夫・京楽春水の誕生日は式を挙げたばかりだが、もう目の前である。
今日は非番。
死覇装に着替えるのも拗ね気味の夫に自分は遊びに行くと告げて、
さくらは春水の誕生日の贈り物を探しに出掛けた。
とは言え、夫が喜びそうなもので一番に思いつくものと言えばお酒だ。
結婚式当日、地面に撒くほどの大量の酒樽を荷車に積んで現れた春水ご用達の酒屋の住所を
さくらは調べ、懐に入れてきていた。
上級貴族のお姫様であるだけでなく性格上、自らの意思で何かを企画するということは、
さくらにとっては大変なことである。
だからと言って簡単に誰かを頼る性分でもない。
さくらを積極的に物事に駆り立てない理由は、失敗を恐れるよりも常に相手に不快な思いをさせたくない点にあった。
1
さくらは今一度住所と酒屋の名前を確認すると、塵一つ落ちていない開け放たれた戸口をおずおずと覗き込む。
「…あの、おはようございます」
二、三人の店の者が一斉に顔を上げると声を揃えて挨拶を返した。
その中の一人、恰幅のいい男がにこやかに歩み寄ってきた。
「おや、初めてのお客さんですな」
そう言いつつも店主は
さくらを店の奥へ奥へと誘った。
「あの…」
「へえ、存じ上げとります。京楽の旦那(だん)さんとこに嫁入りしはった、べっぴんさんや」
ささ、どうぞと座布団を勧めると店の者に「おいお茶や。一番ええお茶やぞ」と念を押す。
2
「あの。もうすぐ主人の生誕の日で…」
「そうでしたな。それでお祝いに酒でも、と?」
「はい」
さくらは話のわかる店主に全て任せれば間違いないと安心して笑顔を返した。
「何処で祝われますの」
「………はい?」
「お二人だけで祝われまっか?お邸でっか?それとも何処かしら出掛けられますのんか?」
何やら会話がかみ合わなくなってきた。
「……良いお酒を。主人の口に合うお酒を探していただきたいのですが…?」
「うちはええ酒しか置いとらしません。京楽の旦那さんの喉通されへんようなもんはええ酒とは言わしまへんからな。それよか若奥さん、もしや…」
店主は一旦口を噤むと、
さくらに対し下戸かと尋ねた。
3
「全く飲めないわけでは、ないのですが…」
申し訳なさそうに目を伏せる。
しかしそれ以上に店主は申し訳なさそうな顔をした。
「こないな事、まだ嫁入りしたてのアンタに言うのも可哀想なんわかっとりますが旦那さんに悦んでもらお思うたら、勉強せなあきませんな」
「………」
下戸かと聞かれたのもあって、勉強とは酒の知識のことかと
さくらは黙って聞いた。
「あない粋な旦那さんでっせ?飲む日の天候、場所、気分。最低でもそのぐらい考えたらな。単に値の張るモン贈ったかて相手になんぞされまへんがな」
「――――…」
「ホンマに旦那さんに悦んでもらいたい思うなら、何時何処でどういうふうに贈るんか考えてからウチにお越しにならなあかん。酒の知識が無いなら、尚のことや」
専門的な酒の知識云々の話ではない。夫を想うのなら当然の配慮が足りないと、ほぼ初対面の酒屋に言われてしまったのだ。
4
「………はい」
さくらはきゅっと唇を結んで頷いた。
「ああ、あきまへんな。つい真剣になってもうたわ。堪忍な。
そやけど旦那さんにこないええ嫁もろたて思われたいでっしゃろ?」
言われる通りである。
今度は真っ赤になって、こくんと頷いた。
それを見た店主は
さくらが如何に世間知らずでお姫様育ちなだけでなく、辛口の話でも耳を傾ける素直さを持ち合わせていることに気付いただろう。
「なんやキツイことばっかり言うてもうたかいな。そやけどあの旦那さんが結婚考えた女性なんぞ、わての知る限りおらん。よっぽどアンタに光るもん見つけたんでっしゃろなあ」
ふるふると首を振り、
さくらは静かに項垂れた。
もう何を言われても褒め言葉には聞こえない。
5
「京楽の旦那さんは何でもええモンに育つのに時間がかかるんは、よう知ってるお人や。自信もってええ。
そや、奥さん。ひとつ教えときますわ。旦那さんが安酒煽る時は自棄になっとる時でっせ」
ウチ以外の酒飲んどらへんか気いつけて見といてやと言ったのは商売上なのかどうか
さくらには定かではなかった。
ただ店主に「もう一回よう考えてお越しになりなはれ」と言われ頭を下げられてしまった。
こうして
さくらは春水行きつけの酒屋を追い出された。
通う夫が夫なら酒屋の店主も店主である。
6
「――――はぁ…」
黙々と邸まで戻り
鏡台の前で簪を抜いた途端、とうとう
さくらの唇から溜息が漏れた。
春水は自分を好いてくれてはいるだろうが、好きになって結婚してそれで終わり。ではなかった。
