舞の師匠であり
さくらの叔父である
伯楽から可能な限りの情報を聞き出せた春水を悩ますものは、もう藍染以外にはなくなっていた。
そう…
さくらのことで何も心配することは無い。
藍染さえ倒せば、問題はないのだ。
それが最も困難だということは考えないでいられた。
考えないでいられたというよりは春水らが藍染を倒せなければ
さくらがあの男に立ち向かうことになるという話に、そこまで考える余地がなかったのだ。
「
天宝院家が斬魄刀製作を担うのは、仮の姿だったんですね…」
鏡月が決して口にしなかった事実をひょうひょうと語った
弦昇を見上げ、精一杯春水は強がってみせた。
「そうよの。護王宝音の主は天支光輪の主が不在の間、これを管理するのが最大の勤めじゃからのう」
代々受け継がれてきた護王宝音に対し、
弦昇が差し出してみせた天支光輪には主の不在期間がある。
それが意味することは、既に春水も教えられている。
1
「じゃから、いくら藍染が強かろうとも心配はない」
尸魂界からすれば一刀の主を失うのみであろうが、
天宝院家と春水にとっては藍染を倒す代償はあまりにも大きい。
「……………」
自分の横顔を見詰め続ける春水の考えていることは、
伯楽にもわかっていたのだろう。
「無論、儂が先に出る。それでも勝てぬ場合は……じゃ」
「天支光輪も、万能ではないのです…か」
さくらが戦わずとも何とかならないのか。
最もそうせねばならない己の立場を棚上げした心を
弦昇に見透かされ、春水は皮肉るようなことしか言い返せない。
「天支光輪は万能かもしれぬが、代償がないとは言えぬ…」
腰掛けた春水を見下ろし、済まなさそうに答える。
弦昇だけでなく
鏡月も、そして母も弟も相当な覚悟の上で藍染との決戦を迎えようとしているはずなのに。
寧ろ春水が「同じ隊長格の者を何故倒せぬ」となじられても仕方ない状況で、彼らは陰で支えてくれているのだ。
誰もが
さくらの力に頼らず決着をつけたい戦いであることはわかっているのに、大人気なかったと春水は目を伏せた。
「すみませんでした…。その、偉そうなことを言ってしまって……」
春水が萎れて謝ると
弦昇は軽く笑ってあしらい、それから漸く春水の隣に腰を降ろした。
2
「…何時からなんですか?それだけのお覚悟をされていたのは…。天支光輪の主と認められた時、ですか……?」
さくらもまた、そうなのだろうかと思いを巡らせる。
「…さあ、の。いつ覚悟をしたのやら……。春水殿は覚えておいでかの?」
弦昇は話をはぐらかすかのように逆に問うてくるが、こういう物言いをする相手だということは春水ももうわかっていた。
弦昇の中では話は繋がっているのであろう。
「…昔、十三の貴族が王から尸魂界ならびに現世の守護を仰せつかったそうじゃ。それが十になり五に減り今では四大貴族となってしもうたが、血筋を超えて受け継がれておる……」
即ちそれが護廷十三隊だと言われているのは聡い春水にはすぐに理解できた。
「…幸いなことに、我ら
天宝院家が活躍する時代はそう無うてのう。こうして天支光輪の主となろうとも、大抵は他の貴族
(もの)らと変わらぬ生活を送るものじゃ」
片目を瞑ってみせる
弦昇は、護廷十三隊を頼りにしているぞと語っている。
確かに、そうありたかった。
護廷十三隊から出した謀反者を自分達の手で片付けるのが理想だ。
春水が隊と藍染のことを考えていたのに対し、
弦昇は昔の思い出に浸っていたようだ。
「
さくらが天支光輪(刀)の主に選ばれし時、儂は平穏な時代が続く兆しじゃと思うた」
我が子のように愛しい姪との絆に喜んだ日を語りだした。
3
「少なくとも儂が天支光輪
(こやつ)と護った世を、次の世代に繋いでくれるのが
さくらじゃと思うておった……」
僅かに顔を背けられた為、春水には
伯楽の表情は伺えなくなった。
「もし…儂が春水殿ぐらいの年齢
(とき)に藍染が現れたならば、お主の憂いを払拭できたのじゃがの…」
だが顔を見る必要などないほど、その言葉で彼が言いたいことは十二分に伝わってくる。
「あなたのお気持ちが本当なら、結果はついて来るでしょう…」
齢
(よわい)を理由にする
弦昇を、春水は責めたつもりはない。
「儂が―――お主よりも
さくらを愛しんでおらぬと、思うか?」
しかしそれをどう受け止めたかは春水にはわからないが、
弦昇の声は怒っているようにも聞こえた。
4
「
