浮竹家に
さくらという家族が増えてから数十年。
その間に弟妹らにも何人か子供が増え、ますます浮竹家は大家族となっていた。
実家に帰れば
さくらを囲んで昔話に花が咲き、十四郎が苦笑しながら弟に相槌を打つのも恒例となっている。
「そういえば、そんな事もあったな…」
「それが今や、こんな嫁さん貰えるようになるとは。わからないもんだよ」
うんうんと頷く弟達は、しみじみと幼少時代を振り返っている様子だ。
「さあ、俺の昔話はもういいだろ?」
「いやいや。これからが是非とも義姉さんに聞いてほしい話ってやつ」
小さい頃から体の弱かった十四郎が隊長職に就いただけでも立派なものだが、実家を離れて数百年。色恋沙汰のひとつ、聞かなかった。
それが家族の誰もがすっかり諦めた頃になって、突然結婚したい相手がいると
さくらを連れて来た。
それもどこから見ても非の打ちどころのない上級貴族のお姫様とあっては、
さくらが訪れる日は必ず弟妹が待ち構えるようになって当然だろう。
1
そして何をするかと言えば、十四郎が小さい頃の失敗談などをこの時の為に考えていたに違いない構成で
さくらにあれこれ語るのである。
「お前ら、脚色しすぎだ!」
しかし笑いを取る為か調子に乗ってしまうのか、それがあまりにも事実とかけ離れることがある。
「いい加減にしろ!!」
一向に口を閉じない弟に、十四郎が頭上から大げさに拳骨を喰らわす。
「ほら、ホントにこんなだったんだぜ?」
さくらもこの賑やかさには慣れたが、こういう乱暴なスキンシップには戸惑いが抜けない。
「お兄ちゃん、義姉さん貸して!」
未だ話し続けようとする弟と十四郎が小競り合いをしていると、下の妹が現れた。
「なんだ。俺の
さくらを、何処へ連れてく気だ?」
「兄さんも美味しいもの、食べたいでしょ?」
十四郎が承諾せぬうちに
さくらを立たせ、障子を閉める間際にとどめを刺される。
「やれやれ…」
頭を掻いた十四郎の背中に突然重みがかかった。
「十四ろおじちゃ、遊んで」
「お、いいぞ~」
遊び相手を探していた子が、ここぞとばかりに十四郎の背中に抱きついてきたのだった。
2
親や十四郎とだけでなく子供だけで大人しく遊ぶ子もいたが、今日は部屋の仕切りを最大限に取り払ってある。ついつい追いかけっこを始める子供も出てくるというものだ。
「ほらぁ、走り回らない」
小さな子が踏まれないよう、母親が寝ている子を庇う。
「家ん中で走るなって言ってるだろ!」
近くを通る際に父親が捕まえようとするが、そういった障害物さえも楽しいのだ。
いくら親が注意しようとも、いとこ全員が揃って遊べるこの機会におとなしくしていられる子供がどこに居よう。
そして、親が危惧していたことがとうとう起こった。
「はーい、お待たせー」
運ばれてきた食事に喜び集まった子供と走り回っていた子供がぶつかった。
その巻き添えを食い、両手のふさがった
さくら達は危うく料理をこぼしそうになったのだ。
3
「コラ、お前達!!」
すぐさま走り回っていた子供達の親がお尻をぶったり拳骨を食らわす。
耳をつんざくような泣き声があがり、子供達の楽しかった雰囲気はしぼんだ。
更には年長者の泣き顔に、何も悪さをしていなかった子らまで表情を曇らせたのを見て十四郎が制した。
「まあまあ、まだ子供だ。そんなに叱らなくとも、いいじゃないか」
「甘いんだよ、兄ぃ。子供だからこそ叱らなきゃならない時は叱らないと」
「そうさー。兄貴んとこも、ガキが生まれたらわかるよ」
「………」
食卓に料理を並べようとしていた
さくらの動きが一瞬止まる。
「イ、イヤ!ガキができないのは兄貴の所為で、ホラ…」
「そんなこと…」
「ああ。俺の体の所為だ」
さくらが弟の言葉を否定し終える前に、十四郎ははっきりと言い切った。
浮竹家の中で唯一、子宝に恵まれていないのは十四郎だけだ。
弟妹は勿論、両親もその理由を重々承知しており誰も
