「
さくらちゃん、たっだいま~!」
「きゃああああ!!!」
まだ浴衣の帯を締め終えていなかった
さくらは慌てて戸口に走り、突然開け放たれた脱衣所の戸を閉めた。
「
さくらちゃあん、ボクだよ…」
「わかってます!でも、待ってくださいぃ…」
そんな夫婦なのに水臭いよと春水がまた戸を開けようとする為、
さくらは手を塞がれて結局帯を締められない。
「
ツバメー!春水さんがあぁ――!!」
はいはいと、いつもの夫婦のじゃれ合いに慣れた
ツバメは今日の酒の肴を読み上げる。
春水が自分のほうを向くと、
ツバメは春水が戸にかけていた手に夕食の献立を渡した。
「奥様のお支度が整いましたら、すぐに召し上がれますからね」
ツバメがにっこり微笑むと漸く身なりを整えられた
さくらが現れた。
「…お待たせ致しました」
湯の所為かほんのり頬が赤らんだ
さくらが夫を見上げ、詫びる。
春水が
天宝院家に"帰宅"するようになってから恒例となった場景であった。
雪化粧の前に
1
さくらを寝かしつけると、春水は抱き付かれていた腕をそうっと抜いた。
それから上掛けを
さくらに掛け直し、頬に薄くかかった髪を払うとそこに軽く唇で触れ部屋を後にした。
布団を抜け出すと、途端に冷気に包まれる。
それでも春水は素足を脛まで覗かせて妻の実家の廊下を歩いていた。
殊更意識していたわけではないが、どんなに霊圧を下げていようとも
鏡月は春水が現れると伏せていた杯を手に実にいいタイミングで歩み寄る義理の息子に差し出すのだ。
「男二人で飲んでも、つまらぬがの」
鏡月はそう言いながらも、妻を夜酒につき合わすことは稀である。
酌を受けた春水がくいっと飲み干すと、徳利を持ち義父に酌を返した。
「お義父さんも」
「おお、済まぬな」
妻や誰かが居れば陽気に酒を煽るが、一人の時は静かに酒に浸っている。
…というよりも一人静かに過ごしたい時間は酒を相手に自分の世界に浸っているようで
春水の飲み方に通ずるものがあった。
2
既に夜の気温はかなりのものだが寝間着に一枚羽織っただけで、酒で暖を取りながら障子を開け放ち庭に浮かぶ月を
鏡月は眺めている。
それは春水が側に居ようと居まいと変わらなかった。
「お義父さんは毎晩飲まれているんですか?」
春水が起きてくる日は、必ず
鏡月が酒を嗜んでいた。
「いいや」
空を見たままの静かな否定に、ボクが見る限りいつもそうしていらっしゃるもんですからと春水が疑問を投げ掛ける。
「儂が飲みたいと思う日に、お主が起き出してくるのじゃ。
酒の匂いを嗅ぎつけての」
漸く目を合わせニヤリと笑う
鏡月に、それはそうですねと春水も笑ってみせた。
3
最初は
さくらの身を案じ
天宝院家の家宝刀の力を探ろうという意図もあった春水だったが、自分と毎日会えるようになると夕方にはやや疲れを残している日もあるものの母親に四番隊の勤務を代わってもらうほど酷い状態になることは二度となかった為、春水からそのような邪心は消えていた。
しかし時折心に沸き起こる疑問。
それを春水が整理しようとする日に限って、
鏡月は酒を飲みたくなるという。
基本的に
さくらが双極の根本を造り上げ
武礼が仕上げるというようなことは教えてくれた。
だから時期的に
武礼には負担がないのかとも思えるのだが、春水は未だに
天宝院家の家宝刀の秘術は目にすることは叶わない。
4
「ボク、
天宝院春水になろうかな?」
春水が、他愛ない会話の間に冗談を挟む。
「娘ならいくら増えても構わぬが、息子は
武礼だけでもう沢山じゃ」
酔いで口調がゆったりとしているような自然な会話だった。
しかし
鏡月が酔うと言っても上辺だけの男で、今伝令が入ったならばすぐさま正気の目に戻り裏挺隊の指揮を執れるだろう。
「酷いなあ。ボクはお義父さんの息子じゃないんですか?」
「お主は
さくらの夫よ。若しくは役職で呼ぼうかの?護廷十三隊八番隊隊長、京楽春水殿」
隊長と呼ばれ春水はやめてくださいよと情けない顔をして見せる。
「儂にはお主がそういう存在であることは何より有り難いことじゃ」
「有り難いですか?」
ははっと笑いながら杯を空ける。
5
「
さくらの為ならば、何としてでも勝てるであろう―――?」
それは
鏡月の声であった。
確かに目の前の男の問い掛けであったが、今何故そのようなことを問われたのかが春水には瞬時に理解できなかった。
だから杯から唇を離し見つめた男が自分に注いでいた眼差しに、春水は血が凍りつきそうだった。
「冬はもう間近よ、春水殿」
それが藍染らとの、冬の決戦を意味するのは義父の目を見た瞬間に春水にもわかった。
「
さくらが心血注いで彼奴(あやつ)らの残していった傷跡を造り直しておるのじゃ。この状況で護廷十三隊の隊長としての面子のみならず、決戦に向けてお主が何の手立ても無くば鍛錬をもしておらぬはずは無かろう?」
鏡月の視線と語気は背筋が凍りつく程度では済まされない鋭さで春水に突き刺さった。
6
「勝て。何の為でなくとも
さくらの為ならば、出来るであろう」
「……死ぬな。とは言って下さらないんですか?
