それはまだ夏の気配が残る日のことだった。
「
さくら…少しだけでも顔を出せないか?」
薬を渡そうとした
さくらに、浮竹はもう一度頼んできた。
もう一度というのは以前にも誘われていたのだ。
そして前回同様、
さくらは申し訳ございませんと頭を下げた。
「だが、夜は白哉と過ごすんだろ?」
「えっ…」
浮竹の話が図星だった
さくらは、何と返答しようかと薬袋を持ったまま固まってしまった。
「ああ、済まん。それが悪いと言ってるんじゃない。一緒に居るんだから
さくらが来てくれたら白哉も来るってことだろ?」
それで誘っているんだと、浮竹は説明を加えた。
「でも多分、白哉様は………」
「確かに。あいつはどこか義務感のある行事にしか出ないからな。だがお前となら参加すると思うんだが…」
そう言いつつも
さくらの困った様子に、やはり夫婦水入らずの時間を邪魔しちゃいかんなと浮竹は頭を掻いた。
「すみません…」
「阿散井君も
武礼も来ると言っていたし、良かったら
さくらも来てくれ。勿論、白哉とな」
「はい、浮竹隊長…」
浮竹は毎年月見に誘っているのだが、朽木が現れることは滅多にない。
更にここ数年は
さくらを妻に迎えたので一緒に過ごすと明言されて断られていた。
1
朽木は他の者との交流を好まぬわけではない。
だが六番隊副官の阿散井ですら、朽木の心情を理解しがたいようだ。
「なぁ、
武礼。隊長ってよぉ…」
それで時折、
武礼にぽつりと尋ねることがある。
「…多分、朽木隊長は―――」
どうして朽木はそういうことを言うのか
武礼が説明できるが為に、阿散井には上級貴族の思考と思われているのかもしれない。
「…そういうものかあ?」
色々考えて身動きできなくなる阿散井と反対に、即断即決して自ら決めた道を外れぬように身動きできなくなる朽木は結果的には同じ傾向があるが、思考も性格も容姿も全てに共通点が見当たらぬ為か似た者同士とは思われていない。
「あ、朽木隊長」
武礼の呼びかけに、通り過ぎようとしていた朽木が三人に気付きゆっくりと近づいてきた。
「来ていたのか…」
「お邪魔しています。お茶をお淹れいたしましょうか?」
「では、頼もう」
さくらの誘いでも朽木は残っている仕事の量によって判断する。
どうやら今日は同席できるようで朽木は
さくらの隣に腰を下ろした。
2
この中で身内でもない阿散井がそわそわするのは致し方ないのかもしれないが、
さくらと結ばれる前から関係は大きく変わっておらず益々上級貴族独特の雰囲気だと阿散井に思わせてしまうのだろう。
朽木が同席しても、
武礼は何ら遠慮ない様子で茶菓子を口にする。
といっても基本甘い物だけで、朽木も食べられそうな菓子ならまずは義兄に勧めてから手を伸ばすが。
阿散井とて仕事で朽木と二人で居るのは問題ないのだが、隊長夫妻と一緒に居るという状況には未だに慣れないらしい。
そもそも。
さくらと先に親しくなったのは自分なわけで。
部下の姉が隊長の妻という、今更敬語で話すのも微妙な距離を測りかねている。
そんなことぐらいあれこれ考えずとも良いようなものだが、阿散井は気を遣いすぎて気の利かない態度になってしまうのだ。
「そろそろ時間ですね、阿散井副隊長」
「お…おう。もうそんな時間か」
それを知ってか知らずか、
武礼は上手く立ちまわってくれるので阿散井には有り難い存在だ。
「あと少し、お仕事頑張ってね。
武礼」
仕事に戻る二人を見送った
さくらが口を閉じると、朽木と雑談をすることもないので周囲はひたすら邪魔にならぬよう物音を立てないように気を配るばかりだ。
3
「私もそろそろ仕事に戻ろう」
「はい、お帰りをお待ちしております」
僅かでも
さくらと過ごした朽木はその後、決して機嫌は悪くない。
非番の
さくらが休憩時間にたまに姿を現すだけでなく、できることなら六番隊に転隊してきてくれないものかと隊士らは思っているだろう。
だが朽木は仕事に私情を挟む男ではない。
そんな理由だと思われていることも、少し悲しいものだ。
私が側に居ては、お仕事に集中できない。
さくらには、それがわかっていた。
義妹のルキアですら、手元に置けば甘く接してしまいかねない夫だ。
だからこそ最も妹を任せられる隊長――浮竹の十三番隊に入隊させたのだろう。
4
本当は心優しく性根が真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎるのを自覚しているからこそ
