二度と、見ることの叶わぬ景色。
それを息子が再び見せてくれた。
「ぁ……」
あの聖なる地に足を踏み入れられたのも
藤哉を授かったのも、全ては白哉と結ばれたからで……
子供にそれを語っていたのが知られたのは照れ臭くて
再び白哉が応えてくれたのが嬉しくて
さくらは顔を上げられなくて……
きちんと白哉を見て礼を言いたいのだが、一言でも口にしようものならば瞳に溜まった涙が流れてしまいそうで口許から手を放すこともできない。
12
妻の心を察したのか、白哉は私にではなく
藤哉に…と息子を手招きする。
「おかさま、きれい?一番好きなばしょ!」
「…そうよ、…
藤哉。私はお父様に、こんな…虹のお花に埋め尽くされた景色を贈ってもらったの……」
目線を揃え、息子を抱き締める。
この子を見れば抱けば思い出す、あの日の満たされた気持ちそのままに……。
「
藤哉もあげる~」
「ええ、ええ、そうね。素敵な贈り物をありがとう、
藤哉」
さくらが礼を言うと、
藤哉は違うと言って首を振った。
藤哉の拙い説明でもすぐに理解できた白哉が、そこがどういう場所なのかを説明してやったのだろう。
「本物、あげるの!」
「本物…?」
そう、と
藤哉は大きく頷くと、自分から母の手を取って宣言した。
「
藤哉、おかさまとけっこんするの」
「まあ、ありがとう」
さくらはすぐににっこり微笑んだが、頭上から注がれる霊圧に白哉を見上げて窘めた。
「白哉様。子供の言うことですよ?」
それでも白哉が
藤哉の言葉を聞き流せなかったのは事実で……白哉の眉間にかなりの力が入っていたのは確かだった。
fin*
************************************************朽木隊長は息子とは言え
さくら様を取られるのはかなりおかんむりだったご様子。
リクエストどおり、ほのぼのになっていたかは微妙ですかね。f^_^;
タイトルのSomewhere over the rainbowという歌をご存じの方も多数いらっしゃると思いますが、最も日本語訳が美しいと感じたサイト様よりリンクの許可をいただきました。
alohayou.com Hawaiian Music
虹を越えることは不可能で叶わぬ夢を見るのは物悲しいですが、こんな形で夢が叶ったら再びあの景色を見られるよりも素敵なのではないかと思います。
最後になりましたがリクエストいただいた千年様、大変長らくお待たせいたしましたこと、お詫び致します。
ご訪問ありがとうございました。
2011.03.09
朽木隊長 風⋆花⋆雪⋆月