本日は、いよいよ
さくらと春水の初共演の日。
「春水さん、行きますよ~」
「あ…、うん」
弾んだ声の
さくらとは打って変わって、春水は鏡の中の自分から視線を外すと、背中を丸めたまま部屋を後にした。
二人とも衣裳に身を包んだのだが、外へ向かう
さくらに春水は首を捻るばかりだ。
確かに
伯楽は座興のようなものとは言っていたが、少人数ながらも枝垂桃の宮に観客を呼んで披露するのだろうと思っていた。
しかし馬車まで用意されている。
牛車でなく、馬車だ。
それに小鳥と樫の木の舞はいつもに比べて小道具も衣裳も質素だった。
その理由は春水も目的地を近くにして、漸く理解した。
「ひめさまが来たーっ!!」
子供が喜んで駆けて行く。
近寄って来るのではなく、
さくらを認めた子供達がちりじりになって去って行くのだ。
普段
さくらが舞う際は何人もの楽士を引き連れ、衣裳も舞台の近くに備えた楽屋にて着替える。
だが、流魂街とあっては護身の心得もない楽士(
もの)を連れて来るわけにはいかず、また着替えられるような場所があるはずもなかった。
1
東に向かっていたから、東方郛外区であろう。
流魂街の中でも比較的若い地区だと生活ぶりから春水も判断できたが、牛車では倍の時間はかかっただろう。だからこそわざわざ馬車を用立てたのだ。
伯楽は馬車を降りると早速、自ら舞台を作り始めた。
…と言っても地面に敷物を広げた程度で、舞台袖も二台の馬車で通路を作っただけだ。
それでも裸足の子供らにとっては、其処が特別な空間になったのは確かだ。
流魂街にまで来るなら斬魄刀を持って来るんだったと内心後悔している春水が外に目を向けると、じりじりと子供達が間合いを詰めてくる。
高い馬車の窓を覗こうとしたり、小道具から舞を想像したりしている。
「………もじゃもじゃ」
「うん…。ひこさまじゃないね」
子供達はどうやら
さくらの相手をする春水を見て、
武礼ではないと言いたいらしい。
そのことからしても、
さくらが以前から流魂街に出入りしていたことは容易に知れた。
春水は心のどこかで、
さくらは流魂街など知らないだろうと思っていた。
名は聞いたことがあるにせよ、上級貴族のお姫様らしい知識の範囲であろうと、勝手に思い込んでいた。
それが…名前や身分を明かしてはいないものの、まさか流魂街の住人に認識されているほどとは夢にも思わなかった。
彼らには敷物ひとつとっても金目のものであろうに、それを奪おうという気配はない。
近づく子供達の背後で同様に
さくらの舞を心待ちにしている大人達の視線も、春水はゆっくりと受け入れていった。
2
春水が警戒心を緩めても良い状況であると認めたのと同じ頃、
伯楽が馬車の扉を開けた。
「
さくら。準備はよいかの?」
伯楽が声をかけると、
さくらはこくんと頷く。
舞台中央に立ち
伯楽が大きく両手を広げると、大まかなあらすじを歌うかのように告げ
いきなり始まった。
まぁ、いきなりと言っても舞台…と言えるかどうかわからない敷物だけが敷かれた舞台の上で、春水はぼーっと立っているだけで良いのだが。
「チィ―― チィチィ―――」
さくらが甲高い声を出す。
いつもならば楽士が奏でる鳥のさえずりを
さくらが担い、それ以外の演出も
伯楽自らが奏でる笛や鈴といった小さな楽器のみ。
普段の艶やかな舞台とは全く趣を異にした物語は三人のフル出演にて続けられた。
姿形も異なる小鳥と樫の木に絆が芽生え、共に暮らす日々。
しかし―――――
「ふぇっ」
「…ぐし ぐしぃ」
「クス…ン」
小鳥と樫の木が力なく横たわると、すすり泣く声が周囲から聞こえた。
伯楽は手短にラストを説明すると観客に一礼した。
それからさっさと片付けにかかる。
3
「魂魄って、融合するんだ」
「ねぇ…どうして魂魄がゆーごーするの…?」
舞台が終わると、すぐさま親代わりの大人に子供達が問いかける。
