前を歩く浮竹の顔は見えずとも、笑顔で相槌を打っていると三席らにはわかっていた。
「はは、そうだ…な」
しかし通路を曲がると浮竹の笑みを含んだ声と足が、はたと止まった。
「「隊長……?」」
同じく立ち止った彼らが浮竹の左右から前方を確認すると、京楽が前を歩いている。
「…お一人じゃないですか?今日は……」
三席らも、浮竹と同じくその背中を観察する。
「いや。少し…肩が――」
このところ京楽を見かけても、後ろ姿だと声をかけるのを躊躇う。
それは旧知の仲の浮竹も同じで、一人だとわかってから声をかけるようにしている。
何故ならば
さくらが京楽の大きな体にすっぽりと隠れていることがあるからだ。
以前ならばそのくらい、どうってことはなかった。
だが藍染との戦いで死線を彷徨った
さくらは、今では………。
「…おやあ?浮竹じゃないの」
振り返った京楽の腕の下には、浮竹の思ったとおり
さくらが居た。
だから歩く際、僅かに肩の揺れが違ったのだ。
さくらは京楽の体に寄り添えるだけ寄り添い、右手は背中へ左手は京楽の開(はだ)けた死覇装の中にあった。
しかも四番隊の救護着姿で、帽子も被ったままで……。
1
「今から
さくらちゃんの処かい?」
夫の唇から零れた名前に、
さくらは口許を緩めた。
「…薬は昨日、もらったんだ……」
「ああ、そうだったね…」
妻から聞いていたのを、京楽は思い出したらしい。
聞いたと言っても毎日「浮竹の薬を作ったのかい?」という問いに
さくらが頷くか首を振るぐらいだったが。
自分に夫の視線が注がれると、
さくらは益々微笑んでみせた。
それを褒めるかのように京楽が額に口付けてやると、
さくらは満足そうに夫の羽織に頬をすり寄せた。
「……じゃあ。またね」
「ああ…」
浮竹の行先を尋ねないし、浮竹もまた彼らの行先を尋ねることはなかった。
二人にとって興味のないことだったし、浮竹達には今から医薬品取扱専門詰所まで
さくらを送って行く途中なのはわかっていたからだ。
さくらの世界の中心は相変わらず京楽だ。
それでも自分の力で京楽を助けられて以来、少し"成長"した。
以前の
さくらは困惑するとゆっくりと胸元に手をやりそのまま喉元を這うようにして指を咥えていたが、ある日を境に指を咥えなくなった。
2
伊勢の話によると一月ほど前、仕事の相談をしているというのに京楽が真面目に答えてくれず長引いたことがあった。
さくらは
さくらで、伊勢とばかり話しているように見えたのだろう。
京楽を背後から眺めているうちに徐々に手が胸元に挙がってきて、寂しさを紛らわす為に仕方なく指を咥えたようであった。
「…ほら、
さくらさんだっていい加減に切り上げて欲しいって指、咥えちゃったじゃないですか。さっさとご決断願います!」
伊勢にしてみれば
さくらの為もあって京楽を促しただけなのだが、どう受け止めたのか
さくらは徐(おもむろ)に指を唇から離したそうだ。
偶然とも思えるが、以来その仕草をしたところを誰も見てはいない。
しかもこれが事実なら伊勢の言葉を理解しただけでなく、自分で考えて「やめよう」と決めたことになる。
だが本当は指を咥えたいのを我慢しているほうが、益々子供っぽく見えないこともない。
ただでさえ良い表現をすれば表情が豊かになった
さくらは、上手くできないと拗ねたり涙ぐんだりすることもある。
「はいはい、
さくらちゃん。いい子、いい子。キミならすぐにできるようになるよ」
京楽がこめかみに口付けると、
さくらはちょっとだけ機嫌が直る。
「おまじないだよ」
次におでこに口付けられれば、嫌なことは全て忘れられた。
「もうひと押しかなぁー?」
さくらの曲がった旋毛がすっかり元通りだとわかっていても、京楽は鼻の頭にチョンと口付けてやった。
「しゅんしゅ~!」
こうすると
さくらから抱きついてきて機嫌を直してくれるだけでなく、もう一度できなかったことに挑戦する。
3
単純な思考。
ころころと変化する気持ち。
感情を顕わに表現する体。
全てが幼く、拙く、頼りない。
こんな状態でありながら、誰よりも正確で的確に処方できる
さくらは医薬品取扱専門詰所専属隊士として四番隊に復帰していた。
戦闘時に役立たないのは理解できるが、知性の欠落した
さくらに何故高度な処方ができるのか。
母が言うには幼い頃からままごと遊びの感覚で薬を扱ってきた
さくらであれば、頼まれた薬草を扱うだけなら納得がいくという。
些か不器用になった手先も、品があるという仕事には必要なかったものが削がれただけで支障はない。
寧ろその優秀さと筆もきちんと握れない
さくらのギャップに、男性死神内で密かに人気は高まる一方だ。
美しかった頃の
さくらであれば答えに窮するような質問でも背筋を伸ばし両手を前で重ねて思案していたが、今では「う~」としか聞き取れない悲しそうな呻き声をあげ、指を咥える代わりなのか隊着の裾の辺りをくしゃりと掴む。
