漆黒の闇を切り取る曲線から煌々と、京楽が腰を下ろした八番隊隊舎屋根に光が降り注いでいた。
それはそれ自体の輝きではなく日中を照らす情熱を迸らせる天体の輝きを反射させているだけと知りつつも、自らが光を放っているかに見える。
真の姿を知るも網膜に映る月の姿を京楽は素直に愛で
大きな掌で徳利のくびれを掴むと小さな猪口に静かに月を揺らす芳しい波を注いだ。
1
「此処に居たか」
霊圧を探るわけでなく、経験を頼りに京楽を見つけた浮竹は、
愛おしげに猪口に唇を寄せる男に話しかけた。
浮竹の声にも姿にも何ら動じることなく、京楽は猪口の中の透明な液体に口付ける。
猪口の中の月は京楽に易々と呑まれた。
「…月が、あんまりにも綺麗だったからね」
そんな答えに普段の浮竹なら、お前は酒を飲むのにどんな口実でも作るだろうと悪態のひとつでもついてやるところだが
京楽が何か心に思うことがあり、こうして月を相手にしていることを浮竹はその返事だけで察した。
2
本日の業務を終え夕刻の食事も済ませたが、二人はまだ隊首羽織に身を包んだままであった。
不安定な屋根の上で浮竹は羽織を軽く払うと京楽と同じくその場に胡坐を掻いた。
「行っとくかい?」
勧めねば自ら強請(
ねだ)らぬ浮竹の口に酒が入ることは無い。
「…そうだな」
浮竹は月の代わりに杯を受けることにした。
そのほうが京楽も話し易いと知っているし、何より冴えた夜のこの気温は身に凍みた。
3
酒豪で強い酒を飲んでいる印象のある京楽だが、一升徳利に満たされているのは軽やかで円やかで喉越しのいい酒だ。
自分の口をつけた猪口を指先で礼儀としてついと拭うと、浮竹に差し出した。
程よい量で徳利の口を上げ、一滴も零さず元の位置に置いた。
この寒さでは酒を煽り続けても酔えないどころか体も温まらない。
浮竹の持つ猪口に二杯目三杯目と頃合いを見量りながら注ぐ。
それでも浮竹は何も訊ねはしなかった。
京楽自らが話し始めるのを、ただ酒を酌み交わしながら待つ。
4
参ったね…
意地悪な奴だと苦笑いするのは、本当に自分の気持ちを見透かされているからだ。
もっと「オイ京楽、今日のお前おかしいぞ?」などと問い詰めてくれればいいものを
浮竹は自分の心に寄り添って、ただただ同じ時間を過ごしてくれる。
そんな唯一無二の親友に語りかけるのは己の心との対話と変わらず
「…
さくらちゃんてさ」
「うん?」
否。それ以上の良き相手だ。
5
「いいお嫁さんになるよね」
「…だろうな」
京楽は自分のままならぬ思いを、親友に打ち明けることにした。
「それなのにさ…」
ふうと溜息をつくと、自分の為に徳利を傾けた。
いささか小さな猪口には注ぎ過ぎた感がある。
「なあんで、死神を続けたいんだろうね?」
「――――はあっ?」
浮竹はマヌケな声を出した。
しんみりとしていた親友の悩み事はそんな事なのか!?と肩透かしを食らったのだ。
6
「だってさあ、浮竹ェ」
京楽の口調は普段に戻っていた。
「
さくらちゃんはボクのお嫁さんになるんだから、これからはボクだけが
さくらちゃんを見ていたいんだよね」
項垂れて、手の中の酒も目に入っていない。
「なんで、仕事なんてしていたいんだろ。 ね?浮た…」
「お前なあっ!!!」
夜の静寂を打ち破り、浮竹の怒鳴り声は澄んだ空気の中を何処までも漂った。
7
何、怒鳴ってんの?と目をパチクリする京楽に
「お前、
さくらを嫁さんにしたうえ…その上まだ俺の大事な担当医をかっ攫って行くつもりか!?」
「……あー。そう言えば君は
さくらちゃんにお世話になってたっけね」
今の今まで本当に忘れてたというように、京楽は呟いた。
浮竹は、全くけしからんと思わず上げていた腰をどんと下ろすと腕を組んで珍しく憤慨した。
8
「…やっぱり、
さくらちゃんは護廷十三隊(ココ)に要るかな?」
親友のあまりの豹変ぶりに、妻となる
さくらの決断は納得はいかなかったが理解しようと京楽も浮竹に意見を求めた。
「当たり前だろう?
