「ねえ、もう脱いでいいよね?」
春水は数歩下がって自分を惚れ惚れと眺める母親に告げた。
既に退屈している愛息子の久しぶりの世話に母は勤しんでおり、息子の晴れ姿に満足げに頷くと使用人から次の小物を受け取る。
「今日が最後の衣裳合わせなのよ?はい」
「えー。これも?」
烏帽子を渡された春水は益々唇を尖らせた。
「はい。被ったよー」
春水は両手で頭に乗せると、お仕舞いと言ってすぐに下ろした。
「これ、春水!本当に大人げない子だこと…」
十分に子ども扱いしている母は、困った子だと口ではいいながら目尻に皴を刻んでいた。
母の笑顔など、とんと忘れていた春水。使用人らも奥様はこのように笑われるのかと注視していたが、当の本人は至って普通のつもりのようだ。
1
「少し屈んでちょうだい。春水」
長身の息子では顎下で紐を結ぶのも一苦労だ。
立派に育った手のかかる息子に久しぶりに「母親」に還る姿に、春水もまた素直でない「息子」に還っていた。
「…ほう。流石は護廷十三隊隊長なだけある」
派手な安い女物の着物に編み笠の春水のいつもの姿さえあまり目にしたことのない兄が、姿を現すなり弟を褒めた。
「春水に使うこともないとは思いながらも、取っといて良かったわ」
兄の婚礼衣裳と使えそうな小物は母が大事に残しておいてくれていた。
使えるか否かよりも、そうして自分の為に残しておいてくれたという事実に春水は親の心子知らずと言われた気がして、式は父母の手を借りないと強がることも出来なくなったのだ。
父も使った象牙製の牙笏(げしゃく)には式の手順か何かのメモを貼った後がうっすらと残っている。
京楽家という、捨てたくて捨てられなかった血の繋がりが透けて見えるようだ。
2
「春水。本当に良かったのか?」
兄の順を追わぬ問いかけはいつものことだ。
春水はぼうっと意味が解らないと言いたげに呆けてみせた。
「上級貴族と言っても
天宝院家は我々とは格の違う家柄だ。正式な婚礼衣裳を揃えたって、構わないんだぞ?」
「…これでいいよ。着飾るのは
さくらちゃんだけで十分だし、何よりボクが面倒だしね」
そう。春水が婚礼衣裳を渋るのは兄と同格だからであった。
跡継ぎの兄と同等の式を挙げるというだけでも本来ならば避けねばならないことなのに、兄はそれ以上をと助言してくる。
さくらの婚礼衣裳に至っては支度金にて用意されたる物なので、いくら豪華であろうとも京楽家の評価とされる。
それは構わなかったが一般的な上級貴族の新郎の正装と言えば所謂、ひな祭りのお内裏様の姿だ。
3
それより“正式な”婚礼衣裳と言うのであれば、新郎が冠を被るしかない。
王族との格は違えど、衣裳としては最上級。春水が冠まで身につけたとあっては京楽家、つまりは兄に風当たりは強いであろう。
だからこそ、本当にこの姿で良いのかを花嫁側の親族にも確認してもらおうと
本日、
さくらとその血縁の者―――
「京楽家の方々。よろしいかの?」
――今、襖越しに問う
さくらの舞の師匠
伯楽にも京楽家に赴いてもらっていた。
「其方の支度の塩梅は如何かの?」
「こんなところかと…」
兄がその場を取り仕切る。
京楽家当主が留守の今、春水の兄が代わりを務めていた。
「では、
さくらを」
舞の衣装の段取りに手馴れた
伯楽に仕える者である。試着ならば男の身支度と同じ程度で
さくらの正装を整えられる。
4
伯楽の一声で続き間の襖は開いた。
するすると敷居を滑る襖の向こうには、既に俯き加減に
さくらの姿があった。
舞台慣れした
さくらのこと。
目線を上げただけで開け放たれた空間いっぱいに式の当日さながらに
高貴で麗しくそして喜びを讃えた姿を現した。
「 ―――――… 」
京楽家のどの者も言葉が出なかった。
さくらの人生最大の晴れ舞台に相応しい様に、春水とてこれでは不釣合いかと思い直すほどの見事さである。
5
一歩 また 一歩
衣擦れの音さえ楽を奏でるかのような
さくらに
誰もが瞬きする時間さえ惜しんだ。
「いかがでしょう…」
雅な衣裳に身を包み、頬を染め恥じらいながらおかしくないかと夫となる男に問うこと自体がおかしなことである。
参ったね…。
大袈裟に褒めて見せることも、これほどの麗しき姿を讃える言葉も見つからず、春水は当惑するしかない。
しかし普段は次から次へと女を喜ばす言葉を紡ぎだす春水の口が閉ざされたままなので、
さくらとしては不安の眼差しで縋りつき、それが更に春水の言葉を詰まらせているとは露ほどにも思っていなかった。
6
「…今から妻となる女に見惚れて、如何致すのじゃ?」