さくらは儂の子ではない。じゃからと言うて兄よりもお主よりも愛しておらぬと思う…か?」
それから
ゆっくりと、春水に振り向いた。
春水は
初めて 見た。
伯楽の…
天宝院弦昇の
笑っていない顔を。
鏡月のように射る眼差しではなかったが、その眼に呑まれてしまうのではないかと春水には感じられた。
「全力を尽くす」
瞬きひとつせずにそう告げられた時 春水は
敵わないと思った。
己のことなど微塵も省みず“
さくらが春水の許に居られるよう”全力を尽くすと誓う男に
どれほど妻を愛していると言おうとも
この男の“
さくらの幸せだけを願う”心には敵わない、と思った。
甘かった。
自分はまだまだ甘かったと痛感した。
本気で藍染と戦うつもりでいても
鏡月の言葉に本気になったつもりでも
伯楽に本気で向き合って尚
甘かった。
弦昇の本気とは比べ物にならない己の甘さに
春水はどのくらいそうしていただろうか。
不自然な長い沈黙を取り繕うこともできないまま
弦昇と向かい合っていた。
5
夕陽に染まり始めた空と
伯楽に帰宅を促されて、春水は漸く腰を上げた。
別れの言葉を告げようと向き直った時の
伯楽は普段どおりで、何の陰りも見えなかった。
それどころかとっておきの話を聞かせるように
「春水殿。双極はもうすぐ完成する」と告げられた。
「え?でも、年内って…」
双極のことなどすっかり意識の外だった春水は、素で驚いた。
「年内は年内じゃろう?しかし総隊長には、内緒じゃぞ?」
笑みを浮かべ、
伯楽は人差し指を口許に持っていく。
「完成してから山じいに報告するんですね」
「いいや。春水殿に先に教えたことは内緒じゃ。ああ見えて総隊長は拗ねやすい方じゃからのう」
山本が拗ねると表現できるのは一番隊の隊士だったからか、若しくは年季の違いであろうか。
この男が若かりし頃は自分以上に山本の手を焼かせていたかもしれないと、春水はこの時ふと思った。
6
「ほれ、お迎えじゃ」
「お迎え……?」
伯楽の視線に促されるままに振り返ると、
さくらがこちらへ向かってきているのが見えた。
「
さくらちゃん?」
どうして此処に…と今一度
伯楽を見れば、
さくらと視線を合わせたまま
伯楽の唇は「舞の稽古をしとったお主のお迎えじゃ」と動いた。
「師匠…」
始終春水と共に居た
伯楽が、何時
さくらに連絡したのか。
疑問は尽きなかったが既に
さくらに聞かれる距離であり問うことはできなかった。
「春水さ~ん。お迎えにあがりましたよぉーっ」
困惑気味の夫の気持ちを和らげる為か、
さくらにしては大きな声をかけてきた。
「お休みの日に、お疲れさまでした」
さくらは疑うことなく、舞の稽古をしていたことになっている春水を労う。
それから稽古が終わってから教えてくれた師匠に、少しだけ文句を言った。
「でも春水さんがお稽古されるなら、私も一緒にしたかったです」
「無理して都合を合わせんでも。互いの上達ぶりを披露するのも励みになるじゃろう」
上手く宥める
伯楽に
さくらも素直に頷いてみせた。
7
それでは失礼しますと師匠におじぎをすると、
さくらは自分から手を繋いできた。
「うふふ、嬉しいです」
まだ
伯楽が見送る中、
さくらは春水に喜びを露わにしてみせる。
「でも無理はなさらないでくださいね?」
「
さくらちゃんこそ…」
春水はこのところ、
さくらが急に近くなったように感じている。
近くというよりも己と同化するかのような感覚。
それは夫婦になれば当然訪れる日なのか、それとも趣味を受け入れてくれた自分に対し
さくらが心を開いたのか、理由は定かではない。
「双極、もうすぐ完成するんだってね」
「…師匠、春水さんに教えちゃったんですか?」
折角春水さんを驚かせようと思ってたのに…と
さくらは少し悔しがってみせた。
「…キミはいつも、ボクの想像の域を超えてる」
そう言って抱きしめる春水の腕の中、
さくらは街中だと赤くなった。
それでも頬は夕日にも染められていて、道行く者に見られても気付かれはしないだろう。
「ボクを、置いてかないでよ」
「…置いてくって、何処へですか。春水さんがこうして傍にいてくださるのに…」
いつもの夫独特の甘えだと、
さくらは思ったようだ。
8
「あ。師匠、厳しかったですか?でも大丈夫ですよ。春水さんは十分存在感ありますから」
朗らかな
伯楽だが、実際は稽古に手を抜くことはない。だから春水が根を上げたのだと思い、
さくらは宥めようとした。