そして大抵は自分より長身の相手を上目遣いで見るものだから、荻堂などわざと答えられないように問うて楽しんでいるようであった。
だから護廷十三隊内を一人で往き来できるようになった今でも、男達の餌食にならぬよう京楽は送り迎えを続けているのである。
尤も、
さくらが男の下心に無防備なのは以前からのこと。
他の者からすれば
さくらは変わったのだろうが、京楽にしてみれば元に戻ったようなものだ。
あの日、滅多にない外出にはしゃいで弟に甘えていた
初めて出逢った時の
さくらに………。
両親や弟も、そう思っているのかもしれない。
「……一週間ぶりだね、
さくら姉」
「…………」
浮竹や卯ノ花達ほど日頃会っていないのに、
さくらは家族を受け入れているように見えた。
4
寧ろ他の者との違いを悟ったのか、今日の
さくらは実家の畳や天井、壁をゆっくり周囲を見渡していたかと思うと、突然ハイハイをしてみせた。
「おうおう。元気じゃのう」
そう言うと
鏡月も四つん這いになり、這ってみせる。
「…うーあーぁー」
さくらが、自ら京楽以外に声をかけたのは浮竹…
いいやあれも京楽の為に必要に迫られたからで、実際にはこれが初めてと言ってもいいだろう。
「…何じゃ。待てと言うのかの?」
鏡月が這って近づいてくると、
さくらは嬉しそうに手を叩いた。
「では競争じゃ」
鏡月が再び這いだすと、
さくらも奇声をあげながら後を追った。
競争の意味は、わかっていない。
武礼は姉の様子を冷静に観察していた。
それは
鏡月とて同じで、壁まで這い終えると
武礼を呼び寄せた。
「次は
武礼とじゃぞ」
二人並ばせ、よーいどんと声をかけると
武礼は父に向かって這っていく。
「ほれ、
さくら。負けておるぞ?」
手を叩いて煽る
鏡月に、
さくらは競争の意味を悟ったらしい。
急いで手足を動かし始めた
さくらに、
武礼はそっと手を抜いた。
「もう少しじゃ、
さくら」
手を開いて迎える
鏡月に、
さくらも抱きついていった。
5
「
さくらの勝ちじゃのう」
鏡月はまた四つん這いになると、
さくらに乗るように言った。
着物のままで跨ぎそうになった
さくらを、
武礼は上手く誘導して父の背中に腰かけさせた。
一人ではふらつく
さくらに
武礼の支えが必要なのは当然だが、当たり前のようにその手を掴んでいる。
京楽に向かっているとわかっているらしく、にこにこしているから弟に触れられても嫌がらないのかもしれないが……。
「しゅんしゅー」
お馬さんに運ばれてきたお姫様は、上機嫌で京楽の腕の中に戻った。
さくらの"成長"は突然だ。
今この場に居たのが浮竹であっても同じだったかもしれないが、京楽としては喜んでいいのか複雑な思いである。
一方、
天宝院家の者には
もう、十分だ。
そんな空気が流れた。
京楽しか求めなかった
さくらが家族の団欒を楽しめるようになったのならば、これ以上望むことは無いと思うのは当然のことだろう。
父母からも弟からも満たされた笑みが零れ、先週と同じく数時間のつもりが夕食まで長居してしまっていた。
武礼はこんなに長時間、姉が京楽以外の者と過ごして反動が出てはといささか構えた様子もあったが
さくらが一度"成長"すれば後退することはないと知っているからか、
鏡月は普段と何ら変わらぬふうで
はるかから酌を受けていた。
6
「春水殿が居れば、大丈夫そうじゃの」
心地よく酒に浸っている
鏡月は、誰にともなく語りかけた。
彼らは手酌する京楽の向かい側、つまり
さくらの目の前に座っている。
「この分じゃと、泊まっていけそうじゃが…」
「…そうですねぇ。 もし…このままなら、部屋をお借りします」
京楽も
さくらのことを話しているのに気付かれぬよう、
鏡月と視線を合わさずに答えた。
「……………」
この時、京楽から目を離したことのなかった
さくらが両親をじっと見ていることに皆気付いたが、声をかけてぐずられてはと誰もが見守るしかなかった。
「…酒が、飲みたいのかの?」
「うあーぁ…」
鏡月は先程と同じく独り言のように問うただけであったが、
さくらは声を出した。
その声が肯定か否定かはわからない。
ただ、
鏡月の言葉に反応したのは明らかだ。
鏡月は口をつけていない猪口を
はるかから受け取ると、今度は
さくらを見て声をかけた。
「ほれ」
鏡月が注いでやろうと軽く徳利と猪口を差し出した。
さくらの手の届く範囲にしなかったのは、意思の疎通がなっていなかった場合に娘を脅えさせない為だ。
すると
さくらは徳利のほうを掴もうとする。
「
さくらちゃん…ホントにお酒、飲みたいの?」
京楽が飲みかけの猪口を近づけてみたが、徳利が欲しいようで父のほうを見たまま手を上下に振っている。
7
「徳利に興味があるのかのう?」
「もしかして、私の真似を…お酌がしたいのかしら?」
はるかが呟くと
さくらは「おしゃ…」と、その行為に名があることに気付いたようだ。
「そうかそうか。
さくらは酌がしたいのか」