さくらを責めたり子を催促したりはしていない。
「
さくらに非はない。だからもう、その話は止めにしないか」
「うん…御免よ」
「ハイハイ、おしまい!さ、ご飯にしましょーねー。みんな、手伝って~」
上の妹が明るく呼び掛けてくれたおかげで失言した弟も泣いていた子供も気持ちを切り替えられた。
だがこの時
さくらがそっと胸元に手をやったのを、十四郎は見逃さなかった。
4
その後は楽しく時間が過ぎていったものの
今夜が泊まりの予定でなくて良かったと、十四郎の背中を眺めながら
さくらは帰り道をとろとろと歩いていた。
「
さくら」
十四郎は遅れがちな
さくらと手を繋ごうとしたのだが、
さくらはその大きな掌を前に俯いた。
「どうしたんだ?」
だらんと垂れた
さくらの手を持ちあげた十四郎は、覗いた
さくらの瞳に未だ子供のできない罪悪感を見た。
「…赤ん坊の、ことか?」
十四郎が率直に尋ねると、
さくらはこくんと頷く。
「子供は焦らない。できなくとも悲しまない。そう、約束しただろ?」
「はい…」
わかってはいる。
わかってはいたが、いくら子育ての苦労を聞いても知識はあっても
いとこらの世話を手伝ってみても
実際にこの手の中に我が子を抱いたことはなく
そして…
これからも抱けるとは、限らない。
5
若く美しく健やかで心優しい
さくらが、何故こんなことに心痛めなければならないのか…。
全ての責任は自分にあると確信している十四郎は
さくらを慰めた。
「済まんな…。俺でなければ、お前も程なく子宝に恵まれてただろうに…」
「十四郎様…」
慰めたつもりだった。しかし
さくらは目を見開いて驚いた。
「子供は欲しいです、授かりたいです。でも、そんな、私が …子供なら誰の子でもいいような言い方って酷いです、あんまりです!」
「…そんなつもりで言ったんじゃない」
「だったらどうしてあの時結婚してくれないかなんて、おっしゃったんですか!?」
「
さくら…?」
唐突にあの夏の終わりの…ちょうど今頃だった、あの日の十四郎の言葉を
さくらは持ち出した。
「四番隊でも…卯ノ花隊長でも防ぐどころか予測もできないあなたのお体のこと……。結婚どころか、あのお言葉を聞く以前にわかっていたことです」
さくらは先程よりも一層俯くと、ぽろぽろと大粒の涙を零した。
6
「
さくら…」
十四郎は涙を拭いてやろうとした。
しかし
さくらは手を繋いでいるほうの十四郎の腕を叩いたかと思うと、次に胸をぺしんと叩いた。
「十四郎様の、馬鹿ぁ……」
それから夫の手を振り払おうとしたが、逆に十四郎は引き寄せて腕に閉じ込める。
「本当に…俺は大馬鹿だ。あの頃はどうしても気持ちを伝えてしまいたくて……。
だがそれは、お前が応えてくれると期待してたわけじゃない。覚悟ができたからこそ、漸く告げられたんだ…」
未だ涙の止まらない
さくらの顔を上げさせる。
「お前だって、俺が求婚するなんて夢にも思ってなかっただろ?」
「はい」
さくらのしっかりした返事に十四郎は苦笑した。
さくらが自分に気が無いことなど、十分に覚悟していた。
俺と結婚してくれないか。「あの時はなるべく、お前の負担にならんよう言葉を選んだ…つもりだった」
返事は今すぐでなくていい。その……「お前が一隊長である俺に気を遣って、断れないようなことがないよう…」
ゆっくりでいいから、考えてみてくれないか。「ただ…俺の気持ちさえ伝えられれば―――それで、諦める つもり、だった」
十四郎の指が、
さくらの涙に濡れた頬を撫でる。
7
それに対し
さくらは大きく息を吸い込んだ。
「私だって――…私なりに覚悟して、十四郎様との結婚をお受けしたんですよ? ふ…
振られる、かも…。婚約してもまた、振られるかもしれない。でも、私"が"十四郎様を好きな気持ちに偽りはない、から―――…
心、開く勇気をくれた
あなたならと信じることができた
出逢えたことに
一瞬でも結ばれた心に
