枝垂桃の宮は瀞霊廷でも珍しい四階建ての高殿だ。
四階建てというだけでも珍しいのだが骨組みが独自な為、かなり軽量なうえに中庭を囲むというこれまた斬新な構築物であった。
元々、舞の稽古の為だけの建物だそうだ。
流石は名門貴族と言ったところであろう。
舞は
さくらの趣味であり楽しみのひとつだ。
実家でも舞えないことはないが、前後左右は勿論上からも観賞できる構造上、本番さながらの練習に枝垂桃の宮は最適な稽古場であった。
喩えそれが何であろうとも
1
「春水さ~ん」
私邸まで迎えに来てくれた春水に、
さくらはひょこっと玄関先に顔だけ出した。
「ちょっと、早かったかな?」
すんなり自分に歩み寄らないのはまだ舞い足りないのだと、とうに春水も心得ている。
思ったとおり上がってと腕を引く
さくらが帰り支度をするはずもなく、仕方なく履物を脱ぐ。
「よういらっしゃった、春水殿」
もう一名、にこやかに迎えてくれるのは舞の師匠である。
どうも、とか何とか言葉を濁しながら、春水はなるべく
伯楽の視界に入らぬ位置に居ようとする。
弟、父、そして叔父の
伯楽。
さくらを取り巻く男家族は、どうも苦手だ。
どう苦手なのか上手く言い表せられないのだが…。
殊更この叔父を春水が好まぬのは、
さくらの私邸で二人っきりになるからかもしれない。
二人っきりと言っても
さくら御付きの侍女のどちらかは一緒なのだが、今までどれほど熱のこもった稽古をしていたのかは
さくらの興奮した物言いや
伯楽の活き活きとした表情から察しがつく。
2
武礼が死神業に専念し姉と舞わなくなり、春水と結婚したことで独身男性を遠ざければ、自然と師匠の
伯楽しか相手は残らなかった。
仕方のないことと言えば仕方のないことなのだが、
さくらが舞よりもこの叔父の
伯楽と会いたがっているように見えて、春水には面白くなかった。
「
伯楽師匠の舞はね、譬える言葉が見つからないの…」
うっとりと語る
さくらの話を笑顔で聞いていられたのは新婚当初までだった。
さくらとて舞う姿は何にも譬え難いほどだ。
花の精を舞えば花の化身に。
蝶の舞を披露すれば正に蝶の如く。
雪の結晶であろうと東風であろうと、
さくらは舞い澄ます。
あまりにも
さくらが
伯楽を誉めるものだから、春水もどれ、と彼の舞を観賞したことがある。
風貌からして若い頃はさぞかし多くの主役を務めたであろうが、衣裳ではなく普段着のまま演出家として舞台に立った時である。
それでも春水には…
さくらの言葉がどれほど正しい表現なのかを痛感するしかなかった。
3
さくらが優しい春風を舞えば、厳しい冬の北風である
伯楽は凍てついた吹雪を腰のひねりを弱めるだけで止ませ、
さくらに寄り添う様は冬が春を受け入れる――――まるで愛の受諾を舞う趣旨を否が応にも見せつける。
何だろう……。
春水は、漠然とした不安を抱く。
この………。
師匠への信頼と言えばそれまでかもしれないが、そう表現するのは安っぽい気がするぐらいなのだ。
武礼が姉を慕うのとも、
さくらが父を慕うのとも違う、対等…一対にも感じられる絆。
春水に嫁ごうとも、いずれは自分の許へ帰って来るとでもいうような自信ある笑みを向けられている気がする。
4
「では、もう一度通しでやって。今日は仕舞いにしようかの」
さくらが全幅の信頼を置く師匠。
彼の足は根に見え腕は枝に見え、歌う声は木の葉の囁きに聞こえた。
春水も久しぶりに二人の舞を最初から最後まで一通り見た。
伯楽の舞は確立されているようだが、
さくらのほうはまだ納得が行かないらしい。
舞い終わってからも
