朽木が隊首業務を終えた時には、そろそろ約束の時間だった。
「失礼致します」
武礼が執務室に顔を出す。
「今しがた終えたところだ。すぐ向かうと
さくらに伝えよ」
武礼が
さくらを待たせたくなくて現れたと思ったらしい。
「いえ。お夕食の件で参りました」
「時間だ」
朽木は軽く断ると、隊首羽織を翻して部屋を出ようとした。
「お体に障ります」
「約束を違えるわけにはいかぬ」
足早に進む廊下で二人は問答を続ける。
1
「朽木隊長」
さくらは六番隊隊隊舎前ではなく庭で待っていた。
姉と顔を合わせてしまっては、朽木が頑として夕食をとるはずもなく、弟は諦め顔だ。
「待たせたか」
「いいえ」
さくらの瞳が艶やかに微笑む。
ふと、
武礼は先程まで姉の手の内になかった包みを見つけた。
小さな二つの水筒を紐で繋ぎ、手首から提げてもいる。
「行ってきます」
さくらが悪戯っぽく言った。
軽く手を振って返事し、隊長と姉が闇に紛れてしまうと、
武礼は深く嘆息した。
2
切り株などがあれば一番良かったが、そうそう大木を切り倒す機会もないものだ。
況して桜の木となれば伐採するほうがおろかと言うもの。
他に腰を下ろすのに適したものとしては小川近くの、恐らくは景観上人為的に運ばれた石ぐらいだった。
まだ蛍の群棲する場所まではいくらか距離がある。
しかし清涼感のある着物姿の
さくらはまず、その石の端に腰を下ろした。
歩き疲れたのかと思い、白哉も傍らに寄り添った。
さくらはにこにこと白哉が隣に座るのを待っている。
長居になるのかと、隊首羽織のままの白哉も仕方なく腰を下ろした。
3
さくらは腰掛けた白哉と一度目を合わせ、男が先を急がないようにその眼差しで惹き止める。
周囲からは、愛を語らう二人にでも見えるだろう。
内心、白哉も告白を煽られているのではと思ったぐらいだ。
ひんやりした石に腰を落ち着かせた白哉は
さくらと同じく姿勢を正している。
二人の間に水筒を置いた。
喉が渇いておったのか。
白哉は
さくらの所作をそう見てとった。
4
膝に置いていた包みを
さくらは解く。
解くと同時に白哉の鼻腔に、知った臭いが届いた。
それは…
言葉にしなかったが、白哉の表情には十分驚きが表れていた。
さくらはそれに初めて気付いたかのように平然と
「蛍見と申しますから、お弁当でもと」
にこやかに笑ってみせる。
空腹でいたたまれないわけではない。ただ健康上多少の穀物を摂取すべきだとは思う。
白哉のその気持ちに見合う量の、小さな弁当だった。
しかし白哉は待ってましたとばかりに口にするような男ではない。
5
「お召し上がりになりませんか?」
「………」
厚意は十分にありがたかった。
しかし一旦
武礼の前で突っぱねた夕食を自分が口にしたことが後でこの姉の口から語られるのは自分のプライドが許さない。
「六番隊のお膳をひとつ台無しにしてしまいましたか」
さくらはもう、取り返しのつかない事だと残念がる。
上手かった。流石は四番隊とでも言うべきか。
隊長の卯ノ花の如くやんわりとした物の言いで白哉をその気にさせる。
折角だからとか棄てるぐらいであればとかの言い訳は必要なかった。
白い両手で差し出された小さな包みを、黙って白哉は受け取った。
6
蓋代わりの大きな葉を開く。
白米の塊 にしか見えない。
楊枝を刺してひとつを手に取ると、すし飯のような飯の上に煮魚のほぐし身と思われるものが乗せられ、更に上から少な目の飯を載せて押し寿司のようになっていた。
かじきの煮たものらしい。そのほかに砕いた梅干と、蓮根と絹さやの煮物を薄切りにしたもの、きゅうりと人参とわかめの酢の物もあった。
はさめそうなものを全部口当たりの良い形にして作られていた。
さくらの一口に値する大きさのそれは摘むには程よかった。
7
「お水でよろしければこれを」
さくらは水筒を差し出した。
「生憎汁物もお茶も携えること叶いませんでしたが」
「……茶は、其方の淹れたものが一番だ」
そう言って、白哉は
さくらの機知を全て口に運んだ。
8
蛍の飛び交う川縁。
それは春の演舞会のすぐ近くであった。
四番隊ならホタルカズラが照らす天井灯の手入れをしたことはある。
さくらもまた、名前からしてそういう光を想像していた。
だから鼻先を通り過ぎた瞬きぐらいのものを、最初は気の所為だと思っていた。
幻ではない。
そう知ったのは、群棲する蛍達に目を見張った後だった。
その輝きは真に美しく、派手さはないがどこか温かみのある瞬きに
さくらは暫し見惚れた。
9
その中のひとつ ふたつが
さくらの周囲にもふわりふうわり足元のおぼつかない子供のように時折訪れるのだ。
ひとつずつの蛍は弱弱しい瞬きで今にも消えそうである。
それがどうだろう。
数百匹の群棲となると、あれほどに明るく、楽を奏でるかのように瞬き、
さくらの心を浮き立たせるのだ。
さくらは小さなその光を指先で手のひらで追いかけ、包み込むかのように蛍の周りを自分が飛び回った。
可愛い 愛らしい
小さい 光