大人達も感覚として知っているだけのことを子供にわかるように説明するのは難しい。
事実、瀞霊廷でもこの理を説明できるのは死神だけであり、貴族であろうとも流魂街の彼ら同様理解していないのが普通だ。
それでも
いいや、だからこそ
伯楽と
さくらは流魂街の住人に舞台を通して語る。
尸魂界の理を悟らせる為に。
別れ際、遠巻きに見ていた子供達の中から、
さくらに吸い寄せられるように歩み出た子供がいた。
それでも
さくらからは近づかず声をかけず、そうっと視線を合わせるとそれだけで互いに別れを告げた。
誰かを特別扱いするわけでも、施しをしたわけでもない。
彼らの生活の場に突然立ち入り舞い終えた
さくらは、静かに去ろうとしていた。
4
扉が閉められ馬車が走り出して暫くすると、
さくらが春水に向き直った。
「春水さん。本日は舞にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました」
全てを理解しているだろう夫に対し、
さくらは言葉少なに礼を言っただけだった。
「あ…、うん――」
参ったね。
春水は小さく溜息をつく。
霊力もない彼らが生死の理を知ったところで、どうなるわけでもない。
肉体を離れし魂魄らに介入する死神のみが、それを知っていればいいのは確かだが
漫然と尸魂界や死神に不満を持ち流転する彼らに少しでもその理がわかれば嘆きは薄れるのではないかと、
さくららしい心遣いだ。
流魂街の彼らも、
さくらに邪念がないことを知っている。だからこそ、勝手に現れ勝手に舞って帰っていく
さくら達を遠巻きに受け入れているのだろう。
5
さくらは、美しかった。
春水は
穢いと思った。
護廷十三隊隊長となるには、如何なる姑息な手段を使ってでも勝つ心が無ければならないと悟った時は、それを穢(
きたな)いと吐き捨てたものだ。
しかしそれを春水より先に受け入れたのは浮竹だった。
あの澄んだ眼で、正義感溢れる男が春水を護る為に躊躇いなく振るった刃。
あの時、本当に穢いのは華麗な戦いを望む自分だと悟った。
仲間の為、友の為、春水の為、迷い無く穢(
けが)れの中に身を置ける浮竹こそ、本当に美しいのだと…………。
春水は
己を穢い、と思った。
あの日の心に酷く似た感情を、春水は抱いていた。
6
「怒って…らっしゃいます?」
暫く黙りこくっていた春水に、
さくらが問うた。
「―――いいや。そんなこと…」
「ごめんなさい、春水さん」
流魂街に出入りすることを春水が良しと思っていないのだと、
さくらは謝った。
「
さくらちゃんに、危険が無いならいいんだよ…」
「郛外区に入る時は、常に
伯楽師匠と一緒ですから……」
この、感情を
この感覚を
言い表す言葉を思いつかないくらい
さくらと己の差を感じる。
こんなにも近くに居るのに、この妻(コ)の全てを知れる日は何時になるのだろうと思う。
7
「でも。何かあったら事だから、斬魄刀ぐらいは持ってってもらわないとね」
どうしても譲歩できない部分に関しては、きちんと伝えた。
「それは、問題ありあません。ですが場所をお借りする身で最初から刀を見せるのはどうかと……」
春水らの馬車には、
さくらの斬魄刀は積まれていなかった。
ということは
伯楽側の馬車に用意してあるのだろう。
恐らくは普段は一台の馬車で移動しているが、今日は春水が同行している為に己の刀よりも夫の庇護を選んだといったところか。
「うん、まぁ…それならいいんだけど。今まで
伯楽師匠と二人だけだったのは、ちょっと…。ねえ?」
さくらを護るならば、最低でも
武礼ぐらいの手練(
てだれ)と一緒でないと心配なのが本心だ。
しかし
武礼が舞に付き合わなくなって久しかった。
「師匠では、足りませぬか?」
「……………え」
意外だというような
さくらの問いに、春水も意外だという表情を返した。
「
伯楽師匠も死神です」
さくらは平然と告げた。
「あ。 そう…だった、の?」
