「現世に向かった井上織姫が消えた…」
浮竹の短い説明で、おおよその事態は把握できた。
「その…織姫ちゃんが消えたって、一体……?」
「歩きながら話そう」
心情を伺おうと京楽が歩み寄るものの、浮竹は既に踵を返していた。
「しょうがないね。七緒ちゃん、悪いけど…」
「はい、行ってらっしゃいませ」
八番隊(ココ)でこれ以上経緯を語れないのも当然だと、京楽は浮竹と並んで一番隊へと向かった。
「一月ほど前より十三番隊に滞在していた井上織姫が本日現世に戻ろうとしたところ消息を絶った。それが今回の案件じゃ」
「消息を絶った…?」
「やれやれ。そんなことで私は呼び出されたのかネ?」
浮竹が気落ちするのはわかるとしても、たかが人間一人居なくなって隊首会が開かれるのは腑に落ちない。
京楽が道すがら簡単に聞いた浮竹の状況説明ですら長いと渋い顔をする隊長が大半で、同行した隊士が無事だったのだから人間の心配をすることではない。
それも隊長が……といったところだろう。
1
「それが、隊首会を開くほど重要なことだって言うのか?」
案の定、更木が単刀直入に山本に尋ねた。
「その説明は卯ノ花隊長に願おう」
「卯ノ花、隊長に?」
何故ここで卯ノ花の名前が出てくるのか誰もがわからず、皆の注目の集まった卯ノ花はゆっくりと口を開いた。
「前回の旅禍騒動の一件で、井上織姫に治癒能力があることは皆さんご存知かと思います。しかし彼女の能力は治癒という表現は正しくありません…」
「確かに、盾のようなものを使用して防御していたネ…」
涅は別件で多忙だったうえに時間も経っており、些か興味は薄れていたが初めて井上と接触した日を思い出したようだ。
「彼女の武器…というのが正しいかどうかはわかりませんが、武器よりも重要なのは彼女の能力は治癒ではないということです」
「じゃあ何だってんだ?」
更木が再びぶっきらぼうに尋ねた。
「物質を元の状態に戻すというような能力で、しかもそれは私達の知識で説明できるものではありません」
「ホホゥ…?」
「フン、それは誰もあの女の能力を知らねえってだけのことだろ?」
「更木隊長。聞いていなかったのかネ?あの人間は、現世は勿論尸魂界での事象にも当てはまらない力を使えると言ってるんだヨ」
更木とは違い、伊達に卯ノ花が説明しているわけではないことを涅は理解できていた。
2
「物質を元の状態に戻す。つまり、それって…その……?」
更木ほど理解できていないわけでも涅ほど理解できたわけでもない京楽が、控えめに更なる説明を求める。
「単純な表現をすれば治癒には限界もありますが、井上織姫の能力は私達が想定し得る限界を越えることができるのです。しかも治癒以外にも応用できる可能性を秘めていると思われます」
「治癒に長け、その能力は治癒に限らない……。つまり井上織姫を藍染が味方につければ、どんな戦闘も恐れる必要はないということか」
更木でも理解できるように、尚且つ興味を持てるように狛村が解釈をする。
「漸く事態の深刻さが理解できたかの?」
てっきり人のいい浮竹が井上を預かっているだけだと思っていたが、意図的に彼女を保護し監視下に置いていたというのだろうか。
京楽は斜め前の親友を窺うが、浮竹の本心は読み取れなかった。
「…断界内に出現した破面に単に殺害されたという可能性はないのですか?」
普段隊首会の席で滅多に口を開かぬ朽木が根本的な部分を問う。
「現在、裏挺隊が調査中だ」
まず砕蜂が現状を述べ、それから浮竹が答えた。
「確かにその可能性はある。だが俺が護衛につけた二人のうち一人は負傷した隊士を目撃し、本人も瞬時に殺された…殺されて当然の傷を負ったはずだと証言している。だが二人の意識が戻った際にはどこにも傷はなかったそうだ。
このことからしても、井上織姫が生存している可能性は高い。少なくとも隊士二人を治療するだけの猶予はあったはずだ…」
3
「それじゃあ…今からボク達で、その連れ去られたお姫様を助けに行こう。と?」
京楽が両手を広げて隊長が呼び出された結論はこうかと尋ねた。
「いいや。破面が井上織姫を攫ったのは、単に黒崎一護と戦う際の人質としたかっただけかもしれん」
