何時からだろう……。
さくらが小鳥のように眠るようになったのは。
春水は頬の下で手を重ねて眠っている
さくらを眺めていて、漸く気付いた。
最初は手が痺れないのかな?との気遣いからであり、丸まって眠る妻の可愛い寝顔につい見惚れていただけだ。
しかし以前は春水に抱きついて寝ていたはずだ。
毎日一緒に寝ていたのに、何時からこの姿勢で眠るようになったかを思い出そうとしても、思い出せなかった。
少なくとも昨日今日のことではない。
「…あの舞を、稽古し始めてから?」
さくらが何時から小鳥と樫の木の舞を稽古し始めたのかは知らないが、思い当たることと言えばあの舞しかなかった。
「おはよぅ、ございます。春水さん…」
軽く目を擦る仕草も、まるで翼のように手首を使う。
「どうか…しましたか?」
小さく首を傾げる姿も瞬きすらも小鳥のようだ。
「まだ、眠くて…」
「昨夜はよく眠れなかったんですか?」
「ぁは。そうかもね」
さくらに抱きついて笑って誤魔化した。
1
しかし春水の杞憂も舞に付き合うようになって、あっさりと消えた。
さくらが真剣に舞に打ち込んでいるのはわかっていたつもりだが、これほどとは思わなかったのだ。
だいたい、これが稽古といえるだろうか。
手首の僅かな動きに目線。
腰の据わりや足の運びは言うに及ばず、滑らかに体を動かす為に並の死神よりも鍛えているのではないか。
こんなことに専念していては
さくらが何時まで経っても斬魄刀の解放ができないのは道理だ。
さくらが、樫の木から地に降りる小鳥を舞う。
影絵のように両手を羽に見立て、鳥の滑降を見事に表現する。
自然を眺め愛でている春水は、鳥が左右に体を振り木の葉が舞い落ちるように降りることを知っていた。
さくらの舞に、春水はあの瞬歩を思い出した。
「…何だ。そうだったのか……」
安堵した春水の唇が動いたのを、
伯楽は聞き逃さない。
「おや。春水殿は、何か掴んだのかの?」
「あ、いや…。まあ、はい……」
さくらが一人で舞っているのを眺めていた時だったから、
伯楽は春水の納得を誤って受け取った。
2
稽古の殆どを鍛錬に費やし、舞台に上がるのはほんの数十分…。
さくらがいつも舞い足りなさそうなのは、春水が迎えに来る誤差の範囲の時間程度しか通しで舞っていなかったからだった。
浮竹の言うとおりだった。
さくらは虚の力などとは無縁だった。
思えば瞬歩だけではない。
春水がどれほど揺さぶろうとも斬魄刀の扱いはセオリー通り。
殺意なく踏み込める"それ"を――――
護廷十三隊をずっと裏切り続けていた藍染。
あの男と同じものに感じた理由。
何にも揺るがぬ意思。
憎しみ、怒り、嫌悪。
そんな言葉では言い表せない相手と
慈しみ、愛し、可憐。
そんな言葉では言い足りない妻が
相反する存在の
さくらと藍染が、同じ強さを持っている。
この感覚が、誰にわかるだろうか。
「う、ぁ…っ 」
「春水殿。そこは悲しむ場面ではない。二つの魂が融合することを喜ぶのじゃ」
さくらを腕に抱いたまま苦しげに目を閉じた春水に、
伯楽が指導する。
対して
さくらは春水の腕の中で消え入りそうなほど儚げな笑みを浮かべて眼を閉じている。
3
ボクと
さくらもまた
相反する者……?
相反するのではなく対でありたい、と春水は願う。
「すいません。今日は、もう…」
幸いなことに春水がどんなに気乗りせずとも、この演目や稽古を嫌っていると二人には思われている。
ある意味
さくらと二人っきりの時よりも、素直な面持ちでいられた。
「ごめんなさい、春水さん…」
二人で歩く帰路、
さくらは繋いだ手をきゅっと握った。
夫を舞に無理矢理付き合わせていると詫びる
さくらに、初めて自分がまだ沈んでいると思われていたことに気付く。
「なーに、謝ってるの」
繋いだ手を引っ張られ、春水の前に導かれた
さくらは肩を抱かれていた。
春水の大きな掌に包まれて、
さくらは大丈夫と言われるよりも安心する。
「ありがとう。春水さん…」
にこっと見上げる
さくらに、春水も笑みが綻ぶ。
「…そうだ。
さくらちゃんの好きなコトに付き合ってるんだから、ボクの好きなコトにも付き合ってくれないかな?」
「…お酒、ですか?」
小鳥のように首を傾げる妻に
「ご名答!さぁーすが、
さくらちゃん」と抱きついた。
4
さくらは温めた燗を春水の許へ運ぶとまずは酌をし、それから酌を受けた。
飲み慣れない所為か春水の様子をチラチラと盗み見ながら両手を口許にそっと寄せただけのような仕草。
「いやぁ、
さくらちゃんの飲み方は可愛いねえ」
さくらをこのまま飾って置きたいよと、嬉しそうに春水は間近で眺めている。
さくらもまた嬉しそうに飲んだ。
春水は無理強いはせず、
さくらが差し出す杯が濡れる程度に酒を注いでやっていたのだが
暫くすると―――
カツッ…
杯が卓に当たった音がした。
妻が杯をきちんと持てなくなったことを知った春水は、酒をやんわり止めに入った。
「
さくらちゃん、これぐらいにしとこうか」
「……みぃーっ」
春水が杯を取り上げれば、反抗して新しい酒を取りに行こうと立ち上がる。
「み…?」
しかし直ぐにふらつき、足がもつれた。
「おお、っと。危ない危ない」
「ふぅーん…春水さぁん」
慌てて支えに来てくれた春水の胸に、
さくらは両手を広げて顔面から落ちていく。
5
「ねー。ホントは無理したんじゃないの?