伯楽に別の角度から見て欲しいと申し出た。
「
さくら。今日はここまでにせぬか?」
「あぁーん、師匠。もう一度、もう一度だけ…」
舞の相手をしてもらうのに、縋ってあんなに甘い声で強請る必要があるのだろうか……。
ちらと春水を盗み見する
伯楽は、夫の嫉妬に気付いているようであった。
「…そうじゃ。春水殿に相手をしてもろうては、どうかの?」
「―――――」
春水は顔を上げ、
さくらは師匠を見上げたまま瞬きをする。
「待たせてばかりでは、春水殿も退屈であろう?」
「いえ。ボクは………」
退屈なのではなく早く
さくらと帰りたいのだという、否定した後の気持ちは言葉にしなかった。
しかしそれを、遠慮しているとでも
伯楽は思ったのだろうか。
「儂も
さくらの相手をしておる。お主に出来ぬはずがなかろう?」
春水も自分と然程変わらない背丈だからと、更に誘う。
5
「……………」
編み笠の下から、妻を覗く。
春水がどう返事をしてくれるか、ドキドキしながら待っているのは明らかだ。
さくらとて愛する夫と舞えるのは楽しいに決まっている。
「
さくらちゃんが、いいって言うなら…」
返事をし終える前に、
さくらは春水に跳びつくように抱きついていた。
なぁんだ…。
目を細めて喜ぶ
さくらの子供みたいな表情(
かお)に、舞の相手をしてくれるなら誰にでも甘えてみせるだけなのかと、春水は拍子抜けした。
「役は、わかるかの?」
この舞で
さくらは小鳥の役だから細やかに羽ばたかねばならないが、春水は大木の役。
さくらの差し出す細い手が鳥の足のように春水の腕に触れると、細枝が微かに震えるように体を揺らす程度だ。
「これって松の木なのかな?それとも柳……?」
先ほど一度だけ見た舞の見よう見まねで体を捻る春水は、独り呟いた。
「む。違いますうぅ」
呟きの聞こえた
さくらが爪でくちばしのように春水の手を突いた。
「あいたッ」
してやったりと舌を出す
さくらに、春水はゆっくりと身を構えると、両腕が使えないようにがっしり捕まえた。
「 !? きゃーぁ!きゃーああぁ!!」
騒ぐ
さくらは鳥の悲鳴のように甲高い声を出す。
6
「おおっ、それは良い。その振りを、猟師に捕まるところにしようぞ」
伯楽は扇子で二人を指して喜んだ。
「でも…」
さくらの両肩を掴んだだけで捕まったように見えるのは春水の手がそれだけ大きいからだ。
相手役によっては、小鳥を捕まえたように見せるのは困難だろう。
「相手はまだ決まってはおらぬ。春水殿に舞ってもらえば良かろう?」
「ボクがですか?」
「何。この舞台はほんの戯れよ」
あらすじとしては木の役のみならず春水には二役も三役もあるが、然程難しい動きではない。
この樫の木の巣で育った小鳥が猟師に撃たれ、銃弾が掠めて折れた枝を落として樫の木が小鳥を助けてやる。
という舞だったが、以前から撃たれるシーンを手直ししたかったそうで、そこを捕まったことにし猟師が足をかけていた枝が折れると変更した。
それがきっかけで仲良くなった後も色々とこの木と小鳥には事件が起こるがそこは
さくらの美しい舞の披露であり、春水も舞台上で小鳥を眺めていればいいだけだ。
そして或る日この樫の木が切り倒されると知った小鳥が身を挺して助けようとする。
しかし終には力尽き、樫も切り倒されるのだが、倒れた先にいた息も絶え絶えの小鳥を樫の木は木の葉で包むようにして共に命尽きる。
そうして尸魂界で二つの魂は融合し
めでたしめでたし
―――――って。全然めでたくないじゃないの。
さくらちゃんとボクが一緒に死ぬってだけでも嫌なのに、ボクは悪役の猟師も樵(キコリ)もなの?