鏡月は喜んで猪口をひっ込め、徳利を
さくらの近くに置いた。
てっきり京楽にと思ったのだろう。
皆もそう思っていた。
だが
さくらは
鏡月に近づいてから徳利を手にした。
「おお、儂にかの?」
鏡月は喜んで、
さくらが注ぎ易い位置に猪口を差し出した。
すると
さくらは父ににっこり微笑んでみせた。
一人前に、
はるかの真似をしているつもりらしい。
しかし思ったところで徳利を上げられず、なみなみと注いでしまった
さくらは徐々に俯き、今にも泣きべそをかきそうであった。
それを「ほほう。これは上手な酒飲みへの注ぎ方じゃのう」と
鏡月はにこやかに褒めると、一滴も零すことなく然も美味そうに飲んでみせた。
きょとんとしている
さくらに「まあ。
さくらには敵いませんわね」と
はるかも娘を褒めてみせる。
「…………」
恐らくは、照れているのだろう。
だがその感情がどういうものなのか、
さくらはわからずに戸惑っているようであった。
8
「
さくら。春水殿にも"お酌"して差し上げてはどうじゃ?」
鏡月は
さくらが新しく覚えた言葉をそのまま使った。
さくらはちらりと京楽に視線をやり、今の全速力でその腕の中に戻っていった。
「
さくらちゃん、ボクにも"お酌"してよ」
「…しゅんしゅー?」
「うん。ボクも、
さくらちゃんが"お酌"してくれたら嬉しいなぁ~」
京楽が羨ましそうに強請(ねだ)ると嬉々として徳利を取りに行き、京楽にも酌をしてみせた。
「―――っと、と…」
さくらは猪口に、表面張力ギリギリのところまで酒を満たした。
髪の毛一本分にも満たない重さを調節できる
さくらが、二度も失敗するはずがない。
今はわざと溢れない限界まで注いだのだ。
零さずに飲める?とでも問うような悪戯っ子の笑顔を見せる
さくらを目で叱った後、京楽は慎重に猪口を目線まで上げると、僅かに傾けて飲み干した。
「おうおう、見事じゃのう」
皆が
鏡月の拍手に釣られて手を叩いた。
すると
さくらも一緒に手を叩く。
鏡月が
さくらを褒めたのか京楽を褒めたのかは皆もわかっていなかったが、
さくらが父と京楽に笑顔を振りまいているのを邪魔する者はいなかった。
9
ひとしきり手を叩いてはしゃいだ
さくらが徳利を返しに来ると、
鏡月はきちんと娘を見て褒めた。
「春水殿にも上手に注げたのう」
「しゅんすぃ……」
さくらの唇からすんなり夫の名が溢れた。
「……………」
これには当の本人も驚いたようで、固まってしまった。
「……しゅの形のまま、もう少し舌を上げられるかの?さすれば、すの音になるのじゃが…」
鏡月がそう言うと、
少し間を置いて首を傾げた
さくらが―――。
「…しゅー、すぅー…」
「おお、言えたのう。もう一度、言えるかの?」
「…しゅーすー」
「そうじゃ、そうじゃ。
さくら」
向き合った親子は何度か練習した。
「上手に言えるようになった。ゆっくり、春水と言うてみい…」
「…しゅん…す、い…」
「然様。然様」
「…しゅんすい…」
一番、言いたかった言葉…
一番に言いたかった言葉を、
さくらは 言えた。
鏡月が自分の傍へと
さくらを促す声は聞こえても耳に入らず
「しゅんすい」
さくらが何度も
「しゅんすい」
何度も
「しゅんすい」
呼んでくれる自分の名をこの耳に留めようと
「しゅんすい」
京楽は暫く目を開けることが、できなかった。
10
さくらはそれからすぐに、サ行が話せるようになった。
次に言えるようになったのが、カ行だ。
京楽の"き"の音かと思いきや、
さくらが初めて喋った二語文は「しゅんすいすき」だったと、暫くは耳に胼胝(タコ)ができそうなぐらい聞かされた。
「あぐーあぐー」
「……何だ、
さくら?」
京楽の胡坐の中に身を埋(うず)めようと
さくらが強請っているのを見ても、浮竹はわからなかったようだ。
「実はね…。どうしても言いたい言葉は途中まででも言うようになったんだよ」
滅多に言わないけどねと京楽が説明すると、浮竹は他の言葉も練習させてみようと提案した。
「んー。何にするの?」
「会話に必要な…挨拶とかはどうだ?」
「挨拶ねえ…。別にできなくても支障はないから、もっと会話に役立つものがいいねえ」
「それなら返事からか」
やってみると「いいえ」は難なく言えた。
ア行ばかりなのだから当然で、次は「はい」の練習である。
最初はこくこくと頷くばかりであったが、浮竹の処方に付き合った京楽が「
さくらちゃん。はい、って言ってごらん」と促すと、とうとう恥ずかしそうに「…ぁい」と小さく返事した。
11
「お。言えたじゃないかー」
「………あい」
浮竹にも褒められると、また呟いた。
「いいぞ、
さくら。…そうだ、金平糖をやろうか?」
「…あい!」
さくらは両手を挙げて返事した。
浮竹は手渡そうと思ったのだが、
さくらは口を開いている。
「…何だ。口に入れて、ほしいのか?」