さくらちゃん…」
「んふっふー。もひょ、ひっひひほ、ほめら、へん…」
さくらはもう一滴も飲めないと言いたかったが、呂律が回らないようだ。
顔どころか喉まで真っ赤な
さくらは眠気に襲われているらしく、春水の膝に頭を乗せようとする。
「あーらら。こりゃ二日酔い、決定かな?」
春水は
さくらを仰向けにして腕に抱き直した。
それから手を叩き、
さくらの侍女を呼ぶ。
ぐでんぐでんになった主を見て、
アヤメは水を取りに行った。
「薬、ないかなあ?ホラ、
さくらちゃんなら持ってない?」
戻ってきた
アヤメに尋ねると、あるにはあるだろうが母親か本人にしかわからないと言う。
「はい、
さくらちゃん。水だよ」
とりあえず春水がグラスを差し出すと、火照った耳で水だと聞いた
さくらはゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
水を飲み干したというのに
さくらはまだグラスに噛り付いていた。
「もう一杯、お水飲む?」
「
ふん………」
真っ赤な顔をした
さくらが頷くと、畳に両手をついてふわふわと体を揺すりながら暫く辺りを見回していた。
6
「ふあああぁ、おみる…」
「
さくらちゃんっ」
アヤメが戻って来た時には、
さくらは春水の腕の中で暴れていた。
時間はかかったが
アヤメが水差しごと持ってきてくれて正解だ。
コクコクコク…
水のおかわりを
さくらが美味しそうに飲んでいると
「
さくら姉!?」
連絡が行ったのか、突然
武礼が血相を変えて部屋に飛び込んで来た。
「あ。
武礼クン、お帰りぃ」
一瞬暢気な義兄に何か言いたそうな顔をしてみせたが、それどころではない事態だと判断したのだろう。
春水より先に眠れる用意が整っているかと確認し、姉を寝かせることにした。
7
枕を嫌がる
さくらの頭から春水がそれを除けた頃、
武礼が寝室に顔を出す。
「薬は、わかりませんでした…」
それらしき薬は見つけたものの、やはり姉に合う処方なのかどうかがわからないという。
「まあ。せいぜい明日の朝も頭痛がする程度だろうから…。ありがとね」
春水は義弟に感謝してみせたのだが、姉を思う
武礼としては頭痛程度であろうとも安心できないようだ。
少しでも回復の手助けにと、家宝刀を持ち出してきた。
こんなことにも使えるんだと、春水は便利な家宝刀をさくらを寝かせた褥の傍に置くのを見ていた。
「薬は明日の朝、母に訊いてみます。…おやすみなさい」
「おやすみー。ありがとね、
武礼クン」
姉の為に態々夜の護廷十三隊から帰宅した義弟をもう一度労うと、
さくらの傍らに春水も身を横たえた。
8
「無理させちゃったかな…」
仰向けに眠る
さくらを見るなんて、久しぶりだ。
先ほどまで真っ赤だった
さくらが、頬を丸く染める程度に酔いが引いていた。
家宝刀のおかげかな…と、
さくらの向こうにある家宝刀に春水は目を移した。
「これは…」
春水らの寝室には刀台が二人分、置いてある。
春水のは花天狂骨、
さくらは斬魄刀と天支光輪の二刀をそれぞれ掛けられる刀台だ。
念の為に確認した
さくらの刀台には、斬魄刀しか掛かっていなかった。
しかし褥の横に置かれたそれが
さくらの家宝刀でなく
武礼の護王宝音だと
何故だか春水には確信があった。
柄巻も鞘も同じ家宝刀で今まではよくわからなかったが、護王宝音は一度刃を交えた刀だ。
どちらがどちらかなのかはわからなくとも、
武礼が自分との鍛錬時に持ち出した刀だということだけはわかったのだ。
9
「…ちょいと、ごめんよ」
さくらの上を越えるように腕を伸ばして家宝刀を手にする。
花天狂骨に問うまでもなく、鍔についた見覚えのある僅かな疵(キズ)。
普段は次代当主である
武礼が
さくらの家宝刀を預かっている。
それを
さくらが必要な時に
武礼が持って来ているのだと、春水は当然思っていた。
だって、そうじゃないの……?
しかしこれが
武礼の家宝刀であり、斬魄刀を生み出す護王宝音の別の能力であるというのならば
さくらの天支光輪は何時、どのような能力を発揮するのか――――。
「まーた、ふりだしかい…?」
刀を戻した春水は、そのまま
さくらを見下ろす。
「いい加減、キミの全てを見せてほしいねえ…」
春水が唇を食(は)んでも
さくらは
夢の中だった。
fin*
************************************************タイトルは「今、初めて知ったこと」というような意味です。
単数形で使うべきかも悩みましたが、何より同じタイトルを使い回してすいません。更新していないので、サイトの月夜見のことは皆さんも忘れていると思います。(笑)
さくら様はかれこれいったい何ヶ月、双極作ってるんでしょーかね?
今見たら、この任務を仰せつかったのは去年の8月でしたよ。
続いてくれるのは嬉しいのですが、あと何年この状態を引っ張ればいいんでしょーか?
私の予想では3年…?(^^;
本日もご訪問ありがとうございました。
2009.08.26
京楽隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月