「では藍染は、彼女の能力を知らない可能性もあるという訳ですか」
狛村の確認に山本はそのとおりじゃと頷いた。
「藍染が井上織姫を黒崎一護の足手まといになるように拉致したのならば、事を荒立てぬほうがよい」
山本の口調と長年の付き合いから大方を悟った京楽は、わざと大げさに問うてみせた。
「だったら、どうして隊首会なんて開くんです?こんな状況説明だけならそれこそ裏挺隊、いいや地獄蝶でも十分でしょう」
「藍染が井上織姫の能力を承知のうえ拉致したならば何としてでも我々が奪還せねばならぬからじゃ」
「奪還たって……」
「今は虚圏に行く手段がないのでの…」
「それじゃあお手上げじゃないの」
「ヤレヤレ…。結局、それだけの話に私は多忙極まる最中に呼び出されたというのかネ!?」
山本と京楽のやりとりに、涅はいい加減にしてくれ給えと言わんばかりだった。
4
「こちらから虚圏に行くことは叶わぬが、藍染らは容易くこちらに潜入できる。即ち今回の案件が護廷十三隊にとって甚大ではないと思わせておかねばならぬ、ということじゃ」
「だったら!尚更隊首会など開かぬほうが良かったのではないかネ?」
「…では我々が、藍染側についたとして井上織姫を敵視し隊首会を開いたとしたらどうじゃ?」
「井上織姫が―――裏切り? …莫迦な!」
涅のみならず浮竹も驚きのあまり声が大きくなった。
「…成程。これは元々旅禍であった彼女を藍染惣右介諸共敵とみなしたと結論付ける為の隊首会だったと、隊士達に説明するということですね?」
聡明な卯ノ花は今までの山本の話を総合して、皆にわかるように告げた。
「まどろっこしいねえ…」
漸く隊長らに山本の意思が伝わると、今度は皆の気持ちを代弁し京楽が呟く。
「全員…ということは、現世に派遣されている日番谷隊長にも伝えねばなりませんね…」
狛村がこの場に居ない日番谷への連絡を確認すると、浮竹が申し出た。
「日番谷隊長率いる先遣隊と一護君には、俺から話す」
「話すって…事実を?」
「ああ。事実を、だ」
本当に浮竹に話せるのか、京楽は些か気がかりだった。
勿論浮竹とて言わねばならないことも言えないようでは隊長が務まるはずもなく、そのようなことを危惧しているのではない。
護廷十三隊の者だけでなく死神代行である黒崎一護を前に"事実"を上手く告げられるかどうか……
これは、誰が伝えたとて難しいことに変わりはない。
5
「尚、裏挺隊の調査で今後何か判明しようとも想定しうる範囲内の場合、招集はかけぬ。いつものようにな……。
では本日はこれにて解散する」
山本の最後の言葉に扉が開かれ、結界は解かれた。
結界は虚圏に去りし藍染に隊首会以外を全て見聞きされてもこちらの動向を掴ませない、または藍染の息のかかった者が護廷十三隊の動向を探るのを阻止する為に取られた措置だ。
それ自体を悟られぬよう遠隔からの鬼道衆による手間のかかる結界だが、もはや瀞霊廷を護る防御壁などあって無いものと考えたほうがいい。
現に破面はいとも容易く断界内に出入りしたのだ。
「あー。やっと終わった」
京楽が大げさに伸びをすると、浮竹は押し殺すように少しだけ笑ってみせた。
無理にでも笑ってくれた浮竹に、京楽は安堵した。
隊長である日番谷ならばともかく、黒崎一護は勿論他の死神らが護廷十三隊を…井上織姫を裏切り者と判断した隊長らをどう思うか、容易く想像はつく。
山本に任せておいて何の問題もない内容だ。
そこを敢えて浮竹が説明するということは、浮竹に自覚があるかどうかわからないが上手くすれば真実味を増す。
いつも浮竹は損な役回りを買って出る。
でも決してそれを辛いとも言わないでやり遂げるのだ。
それはまるで―――――。
6
「京楽?」
少し歩みの遅くなった京楽に、浮竹が振り返った。
「ああ…浮竹。先、帰ってて」
京楽の胸中を過ぎった想いが錯覚させたのかとも思ったが、近くに
さくらの微かな霊圧を感じた。
それは霊圧というより風に揺らされ漂ってきた、花の香のような気配だった。
