「先生…」
浮竹は天挺空羅の消え去った空から視線を外すと、四番隊虎徹副隊長が伝令した内容を信じるのかを一番知りたい相手に顔を向けた。
山本はゆっくりと解放していた斬魄刀を通常の状態に戻すと、無言で隊首羽織を拾いに向かい
何事も無かったかのようにその肩に羽織り直した。
弟子の裏切りよりも壮絶な隊長三名の裏切りに
灼熱の炎よりも煮え滾(たぎ)る心は覆い隠せていなかったけど……。
end of hypnosis
1
ボクもまた山じいと同じく、編み笠と上着をのろのろと手にした。
ボク達二人のまどろっこしい動作に一人逸っていたのは浮竹だ。
恐らく浮竹には山じいの気持ちは酌めるものだろう。
だがボクに対しては”俺達が正しかったのに何故なんだ”という気持ちに違いないと、
まっすぐな眼差しを向ける親友の顔をボクは見ることができなかった。
それでも彼のことだ。
ボクが無益な戦いに疲弊したとでも、再び双極へと三人で向かう頃には解釈したのだろう。
2
「藍染…」
浮竹の藍染を呼ぶ声は痛みを伴っていた。
けれどもボクにはもう
取り返しのつかないことだと十分にわかっていて、
未だ藍染がボク達を欺いていたという事実を一番受け入れられていないのは彼だと知ったんだ。
そんな浮竹を見ていられなくて、ボクは笠を目深に被った。
いや。
それは建前で……
ボクが百年以上も前、藍染惣右介に感じていた不信感。
それが事実であったことを漸く知ったことに
落胆したんだ……。
あの時ボクが彼の仕掛けた罠にかかっていなければ、仲間を部下を浮竹を
ここまで苦しませずに済んだかもしれないって事実に
目を向けられなかった。
3
結局は隊長格が三倍以上も居ながら、三人を捕まえることすら出来なかった。
山じいは全死神に戦闘停止命令を伝え各隊に集結するよう副隊長らに指示すると、ボクらには緊急隊首会を開く旨を告げた。
ボクや浮竹は勿論、山じいなんて唾付けときゃ直る程度の傷だったから
全ての死神の負傷報告が知れる四番隊の
さくらちゃんに怪我したってことを知られるのが一番ばつが悪いなあーって溜息が出た。
ま、そんな暢気なことを考えていられたのは隊首会が始まるまでのほんの数十分だけだったけどね。
4
動揺する隊士らに対応を余儀なくされるのは隊長のボクら。
殊更隊長の抜けた三・五・九番隊は誰だって面倒見たがらなくて、揉めに揉めた。
砕蜂は何処か上の空だし更木と涅は端から無関係だと決め込んでる。
狛村も親友である東仙とのこんな別れに憔悴している様子だ。
というよりも卯ノ花隊長が日番谷君と雛森君が死亡を間逃れたことと朽木君の容体を報告しに来た際やんわり彼に退席を促し四番隊に連れて行ったけど、元々あんな状態で隊首会に出てるほうが無茶だろう。
浮竹は隊長の抜けた三隊の士気と団結を維持する為に率先して協力すると言うが、彼が一番適していない体だとわかっている為に誰もが…そうボクも自発的に賛成の意を述べない。
5
兎にも角も護廷十三隊の維持と三隊長の謀略を阻止するという議題はどちらも重すぎて同時に討論できないと、
涅に藍染の持ち去った崩玉の分析を、浮竹に藍染の今までの動向の調査を指示し
明日以降山じいが吉良君と檜佐木君に市丸と東仙の今までの動向を諮問し報告をまとめることで、この件は一旦区切りをつけることにした。
次に護廷十三隊の機能を維持する為に
問題の三隊と暫くは隊長が動けないであろう六・十番隊の分までニ・七・八・十一番隊の四隊に任務を割り振ることが決定した。
隊の仕事はまだいい。
しかし浮竹の危惧するように、隊長の居なくなった隊士の士気を纏め維持するなんてそう易いことじゃない。
ボクも浮竹も誰もかも
隊首会を早く終えたい気持ちと終わってしまった後の対応に気が滅入ってたものさ。
6
夕食前に自隊の隊士らには知りうる限りの事実とこれからの対策を告げた。
未だ強張った顔した七緒ちゃんといつものような余裕の無いボクでは、隊士達も黙って聞くしかできなかっただろう。
こんなに重く沈んだ内容を全隊士に告げたことなんて、ボクが隊長になって以来…恐らくは護廷十三隊始まって以来のことだろうね。
7
藍染の作り上げた偽りの世界から放り出されて
見渡したこの尸魂界(せかい)で
ボクは自分が恐ろしくなる。
本当の世界とは何なのか
藍染のように
力を得る為にならば手段を厭わぬ者が存在するこの世界に
息づくこと自体が
この世界こそが現実であることが
酷く恐ろしく
身につけているものは勿論のこと
血も肉も骨も体液も細胞も
魂魄さえも
彼と同類であることに
悪寒と吐き気は止まらなかった……。
8
「―――」
「―――ぅ…」
「―――ん?」
「春水さん!」
「……………………
さくら、ちゃ…ん」
もしかしたらボクは今、
さくらちゃんに頬を叩かれたのかもしれない。
ボクを包み込む両手は不安げで、大丈夫ですかと何度も問うている。
「おかえりぃ…」
あれ?なんで呂律が回らないんだろ。
「…大丈夫、ですか?」
さくらちゃんは尚もボクを気遣う。
「お水、要りますか?」
「ん~。どうしようっか?…」
さくらちゃんに手を伸ばしたんだけど、どうしたことか力が入らない。
9
「春水さん…」
寄り添えないボクに、
さくらちゃんのほうがなるべく近くに座ってくれた。
コッと手の甲に当たった硬いものに、ボクは随分飲んでいたことに気付いた。
さくらちゃんが帰って来て、
さくらちゃんの声がして
さくらちゃんに触れられて
ボクは自分が酔っていたことを知った。
それにしても何でこんなに気持ち悪いんだろう?