鋭い刃のような冴えた情熱と花びらのように柔らかく包み込む愛情を、妻や妹に身勝手に注ぐまいと制しているだけなのに……。
誰もが真の白哉を知る機会はあるのだが、地位と家柄と端正な容姿と寡黙な性格に気後れしてつい謙(へりくだ)る。
謙って自ら白哉との間に垣根を設けているのは当の本人なのに、白哉がそうさせていると誰もが錯覚してしまうのだ。
「白哉様は、本当はお優しい…」
誰宛てともなく
さくらは呟いてみた。
かといって
呟いたところで、誰にも伝わらない。
誰も居ないからなどということではない。
伝えることなど無意味なのだ。
わかってもらう必要などない。
わかる者にわかれば、いい。
それが、白哉の心だと
そんなことまで言葉に頼らずとも
さくらには理解できているのだから。
それでも夫をわかってくれる相手とだけでも、より仲良くしてはもらえないものだろうかと、このところ
さくらは考えていた。
5
そして白哉と月見の日。
さくらは六番隊執務室に、約束の時間より随分早く現れた。
「お邪魔します、白哉様」
「
さくらか……」
死覇装姿の妻が二人っきりとはいえ執務中に自分を名前で呼んだのに少し驚いたものの、手は休むことなく筆を走らせていた。
「お仕事、区切りがつきそうですか?」
「……何故、そのようなことを訊く?」
今日の妻に些かの違和感があるのだろう。
朽木は即答しなかった。
「今夜、浮竹隊長が十三番隊でお月見を催すんです」
「…知っている」
「行きたい、な…」
「構わぬ。行ってくるが良い」
「白哉様とですよ?」
「―――…」
「だから、お仕事に区切りがつくかお尋ねしたんです」
「…既に、
武礼らが―――」
「白哉様とじゃないなら、いいんです」
「…浮竹が、待っているのだろう?」
「白哉様と一緒に来てほしいとおっしゃってましたもの。私も白哉様と行けないなら、いいんです。ご無理を言いました」
まだ時間まで随分ありますがお側にいさせてくださいと、
さくらは夫に微笑んだ。
6
あっさり浮竹の許へ行くのを諦めた妻から視線を外すと、朽木は再び書類に目を落とした。
一枚、二枚…と、静かに片づけていく。
さくらはそんな夫の執務姿を眺めていられるだけでも幸せそうに笑みを湛えている。
この後の、白哉との約束の時間までそうしているつもりだろう。
「
さくら…」
「あ、はい。白哉様?」
うっとり夫に見惚れていた
さくらは、話しかけられて背筋を伸ばし直した。
「残り三枚で区切りがつく。浮竹らの月見に参るか?」
「―――はい。はい、白哉様!」
さくらは両手を合わせると、素直に喜んでみせた。
「よお!白哉」
「隊長…?」
「…兄様」
浮竹の呼びかけに振り返ると、阿散井とルキアの目にも朽木と
さくらの姿が飛び込んで来た。
「二人共よく来てくれたな」
「
さくらが来たいと申すのでな」
そうかと頷いた浮竹は笑顔のまま、あまり騒々しくない集団の近くに二人を導いた。
滅多に二人でいる姿を目にしない者は珍しい光景に注目するが、朽木は普段同様に淡々としてみえる。
7
「おい、朽木隊長…笑ってないか?」
しかし中には朽木の表情が柔らかだと気付く者も居た。
「そう言われてみれば、そうかな…」
朽木が甘い物を好まぬのは殆どの者が知っていたが、妻には取り分けてやったり
時には
さくらがこれなら食べられる味だと勧めた物を口にする。
「…まあ。こんな時に仏頂面見せられてもな」
「普段はそうだぜ?」
「だから今だって」
こんな場に朽木が溶け込めることを知ったところで殆どの者は言葉を交わす機会などなかったが、それでも今までよりも親近感が湧いたのは確かだ。
「
さくら。これは食べたか?」
「もう食べられませんよ、浮竹隊長」
少量だがあれもこれもと勧められ、二人共小腹を満たすどころか十分食事代わりになった。
「ごちそうさまでした、浮竹隊長。楽しかったです!」
「それは良かった。じゃあ、またな」
二人が示し合わせたように別れの挨拶を済ますと、
さくらは行きましょうと白哉の踵を返させた。
8
てっきり長居すると思っていたのに、予定は狂ったが予定とほぼ変わらない時刻に六番隊に戻ると、
さくらは今夜の為に二人で選んだ着物を手に取る。
「白哉様、どうぞ」
「私は構わぬから、其方は着付けを手伝ってもらうがいい」
白哉にはもう、
さくらの意図が十分読み取れていた。
浮竹と私の、両方の顔を立てたのだ。
と……。
だが、それでいい。
白哉がそう思い、護廷十三隊での月見に参加したなら目的は達せたはずだ。