そのことを妻になってまだ一月と経たないうちに思い知らされたのだ。
しかし努力を怠らぬよう釘を刺してもらえたのだと前向きに捉えた。
7
「……今日は…」
さくらは暦を確認した。当然のことだが春水の誕生日まであと一ヶ月もない。
無難に好物の酒を贈って良しと考えていた
さくらは途端に追い込まれてしまった。
しかしそれは不快なことではない。
心の中で春水に一人ときめいた日が甦り、
出逢いからもどかしさから二人でいた時間から諦めた日から…夫に辿り着くまでの何から何まで不安と期待と切なさと安らぎの繰り返しだった日々。
そして勇気を出して自分から声を掛けた日を思い出した。
春水との恋は、
さくらを育てていた。
失敗を恐れてばかりいては何も変わらないことや、たとえしくじってもフォロー次第ではより良い方に向かうこともあること。
何より、春水は相手の努力を察するには鋭く手を抜けば一瞬にして悟られる。裏を返せば結果よりも努力を見てくれる男だ。
8
「できる、かな――?」
心に過ぎった、夫への贈り物。
あまりにも自分には高望みで、それ自体を喜んでもらえる自信もない。
だが―――…
この胸をときめかせる夫をときめかせられるような贈り物をしたい。
一度(ひとたび)湧いたその気持ちは、萎えることはなかった。
自分を映す鏡の前から立ち上がると、
さくらは部屋を出た。
護廷十三隊・八番隊は遥か遠く……
「喜んで…くれる、かな?春水さん―――」
邸からは隊舎屋根も見えなかった。
9
七月十一日
夫婦共に非番の日。
京楽が計画立てて仕事を処理し、休めたわけではない。
今日休ませなければ一年間拗ねるであろうことを理解している副官の伊勢が、端から休んで良しと宣言していたのだ。
無論その前後には誕生日の非番というご褒美をチラつかせて普段よりは京楽を働かせるのが目的であり、その計画は成功した。
誕生日前日の仕事を定時きっかりに終えると、春水は喜び勇んで
さくらを連れ立って邸に戻った。
そして朝から何度
さくらに
「お誕生日おめでとうございます。春水さん」
と言われたことだろう。
それに「
さくらちゃんに祝ってもらえて嬉しいねえ。ありがとうねえ」
と、何度も喜んでみせる。
10
春水は、
さくらが企画していることなどお見通しだ。
だからわざわざ何をしているの?などと尋ねはしない。
日も傾き始めた頃に漸く気付いたかのように、春水は目を見張ってみせた。
「おんやあ、今日は豪勢だねえ」
さくらが朝から準備してくれていた手作りの夕食に、春水はご機嫌だ。
「今日は春水さんのお誕生日ですから」
「ああ、だからかい?ありがとうね」
などと嘯きながら、春水は待ちわびていた祝いの膳の前に腰を下ろす。
取り立てて好き嫌いのない春水のこと。妻の愛情のこもった季節を映し出す膳に目を細めた。
11
しかしこの祝いの膳に酒がない。
「あの…
さくらちゃん?」
笑顔の妻に催促するのも申し訳なかったが、猪口を持つ仕草をして僅かに手首を上げてみせた。
「お酒は後程。春水さんに贈りたいものとご一緒にさせてください」
凝った演出は出来ないと、
さくらは素直に他に贈り物があることを夫に伝えた。
「嬉しいねえ。何だろうねえ~」
そうかい、これだけじゃないんだねと春水も喜色満面になり箸を手にした。
可愛い妻の選んでくれた物は何だろう?
あれかな?
それともこれかな?
もしかして……ムフフ
と、だらしない顔をして贈り物を想像する。
てっきり粋な料理に飛び切りのいい酒を出してくれるのだと予想していた春水は、いいように期待を裏切られた。
12
「いやあ、美味しかったよ」
食事も済む頃には、日も暮れてきていた。
「春水さん。一緒に来てくださいませんか?」
贈り物を渡そうとしているとわかっているのに嫌だなんて言うワケないじゃないのと内心思いながらも、いいよと軽く返事する。
「ねーねー、
さくらちゃん。何処まで行くの?」
涼しさを増した夜道で、春水は
さくらとじゃれ合う。
「もう少しです」
さくらは少し小高い丘を目指していた。
それもわかっているのだが、楽しみだねえと
さくらの手を引き寄せる口実に話し掛けるのだ。
きっとその酒と一緒に夜景でも捧げてくれるのだろうと、
さくらの思惑を重々察しながら気付かぬ素振りをして。
13
少し離れた所を流れている川が、南中を過ぎた月の僅かな明かりに時折きらりと煌いている。
腰を下ろしながら一息ついた春水は、
さくらを隣に座らせようと手を差し出した。
「春水さんは此処で待っててください」
しかしその手に徳利を渡すと、妻はぺこりと一礼してみせた。
「何処行くの?
