その日は、花屋に入るや否や鮮やかな青みかかった紫色の花が十四郎の目に飛び込んできた。
「おはようございます」
入り口付近ではたと立ち止まった十四郎を珍しく思いながらも、店員は朝の挨拶をする。
「今日は、この花をくれ」
「…あ。 はい」
普段ならば必ず店内を一巡りする十四郎が、その花の前から一歩も動くことなく一輪の花を選んだのだ。
驚きはしたが、きっと十四郎と
さくらにとってこの花は何か特別なのだろうと察した。
「ありがとうございました」
同僚の声に、奥で作業をしていた店員が顔を覗かせる。
「あら。隊長さん、今日はもうお決めになったの?」
「きっと、曰
(いわ)く付きね。あのお花…」
初々しい夫婦の過去を想像した店員は、目を細めて隊首羽織姿の十四郎を見送った。
1
もう随分と十四郎も
天宝院家に通い慣れたもので、門番も遠くに十四郎の姿を認めると邸内に連絡を入れる。
「
さくら、おはよう」
「おはようございます、十四郎様」
だから十四郎が門前に着く頃には
さくらが出迎えていた。
「今朝はこの花にしたんだ」
「まぁ、竜胆(リンドウ)。そんな季節なんですね…」
花の名を口にした
さくらに、十四郎はやはりこの花がそうかと今一度
さくらの手の中の花を見た。
十四郎は花の名に疎かった。
疎いと言っても梅や桜や朝顔やひまわりや菊はわかる、女性に比べて花に疎いという一般的な男の範疇である。
竜胆は花だけを見れば釣鐘型の形状の所為か、奥ゆかしい花のような気がしていた。
しかしこうして見ると鮮やかな色といい、まっすぐに伸びた茎といい、若さと強さを感じさせる花だ。
2
「
さくらに、似てるな…」
「……ずっと前にも、十四郎様はおっしゃっていましたね」
竜胆の花に譬えられられた
さくらは、まだ十四郎の想いも知らなかった頃のことを思い出し、恥ずかしそうに俯いた。
十四郎もまた竜胆がこんな風に上向きに咲く花だとは知らず、俯き加減に咲くものだと勝手に思っていた頃を思い出す。
そして
天宝院家の邸を表す家紋の花が何故青空を向いているのか、漸く理解できた。
「あの…、十四郎様」
十四郎が何を見ているのかわからなかったが、いつもどおり急いて帰ることのない夫に話しかける。
「まだ山本総隊長にはご報告できませんが、双極の完成の目処が立ちました…」
「…ああ、そうか。頑張ってくれたんだな」
ゆっくりと頷く
さくらが次の言葉を告げるのに照れているとは、十四郎は全く気付いていないようである。
3
「それで……あの、その……。
一日ぐらいなら休めそうなので、できれば十四郎様と一緒に過ごしたい、のです…が――――」
「……うん?」
妻からの思わぬ申し出に、十四郎はすぐには返答できなかった。
すると
さくらは「すいません、無理にとは言いません」と慌てて謝った。
そして別れの言葉を告げて、今日は見送りもせずに邸に戻ろうとした。
しかし十四郎が許すはずもなく「待て」と言うが早いか、がっしと
さくらの肩を鷲掴みにした。
「何時だ?」
「……は、い?」
鎖骨にめり込む夫の指先は痛いほどで、殆ど向きを変えられない。
「何時、お前は休めるんだ?」
「え?ですから、十四郎様のご都合のよい日に合わせますので……」
さくらが斜めに視線だけを向けて答えると、十四郎の指から漸く力が抜けた。
そして二の腕を持たれるとくるりと夫と向き合わされた。
4
「今日だ」
「――――は?」
「今から一緒に過ごそう!」
「え―――。でもお仕事、は…」
「構わん」
「あの、それはいくら何でも――――」
「何時でも、俺の都合のいい日で良いんだろ?」
ちゃんとこの耳で聞いたぞ、というように十四郎は強気だ。
「だからって、十四郎様!」
さくらが思いっきり反論しようとした矢先だった。
「何を門前で騒いでおる」
「お義父上…」
「お父様」
さくらと十四郎が口を開いたのは同時だった。
起きたばかりのように気だるそうに軽く首を回しうなじを擦っていた
鏡月は、今十四郎に気付いたかのように視線を向けた。
「おお、十四郎殿。朝の供御(コゴ)はお済みかの?」
「いえ、まだ…」
「それでは相伴せぬか?」
十四郎が「いいんですか?」と問うも、当たり前じゃとすぐさま
鏡月は背を向けて邸内へと入ってしまった。
5
さくらもいつまでも門前で口論しているわけにはいかず、十四郎の後に続いて部屋に戻った。
既に朝食の支度は整っており、しかも三膳が用意されている。
いくら手際のよい侍女が居るといえど、このタイミングは先に
鏡月が指示しておいたに違いなかった。
「お?今朝は白味噌ですか!」
膳を見渡した十四郎は、嬉しそうに箸を手にする。
そんな夫をうっかり可愛いと
さくらは思ってしまった。
しまったとも思ったが、然も美味しそうに一口一口味わう十四郎に、やはり口許が綻んでしまう。
