さくらが四番隊勤務の日を、京楽は心待ちにしている。
それは唯一妻に会える日であった時とは違う理由でだ。
午前中は精神力の鍛錬にあて、昼を過ぎると京楽は己の霊圧を全開にした。
全開と言っても以前山本に呼び出しを喰らってしまった為、
さくらを試す霊圧に方向性を集中するようにしている。
しかしどのような、そしてどんなに強力な霊圧でも
さくらは平然と京楽の懐まで入り込んで来る。
「今日は甘い卵焼きにしましたよ」
携えていた弁当を胸元まで上げて、微笑みさえ浮かべて。
1
正直、そんな時に嘘の笑みを返すことすらできないでいるのだが
さくらは京楽の表情やその姿が格好良くて見惚れている。
地鳴り轟く結界の中で平然と。
「…ありがとう」
徐々に霊圧を下げていくが、
さくらは知る由もないようだ。
冬の決戦まで日は短く
さくらの当番も週に一度程度では、そう色々と試せるはずもない。
既に
さくらの霊圧に対する限界を知ろうと試みることが無意味ではないかと京楽は思い始めていた。
2
「
さくらちゃん…」
「あー、ダメですよ。ちゃんと指の間も拭いてください」
さくらは掌をさっと拭った程度でおしぼりを置きかけた夫の手を止める。
「爪の周りもぐるっと拭いてくださいって言ったのに…」
すぐに忘れてしまううっかりさんに、
さくらはぷうっと頬を膨らませた。
可愛いねえ…。
今日も
さくらの限界域を超えられなかったのだ。もう考えても仕方ないと、京楽は気持ちを誤魔化した。
「でも、
さくらちゃんに拭いてもらったほうが嬉しいし」
手を綺麗にすることに集中している旋毛にそう囁くと、はたと
さくらの手は止まった。
3
そっと頭を擡(もた)げて上目遣いにボクを見るキミは、先程のボクとのギャップにときめいている―――。
そんな
さくらの気持ちが手に取るようにわかる京楽は、更に自分の魅力を見せびらかした。
「それに手は汚れてても、
さくらちゃんが食べさせてくれればいいじゃないの」
「きゃあぁー」さくらは真っ赤になっているだけだが、京楽には声にならない黄色い悲鳴が確かに聞こえた。
何故だか
さくらは食べさせあいっこをするのを途轍もなく恥ずかしがる。
それがわかっていながら言うのだから、意地の悪い夫である。
4
「しゅ、春水さん、指まで口にしないでっ」
食後に
さくらが剥いた蜜柑の子袋を持って差し出すと、京楽は果肉だけでなく
さくらの指まで食(は)む。
「
さくらちゃんの指も美味しいよ?」
「私まで、食べないでくさいぃ…」
四番隊に常勤していた頃とは違い、
さくらの手指は昼を過ぎてもしっとりとしている。
週に一度しかない勤務では時間のかかる煮出しの作業などをしない為、爪が染まることも少ない。
だから
さくらも指先でおどける夫に心なし余裕があるように伺えた。
5
食事が終わると、京楽は腰を上げる。
いつもは昼寝が日課の男とは思えぬが、斬魄刀を手にすると再び拓けた地に立ちゆっくりと鞘から抜いた。
さくらも弁当を包み終えるとポケットから帽子を取り出して白衣を脱ぎ、畳むとその上に帽子を置いた。
それから持ってきていた己の斬魄刀を手にした。
最初は死覇装でもないこの格好で夫と刃を交えるのに抵抗があった
さくらだが隊長と手合わせできる貴重な体験と、気持ちはすぐに切り替わった。
鞘を腰に差すには相応しくない格好の為、
さくらはその場で刀を抜くと京楽の許へと向かう。
「お願いします!」
「よろしく~」
可愛らしい蝶型に結んだ帯が覗くぐらい深々とお辞儀した妻に京楽は軽く応えるが、既に夫の霊圧は始解レベルまで高まっていることに
さくらは気付いていない。
ヒュンッ
京楽は容赦なく斬魄刀を振り下ろした。
その場を動かなければ
さくらの体は真っ二つである。
6
さくらは紙一重でかわしていた。
それも一旦京楽の刃を避け、再び同じ位置に立つ。
最初は己の刃が折れているのかと京楽ですら我が目を疑ったほどだ。