感謝して
別れも覚悟して婚約しました。
結婚、しました。
それなのに、何ですか。
お子が授からないのは自分の所為だから自分を選ばなければ良かったなどと。
十四郎様のお体は、十四郎様以上にわかっているつもりです。
それを今更、お体を言い訳にするなんて!」
「…済まん」
声を震わせ泣いているのに睨みつけてくる
さくらの気迫に圧され、十四郎はつい謝ってしまった。
「済まんじゃ済みません!!!」
この、
さくらの台詞は正しかった。
8
侍女から伝わったのか、翌日には「
さくら姉を泣かした!」と義弟が押しかけ、
さくらを実家に連れ帰った。
とはいえその時は
武礼が意気込んで来ただけで、
さくらも自ら腰をあげたわけではない。
しかし
「
さくらに悲しい恋をさせるは、舞だけにしていただきたいのう…?」と義父…つまりは
鏡月が呼んでいると告げに来た師匠にチクリと嫌味を言われ、雲行きが怪しくなってきたことを悟った。
その予感は的中し
「初顔合わせの際に
さくらと一緒に暮らせるだけで良いと十四郎殿が申されたのは……。はて…儂の記憶違いかのう?」と
鏡月に静かに詰め寄られた。
普段の涼しい眼差しを通り越して凍りつくような目で睨まれた時、十四郎は
鏡月が斬り合いを申し込んでいるのかと錯覚したほどだ。
洗いざらい話すと
鏡月の表情は和らいだものの、その説明では
さくらには伝わらぬと一蹴された。
「それでは
さくらには会わせていただけないのですか?」
十四郎が義父に尋ねると、訳のわからないと言う顔をして
さくらは実家(ココ)には居らぬと言われた。
「愛娘が傷つけば儂らは庇おうぞ。しかし夫婦喧嘩の仲裁をするほど、子供扱いされたいかの?」
ぐうの音も出ないほどの正論を返され、十四郎は御尤もですと頭を下げる他にない。
この純朴な十四郎に、
鏡月も些か同情したのかもしれない。
「のう、十四郎殿…」
出来る限りの助言と、
さくらの居場所を―――と言っても予想どおり枝垂桃の宮だったが―――教えてくれた。
9
「……はぁ」
あの時自分では妻を思い遣った発言だったはずなのに、結果は散々だ。
こうして気まずくなっても
さくらには護廷十三隊や実家だけでなく私邸まである身分。いくら浮竹が隊長であろうとも二人の生活を賄おうともその意味は薄い。
加えて子供もできないのでは、男として立場がないではないか。
この考えが世間的にも間違ってはいないと、疑ったこともない。
しかし「ああ…以前にもこんなことがあったぞ」と浮竹が思い出したのは、朽木が風に靡かせる銀白風花紗を目にした時だ。
あの時も
さくらの大切な物をもらうのは悪いと断ったはずが、婚約破棄と捉えられ危うく一騒動となるところだった。
「………………」
普段よりも浮竹の笑顔が引き攣っていたのか、何か言いたそうではあるが一向に口を開かぬ朽木の視線を背に浴びながら、浮竹は
さくらの所へと向かった。
今日は
さくらに薬を処方してもらう日だ。
浮竹の誠意の伝わらぬ今、無理なく妻と話せる機会は他に見当たらない。
この時を逃さず仲直りしたいが、そうかといってあまり意気込まぬよう医薬品取扱専門詰所の戸を開ける。
「
さくら―――」
「…おはようございます」
久しぶりに姿を見た妻に声をかけると、素っ気なかったが挨拶は返してくれた。
だが
さくらは黙々と浮竹の処方に取りかかる。
いくら夫婦でも浮竹の体調を補う大切な仕事だ。それに暫く会っていなかったにも関わらず問診も無しで処方を始めるとは、これは相当根に持ってるなと浮竹にもわかるほどだった。
10
椅子も勧められず突っ立っていた浮竹は
さくらに歩み寄った。
「
さくら。その…お前が何も考えずに俺と結婚したとは思っていない。ただ…俺が不甲斐無くてお前に――」
暫くは手を動かしながらも話を聞いていてくれたが、拒むようにつーんとそっぽを向かれた。
「
さくら……」
浮竹はもう、何と謝っていいのやらである。