「はい」
確かに
伯楽は体格もよく同年代よりも鍛えているのは明らかだ。
流魂街の住人相手ならば、
さくらの身ぐらいは護れるかと、春水も納得した。
8
枝垂桃の宮に戻り、着替えを済ませた二人を
伯楽は茶に誘った。
一通り
さくらと話している前提で、今後も春水が舞に付き合うつもりであるか否かを問う為らしく、遠回しに今日の感想を尋ねられた。
「それより。師匠も死神だとは存じませんでしたよ」
「それはそうじゃろうのう。何しろ
さくらが生まれる、ずーっと以前のことじゃ」
「………え っ…?」
「いや、何。斬魄刀もあるのじゃぞ?ほれ」
確かに手入れを怠っている様子はなかったが、手入れの為だけにしか鞘から抜かれていないのではないかと思うほど疵(キズ)が無い。
「つかぬ事をお聞きしますが、最後の任務はいつ頃で…?」
「おお、よくぞ聞いてくれた。あの第三期アジューカス掃討戦をご存知かの?」
「……………」
それは今よりン百年前。つまりは春水が震央霊術学院に入学する以前の護廷十三隊の歴史に残る、大昔の戦闘だ。
当然「あの大戦の一死神だった程度で、
さくらが護れるものか!」と、春水の顔が引き攣った。
9
「まあまあ。今後は春水殿が
さくらの舞の相手をしてくださるんじゃろ?」
だから何の心配もないと、
伯楽はこれを限りにやはり舞の相手は断ろうと思っていた春水に、どうしても断れぬ理由を"見つけさせ"た。
「全くもう…」
頬杖をついて苦虫を噛み潰したように顔を顰める夫に、
さくらはくすっと笑った。
「
さくらちゃん、笑い事じゃないでしょっ」
春水は
さくらを掴まえて目の前に座らせた。
「だって…今まで何事もありませんでしたよ?」
「今までは、今までなの」
この気持ちをどうすればいいのと持て余す春水は、メッと子供を叱るかのように
さくらとおでこをくっつけた。
「だから、春水さんがこれからずっと一緒に舞ってくだされば、安心できるでしょ?」
伯楽の入れ知恵か、
さくらはたじろぐことなく逆に春水に舞の相手を頼み込む。
10
「師匠と
さくらちゃん…。結構似た者同士かも…」
「何かおっしゃいましたか、春水さん?」
おでこをくっつけたまま、
さくらは態とにっこり問いかける。
「参ったね」
交渉に完敗した春水は、
さくらを膝に座らせた。
苛立ちと心配を解いた夫に、
さくらは大好きと抱きついてみせる。
「良かったのう、
さくら」
伯楽は微笑ましげに目を細めた。
さくらを見守る
伯楽の眼差しに、春水は以前からの疑問を思い出した。
「そういえば…
伯楽って、本名なんですか?」
「いいや。雅号じゃ」
そう言うと、
伯楽は茶に視線を落とす。
「
天宝院弦昇。普段は
弦昇叔父様とお呼び致しております」
ね、叔父様と、
さくらは春水の肩に凭れながら師匠を見遣る。
「ふうん…」
自分に甘える
さくらを片手で支えながら、京楽もまろやかな茶を口に含んだ。
fin*
************************************************Lagrangian point(ラグランジュポイント)とは天体力学で円制限三体問題の5つの平衡解を指す名称で、2つの物体が円軌道を描いて回っている時に第三の物体をある速度を与えてこの軌道面内に置くと、最初の2体との相対位置を変えずに回り続けられる位置のことだそうです。
何が何やらわかりませんかね?
当小説では二つの星のつりあいの取れる位置、という意味で起用しました。
さくら様と京楽隊長のつりあいの取れる位置に居るのが
伯楽師匠か、はたまた二人のラグランジュポイントが京楽隊長なのか……。
兎角タイトルを英語に逃げる癖を直さねばと反省しております。
ご訪問ありがとうございました。
2009.10.27
京楽隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月