眺めた袖口の感触の悪さを自覚すると、それは全身に及んだ。
脇が首筋が襟元が髪が帯が
曝け出した足首も足裏さえも不快だ。
10
「お風呂の後、体を拭かれましたか?」
さくらちゃんは何を言ってるんだろう。
風呂…?
風呂なんて……
ああ… ボクの髪が濡れているのは、その所為なのか…。
さくらちゃんはだらしなく開(はだ)けた衿元から手ぬぐいを差し込んでくれたけれど、既に水気は浴衣に全部吸い込まれている。
「寝間着に着替えましょうか」
まだ四番隊隊着のままの、ホントは疲れているだろう
さくらちゃんがボクを気遣う。
「
さくらちゃん――」
張りのある寝間着を羽織らせてくれていた
さくらちゃんを、ボクはこの胸に直に抱き締めた。
11
ボクには
さくらという妻がいる。
キミがいる。
浮竹のように今、目の前のことに全身全霊を懸けられないボクがいる。
それでいて親友の決断をただ見守ることもできず
双極を破壊するには隊長の斬魄刀二刀の力が必要だと言われればすんなり協力してしまうボクがいる。
今回の件を
さくらには何も知らせてはいなかった。
浮竹がどうやって双極を破壊するのか詳細は知らなかったし、時間は迫っていたし、何より大切なキミを巻き込みたくなかったんだよ。
でも一歩間違えば反逆の徒はボク達となり、
さくらもまた護廷十三隊を追われる身となっていたかもしれない。
最悪ならば双極を破壊した罪人としてだけでなく、彼女を未亡人にしていたかもしれない。
12
藍染らを取り逃がしたとは言え
ボク達は
結局は間に合った。
結局は正しかった。
けれど…
ボクは自分が恐ろしくなる。
「
さくらちゃん、ごめんよ…」
謝って済むことじゃないのはわかってる。
けれども何も為す術もない今、謝ることぐらいしかできない……。
「全くです」
さくらちゃんは呆れたように溜息混じりに呟いた。
13
「体も拭かずにお風呂から上がるなんて。季候がいいとは言え、体調を崩さないとは限らないでしょう?」
さくらちゃんを抱き締めたボクを、抱き締めるようにして髪を拭いてくれた。
「お疲れ様でした。今日は何も考えずに眠りましょう。――ね?」
またボクの頬を包み込んでくれるキミ。
この尸魂界(せかい)で目にするものがキミだけだったなら、どんなに素晴らしいだろう……。
「…この尸魂界自体が、素晴らしいものですよ」
「………」
ボクは声に 出してしまっていたの…だろう、か。
14
「私は尸魂界(ここ)で春水さんと出逢えました」
本当の世界とは何なのか
「私達は死神」
さくらは言う。
「瀞霊廷を護り郛外区と良き関係を保ち、現世の魂魄が滞りなく尸魂界(こちら)に帰って来れるよう如何なる時も最善を尽くす…」
この世界が存在することこそが
「それが私達の為すべきことです。そうあるよう務められたのでしょう?」
素晴らしいと言うように、微笑んだ。
15
藍染の作り上げた偽りの世界から放り出されて
見渡したこの尸魂界(せかい)で
血も肉も骨も体液も細胞も
魂魄さえも
「
さくら…」
キミと同類であることに
「
さくらちゃん…」
「はい」
キミが寄り添って微笑んでくれることに
「おかえり」
ボクの涙と震えは止まらなかった……。
fin*
************************************************久保先生のつけたタイトルの意味は催眠状態の終焉というところでしょうか。
藍染惣右介の仕掛けた世界から解かれたのは彼らにその世界が不要になったからであり、京楽隊長方が自ら目覚めた覚醒ではない点にあるのではないかと思います。
ご覧くださりありがとうございました。
2008.07.24
京楽隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月