口を開けたまま何度も頷き、放り込んでもらうと京楽に食べさせてもらう時と同じく、然も美味しいというように目を閉じてみせた。
「あらら、すっかり懐いちゃったよ。浮竹にも……」
「はは。
さくらも昔、俺に金平糖をくれたな。実は一番好きな菓子なんじゃないか?」
「そういえば…。
さくらちゃんて、どうして百味箪笥に金平糖なんて入れてたんだろうね」
それは隊長達だけの会話であった。
「卯ノ花に言われるまで、気付かなかったんだろ?」
「薬の後には金平糖だなんて。ホント子供のまま大人になったって感じだったよねえ…」
「確かに。あれは、意外過ぎたな」
だから
さくらが話についてこられなくても当然で、口に入れてもらった緑色以外の金平糖を浮竹が懐紙に置いていくのを楽しみに眺めているのだと思っていた。
12
「可愛かったねえ~。卯ノ花隊長に指摘されて、真っ赤になった姿もしゅんとなってる姿もさ♪」
「
さくらから初めて金平糖もらったの…お前、か……」
「そうなんだよ、それで――――――…」
京楽の笑みと言葉が急に止まり、浮竹も何事かと親友の視線の先を追った。
「
さくら、ちゃん…。どうして…泣いてるんだい?」
さくらは眺めていた金平糖から、涙を流したまま視線を上げた。
「きょ、あくしゃぃしょ…うきしゃけ、しゃぃしょ…ぅ」
「
さくら――――…」
「
さくらちゃん。凶悪って何?まさかボクのことじゃないよね」
「いや、多分お前のことだ」
「浮竹ぇー!」
「
さくらが言葉にできるのはア・カ・サ行だけだ。お前の名前じゃなく隊長と呼ぶことで、言いたいんじゃないのか?」
「何をだい?」
「それは――わからんが……」
さくらは涙を拭うと、浮竹にもらった金平糖をひとつ、京楽の口許に差し出した。
「…さき」
「…ボクに、食べろってことかい?」
「…しゅ、ぎ」
続いて浮竹にも………。
13
それでもわかってもらえなかったので、京楽のカルテを持ち出し、
さくらが入隊した直後の日付を指さした。
「
さくら…もしかして、思い出したのか?」
「入隊した…こと。此処が護廷十三隊だって…わかるのかい?自分が、死神だって―――…」
さくらは自分が情けなくて死神と認めるのを躊躇ったが、
まともに話せないことも自覚した今は事実だけ…
問われたことにだけ正確に答えようと、決めた。
「あい…」
「そうか…、思い出せたか……」
「金平糖の話でかい?」
「……ぁい」
京楽は涙ぐむ
さくらがこれ以上自分を責めないように、抱き寄せて諭した。
「
さくらちゃん…。ボクらはね、キミが気付いてくれる日をずっと、ずっと待っていたんだ……。だからって焦ることはないんだよ。キミが少しずつ以前の自分を取り戻していく時間も、大切なんだ…。わかるね?」
「……はい」
「―――…
さくら。今、はいって言えたぞ」
「は…ぃ」
罪悪感や負い目など、感じる必要もないものに押し潰されそうになって涙と震えが止まらぬ
さくらを
どれほどの時間、京楽達は見守っただろう。
さくらが落ち着いたところで卯ノ花に報告した。
その場で検査などを一切しなかったのは、自覚したならば後は自ずと努力し必要なことを身につけていくであろうと皆、
さくらの性格を解っていたからだ。
それよりも。
泣きやんだ後もあれからどのくらいの月日が経っているのか気にする
さくらの不安を少しでも取り除こうとしたのか、「言えたら金平糖を全部やろう」とハ行を全部練習させる浮竹が熱心過ぎて、大いに戸惑う
さくらに京楽も苦笑いするしかなかった。
14
今日の
さくらの"成長"は、ひとまず卯ノ花にだけ伝え、普段通り八番隊へ
さくらを連れ帰ることにした。
ぽて、ぽて、ぽて…。
今まで自分から離れることのなかった
さくらが、後ろを歩いている。
京楽は甘えん坊の
さくらが当たり前になっていたことを、今更ながら知った。
「金平糖…食べるかい?」
二人っきりになり、何から話せばいいのか困った京楽は浮竹にもらった金平糖を懐から取り出して見せた。
さくらは、黙って首を左右に振った。
上級貴族のお姫様らしい、上品な否定の仕方だった。
「
さくらちゃん…。全部、思い出せたの?」
今度は、
さくらはゆっくりと頷いた。
「入隊する前のこともかい?」
また
さくらは黙って頷いた。
「入隊前まで、髪を地に着くほど伸ばしていたことも?」
この問いに、
さくらは驚いたようであった。
だが家族から聞いたとでも思ったのだろう。
自分でも忘れていた思い出に、
さくらは大きく頷いた。
15
「じゃあ…ボクがキミにとって……特別な存在だってことも…? …ああ、こんな言い方じゃあ返事出来ないよね。その―――ボクは、キミの……」
「…ふ・う・ふ」
さくらは自分の言える言葉の中で、正確に表現できる言葉を選んだ。
「――――――
さくら…」
どんなに…
どんなに聞きたかった言葉だろう。
どんなに確かめたかったことだろう。
さくらの精神年齢は、天支光輪の主と認められた頃ではないかと診断されていた。