さくらが抜けたら四番隊の医薬品部門は回らなくなる。俺のことは抜きにしても、卯ノ花が認めんだろう」
「ってことは、口説くのは卯ノ花隊長か…」
浮竹がオイオイと突っ込んだのは言うまでも無い。
対して京楽は真剣らしく、キュッと眉に力を込めたまま、手の中の猪口を煽った。
9
「だってさ、
さくらちゃんはあんなに性格良くて可愛いんだよ?いくらボクの奥さんになったって、誰に言い寄られるかわかったもんじゃないじゃない?」
きりっとした表情で、京楽は惚気る。
京楽は護廷十三隊を退隊し、ボクだけのものになるべきだと
さくらにはっきりと言えなかったのを悔やんでいるらしかった。
「…そうしたら、何処にお前は帰るんだ?」
は?と脈絡の無い問いをする浮竹に、京楽の表情は簡単に緩んだ。
10
「
さくらが死神を辞めて家に納まると言ったなら、お前は一体何処の屋敷に
さくらを住まわせて…本当に毎日帰れるのか?」
「……あー」
浮竹の言わんとすることを全て解した京楽は、後ろ手をついて天を扇いだ。
死神でなくなった者はたとえ隊長夫人とは言え護廷十三隊では暮らせない。
上級貴族の次男坊の京楽のこと。本家以外に屋敷はあるが兄を立て本家より瀞霊廷の中心地である護廷十三隊に近しい場所に居を構えてはいない。
たまのまとまった休みの時でさえ本家に帰るのを渋り、自分の屋敷にさえ滅多に赴かず護廷十三隊に寝泊りしている京楽が業務終了後に毎日其処に『帰宅』出来るのかと浮竹は問うたのだ。
11
参ったねと、屋根瓦で冷えた掌を今度は袖口に差し込んで考え込んだ。
「んー。どうしても
さくらちゃんが死神を続けたいって言うんなら…
そうだなあ、
四番隊の詰所を八番隊に移してもらって…。
あ、そうだ!
八番隊隊首室内四番隊医薬品取扱専門詰所を設けるってのはどうだろう?
ねえ、浮竹…」
と隣りを見遣れば、呆れ顔の親友がじっと自分の独り言を聞いていてくれたらしかった。
12
だから再度どう思う?と真面目に回答を求めれば
返ってきたのは
「莫迦」
の一言であった。
「どうしてだい?ボクだってかなり譲歩してると思うんだよね?」
今度は口をつけた場所を拭うことなく猪口を浮竹に差し出した。
京楽が酒を注ぎ終えると
「確かに伊勢君にしてみればそのほうがお前を捜しに行く手間が省けるかもしれん」
と笑いながら浮竹も猪口を空にした。
13
「…成程。
さくらちゃんが今のままなら、奥さんに会いに行くっていう口実でサボれるわけか」
ンフフとほくそ笑む京楽に、伊勢君はそう甘くないだろうと助言するのは避けた。
これ以上、京楽の身勝手な思惑に
さくらが振り回されないようにしてやりたかったからだ。
京楽という男が何処まで思慮深く何処まで楽天的なのか、長年連れ添ってきた浮竹にすらわからない。
恐らく京楽自身も、今回の結婚に関しては改めて自分のスタンスを問われているのだろう。
14
まだ、京楽としては十分に答えが出たとは言えない。
だが浮竹に愚痴ることで、結婚後
さくらに死神を続けさせることは受け入れられた様子であった。
京楽のその姿に満足した浮竹は、ついと手首を上げ猪口に酒を催促した。
ああ、と京楽が徳利のくびれを持つ。
「浮竹…これだけは約束してくれないかな…?」
酒を注いでいる京楽は、猪口に浮かぶ月を見ている。
「何だ?改まって」
「うん…」
酒を注ぎ終え、浮竹が猪口を体に寄せても猶
京楽は口ごもっていた。
屋根瓦の冷たさと冷気に酒を煽りたい浮竹は、京楽が中々その先を言わないので視線を猪口に落とし、そっと酒を口に運んだ。
15
「ボクの
さくらちゃん、盗らないでね」
喉に流し込む瞬間に京楽がそんなことを呟いたものだから、浮竹は咽(むせ)た。
「ば、馬鹿野郎!