京楽の表情に、浮竹も心配することではないと悟ったのだろう。手を振る親友に見送られ、一番隊を去って行った。
浮竹が見えなくなると、京楽は再び隊首会の場へ足を向けた。
この時期に
さくらが山本の下を訪れるということは、双極の完成報告に間違いない。
偶然を装いたかったが、ふらりと一番隊に来る用事があるわけでもなく、
さくらが出てくるのを素直に待つことにした。
思えば
さくら達が双極の任務を下された時、待機していた第一側近室は副隊長ですら滅多に指定される場所ではない。
…いいや。本来第一側近室とは、
さくら達のように公に官位を持たずとも護廷十三隊に無くてはならない者の為の待機所だったという訳だ。
死神代行黒崎一護の出現に始まり、藍染・市丸・東仙の謀反―――――――
――――――――――――
――――…いいや。これも間違いだ。
始まりはやはり藍染からだった…の、だろう………。
7
京楽が悔やんでも、悔やみきれない 過去。
八番隊副官だった 矢胴丸リサ。
あれからボクは
随分と臆病になった……。
以来滅多に人の世話を焼くこともなく
面倒だとぐうたらを装って
良かれと思うことも口にせず行動せず
逃げて…ばかり、いた。
だからといって実戦で後れを取るほど怠けてはいない。
怠けていたのは気持ちだけだと自負していたが、気持ちで既に藍染に負けていた。
藍染と、同じ目を…
娘の事になれば双極で見せた藍染と同じ表情に変わる、
鏡月ほどの本気を見せなければ
藍染と、同じ力を…
誰かの為に何の躊躇いもなく己の全てを注いでしまう、
さくらほど純粋でなければ
藍染に、負ける。
勝つことができないのではない。
負けるのだ。
百戦錬磨と謳われた自分が鍛錬を怠らなければ、負けることはないと信じていた。
寧ろその強さに気付かれないよう、怠惰を装い誇り高い己を隠していた。
それが粋だと
どこかで格好つけていた。
8
背負うものは違えど
護りたいものは
鏡月と同じだ。
立場は違えど
望む世界は
さくらと同じなのだ。
それに真正面から向かい合えないのは隊長の体裁を崩さぬ為と言い訳していた格好悪い自分を、
さくらには気付かれていない。
だがそれは
さくらが愚かだからではない。
全ての事態をありのままに受け止め、当たり前のように己の使命を貫く
さくらに
京楽の些細なプライドなど目に映ることはないのだ。
渡殿の柵に凭れ、京楽は空を仰いだ。
風が、束ねた髪を揺らし、頬を撫ぜる。
この風に微かでも花の香りが漂えば
さくらが、現れる―――。
「……春…水、さん?」
思った通り花の香りが鼻をくすぐった直後、少し驚いた
さくらの声がした。
9
さくらは
武礼の後ろで立ちつくしていたが
仕事の途中で抜けて来た
武礼は、緊急隊首会が開かれていたことも知っていたのかもしれない。
「
さくら姉。俺、隊に戻るから」
だから京楽が待っていたことにも驚きはなかったのか、軽く会釈をすると京楽の前を通り過ぎて六番隊へと戻って行った。
遅れて、
さくらが京楽に歩み寄る。
恐らく今日護廷十三隊に来たことを言うつもりもなかったのだろう。
少し申し訳なさそうに俯いていた。
「山じいに、報告に来たの?」
「はい。双極の完成日時が確定しましたので」
「そう、御苦労だったね……」
京楽が手を差し出すと、
さくらは素直に近寄った。
以前ならば非番の
さくらと仕事中に話すことすら拒まれていたが、一番隊の隊舎内であるにもかかわらず京楽が手を繋いでも
さくらは大人しくしていた。
「この後、どうするの?一人で帰るの?」
「はい。…あ、
ツバメと一緒にですけどね」
上級貴族のお姫様だった
さくらは、護衛や供と一緒でも一人だと言ってしまう癖がある。
「それじゃあ、ボク…」
「春水さんはお仕事なさってくださいね?」
送って行こうと言う前に、釘を刺された。
さくらは、夫が仕事をサボれなくて苦笑したと思っただろう。
隊首羽織姿で護廷十三隊の、それも一番隊の敷地内で「春水さん」とすらりと言う
さくらに、随分と名前で呼び慣れたものだと京楽は堪えた笑みが零れたのだが。
ひとしきり名残惜しげに
さくらを構うと、死覇装姿の背中を見送った。
10