「蛍って、何を食べるのでしょうね」
朽木が知っているとも思えず、話題として
さくらは呟いた。
10
「成虫になってからは何も」
さくらは朽木の返答に驚いた。
答えられたこと自体と、その内容のどちらにもだ。
「蛍って…何も食べないのですか」
弾んでいた足を止めた。
「然様」
白哉は淡々と語る。
「水だけを糧に二週間ほど生きる」
二週間という時間に、
さくらは絶句した。
二週間生きるという事は、二週間後には死ぬという事だ。
尸魂界で最も寿命が長いのが自分達であると知っていても、やはり蛍の二週間はあまりにも儚すぎた。
11
さくらの顔から笑みが失せる。
白哉も余計だったと省みたが遅かった。
だから、
さくらは生き物を飼うことを許されないのだ。
自分よりも遥かに短命な動物が先に死ぬのは当然の理。
その時
さくらが耐えられるはずもなく、立ち直るのに長い時間を要すると、誰もが感じるから。
12
「
さくら」
その場で動かなくなった女に、口調は変えずに語りかける。
「蛍が何の為に光り飛ぶか知っておるか?」
さくらは小さくいいえと答えた。
13
「子孫を残すため」
「―――」
「ただそれだけの為に、今 光り飛んでおる」
「………」
「蛍の心など、私にはわからぬ」
蛍に心があるのかどうかもなと付け加える。
「だが精一杯、子孫(のち)の命を育もうとする」
「人と何ら変わらぬ」
14
手厳しいようだがと断ったうえで
「二週間が短いと思うのは、其方の驕りであろう」
と白哉は告げた。
「おっしゃる通りでございます」
さくらは大きく項垂れた。
「私は蛍も同じ時間を生きてこそ幸せだと、驕り高ぶっておりました」
白哉は独り苦笑したが、うつむいていた
さくらは知らなかった。
15
「成程―――――…
命の長さが違えば儚き側を哀れむもの」
ゆっくりと白哉は
さくらの許へ歩み寄る。
「それでこそ人かも知れぬ」
「朽木隊長?」
自分に同意を示す男の意図が、
さくらにはわからない。
「私もまた、愛しき者とならば同じ時間を生きてこそ幸せだと」
白哉は
さくらの真正面で、漸く足を止めた。
「思い、願う」
なんとなく、白哉の想いは
さくらにも伝わってきた。
16
「
さくら」
上官としてではなく、男の声で語りかける白哉。
「私は其方を朽木家に迎えたい」
今、
さくらは求婚されていると分かっていた。だが遠まわしなこの申し出ならば、まだ断りを告げられる言い方だ。
「お申し出は大変嬉しいのですが」
いつもの口上を述べる。
「家の者が何と申しますやら……」
父や
武礼の居ない場所でこのようなことを告げられても、
さくらに返事をすることはできない。
「其方のお父上になら許しを貰っている」
白哉は年末のやりとりを持ち出した。
さくらの反応は ない。
17
ようやく、唇が微かに動いた。
と思った瞬間
「――――え…
ええっ!!?」
いつ?いつの間に???と、
さくらは大きく首を傾げて驚いた。
ずいずいと白哉に近づき、大変動揺しているのは途端に幼くなったその表情が語っている。
18
「
さくら」
まずは落ち着けと諭し、
紫がかった瞳が
さくらを捉える。
暫くうろたえていた
さくらも、白哉のさらりとした表情に「否、自分の聞き間違いでは?」と思い直した。
冗談だと思っている。
さくらが冷静さを取り戻したものの、自分の本意を解していないのは見て取れた。
「
天宝院さくら。
私は其方を好いておる」
白哉はもう一度言い回しを変えて気持ちを伝えた。
「私の妻になってもらいたい」
これは求婚だとはっきりと、わかったはずだ。
19
さくらも白哉も表情は変わらなかった。
ただただ、
さくらも男を見つめている。
並の男ならば
さくらの動かぬ眼差しに動揺もするところだろうが、四大貴族の一である朽木白哉はそのような感情を一切、おくびにも出さなかった。
「返事を―――
今、もらえるか?」
さくらは自分の言葉を理解している。そう白哉は十分感じ取れた時、
さくらを促した。
20
「父が了承したのならば、喜んでお受け致します」
さくらは白哉の“求婚する許可をもらった”という言葉を“結婚を許可された”と誤解していた。
さくらの返答を聞いた白哉はそれに気付いたが、敢えて正さなかった。
いくら家族が同意したとはいえ、嫌いな男にそうそう素直な表情でまっすぐに姿勢を正して返事するとは思えない。
それにこの女は一度約束したことを違えることはない。
「其方は私と縁を結んで良いのだな」
たとえ誤解して承諾したと気付いても、自分が一旦発した言葉の責任を取るだろう。
「はい」
さくらは、そういう女だった。
→Writer's notE→→
************************************************すいません、何だか朽木隊長の詐欺のようなプロポーズを
さくら様に受けさせてしまいました。
申し訳ないので、とっととその後の話にいきます。
また長いですが、お付き合い下さい。
朽木隊長 風⋆花⋆雪⋆月