お前、冗談にも程があるぞ!?」
「だあって~」
「だってじゃない!!」
一向に悪びれる様子もない京楽に、咽て顔を紅潮させた浮竹は酒を気管に入れまいと小さな咳を繰り返した。
16
「あ、そうだ!これから浮竹が
さくらちゃんとこに行く時は声掛けてよ。ボクも行くから」
「お前…俺を信用してないのか?」
漸く咳も収まったものの、京楽の無礼極まる発言は続く。
しかしそれは浮竹に釘を刺した訳ではない。
「んー。でも、そういう理由で仕事はサボれるよね」
尸魂界中の男達に
さくらに手を出すなと、浮竹を通して宣言したのだ。
17
「お前なあー」
相変わらずの京楽に呆れた浮竹は、もう言い返す気力も失せた。
再び悪巧みが成功したような笑みを見せる京楽の差し出した手に猪口を返すと
「あ」
浮竹は徳利に栓をして手にしたまま立ち上がった。
「酷いよ、浮竹ェ。徳利は置いてってよ」
「知らん」
この寒空の下、限(
きり)の無い京楽の酒と話を終わらせる為に、浮竹はダンと屋根から下りた場所に徳利を置いた。
18
「京楽。俺とひとつ約束したらこいつを返してやる」
浮竹は、まだ徳利に手をかけていた。
仕方なく徳利を追いかけてきた京楽が何だい?と身を屈めてそれに手を添える。
「
さくらと、幸せにな」
近づいた顔に短くそう告げると、
浮竹は白い髪と白い隊首羽織を翻した。
19
友の去った先が
再び闇一色に戻ると
京楽は編み笠を押し上げてまだ天にいる月を見上げた。
漆黒の闇を切り取る曲線から煌々と光が降り注ぐ。
それは月自体の輝きではなく日の光を反射させているという真の姿と、
網膜に映る冴え冴えと輝く月の姿の双方を京楽は素直に認め
徳利を手に立ち上がった。
自分の為でなく
さくらの為だけでもなく
二人で幸せになる為に
二人が
結婚 するのだ。
「…そうだね。その為の契りだね」
京楽に語りかけられた月は、輝きを増すことで応えたように …見えた。
fin*
************************************************タイトル『月夜に日光を見る』は私のリアルの上官(ブログ呼称:涅隊長)からの問いかけです。
「月をただ美しいと眺めるだけでなく、その本質を知る」
↓
「
さくら様をただ可愛いがるだけでなく、その才能を生かしてやる」のも夫の務めと、京楽隊長にわかってもらえたらなと思いました。
京楽隊長が
さくら様を護廷十三隊を退隊させたい理由(予感)は、他にもあるのですが、まだそこまで書けそうにありません。何年後やら…。←遅すぎι
でも、
さくら様が可愛くて独り占めしたい京楽隊長って好きです。///
天宝院さくらでした。
2008.02.20
京楽隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月