その感想を春水は「こんなお話の、どこがいいの」と述べた。
「春水さん、物語です」
「然様。舞が大団円ばかりとは限るまい」
「ボクには、できません」
春水は即座に強く否定した。
7
「致し方ないのう…」
お主でも似あう役柄じゃったのに…と、
さくらと顔を見合わせると
最後の
さくらが納得の行かないシーンを再び
伯楽と舞って、今日は終わることにした。
傷付いた
さくらを庇う
伯楽。
その腕で育ち、その腕の中で死す
さくらの、安らかな表情―――――。
「ちょおーっと!」
春水は舞台にズカズカと上がり込んだ。
何じゃ?と惚ける
伯楽に、今口付けたでしょ!と詰め寄る。
「最期に木の葉が
さくらの頬に落つる表現じゃ」
伯楽は
さくらを抱いたまま、いけしゃあしゃあと言う。
「―――駄目。駄目駄目。駄目って言ったら、駄目!」
子供みたいに駄目駄目を繰り返す春水に、未だ
伯楽の腕の中の
さくらも呆れ顔だ。
だいたいこれからどれだけ稽古をするというのだろう。
つまりはこれから何度、
さくらに口付けるつもりだと言うのだ?
8
「―――フン。そうまで言うならば、お主が舞えば良かろう」
どうやら春水に当てつけての演技だったらしい。
そのことに気付いているのかいないのか、何時になく
さくらも自分の気持ちを主張した。
「演りたい演りたい演りたいです!私も、春水さんと舞いたい」
駄目ぇ?と上目遣いに頼む
さくらに、春水もウッと言葉に詰まった。
「小鳥と戯れる場面は少し難しいかもしれないけど、後は人の舞だし」
春水を説得しようとするが、
さくらとの初舞台がこんなバッドエンドなのは乗り気がしなかった。
喩えそれが舞であろうとも……
たかが舞。
されど、舞だった。
「…考える時間をください」
今日はもう遅くなるからと時間を理由に、春水は帰宅を促した。
9
「ねー。春水さん…だめぇ?」
外出着を着替えると、
さくらは早速春水の袖を引いて気を惹く。
何の話なのかも告げずに唐突に先ほどの続きを話し出す
さくらは、余程春水と舞いたいのだろう。
夕食前の僅かな時間だ。
春水は
さくらを胡坐で囲んで宥め賺(
すか)して返事を濁そうとした。
しかし撫でて誤魔化される気配を悟ったのか、
さくらは春水の腕をすり抜け卓の反対側に座る。
「どうして春水さんは私と舞ってくれないんですか…?」
「うーん…」
「
伯楽師匠は、一緒に舞ってはいけないとおっしゃったわけじゃありませんよ?」
「それは、わかってるよ…」
春水が卓に頬杖をついた。
答えるのを面倒臭がっているのが、
さくらにもわかる。
10
さくらと春水ではかなりの体格差があり普段は確かに釣り合わないが、この舞は
さくらが幼い頃に
伯楽が基礎を教える為に創作したもので、今以上の体格差のある二人で舞っていたものだ。
「だから。―――ね?」
さくらは理路整然と説明し、春水と舞うのに何の問題もないと説得を試みた。
全く自分の心中を解していない
さくらに、頬杖から顎が外れた春水はグダグダに卓に頭を落としていく。
「ねえ?春水さん…」
同じ方向に頭を傾(
かし)げて渋る春水と視線を合わせようと、
さくらも徐々に体を傾ける。
上級貴族の春水が舞えませんと言ったところでそんな白々しい嘘では言い訳にすらならない。
今まではこの身長差が恰好の理由として挙げられたのだが、この舞にはそれが通用しない。
「うぅーん…」
卓に頬ずりするように、春水は唸った。
「春水さん、お願ぁい」
さくらも同じく卓に頬をつけた。
然程無理難題でないとわかっており、珍しく
さくらも食い下がる。
面倒という言い訳は仕事ならまだしも、
さくらの為には通用しない。
追い詰められた春水は寝たフリでもするしかないのか…と子供じみた手段を使おうとした矢先
「二人で、何…なさってるんです?」
夕食に誘いに来た
武礼が、卓に伏した二人に戸惑いの視線を浴びせた。
11
翌日護廷十三隊にて京楽から昨日の話を聞かされた
武礼は、それはそうでしょうと姉に全面的に同意した。
「
さくら姉の相手は、最初は
伯楽師匠しかいなくて。時折お弟子さんとも舞ったけれど、俺が相手できるようになってからは殆ど他の人とは舞ったことないんです。
きっとそれは俺も知ってる舞だと思いますけど、
伯楽師匠が幼い
さくら姉に舞を教える為に創作したものですよね」