それは知能からの推測だったが記憶が戻らなければ理性を取り戻そうとも、自分を――
京楽春水がこんなにも傍に居ることを、認めてもらえないのではないかと ずっと、ずっと心に引っかかっていた。
「キミは…目覚めた時からボクだけを見てくれていた……。あれは、ボクを、夫婦であることを、覚えてくれていた…から、なんだ…ね?」
さくらは即答しなかったが、しっかりとそしてはっきりと肯定した。
きっと、今までは無意識だったが…という伝えられない思いがあってのことだろう。
それでも……
いいやそんなことより
もう 十分だ。
天宝院家の者と同じ満足感を、京楽も漸く味わえた。
長かった。
だが、漸く藍染との戦いに終止符が打てた気がして、京楽の口から大きな安堵の溜息が出た。
16
「ふうふ…」
「うん、そうだね…」
もしかしたら浮竹は夫婦(めおと)も妻も夫も
さくらが言えないから、あんなにハ行の発音に熱心だったのかもしれない…と、京楽が頭を撫でてやっていると、不意に
さくらは立ち上がってしまった。
「
さくらちゃん…?」
見ていると
さくらは箪笥や鏡台を開け、帯やら簪やら白粉(おしろい)に香。色々と持ち出して、京楽の前に無造作に並べ始めた。
無造作に…
一見そう見えたが、京楽にはその順番の意味は並べ終える前にわかった。
何故ならば京楽が贈った物を、贈った順に並べていたからだ。
もう全て並べる必要はなかったが
嬉しくて…
さくらがひとつ残らず、手元にある贈り物を順に置いていく様が愛おしくて
少し落ち着いた色で、それでいて滲み出るような情熱を思わせる深い色の紅から
さくらの手が離れると、京楽はそっとその手を包み込んだ。
「さ・い・ご」
「最後じゃない…最後じゃないよ……。これからも、ずっと―――」
また熱くなった目頭に、
さくらの背中を抱きしめた。
「ずっと、受け取ってほしいんだ…ボクからの、贈り物を…ね」
「しゅんすいさん、すき…」
「はは…本当に、思い出したんだね」
京楽は自分をさん付けで呼ぶ
さくらに苦笑いした。
17
さくらはその日から、目覚ましく"成長"した。
言葉の問題を克服し、昔の美しい立ち居振る舞いを取り戻すのに、そう時間はかからなかった。
今では藍染との戦い以前となんら変わりなく、四番隊の平隊士として仕事をこなしている。
しかし
さくらは
元に戻ったのでは、なかった。
浮竹の処方中に京楽が詰所を訪れても、
さくらは京楽を追い返さなくなった。
ただ伊勢にすぐに見つかるようになった為、あまり京楽がゆっくりできた例(ためし)はない。
それに
さくらだけが休みの日は、夫婦揃って八番隊に現れるようになった。
隊首室や執務室、無論伊勢の前でも京楽にべったりだ。
べったりだが、これで仕事をサボれば
さくらから引き離されるとわかっているから京楽も真面目に職務にあたり、伊勢は逆に助かっている。
結局
さくらが"だらしなく"なったおかげで、八番隊延(ひ)いては護廷十三隊としてはいいことばかりだ。
京楽にとっても、長い間伊勢と話し込んだり隊首会から戻ってきたりするとにっこり迎えられて…
二人っきりになると「淋しかったですぅ」と甘えてくる妻に、想いの届かなかった頃のときめきが甦るほど鼓動が高鳴った。
手を繋ぎたければ人前でも
さくらから指を絡めてくるほどに変わったのだが、
さくらの記憶も知能も身体能力も問題ないと卯ノ花に太鼓判を押され、二人はただの隊長と平隊士の夫婦に"戻った"。
18
二人だけの全快祝いとして、最初に出かけたのは彼の地。
少なくとも
さくらにとっては空白の年月を埋める為に訪れるべき場所であった。
折しも銀杏並木が街を彩る頃で、あの日と同じ場所から眺めた遥か向こうの山は、時を隔てても綺麗に色づいていた。
だが今日は風も強くない。
それでも時間を重ね合わせるように暫く二人で引っ付いて、山を眺めていた。
「
さくらちゃんは、ちゃんと成長したね…」
さくらが夫の腕の中で見上げる。
「…覚えてるかい?此処で、話したこと………」
その問いに
さくらがはいと答えあの日の会話を口にしたが、京楽はゆっくりと首を左右に振って止めた。
「ボクが言ってるのはね、キミ自身も大切にしないとねって言ったことだよ」
あの日と同じ、穏やかな眼差しが
さくらに降り注ぐ。
京楽の気持ちがわかってかわからぬのか、
さくらはただ見詰め返すだけである。
「ボクも、そろそろ大人にならなくちゃねぇ」
「ぷふっ」
「……何、間髪入れないで吹き出してるのさ」
「だってぇ、春水さんは十分大人ですもん」
「……そうかい?」
背中から抱きしめていた
さくらの体の向きを腕の中で変え、瞳を覗きこんだ。
本当に、
さくらは京楽を大人だと思っているのだろう。
どれほど月日が流れても何があろうとも、夫を恋慕い敬う気持ちに変わりはないようだ。
19
「キミが…眠りに就いた後、ボクは随分自棄になった時があってね……。だけど今は全てに感謝してるよ。あの眠りもキミに必要だったんだって、やっとわかったからね」