本来は避けた後に同じ位置に立つのではなく相手の懐に飛び込み攻撃を仕掛けるのだと
鏡月に教えてもらうまで、
さくらにまだ余裕があることを京楽は知らなかった。
それでも京楽は二刀を持つ身であるから、攻撃を受けたとて咄嗟に脇差しで防げるかもしれない。
しかし素手ならば少なくとも鋒(キッサキ)で腕や手を切られているだろう。
さくらが本気になれば京楽でもかわせないほど、妻の動きは速かった。
速さと構えについて、京楽が指導することは何も無いのは二人が結ばれる以前からのことだ。
だが、これだけの霊圧の中、
さくらが顔色ひとつ変えないどころか霊圧を圧とも思わない理由がわからない。
だからこそ京楽は妻の実力を探るべく、こうして遊びのふりをして
さくらに付き合せている。
7
「ぅ、ぅ…」
「それで本気なの?」
「ほ、本気ですううぅ」
「あ、そっ…」
キィ――…ン
京楽が手首を捻る程度の力で、
さくらの斬魄刀は放り出された。
さくらの力は到底京楽に及ばない。
敵に浅い傷を幾つも負わせ動きを封じた後に止めを刺すことは可能だが、そんな基本的な攻撃では隊長に敵うはずはなかった。
普通の死神
誰もが
さくらの戦闘力をそう評価するだろう。
京楽とて己が霊圧を全開にしていることを、うっかり忘れてしまうことがあるほどだ。
8
「あーん。またですかあー?」
さくらは地面にへたり込んでぼやいた。
「仮にもボクは隊長さんだしね~」
京楽は斬魄刀を鞘に収めると、妻を立たせてやった。
「
さくらちゃん…家宝刀は解放できるの?」
さり気なく、本人に訊いてみる。
「解放ですか?ん~。やったことがないので……」
さくらは両手でパッパと埃を払うと、無防備に背中の蝶々を見せて遥か遠くへ飛ばされた斬魄刀を拾いに行く。
やはり家宝刀を解放したのは
武礼クンだけなのか…。
遠ざかる妻の背中を眺め、京楽は小さく溜息をついた。
9
双極を造り上げるのは、
天宝院の始祖以来の任務だそうだ。
ならば
武礼は家宝刀を操るに長け、
さくらは非力で霊力を使い果たすのだとの説明で今までの状況に違和感はないように思える。
しかしこの霊圧に対する反応はどう説明すればいい?
弟の
武礼は確かに京楽の霊圧を感じている。
それをあの若さで
天宝院家次代当主としての意地と誇りにかけて押し潰されまいと耐えているのだ。
家宝刀を解放できた
武礼で京楽の霊圧に耐えなくてはならないのだとしたら、
さくらなどこの結界の中で息もつけぬはずである。
10
さくらが斬魄刀を拾い上げる。
「
さくらちゃん、斬魄刀の名は聞けた?」
問うが早いか京楽の刃は
さくらの腕を切り落とす。
「全然教えてもらえませんっ」
しかし刃の僅かに隣に
さくらは立って答える。
「………そう」
今、腕ぐらい切り落としても構わないと本気で京楽が踏み込んだにも関わらず、
さくらは振り向いて返事したぐらいの様子だ。
「早く名を聞けるようになるといいね」
地に水平に刀を振る。
「はい、京楽隊長みたいに二刀一対だと嬉しいです」
頭上から振り下ろした時と何ら変わりなく、京楽が認めた時には
さくらは元の位置に立っている。
11
「…そりゃ、無理だろうね」
脇差しで
さくらの腹を衝く。
「どうして、ですか?」
今度は単に避けただけで、京楽の右肩に凭れて問い返してきた。
最も短距離で初動による攻撃の判断がつかないように脇差しを左で抜いて衝いたのだが…。
「…尸魂界で二刀一対と確認されたのはボクの花天狂骨と浮竹の双魚理だけ、だからね」
ゆっくりと左腕を上げ、何食わぬ顔で
さくらの首を脇差しで刺す。
ザュッ…
僅かに京楽の羽織る女物の上着が切れた。
「 …なぁんだ――」
斬魄刀を眺め、京楽隊長とお揃いだといいなってずっと思ってたのに。と
さくらは呟いた。
京楽が本気で攻撃を仕掛けているというのに、顔色ひとつ変えないどころか
まともに会話しながら難なく避ける。
12
一体…
この子は
どれほど強いんだい?