「十四郎様の馬鹿」
「…う」
さくらがそしる時は、相当怒っている時だ。…と、浮竹は思っている。
「まだ気づいていらっしゃらないんですね」
「う―――…ん」
そっぽを向いたままの
さくらの視線は全く動かないが、十四郎が解決の糸口を見つけられずに困り果てていることも、仲直りしたいと思っていることもわかっているだろう。
「…十四郎は、もし確実に十四郎様のお子を産める方がいらっしゃったら、その方と結ばれるんですね」
「そんなこと、あるわけないだろう!」
「でも十四郎様が私におっしゃったのは、そういうことです」
「…あ」
「…どうぞ、本日のお薬です」
「あの、
さくら」
「隊にお戻りください、浮竹隊長」
既に用意していた薬袋に詰め、
さくらは薬を差し出した。
11
「
さくら…今日は、十三番隊(俺のところ)に帰ってきてくれないか?」
薬袋を受け取る前に頼んでみると、
さくらの視線が僅かに上がった。
「………わかり、ました」
結局目を合わせてくれなかったが、
さくらは帰宅を承諾してくれた。
夕方には約束通り、四番隊の隊着に白衣を羽織り帽子だけ外したいつもの
さくらが久しぶりに"帰宅"した。
「おかえり、
さくら」
「…ただいま、帰りました……」
少し拗ねたような物言いではあるが、約束を破ったり無視したりしない妻は俺と仲直りしたいと信じるしかない。
というよりも妹が居るとはいえ女心を理解し難い十四郎は、
鏡月の「怒られているうちが花よ」という忠告を信じるしかないのだ。
「女子(おなご)の真の敵意は攻撃ではのうて無視じゃ。責められとると思う時は、お主とより仲良うしたい気持ちの裏返しじゃと思うて受け止めてやってくれぬかのう…?」
鏡月に言われたこともそれなりにわかるが、そのまま十四郎が実行に移せるならば元々こんな苦労はしない。
詰所でも
さくらが何を言っても受け止めるつもりで赴いたが、付け焼刃故かやはり助言どおりには上手く事を運べなかった十四郎はある意味開き直って妻の帰りを待っていた。
「
さくら。単刀直入に話をしたい。子が授からないのは俺の所為だ。そうだろ?」
「だから、って――…」
夫の唐突な話の切り出しに、もう少し暫く会っていなかった時間を取り戻す会話とかができないものかと
さくらはたじろいだ。
12
「俺も他の男を持ち出したのは悪かった。だが、俺の所為でお前を悲しませたくはない。たとえわかりきった俺の体の所為だったとしても、な」
「…………」
さくらの沈黙を、十四郎は否定だと捉えたのだろう。
「今の俺は、お前を十分に幸せにしてやれていない」
「そんなこと、ありません」
「いや、事実だ。
それでも…お前の幸せは全部、俺がこの手で与えてやりたい」
「………」
無理だと思う。
だが、それでも望む。
お前を幸せにしたいと―――…。
論理的なようで、まるで子供のような言い草だ。
根拠もなければ可能性もないに等しいのに、十四郎が心からそう望んでいると言ってくれる。ただそれだけで――――。
「泣いて…る、のか?」
また悲しませたかと、
さくらの滲んだ瞳に戸惑う。
「泣いてもいい、って…言った癖に」
十四郎に贈られた言葉の全てを覚えている
さくらは、いつでも"あの日"に戻ってしまう。
「…いっつも笑顔でいようとしなくてもいいんだと、おっしゃった癖に―――」
嬉しくて、微笑みたいのに
こみ上げてくるものを堪え切れず、
さくらが小さく文句を言う。
13
「ああ。泣いてもいい」
耳に届く、優しい声。
あまりにもその言葉に素直になってしまう自分が恥ずかしく、無理に十四郎を睨んでみせた。
「怒っても、いいって…」
「ああ、怒ってもいい。お前はありのままでいい。ただお前を一番幸せにできるのが、この俺でありたいんだ」
「…ずるいです」
「――何がだ?」
その、全く意図せずして私の心を掴むことだと本当にわからないのかと、十四郎のあどけない疑問に