「春水さん…」
「もしかしたら、キミに…じゃなく、ボクに、かな?」
「え、春水さん???」
何を言っているのかわからないというように、
さくらは目をぱちくりさせて首を傾げた。
「要はキミが居なくちゃ、ボクは駄目だってことさ。こういうの、何て言うのかなあ~。惚れ直したっていうんじゃなくて…二度惚れ?」
「春水さんったら…」
さくらは本気にしていないようだが、京楽は
さくらと此処に再び―――
生きて再び訪れられたことに本音を吐き出さずにはいられなかった。
「キミを―――護れなくて、済まなかった」
さくらは、ゆっくりと首を左右に振る。
「瀞霊廷、延(ひ)いては尸魂界・現世を護るのは私達の役目ですから」
ああ、あの時…
この言葉の重みを十分理解していたならば…と、京楽はまた悔やむ。
20
「ごめんよ」
「春水さんが謝ることなんて、何もありませんよ?」
「謝らせておくれよ」
「………じゃあ、口付けてくれます?」
「……え」
「春水さんが謝るなら、許さなきゃ」
ね?と片目を閉じるさくら#に、京楽が敵うはずがなかった。
「そ、それじゃ…」
「う~んと甘いの ですよ?」
首筋に腕を絡めてくる
さくらは難題を吹っ掛けているかの如く悪戯な笑顔だ。
美しく愛らしく、そして妻であることが誇らしげな
さくらに、夫として男として応えぬわけにはいかない。
京楽は
さくらの腰を引き寄せると、喉が露わになるほど上を向けさせた。
崖下から吹き上げる風に、髪が舞う。
唇を重ねたまま、京楽は二人崖下に身を投じそうなほど押し倒すが、
さくらは動じなかった。
一度は 本気で、妻の意思も確かめずに犯しそうになった過ち。
あれほどの過ちをこの唇で許してもらえるとは到底思えなかったが、京楽はあらん限りの想いを 注いだ。
どのぐらい、そうしていただろう。
さくらの体から力が抜け絡めていた腕が緩むと、自分の胸に持たれさせ京楽は「甘かったかい?」と尋ねた。
さくらは身を委ねたまま少し考えて、小さく首を左右に振った。
「え!あれじゃあ駄目なの?」
じゃあもう一度と再び顔を寄せる京楽に、何度もふるふると頭を振った[#da=1#]は「熱かった…です」と真っ赤な顔で口許を隠して答えた。
「参ったねえ…」
じゃあ次こそ、ご要望の甘い口付けをするよと
暫くは一人で歩けそうにない[#da=1#]を抱き上げて、こめかみに約束の印を落とした。
21
[#da=1#]は鍛錬も兼ねて再び舞を始めていた。
同じく回復していた[#da=7#]だが、いつもまだ本調子が出ないと言って途中から京楽に任せる。
任せると言っても[#da=1#]はちゃんとできるようになっている段階なのでその相手を、という意味だ。
だが今はもう、京楽も舞が苦痛ではない。
[#da=1#]と共に居られるだけで満たされるのだ。
それに二人ともいい意味で稽古の手を抜くようになったので、京楽としても肩肘張らずに付き合える。
[#da=7#]には、余生という言葉が相応しい。
それは当然姿形のことではなく、大義を成し遂げたという意味でだ。
彼は藍染が一度足を踏み入れたならば二度と出られぬ結界を、誰に知れることもなく張っていた。
転送した空座町一帯だけで良かったのではないかとも思うが、それでは結界の僅かな差に気付き藍染を警戒させたかもしれない。
だから有り得ないほどの―――尸魂界を覆い尽くす結界を張り巡らせていたのだ。
藍染を、確実に仕留める為に。
実際に藍染は転送した空座町より少し外れた場所に現れた。
ゆっくりと――恐らくは鬼道衆全員をもってしてもこれだけ完璧な結界など張れはしない――薄く濃密で繊細な結界を狭めるには時間を要した。
この時、[#da=6#]…[#da=7#]の力はもう残り僅かだった。
それだけのことを成し遂げた身でありながら[#da=1#]の傍を離れなかったのは、[#da=1#]が藍染の封印に惜しみなく全力を注ぐと知っていたからだ。
22
[#da=1#]が全力を使い果たした後、己の最後の力を注ぐことで
[#da=7#]は[#da=1#]の命を繋ぎとめようと、した。
それが可能だと確信していたのは昔、[#da=1#]が母の魂魄を取り込み霊子を循環させ母に同等の魂魄を還元していたからだろう。
弟もまた、その方法を導き出したぐらいなのだから、[#da=7#]が思いつかぬはずがなかった。
更には――――
藍染はあの封印を自ら破ろうとはしないであろう
…と、[#da=7#]は京楽に告げた。
何故なのか。
尋ねる必要は、なかった。
憎しみや怒りなどではなく、全てを受け入れ包み込む[#da=1#]の霊圧による封印を施された藍染が、それを拒むはずが なかった。
天に立ち、世界を支配しようがしまいが
これ以上に満ち足りた気持ちになれるはずがないことを
京楽もまた 知っているからだ。
[#da=1#]をこの手に抱きながら