京楽が力なく斬魄刀を下ろしたのを見て、
さくらは修練が終わったものと思ったらしい。
「ありがとうございました」
礼を述べ頭を下げると剥き身の刀を仕舞いに京楽に背を向けて走って行く。
先程、斬魄刀を拾いに駆けていた時と何ら変わらない背中。
妻より先に斬魄刀を鞘に収めた京楽は霊圧を消すことも足音を殺すこともなく歩み寄り、その背中を抱き締めた。
「 京っ」
「春水」
「……春水、さん 」
斬魄刀を鞘に戻し終えた途端にあっけなく掴まった
さくらは、見る間に赤らんでいく。
13
「い、今は勤務中ですっ」
「今はお昼休みだよ」
さくらの心臓の鼓動が京楽の腕に伝わってくる。
草原に咲く花のようにいとも容易く手折れそうな体なのに…
「…もうすぐ、終わります」
「そうやってはぐらかすの、
さくらちゃんの悪い癖だね」
その身から繰り出される攻撃は花の棘よりも鋭く突き刺せるであろう。
瞬歩は勿論、どれほど大きな霊圧をぶつけられても微動だにしない
さくらが真の姿ならば、この腕の中にある清楚な妻の姿は偽りだと言うのだろうか。
14
「私、四番隊に戻ります」
「…"戻る"んじゃないでしょ?」
昼の休憩時でも妻の戻る場所を四番隊と言われるのを嫌い、朝と同様の言葉を望む京楽は
さくらの体を捻って自分のほうを向かせた。
「――行ってきます」
「うん…。行っておいで」
そして
さくらの額に口付けを落とす。
「はい、春水さん…」
蕾が開く瞬間のように、はにかんで笑う
さくら。
キミのその笑顔を消してしまうぐらいなら
ボクはもう真実なんて
―――要らない。
キミが微笑んでくれるなら
全てが偽りでも、いい。
15
弁当の包みと斬魄刀を持ち、帰り支度ができると
さくらはぼうっと突っ立っている京楽の顔を覗き込んだ。
「京…春水さん。鍛錬に忙しいのに、いつも構ってくださってありがとう…ございます」
きゅっと結んだ
さくらの口許を目にした京楽は、我に返った。
さくらは力を探られているなど露とも知らないでいる。
妻を寂しがらせないように理由をつけて構ってくれているのだと信じている。
京楽が互いの気持ちの隔たりに、真実を語らぬまでもせめて言い訳をしようとした矢先
「また後で――。春水さん、大好き!」
そう言うが早いか
さくらは姿を消していた。
風が二度三度体を撫ぜて
「―――
さくら、ちゃ…」
漸く妻の名を呼ぶことができた京楽の声が
さくらに届くはずもなかった。
16
「…参ったね」
きっとあれは
さくらにとって、物凄く勇気を振り絞った告白だったのだろう。
妻の勇気を笑うかのように、風が京楽の身を撫でる。
そんなささやかな風に鳴くように京楽の心は揺れる。
真実は……
真実とは、何だろう。
京楽の足許から小さな渦が巻き上がると、頬を髪を悪戯に弄っていた風が蹴散らされて行った。
「…花風紊れて
花神啼き
天風紊れて
天魔嗤う―――」
…紊れて啼くのは
さくらの心かボクの心か。
紊れて嗤うのはキミなのか、ボクなのか
それとも―――
たとえ
さくらがどんな力を秘めた者であったとしても…
それが世界を覆すほどのものであったとしても
ボクらの今を揺るがすものじゃあないと信じたい。
fin*
************************************************正直なところ、Fade To Blackの意味はよくわかっていません。
このお話では不安や疑念などダークな心情で(愛や信念が)薄れる・弱まるという意味にとり、悩める京楽隊長を書いてみました。(書いたつもりなんですって)
一方
さくら様は漸く素直に自分の気持ちを言えるぐらいになってきたところ。
お互いの心情のすれ違いを感じていただけたらと思います。
ご訪問ありがとうございました。
2009.02.23
京楽隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月