簡単に説明しただけで全てを把握できる義弟は有り難い存在であり、味方についてくれない厄介な存在でもあった。
「あれは師匠の体格を考慮して創作したものですからね。
それを
さくら姉の成長に合わせて修正し今、舞うとすれば京楽隊長。あなたとがいいに決まってるじゃないですか……」
正論。
全くの正論だった。
さくらの気持ちからすれば…………。
「それと京楽隊長」
武礼はそろそろ仕事だというように、僅かに京楽から離れた。
「
さくら姉は、貴方の舞が見たいのではないでしょうか?」
「………ボクの?」
「勿論、共に舞えたなら願ったり叶ったりでしょうがね…」
それではそろそろ失礼しますと一礼して話の途中で
武礼が去っていくのは、後は京楽自身に考えさせる為もあるのだろう。
12
「――――舞、か…」
子供の頃、随分と仕込まれた。
あまり…いい思い出のない舞の舞台。
こんな嗜み事すら兄と比較され育った春水とは違い、
さくらにとって舞は、楽しい思い出しかないのだろう。
「…ただいま」
「お帰りなさい、春水さん」
しかしこうして
さくらの待つ邸に帰るように、今では京楽家に帰宅するのも苦痛ではなくなっていた。
千切れそうだった春水と京楽家の間に
さくらという結び目ができた今、
さくらを連れて実家に戻れば皆が
さくらを囲んで会話が成り立つ。
遠回しだが家族は春水の身を案じ仕事を労い、京楽家に起こったささやかな出来事を伝えてくれる。
13
この妻(コ)と――――
その叔父が居ただけで…
出逢えただけで
ボクの過去さえも
変えてくれた………。
さくらが羽織っていた着物を受け取ってくれると、春水は続けて編み笠も脱いだ。
いつもと変わらぬ二人だった。
そこまでは―――。
「春水さん…。私、生まれてすぐに、貴方とは出逢えなかった」
突然の切り出しに驚いて
さくらを見ると、手にした春水の上着に語りかけている。
「何、言ってるの。
さくらちゃ…」
ううん。聞いてと、視線を合わすことなく制される。
「私ね、あのお話好きなの。だって春水さんがこの舞を務めてくれたら、生まれた時からずーっと、死ぬまで…死んでも、貴方と一緒…………」
舞の世界に入り込んでいるのか…
「ずっと、一緒に居られる……」
撫子色の上着に、頬を摺り寄せる。
「一緒だよ…。
さくらちゃん、ボクらはずっと一緒。だから…」
こんな悲しい話とボクらを重ねないで―――…。
春水のぬくもりを残す上着を抱く
さくらを後ろから包み込んだ。
触れているのに
腕の中にいるのに
さくらは遠い存在のように春水に反応しない。
14
「私…の舞が至らぬのなら、もっと精進します……」
撫子色の上着に
さくらの涙が滲み込んだのを、春水は見逃さなかった。
ああ、この妻(コ)は…
舞いたくて
舞いたくて
ボクと 共に
舞いたくて―――
「春水さん……」
その純粋さに
ボクが躊躇うことは何もないと、
心 動かされる。
「…いいよ」
「あ―――、ありがとう。春水さん!」
突然の夫の承諾に
さくらがパッと振り返ると、ぽろんぽろんと大きな涙を零してぎゅううっと春水に抱きついた。
15
喩えそれが役であっても
喩えそれが偽りであろうとも
ボクの
さくらが死ぬなんて
ボクと
さくらが死ぬなんて堪えられない。
それは揺るがない心のはずだったのに………
役でも同情でも
愛でも惚れた弱味でも
喩えそれが何であろうとも
キミに寄り添うってのは
どうしてこうも心地いいんだろう……。
「全く…どうしてボクはこう、キミには弱いんだろうねえ?」
二人の間の上着は邪魔だけど、ボクを放してくれない
さくらちゃんってのもいいものか…と
春水は精一杯背伸びして顎鬚に口付ける
さくらに、苦く笑った。
fin*
************************************************「喩えそれが何であろうとも」と長ったらしいタイトルをつけたわりには、そんなの好きだからに決まってるじゃないと自己完結してしまって、イマイチお話としては弱かったかな?と思っています。
ま。これもまたいつかは別のお話の伏線に使わせてもらいましょう。
話丸ごと伏線って、一体……。(^^;
ご訪問ありがとうございました。
2009.07.30
京楽隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月