さくらはどう答えようかと考えた。
「今更増やして、ずるいって言ってるんです」
「…あの時はホラ、何だ。まだお前に―――
気安く触れることもできん仲だったからな。」
こんなふうに…とでも言うように、
さくらのまとめてあった髪を十四郎は無造作にほぐした。
十四郎の指の腹が地肌に触れ、その温もりが毛先まで流れていく。
長い指で髪がはらりはらりと解される毎に、
さくらの心も柔らかさを取り戻していった………。
「じゃあ、欲張り…ですね」
「…駄目か?」
さくらは大きく顔を左右に振った。
「十四郎様は沢山の幸せを与えてくださってます。私は十四郎様でなければ駄目なの。だからもう、あんなことをおっしゃらないで。そして何より、自分を見下すようなことをおっしゃらないで…」
「
さくら――」
「はい…」
「俺は…お前が誰かの者になってもかまわないようなことを言った。だから、お前は怒ったんだ…な?」
「ぅ…悲しかったん、です」
さくらは少し違うというように、解けた髪に頬を埋めた。
「済まなかった。本当に…」
さくらが誤解するような言葉ではなかったと、今でも思う。
だが
さくらには一番言われたくない言葉だったのだと今ならばわかる。
しかも全く見当違いのことで詫びて
さくらを更に怒らせていた。
14
「十四郎様に愛されて幸せです。私もあなたにありったけの愛を…捧げられていますか?」
「
さくら…。お前が結婚式の日に俺に言った言葉、覚えてるか?」
「……はい」
十四郎はそれをもう一度言ってくれと頼んだ。
「ありがとうございます。…私を――選んで、くださって…」
「何故、そう言った?」
「だって…十四郎様の妻に選んでいただけて、感謝してますし……」
「………俺は、選んだわけじゃない。
お前を誰かと比べて、選んだわけではないんだ」
「………」
ずっとずっと言えなかったことがある。
「お前しか、いなかった」
さくらが自信を持てるまで。
愛されていると、確信してくれるまで
十四郎が言えなかったこと。
15
俺は、さくらと一緒になりたい。「俺が生涯連れ添いたいと思うのは、お前だけだった」
「十四郎――…」
さくらの頬を、一度は止まったはずの涙が流れた。
一緒に飯を食って二人で金魚の世話をして、今日あった話をして。
俺はそういう生活をさくらとしたいんです。「泣いても笑っても怒っても……お前が傍に居てくれるなら、俺はもう十分幸せなんだ…」
十四郎の白い髪に
さくらの頬を伝った、いくつもの雫が滴り落ちる。
鏡月に問われた時
何より
さくらに誤解されてしまった時
最も伝えなければならなかったのは、あの日と同じ言葉
同じ気持ち だった。
「十四郎様ぁ…」
それに漸く気付いた十四郎の胸で、
さくらは子供のようにしゃくりあげて泣いた。
16
さくらとは仲直りできたしお互いに理解が深まったと感じられたが、暫くの間は義弟の視線は冷たいままだった。
十三番隊に日参し、十四郎を睨んでいるように見える。
見えるのではなく、本当に
武礼は睨んでいるのかもしれない。
だが十四郎は
さくらへの思い遣りだと好意的に受け止めていた。
それでもいい加減行き過ぎだという感もでてきた頃、
武礼が
さくらにあの事を引きずっていないか確認したことを知り
これはきちんと話をしようと、十四郎は義父に倣って
武礼と向き合った。
しかし
武礼はどうにも納得できないらしい。
「だって、
さくら姉…元気ないじゃないですか」
「………」
怒った時の
さくらと同じく上目遣いで睨む義弟に、十四郎は一瞬自分の主張が止まった。
「お気付きじゃないんですね…」
武礼は十四郎の反応に、
さくらの変化に気付いてないことを悟ったらしい。
呆れたように席を立たれるところまで
さくらそっくりだった。
17
しかしそれ以来、十四郎にも
さくらが時折沈んでいるように見えることがあった。
それに普段から小食であったものの、それ以上に食欲も落ちてきている。