「そうだね……」
春水が一人で帰っていては、
さくらの運命を知ってしまったことを悟られないよう取り繕わなければなかっただろう。
しかし
伯楽の許へ行ったと知れば、舞の稽古だと春水が嘘をつく必要も無く
さくらはそう思い込む。
それが春水ではなく
さくらの為だとしても、
伯楽の思い遣りを感じた。
「…ボクぁ、甘かったよ……」
「大丈夫ですって。まだ次の舞台まで時間もありますし…」
抱きついている夫の腕を擦って、
さくらは慰めた。
「……そうだね」
意味をはき違えられようと、本音を語れたことで春水の心は軽くなった。
「さ、帰りましょう。お日様も、もうすぐ沈んじゃいます」
「お日様か……」
季節が廻ろうとも太陽は変わらない。日差しが弱まれど雲に隠れようと地に沈もうとも……。
さくらが隠していたのでも変わったのでもなく今まで自分が
さくらのほんの一部分しか見ていなかったのだと、春水は漸く
さくらのことも藍染の存在も全てを受け止められた気がした。
9
「春水さん。お日様が手の中に……」
さくらが両手で太陽を掬う真似をしてみせる。
「
さくらちゃんの手から零れちゃうね」
さくらの手のひらを支えるように手を添え夕日を眺めていた春水の耳に、あの日の
さくらの声が甦ってきた。
「…天宝院家は瀞霊廷を、如いては尸魂界のみならず現世も守護する為に在ります」この妻(コ)は、知っていた。
ずっとずっと前から。
「春水さん…
尸魂界(ここ)を護るのは、私達の役目ですから……」あの時、何故あんなにも軽々しく大丈夫だと。必ずボクらが勝つなどと言えたのか。
大切な者を護る為には、尸魂界を護らねばならない。
さくらさえ傷つかなければ尸魂界の少しぐらい無くなったって構わないと、心のどこかで考えていた。
違うのだ。
それでは駄目なのだ。
藍染の爪のかすり傷すらつけさせることなく護る意気込みがなければこの戦い、最初から負けていた。
それを漸く知った。
「強くなろうとするでない。いくら強くとも、藍染には勝てぬからの」今なら、義父の言いたかったことが理解できる。
「彼奴(あやつ)は本気じゃからよ」ようやっと、
鏡月の言葉の意味を春水は理解した。
10
翌日、京楽が変わったことに伊勢は気付かなかった。
変化には気付いたのだが以前の怠惰な隊長に戻ってしまったようにすら伺え、あの熱心な鍛錬は一瞬だったかとため息をついた。
しかし京楽はどうしたら藍染に勝てるかを思案していたのだ。
今まで連帯して戦うことなど殆どなかった隊長達が、どうすれば自分と浮竹のように阿吽の呼吸で援護し攻撃できるかをだ。
いかに藍染が強かろうとも潔く負けるつもりは毛頭ないが、皆を束ねられるか…束ねるのは自分の役目になるのか……。
ぼーっとしている素振りのままあらゆる角度から検討していると、伊勢が話しかけてきた。
「隊長、緊急隊首会が開かれるそうです」
「またあ?」
地獄蝶が来ていたことは知っていたが、京楽は隊首会と聞いただけで唇を尖らせた。
「それがどうも…いつもの緊急隊首会とは違うようで…」
いつもの緊急隊首会という言い方もおかしなものだが定例隊首会以外はそう呼ぶのが慣わしであったし、いつものと言いたくなる程このところ藍染との戦いに向けて隊首会は開かれていた。
「違うって、どう違うのさ」
「内容は存じませんが、どうも―――」
伊勢が少ない情報から推測し口を開いた時だった。
「京楽…」
聞き慣れた声に京楽が戸口を見れば、浮竹が立っていた。
「浮竹…、どうしたんだい?」
京楽が歩み寄ると、浮竹は俯いたうえに更に視線を遠くに逸らした。
何があったかはわからないが、親友のその癖でおおよその検討はつく。
「現世に向かった井上織姫が消えた…」
それは京楽が予期しない出来事ではあったが、予想どおりの内容であった。
fin*
************************************************漸くアンケート1位ストーリーのUPです。
しかも今頃織姫ちゃんがウルキオラに攫われました。f^_^;
本当はこのラストシーンから始めるぐらいのつもりでいたのに、師匠の出番が長くなりました。
でもそうしないと
さくら様の出番が無かったかもしれませんのでお許しください。
2010.02.16
京楽隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月