さくらの為に」
「死すれば負けよ。お主が勝てば――"誰も"死なぬ」
「…怖い、お方だ」
思わず身震いした。
いや、身震いではなく震え上がったと言っても過言ではなかった。
冷気に包まれる
それは
晩秋の寒さではない。
娘を泣かせる為に嫁に出したわけではない父親の、普段は春水の振る舞いに一々眉を顰めぬ懐の深さとの落差が春水を凍りつかせた。
この男と同じ屋根の下で寝起きするようになり距離が縮まるどころか、義父がどんなに研ぎ澄まされた精神の持ち主であるのかを逆に思い知らされたのは確かだ。
7
先ほど冗談っぽく、この男を怖いと言った自分を春水は悔いた。
冗談ではなく怖いのだ。
あの、双極で見た
藍染の最後の姿を思い起こさせる。
それは何故なのか―――
もしこの時春水がその理由に気付いていたのならば、何か変わっていただろうか。
気付いたとしても、運命を変えることは出来なかっただろうか。
鏡月の視線に捉えられている間、
体は勿論
時間さえ止まっていた春水は
「お義父さん。…ひとつ、お願いがあるんですが―――」
いつの間にか落としていた杯を膳に戻すと、改まって
鏡月に願い出た。
8
さくらが目覚めた時、春水は傍らに居なかった。
そんなことは春水が
天宝院家に寝泊りするようになって初めてのことだったのだが朝の供御(コゴ)も済ませていると聞き、夫には何か用事があったのだろうと別段訝しむこともなく自分も食事を済ませた。
「奥様、どうかなさいましたか?」
しかし部屋に戻るといつもとは異なり、
さくらは置かれていた外出用の着物に首を傾げていた。
「
アヤメ。今日は何か予定があった?」
「さあ?
ツバメが用意してくれたものですから」
おっとりした
アヤメは如何いたしますか?と問うが、あのしっかり者の
ツバメの支度なら間違いはないであろう。
何か用向きがあるに違いないと、
さくらは
アヤメが予定を確認に行っている間に着替え始めた。
9
用意された着物も髪飾りも懐かしいと感じるほど、久しく装っていない。
秋を匂わせる色使いの着物に、少し心が浮き立った自分にドキリとした。
紅など、引いてみたい気になっていいものだろうか…と護廷十三隊の最重要任務を請け負う身でありながら、一瞬でも浮ついた自分を恥じた。
甘えは許されない事態に覚悟は決めたはずだった。
それをいとも容易く覆し、愛する夫は毎日傍に居てくれる。
それだけで十分幸せなことだと感謝していたのに―――
女らしく装った自分を、今日に限って姿の見えなかった夫に少しでも見てほしいなどと欲が出た自分を叱った。
10
「
さくらちゃん、支度はできたかい?」
突然襖の向こうから、夫が声をかけてきた。
ドクンと熱い血が心臓から押し出されて、慌てて声の許へと駆け寄った。
「…はい。あのう、春水さん――?」
さくらが夫に今日の予定を知っているのかと問おうとした矢先に手を取られた。
「じゃ、行こうか」
「え?春水さん???」
あっという間に肩を抱かれ、門の外へと連れ出される。
「あのっ、春水さん!ダメです。私、戻らないと――」
大きな温かい手に握られた自分の手を引っ張っていく夫に、
さくらは必死で訴えた。
仕方なく妻を抱きかかえようとすると何時になく抵抗に遭い、春水もこれは不味いと気付いたらしい。
「
さくらちゃん。今日はお義父さんがいいって言ってくれたから…」
「父が、ですか?」
漸く
さくらが抵抗を止めたので、春水も一旦
さくらから手を離した。
11
「双極の任務と四番隊の勤務で、
さくらちゃんはずっと休んでないそうじゃない」
「―――」
顔を覗き込まれるように確認され、
さくらは言葉に詰まった。
「だからボクが非番の今日ぐらい、付き合ってくれてもいいんじゃないの?」
「…………」
春水が休日に託(かこつ)けて自分を連れ出したのだと
さくらは悟った。
それじゃあと改めて春水が手を差し出す。
この手を取れば今日一日、自分は夫と過ごしてしまうだろう。
父が了承しているのであれば引き返しても、恐らく家で待つ皆とも残された春水ともいい雰囲気ではなくなる。
さくらが戸惑う中
冷たい風が二人の間を通り過ぎ、互いの着物や髪を靡かせた。
12
「…っれ?」
京楽が広げていた自分の掌を見遣る。
そこには綺麗な黄色に色づいた銀杏の葉っぱが一枚、春水に応えたかのように乗っていた。
「ボクは
さくらちゃんの手を取りたかったのに…」
まじまじと銀杏を見詰めて呟く春水に、
さくらはふっと笑いが込み上げてきた。
「私がもたもたしていたからですね」