「お供は
ツバメか…」
伊勢に隊首会の内容も、
さくらについて行く連絡もせずに護廷十三隊を離れれば文句を言われるのは明らかだが、妻の後を追うことにした。
やはり井上の扱いが気の進まない決定だったのだろう。
さくらに触れて、伊勢に叱られて、その沈んだ気分を紛らわしたかった。
さくらにはすぐに追いついた。
だが真っすぐ帰宅する様子はなく、わざと店の多い道を通っている。
ツバメと甘味でも食べて帰るつもりかと眺めていると、どうやらそうではないらしい。食べ物以外の店の前で足を止めている。
「―――?」
「………」時折、相談もしているようだ。
さくらは自分の買い物の時は、どちらかというと
アヤメを連れていく。
今回は恐らく誰かに贈りたい物を選んでいるのだろう。
「ボクの物、かな…?」
だとしたら、気付かれたと知った
さくらはがっかりするだろう。
こんな時、男ならば通常そっと踵を返すものだ。
しかし京楽はわざと見つかるように努めた。ただし自分の姿を曝すのは侍女だけだ。
「――なんて、どうかしら?」
「そうですね…」首を捻って思案する
ツバメの目線の先に立つ。
「―――――…」
ツバメはすぐに気付いたが、ばつの悪そうな顔はしなかった。
つまりそれは京楽に知れて困るような物を選んでいたわけではない、ということだ。
夫に気付いていない
さくらに促されるように、
ツバメは京楽から静かに視線を逸らした。
11
「ただいま。遅くなってご免よ…」
「お帰りなさいまし。本日は遅くまでお疲れ様でした」
あれから八番隊に帰舎し、当然連絡もなく姿を消した春水は伊勢にお叱りを受けたが、そんなこととは露とも知らない
さくらは夫をにこやかに迎えた。
傍らには
アヤメだけで、
ツバメの姿はない。
もしかしたら既に春水が買い物姿を目撃したことを
ツバメが話しているかもしれない。少なくとも
アヤメには…だ。
そう考えた春水は
さくらにも侍女にも差し障りないように上手く質問した。
「
さくらちゃん、あれから真っすぐ帰ったの?」
「…いいえ。今度ご実家にお伺いする時に、お渡ししたいものがあって……」
街中で
ツバメが見せた表情と同じく、
さくらもまた驚くことも困惑することもなくすんなり答えてくれた。
「そう。何、買ってきたの?」
隊首羽織で手の塞がった
さくらの肩を、抱き寄せる。
「今日は、思うような物を見つけられなかったんです…」
「じゃあ今度、一緒に探そうか?」
「…はい。お願いします」
実家に行く時の手土産だったかと、春水は気軽に買い物に付き合う約束をする。
12
「それでは春水さん、明日…」
「ああ、そうだ…。ご免よ、明日はちょっと仕事でもしようかなーって気分になって…」
「…然様ですか」
さくらは井上が破面に拉致されたことも、現世との連絡が取れなくなっていることも知らない。
さくらは何も、知らなくていい―――
そう考えた瞬間、自分は何を知っているのだろうとまた余計なことが頭を過ぎる。
井上が姿を消した本当の理由も
藍染が王の座を狙う意味も知らず。
それどころか、
鏡月の穏やかな眼差しの深意も
師匠が
さくらの傍らに居る真意も
今まで、知ろうともせず……。
これだから自分は
さくらに劣るのだと、隊首羽織を手に背中を向けた妻を眺めた。
この時、いくら春水が思慮深かろうとも藍染との戦いに関わること以外に―――
そう…
さくらの女性らしい気持ちにまで、頭は回らなかった。
fin*
************************************************久しぶりに*印なタイトルにしました。
なんとなく京楽隊長のお話はこうして二つ並べてみたくなるのです。
今まで双極とか藍染様ばかり焦点が行っていたのですが、次回はそろそろ新しい展開を見せたいところです。
原作に従えば京楽隊長がもうすぐ現世に行ってしまって、暫くお別れですしね。(゚ー゚;
ご訪問ありがとうございました。
2010.06.23
京楽隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月