さくらちゃん」
もしかしてつまみでも隠してあったのかと、暫し妻の後姿を目で追うものの……。
「何処、行ったの?
さくらちゃん…」
白地の着物姿の妻を闇に見失ってしまった。
14
あれ?おかしいな。
贈り物って、夜景をツマミに酒を煽るってことじゃないの?
と胡坐の上に腕を置き、春水は戻らぬ妻を暫し待っていると………
ヒュイィ――――
不意に何処からか
微かに、笛の音が聴こえる。
柔らかで優しく澄んだ音色に、春水はそれが妻の弟の奏でる調べだと気付いた。
「そうかい。そう言うことかい…」
春水はどれ、と目を凝らし、何処(いずこ)からか舞い現れるであろう妻を待った。
15
夏の夜空に
琴の一弾きを散らしたかのような星
星
星
星
俯き加減の半月
武礼の奏でる笛を頼りに
春水の予想通り
さくらが舞い出でる。
成程、
さくららしい。
丘の天辺まで登らずに夜空と川と景色が程よく視界に入る場所を選んだのは、こういうことだったのかと妻の意図を理解した春水は視界の隅々まで舞ってみせる
さくらを気分よく眺めていた。
しかし辺りは既に暗く、いくら白地の着物に身を包んでいようとも妻の姿は捉えにくい。
春水から見れば
さくらはまだまだ子供。演出の拙さは仕方がないだろう。
それよりも下手に気取らず精一杯、自分の気持ちを形にしようとする姿が意地らしいではないかと微笑んだ
瞬間
16
パーン…
パ・パーン! ジリジリジリ… ヒュー… ド ドン!闇の夜空に花火が打ち上げられた。
17
その花火は
さくらを追うかのように
パンパンパーン…距離がありながらも春水の位置からは見事に重なって見える。
花火を追うかのように
今度は
さくらが
くるくると
鼓のリズムで打ち上げられる花火を背に円を描く。
18
夜の闇の
明かりも無い中
花火の瞬く瞬間に
祝いの気持ちを込めて
心を込めて
夫の為だけに
さくらが 舞う
ドンドンドン! パーン…
ド ドン!チリチリチリ…19
ドーン
花火は続けて打ち上げられていたが、
さくらは舞いながら春水の許へと戻ってくるようだ。
一歩
ドーン
一歩
パラパラパラ…さくらの舞は小振りになり、自然な歩みに変わると
花火を背に春水の前に立ち一礼した。
20
「
さくら―――」
名を呼ばれた時には春水の腕の中にいた。
その腕は、どんなに妻からの贈り物を喜んでくれているかを語るには十分で
「…喜んでいただけましたなら、光栄 です」
贈った
さくらのほうが驚いた。
今夜の風向きと
武礼の笛の音の届く範囲を測り、花火の種類は勿論打ち上げるタイミングも細かく計算し地形も距離も春水の目線も、全て考慮した。
きっとそんな私の下準備も全て見透かされたのだろうと、春水の感嘆に揺れる眼から悟った妻に
「――参ったね…」
さくらちゃん、どうしよう。と春水は嘆く。
21
え?と
さくらが聞き返す間も与えずに
「益々キミに、惚れ込んじゃった」
と――夫に告白され…
「どうしようと思っているのは私のほうです」と言うタイミングを
さくらは逸してしまった。
きっと忘れられない誕生日はこれから何度も訪れる。
さくらとなら―――
春水はその腕にその胸に、消えない花火を抱き締めた。
22
それから小一時間…
ドン!ドン!ド・ドーン!!花火は尚も上がり続ける。
23
「ああ、綺麗だね。
さくらちゃん。
…これ、一体何発上がるんだろうねえ…?」
春水の為だけに上げられる花火……。
「春水さんの、歳の数だけです」
この調子で打ち上げられていたら、
さくらとの折角の誕生日の夜は此処で更けて行くことに春水は気付いていた。
「…そりゃあ、見応えがあるってもんだね。
……ははは。はぁ…」
贈り物に凝るのも、程々が良いようで。
春水の乾いた笑いの本当の意味を、幼い
さくらは理解していなかった。
fin*
************************************************京楽隊長、お誕生日おめでとうございます。
オチは健気な
さくら様の演出により、夫婦の甘い時間は夜空の下で過ぎて行くという…やや雪ゴテ風味に仕上がりました。
花火の装飾に馬鹿みたいに文字数使って、このページ数です。
作者が作者なら内容もこの内容ということでお許しください。
2008.07.11
京楽隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月