腕の中の[#da=1#]に、手のひらの上で転がされる―――。
この心地よいジレンマを振りほどける男など、居はしないのだ。
「さあさ、もう少しで完成じゃ。二人共、次は三幕の頭から… 良いかの?」
[#da=6#]が穏やかな笑みで、愛弟子に続きを促した。
23
藍染との決戦前に、二人で出かけたあの日から幾年月。
「再び…生きて」
「この場所へ」
敢えてあの決着のついた日に、この舞を披露した。
京楽と[#da=1#]は一度背を向けあって再び向かい合う。
「「永遠(とわ)なる誓いを果たしに参りまする」」
しかし何度、演(や)っても……
このシーンでは二人とも、一瞬時間が止まってしまう。
長かった……。
けれど、果たせた。
[#da=1#]との外出もこの舞も。
「この"間"は、真実の間。無理に無くすことはなかろう…」
[#da=6#]はそう言って、楽士らにも音を消すように手直しした。
長い
長い 間
手を取り合っていた二人は、この後
運命に引き裂かれる場面を演じ
そして再び出逢えし歓びの舞を終えた。
それから更に半年は過ぎただろうか。
もう、[#da=1#]が指を咥えてよちよち歩いていた事など誰も思い出せない月日を経ていたし
医薬品取扱専門詰所に入った新人二人も、なんとか[#da=1#]の代わりを務められるぐらいにはなっていた。
24
そんなある日――――
「倒れたって……。[#da=1#]ちゃんが?」
浮竹じゃなく?と念押しすると、そうだと本人に目くじらを立てて答えられた。
だが、倒れるならば[#da=1#]より浮竹のほうが日常茶飯事だ。
「だからこそ心配だろうと思って、俺が先に伝えに来たんだろう」
「先に…ってことは……?」
「本人は大丈夫だと言ったが、念の為に卯ノ花に診てもらっている」
「ふうん。そう…」
ちらりと部屋に居るもう一人の人物を見ると、伊勢は慌てて視線をそらして咳払いをした。
「…どうぞ、行ってらしてください」
「あれ、いいの~。七緒っちゃん?」
「心配で、仕事も手につかないでしょう?」
「そうなんだよ~。それじゃあ行ってくるね!」
いかにも仕事をサボれる喜びを顕わにして飛び出してきたものの、内心は本当に[#da=1#]が心配だった。
もう体は何の問題もないと卯ノ花が太鼓判を押しているし、仕事もほぼ浮竹専属みたいなもので後輩達もいるのだから疲労とは考えにくい。
25
「―――微熱というほどでもありませんが、貴女の平熱にしては些か高いかと…」
「熱は、寝起きではないからだと思います…」
「風邪でなければ、貧血ですかね…?」
京楽が医薬品取扱専門詰所の外で立ち聞きした内容からしても、大したことはなさそうだ。
職場まで来たのは心配し過ぎかとも思ったが、熱愛夫婦と知れ渡った仲。今更引き返すことはないと、堂々と京楽は詰所の戸を開いた。
「春水さん…」
[#da=1#]も嬉しいやら恥ずかしいやらといったふうで、卯ノ花がもう今日の仕事はいいと言うと素直に従った。
片付けをする[#da=1#]を見ながら「本当に、仲のよろしいこと」と卯ノ花もひやかすような笑みを見せるが、京楽も「こりゃ参ったねえ」と言いながら満更でもなかった。
しかし、不意に笑みが静まり真顔になった。
「[#da=1#]ちゃん。…キミ、もしかして―――――」
「…はい?」
片付けものをしている[#da=1#]は、少し首を捻って夫に視線を向けたが
京楽の言葉が続かなかったのでそのまま支度を整えていた。
26
「…可能性は、あるのですか?」
「そりゃ、まあ…夫婦ですからね」
卯ノ花の問いに京楽が照れ臭そうにこめかみを掻いても、[#da=1#]自身はわかっていないようであった。
帰り支度の整った[#da=1#]が改めて卯ノ花に頭を下げに歩み寄る。
しかし卯ノ花は別れの言葉より先に、京楽の口ぶりで思い当たることを尋ねた。
「…[#da=1#]。あなた、妊娠したのではありませんか?」
「―――――――……」
二人の会話を全く理解していなかった当の本人は固まり、言葉を失った。
「その可能性があるのなら、検査してみましょうか」
「い、や…で す……」
[#da=1#]は、青ざめて椅子を倒しそうになりながら後ずさった。
「い…や……」
「[#da=1#]ちゃん……」
「―――[#da=1#]?」
「――――し、 く…な……ぃ」
[#da=1#]はお腹を庇いながら、後ずさりした。
そして―――
「[#da=1#]ちゃん!!」
京楽に捕まらぬように、[#da=1#]は戸口まで走った。
「ああああああああああぁ……」
逃げたところで、何処に行けるものでもない。
現実から、逃れられるはずも ない。
それでも――――
夫の口から「堕ろしてくれ」という言葉は、聞きたくなかった。
27
怖くて…
夫のすぐ耳に入る場所で調べてもらうなど 怖くて……
二人で居られるこの時を大切にしようと心に決めたのに―――
子供が授かったかもと思った瞬間