「
さくら…。お前が小食なのはわかっているが、近頃はいくらなんでも食べなさ過ぎだ」
「でも、少し太ってきたぐらいですよ?」
十四郎にはわからない程度だが、一寸ほど帯の結び目が変わったらしい。
「それに、あまり元気もない」
「――――」
そう言われて初めて、
さくらも薄々感じていた不調に気付いたようだ。
「
武礼もずっと心配していたそうだ」
「それで…」
六番隊の任務もかなり任されるようになって忙しい身であろうに、しょっちゅう会いに来てくれていたのはその所為だったのかと
さくらも納得したようだ。
だが働けないわけでも、眠れないわけでもない。
いくら考えても今までにない違和感に、思い当たる節はなかった。
18
それから暫くして
十四郎は四番隊に呼び出された。
何事かと赴くと、卯ノ花の傍らに置かれた椅子に
さくらが腰かけている。
正しくは、椅子に腰かけた
さくらの傍らに卯ノ花が立っていたのだが、十四郎にしてみれば出かけた妻がまさか四番隊に居るとは思わなかったのだ。
「お前、どうして此処に――?」
まずは近くへと卯ノ花に促された十四郎は、
さくらの用事がこのことだったとはまだ気付いていなようである。
「十四郎様。あの… あの、ですね―――」
「
さくら?」
それだけ言うと俯いてしまった
さくらの前に十四郎は屈んだ。
どうしたんだ?ともう一度十四郎が尋ねると、
さくらは小さな声で告げた。
「赤ちゃんが、……できました」
それから
さくらの手が、お腹にゆっくりと添えられた。
「――――…」
ずっと
ずっと、聞きたかった言葉。
だが初めて耳にした今は
まだ、どこか実感がなく―――
「 ………いるのか? 此処に――― 」
さくらが撫でているお腹に、十四郎もそっと手を伸ばし触れてみた。
19
「心配されていた症状は、全て妊娠および軽い悪阻が原因です。母子共に、何も問題はありませんよ」
きっとまだお腹に触れたところで何もわからないであろう十四郎に、卯ノ花は手短に説明した。
「ああ…卯ノ花。その、ありがとう…」
「おめでとうございます。では、私は仕事に戻りますね」
夫婦だけでこの慶びを味わいたいであろうと卯ノ花は気を利かせてくれたが、初めての…それも予期しなかった突然の慶びに、お互い戸惑うばかりだ。
「ありがとう、
さくら………」
「私の…おかげじゃ、ありません よ?」
漸く口を開いた十四郎に礼を言われた
さくらは赤らんだ。
「お前が… 俺の子を宿してくれたんだ。
お前の、おかげだろ…う?」
「十四郎様ったら…」
二人の手は
さくらのお腹の上で何度も優しく重なり合った。
「親に…なる んだ、な」
「はい…」
この世に唯一人の愛する妻が
この世に唯一人の君を宿した。
「この子の―――」
「は、い…」
君に たったひとつ
どうか無事 産まれてきてくれと願う。
「この、俺が―――…」
後は俺が
護るから。
fin*
************************************************今から一月ほど後の秋の気配が漂う頃から、このお話は始まっているつもりです。
なのに何故今日UPしたかというと隠し設定として第一子は8月15日生まれの設定だからです。
風:浮竹隊長[一]のI can't spare youの公開日も8月15日なのはその為です。
浮竹隊長は自分のお体=子供のことで一番大切な女性を悲しませたくないから、女性に関心が薄い(ように見える)のかなぁと思います。
それでも運命を切り拓く力を持った方だと思います。
そして
さくら様の妊娠に一番に気付くのが弟の
武礼クンという、浮竹隊長の疎さすら愛おしいのです♪
沢山の魂魄を長らくお預かりし、お待たせして申し訳ありませんでした。
2010.08.15
浮竹隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月