白哉は「妻が望むならば」付き合いもできると周囲には受け取られ、それはすなわち白哉本来の姿を知ってもらえたことに他ならない。
白哉を見て彼を知ってもらうのは難しくとも、自分と居る白哉を見てもらえれば本当の夫を知る機会になると、
さくらは思い立ったのだ。
「お待たせしました、白哉様」
さくらが白哉だけにしか見せたくなかった着物姿で現れると
牽星箝を外して待っていた白哉は、
さくらにしか見せぬ微笑みで迎えた。
9
二人が池のほとりまで来ると、既に舟が一艘用意されていた。
さくらが体を冷やさないようにか、掛け物も用意されている。
池の中央付近まで来ると白哉は櫂を固定したが、まだ舟が起こした波に月は揺れている。
先程までは虫の音も聞こえていたが、今の二人に届くものといえば
水の音
舟の揺れ
池に浮かぶ 月
それだけだ。
空を仰ぎ、菓子やら月見団子やらを食べて賑やかだった十三番隊とは対極のような月見だ。
だが、あの賑やかさが恋しいわけでもない。
どちらもその場に相応しい月見で、そしてどちらも味わえたことに満たされている。
二人身動(みじろ)がずに、…即ち、月を揺らさぬように留まること半刻あまり。
漸く静かに漂う月を見れた頃には肌寒くなってきており、
さくらが少しだけ腕を擦ったのを白哉は見逃さなかった。
白哉が掛け物を羽織るようにと差し出してくれる。
そうっと受け取り肩にかけたつもりでも、池の月は大きく震えた。
10
「そろそろ、邸に戻るか」
「もう少し……ここに居たいです」
「冷えてきたのではないか?」
居るのは構わぬが、体が心配だと、白哉は肩に羽織っただけの掛け物を持ち上げ、より
さくらを包み込む。
「月は…白哉様に似てます」
近くに来てくれた白哉の胸に頬ずりすると、
さくらは呟いた。
月夜に漂う 池の月のように
貴方は其処には居ない。
貴方の本当の姿は
漆黒の闇の中でも煌煌と輝く月に似ている。
到底手の届かぬところも
その冴えた美しさも………。
「白哉様…」
さくらは抱き直されるふりをして
白哉に、口付けた。
白哉は一瞬目を見開いたが、すぐに
さくらにだけ見せる笑みを浮かべて表情を和らげた。
それから二人で身を横たえた。
すると小さな舟は、かなりの揺れに感じられた。
水面(みなも)の月があれだけ揺れるのは道理だ。
さくらは舟がひっくり返りはしないかと、起きるに起きられなくなった。
「大丈夫だ」
強張った妻の体に気持ちを悟ったのか、白哉は穏やかに告げた。
しかも舟底の感触が
さくらに伝わらぬように、白哉は庇ってくれている。
11
「…ごめんなさい」
「何がだ」
「今日の私。少し…変ですよね」
さくらは今になって、自分のしたことが――
浮竹の月見に白哉を誘ったことも
先程帰宅を拒んだことも
胸に甘え、更には口付けたことも
こうして舟に身を横たえたことも―――
急に滑稽に思えてきた。
「月が満ちる際は心騒ぐと申すからな」
月明かりを浴びて白哉の薄い唇が柔らかく弧を描く。
「今夜は、満月じゃありませんよ?」
さくらの言葉に白哉は知っていると、そっと唇に触れる。
「では私の心を騒がせるものは月ではなく
さくら、其方か―――」
触れた指先が
さくらの唇をなぞり、開かせていく。
本当は、わかっていた。
夫の優しさを知ってほしくて十三番隊に出向いたのに、白哉に見惚れた女性隊士らに嫉妬した。
白哉を取られたくないと
あの時も今も
白哉は自分しか見ていないとわかっていても
あんなお膳立てをした、自分が腹立たしくて―――。
「白哉様…」
「冷えてきたならばすぐに申せ…」
さくらの唇は徐々に、白哉の顔の真上に導かれていった。
月夜に漂う 月のように
貴方の腕の中
ゆらゆらと揺れながら
漆黒の闇に浮かぶ 月のように
今宵も 貴方に
満たされる。
fin*
************************************************今回は
さくら様がちょっと意気込んでみたものの空回りしてしまうお話です。
何をしたかったのかよくわからなくなるのも可愛いかと思ったのと、もしかしたら朽木隊長と初の…になったかもしれません。(〃д〃)
風ゴテなので続きは
さくら様のご想像にお任せします(笑)。
明日は満月。来年から3年間は十五夜と満月が一致するそうですが、今年まではずれているそうです。
ずれているほうがいいのか、一致しているほうがいいのか…
いずれにしても月には変わりありませんよね。
今宵も素敵な夜をお過ごしください。
2010.9.22
朽木隊長 風⋆花⋆雪⋆月