迷わず選んだのは、春水との別れの道だった。
この先、何処へ行けばいいのかなんて わからない。
どうすればいいかなんて、わからない。
けれども春水の腕の中に戻るには…………。
ガッ
「っあ――」
泣きながら前もよく見ないで走っていた[#da=1#]は転びそうになった。
ゆっくりと眼前に近づく地面から、花と香の薫りがする。
ドッ…
手をつこうとしたのだが、先に[#da=1#]の腹と肩が接触した。それは――――…。
「ふぅ。危なかったねえ…」
しっかりと[#da=1#]を捉え、大きな溜息を漏らした春水の両腕だった。
「…ぅ、あ……」
夫に掴まったと知った[#da=1#]は、もがいた。
逃れようとしているのだろうが、冷静さを欠いた[#da=1#]はビクともしない春水の腕を叩いているだけであった。
「[#da=1#]ちゃん」
「イヤイヤイヤイヤイヤ!聞きたくない!!」
「[#da=1#]ちゃん…」
「いやああああ、言わないで!言わないで、春水さん…」
[#da=1#]は両手で耳を塞いで叫んだ。
28
「…言わない。言わないよ。キミが悲しむようなこと、絶対にボクは言わないから…。だから、聞いてくれないかい…?」
「ヒイックッ」
いくら耳を塞いでも春水の声は聞こえていた。
春水には[#da=1#]がしゃくりあげているのか答えているのかわからなかったので、遠回しに語りかけた。
「[#da=1#]ちゃん…今まで辛い思いをさせて、ごめんよ」
「ふええええええぇっ」
「違うんだ…あの日……、藍染との戦いが済んだらキミに一番に伝えたかったこと……」
[#da=1#]は大声をあげて泣き出して、とても聞いている様子はなかった。
「本当は…抱き上げて、皆に宣言したかったんだよね…。でも、もう抱き上げたりしたら…ダメ、だよね?」
「ヒイッ――――ク…」
「両手。耳から離して…ちゃんと聞いてくれるかい?」
「ぅぅ…。しゅ、ずぃ、さ…」
「今から言うことだけを――これが今のボクの、本当の気持ちだから…それだけを[#da=1#]ちゃんに、聞いて欲しいんだよ。いいね?」
まだ不安の混ざった表情だったが、[#da=1#]は恐る恐る両手を下ろした。
[#da=1#]を首に抱きつかせ、腰を支えて膝に乗せるともう一度確認した。
29
「[#da=1#]ちゃん、聞いてくれるかな…?」
「…はい」
あの時ボクはこう思っていた。
この戦いが終わったら―――
真っ先にキミを抱き上げて
伝えたい、と……。
キミは恥ずかしくって首筋まで真っ赤に染めるだろうけれど
きっときっと、喜んでくれる。
「キミに、伝えたいことがあるんだ」
「は、ぃ……」
ボクはキミに出逢って漸く、知ったことがある。
「[#da=1#]、ボクの子を産んでください」
「…ほ んと、に………?」
「勿論、ほんと。ホントのホントの本気だよ」
キミがお姫様でなく、母になる頃
ボクは随分大人になってないといけないとウンザリしていた。
「キミがお母さんなら、こんなボクがお父さんでも、何も心配することないよね」
でもねぇ…子供と一緒に成長する親でも、いいじゃないの。
キミとならこの先、何も変わらなくても何が変わっても、楽しめる気がするんだ……。
「ただし。子供ばっかり構わないで、ちゃんとボクの奥さんでもいてね?」
春水はコツンと、おでこをくっつけた。
「はい… 春水、さん」
[#da=1#]は漸く
蕾が開く瞬間のように、強さと優しさを備えた、一番幸せそうな表情(かお)ではにかんで笑った。
涙が……[#da=1#]の涙が喜びに変わると、春水はその滴をそっと唇に含んだ。
睫毛に目尻に頬に、そして唇。
「今日のが一番、甘かった…です」
[#da=1#]の涙が止まり本当の笑顔になると、春水は[#da=1#]を抱き上げた。
「さぁ~て。ホントにできちゃってるのかなぁ~?それとも、これから っかなぁ~?」
「春水さんったら………」
何度も何度も口付けを交わしながら、二人は八番隊へと戻って行った。
[#da=1#]が転びかけた現場が六番隊隊舎付近で、一部始終が弟の耳に入ることになるとは知らずに―――――。
fin*
************************************************結果的に、皆さんに子作り宣言をしたようなものですね、京楽隊長。
タイトルは[#da=1#]様が母になる頃という意味です。
その頃には京楽隊長も大人の男性としての自覚が芽生え……ププ。(゚艸゚)
失礼。芽生えるかと思ったのですが、京楽隊長はいつまで経ってもしっかりしなさそうですね。
一応、ここまでが風:京楽隊長で書きたかったお話です。
今後もぼちぼち書いていく予定ですが、区切りの今回までご覧いただき誠にありがとうございました。
2012.02.14
京楽隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月