ぬうっと二人に割り込むように
伯楽が代弁してくれなければ、誤解から
さくらを泣かせていたかもしれなかった。
「…バレました?だって
さくらちゃん、綺麗過ぎてホントにボクのお嫁さんになるのかなあって…」
漸く春水は平常心に戻りかけていた。
それを掬い取るように当たり前のように二人を寄り添わせる
伯楽に、ぎこちなかった不安と感嘆の言葉すら出なかった気まずさは既に剥がれ落ちていた。
鋭い審美眼の持ち主の
伯楽が並んだ二人の細かな点をチェックしていく。
「ふむ。これで良かろう」
伯楽が直した部分は事細かに記され、京楽家の者に手渡された。
7
「当日には、あの髭は剃らせますので」
「えー!?」
兄がこっそり囁いたのを、春水は聞き漏らさなかった。
「それはいかん。慣れぬことをしてもらっては調和が取れんようになる。髭も髪も切ってはならん」
当日儂の処の者に整えさせるからと、
伯楽は兄の意見を却下した。
本人は無意識だが
さくらの晴れ舞台となると手を抜かぬ男。いつの間にか京楽家の者にまで指導している。
そんな師匠をものともせず、夫となる男に長く寄り添う
さくらに対し
先程までは色々とぶーたれていた春水も叔父となる男の気迫に飲まれたらしく、所在無さげに視線を泳がせ始めていた。
8
伯楽は春水がたじろいでいるのを尻目に、更にその場を仕切る。
「そうじゃ。皆で写真を撮られてはいかがかの?」
「…写真、ですか?」
京楽家の者が訝しがる中、
さくらが衣装を新調する度に写真に納めている
伯楽は当然のように提案する。
「然様。当日は何かと慌しいからのう。和やかな今、一枚撮っておいても良かろう」
さくらのついでじゃと、大口を開けて笑った。
「お父上は何処に?」
「貴族の寄合の場に。しかしもう帰宅してもいい頃のはず…」
兄がそう告げると、では暫し待とうと
伯楽は写真の準備に入った。
9
「参ったね…」
春水は
さくらに向かって愚痴ってみせるが、本心でないのは誰もが口調でわかっていた。
衣裳どころか烏帽子さえ脱がさせてもらえないと知った春水は、わざと大きな溜息をついてその場にどっかり座り込む。
すると
伯楽は
さくらが寄り添えるよう腰を下ろすのを従者に手伝わせ、婚礼衣裳の裾を花びらの如く広げていく。
「ククッ、母さん…」
普段、母以上に笑わぬ兄は唇を噛み締めてみたものの、堪えきれなかった。
「本当、あの髭を剃ってしまえば立派な内裏雛に見えるのに」
二人の会話に、春水は背後の屏風を恨めしく見遣る。
家族が手放しで、自分の結婚を喜んでくれる。
その感触がくすぐったくて、普段
さくらに見せたことのない自分が所在無く
仕方なく眠いふりなどしてみせる。
普段ならば兄のお叱りが飛んでくるものなのにその手も効かず、
さくらを無視したような時間が流れる。
しかも傍らの
さくらはそんな春水を、ずっと見続けているのだから堪らない。
10
ああ、参ったね…。
そんな春水を救ったのは、父の帰宅であった。
「これは
天宝院殿。留守をしておりまして…」
今日は妻だけで事足りると聞いていた打ち合わせのはずが、帰宅するなり呼ばれた父は事態が飲み込めず些か恐縮していた。
「さあ、春水」
伯楽が笑いながら父親に事の説明をしている間に、兄は二人を立たせ自分の妻と母の立ち位置を考える。
11
「お前、今日は何故そんなに朗らかなんだ?」
事情は飲み込めたものの、寄り添う妻のはしゃぎぶりに父は戸惑ったままだ。
「それはあなた。もうすぐ春水と
さくらさんの晴れ舞台ですもの。ねえ?」
誰にともなく母が話を振ると、
伯楽はにこやかに呟いた。
「舞台はの、役者も観る者も愉しむものよ。
さて…
皆、良いかの?」
親子二代六人が肩を並べて写真に納まる日が来ようとは―――
京楽家の誰も想像だにしていなかった。
fin*
************************************************伯楽師匠が一番でしゃぱってましたかね?すいません。m(_ _)m
結婚する二人だけでなく家族の皆が幸せになる。そんな雰囲気を察していただけたらと思います。
話は変わって花婿の衣裳。
上級貴族の婚礼装束は冠にしようと思ったのですが、やっぱり京楽隊長にはよそうと。
何故?とお思いかもしれませんが、イメージではなくて…。
花冠は朽木隊長に回します。(爆)
2008.06.04
京楽隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月