そして夫の掌に手を添えた。
「
さくらちゃん…」
ゆっくりと体に沿う位置まで手が下りてくる。
「お願い。私も春水さんと手を繋ぎたいの」
さくらは銀杏を摘まんで、夫の大きな手を譲ってもらった。
呆けていた春水から笑みが零れると、
さくらは銀杏の葉をクルクルと回してみせた。
13
「銀杏がこれだけ色づいているなら、山はもう綺麗に紅葉しているのでしょうかね?」
「ん――。見に行ってみようか?」
はいと
さくらが返事し前を向くと、春水はやはりという気持ちが湧いてきた。
天宝院家と護廷十三隊の往復だけで、妻は季節が移り変わっていることに気付いていない。
無論春水は山を日々刻々と眺めていたから今では山裾まで紅葉を纏っているのを知っていた。
毎日一緒に過ごして喜んでくれているとはいえ、常に任務を意識している
さくらの心は張り詰めていたのだと痛々しい。
「
さくらちゃんも、染めちゃおうか?」
「……はい?」
自分を見上げた
さくらの顎に手を添える。
「この唇も秋色に染めちゃおう」
「ぁ…」
春水の指先が唇をなぞると、それだけで
さくらの睫毛は濡れそうになった。
着物の色柄も髪飾りも紅さえも、
さくらが身につけるものを春水は覚えてくれているらしく
「この色、持ってないよね」
少し落ち着いた色で、それでいて滲み出るような情熱を思わせる深い色の紅を買ってくれた。
14
店を出て二人で街中の銀杏並木を堪能しながら見晴らしのいい場所まで来ると、強い風が吹いていた。
「うおぉう…。こりゃまた思った以上に寒いねえー」
さくらの肩を抱いたが、それだけでは寒いのだろう。
小刻みに震える妻の肩の上から包み込んで腕を重ねた。
「紅葉狩りには、もう遅いかな?」
遥か向こうの山は綺麗に色づいていた。
今日は風さえ強くなければ文句なしの天気だが、もう少し日が高くならなければ風は納まらないだろう。
だが暫く二人で引っ付いていると、段々と震えも納まってきた。
「空、高いですね…」
さくらが夫の腕の中で見上げる。
二人が見上げる空を、甲高い鳥の声が通り過ぎた。
15
「
さくらちゃん。今日は無理言ってご免ね」
空を見上げていた
さくらを見下ろして、春水が謝った。
「…
天宝院家は瀞霊廷を、延(ひ)いては尸魂界のみならず現世も守護する為に在ります」
「うん――。それはボク達死神全てがそういう存在だよ」
だけどキミ自身も大切にしないとねと、穏やかな眼差しが
さくらに降り注ぐ。
「今度一緒に出掛けるのは、
さくらちゃんの任務が終わってからにするね」
「……はい」
落葉が終わり枯れた木立が並ぶ、
さくらの任務が完了する頃
春水は藍染らと刃を交える。
「空は何処までも続いてるねえ―――」
それに気付いているのかいないのか、春水は再び空に眼をやった。
16
双極が完成すれば、次は冬の決戦が待ち受けている。
山本総隊長以下死神全員が何としてでも勝つ意気込みだが、隊長格が全力で戦ったとしても結果は予測できない。
夫と同じ空を見ていた
さくらの頭に、不意に春水の顔を押し付けられた。
「大丈夫だよ。必ず、ボクらが勝つ」
それは
さくらへの誓いなのか自分への誓いなのか。
春水の声は低く深く頭から爪先まで
さくらに届いた。
「春水さん…
尸魂界(ここ)を護るのは、私達の役目ですから……」
「そうだね…
ボク達の尸魂界(せかい)のこの景色の続きを、終わらせるわけにいかないもの。
だからこんな闘い。
さっさと終わらせてくるからね」
「はい――」
キミとこの景色の続きを見る為に―――。
春水の眼は護りたい景色を映し、その腕は護りたい者をしっかりと抱いていた。
fin*
************************************************今回はさくら様のお名前を京楽隊長がちゃん付けで呼ばれる場合、呼び方を変えられるようにしてみましたが如何でしたでしょうか?さくら様に双極の完成という任務を負わせ、尸魂界の平安を乱す藍染らを京楽隊長は絶対に許さないでしょうね。
空座町のレプリカ上空で京楽隊長がイラついている理由は尸魂界に
さくら様を待たせているからだという妄想に辿り着きました。
あれ、イラついてますよね?違います?
私にはそう見えたということで、いつも資料ご提供いただき誠に感謝しております。
ご訪問ありがとうございました。
2008.11.15
京楽隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月