「
さくら、残さず食べられるか?」
「はい、ちゃんといただきますよ!」
子供扱いする十四郎に、拗ねたように答えた。
そうしなければあどけない夫の笑顔につられて、にっこり笑顔を返してしまいそうだったからだ。
6
娘夫婦の姿を微笑ましく眺めていた
鏡月が食事も終わりかけになると、どちらともなく問うた。
「それで…先程は何を騒いでおったのじゃ?」
「
さくらの話によれば、双極の完成目処が立ったそうで……?」
「おお。そうじゃった。まぁ、目処というだけではっきりとはせぬがの」
鏡月は惚けるも、この男が口にしたのならばそれは確実に完成する日が定まったからである。
「それで、
さくらが丸一日休めると」
「うむ」
そちらの問いにはしっかりと返事をした。
「ですから今日、
さくらと一緒に居たいと言ったら駄目だと言われたんです」
「だってお父様、十四郎様はお仕事の日なんですよ!?」
隊首羽織姿の夫を見ろと言わんばかりだった。
「隊には連絡する」
「別に今日じゃなくてもいいじゃないですかぁ」
さくらとしては折角の夫とのデートならば、前々から用意して美しく装って出かけたかった。
7
「そんなに…今日は、駄目か?」
拗ねているわけではないが、寂しそうな視線を向けてくる。
「じゃあ隊士
(みんな)がいいと言ったらいいか?」
さくらが折れかかったのを察してか、にこやかな笑みで十四郎は詰め寄った。
「…………う」
思わずうんと頷きそうになり、
さくらはグッと堪えて頭をふるふると振った。
「ほっほっほ。
さくらは愛らしいのう」
突然
鏡月が高らかに笑う。
「十四郎殿。
さくらが今から支度をするには暫く時間がかかる故…。どうじゃ?朝一から出かけられるよう日を改めては?」
「…支度?」
鏡月が娘の心を汲み取るものの、十四郎は何のことかわからないというように
さくらをもう一度見た。
「十分支度できてるじゃないですか」
これ以上何の支度が必要なんだ?と上から下までまじまじと見られた
さくらは、簪も挿していない、化粧もしていない、手指の手入れも、それに着物も普段着で…と泣きそうになった。
8
きゅっと唇を結んで俯く娘に、
鏡月は呟いた。
「確かに十分、可愛いがのう?」
「ええ、綺麗にしてるし十分可愛いし。
今更何の支度が要るんだ?」
「ぅ… え……」
十四郎にじっと真顔で見詰め問われては、嬉しいやら恥ずかしいやらで何も言葉が出てこなかった。
「それに今も十分、朝早いぞ?」
花屋が開くと同時に立ち寄れる時間帯に出てきているのだ。まだ日が昇って然程時間は経っていなかった。
「お主と出かけるのであれば、もっと良い着物に着替えたいのじゃろう。半刻余り、待ってやってくれるかのう?十四郎殿」
当の夫は全くわかっていないらしいので
鏡月が
さくらの気持ちを代弁すると、勿論ですと十四郎は快諾した。
それじゃあ隊に地獄蝶を飛ばしますと言い掛けた十四郎を、
鏡月は肩の塵でも一払いするかのようにあしらうと
「儂を誰じゃと思うとる?」
皆まで言うなというように、音もなく立ち上がった。
瞬歩…ではない。
普段の振る舞いから
鏡月はそれほど無駄がないのだろう。
十四郎達が瞬きする間に、父の姿は無くなっていた。
「お父様、今日はお仕事なんです」
きっと朝一番の仕事は十三番隊隊長欠勤の報告だと苦笑する
さくらに、十四郎は「そうか。それは助かった」と悪戯っぽく笑ってみせた。
9
久しぶりに
さくらの私室に邪魔した十四郎は、内心ほっとしていた。
この数日に贈った花が、色合いや雰囲気を考えて花瓶に投げられたり、活けられたりしている。
計画以上に早い双極の完成予定に、話を聞いた時は
さくらがまた無理をしたのではないかと一瞬あの鷹羽音邸
(たかはねのやかた)の部屋のような状態を覚悟したが、取り越し苦労だったとわかったのだ。
「ぅー」
飾られた花を見ていた十四郎に、
さくらの悩む声が聞こえてきた。
侍女が見せる二枚の着物すら選びかねている。
「俺はこの着物がいいな」
背中から両肩をぽんと持たれ、十四郎にそう言われた。
普段は着替えにもあれこれ悩む
さくらだが、それは十四郎の目に綺麗に映りたいからだ。
夫が選んでくれたなら、安心して袖を通せた。
着物に合う簪も挿し「お待たせしました」と夫に声をかけると
「じゃあ、行こう」と十四郎が羽織を翻す。
「………」
折角夫の選んだ着物に着替えたというのに、何の言葉もかけてくれることなく出かけようとする十四郎の背中を少し寂しく思いながらも、
さくらはついて行く。
10
「
さくら」
外に出るとすぐさま、十四郎に呼ばれ
目の前には…
大きな掌が差し出されていた。
「行こう」
一緒に歩くんだから手を繋いで当然だというように、十四郎の手が催促している。
この手を差し出され
この手に自分の手を重ねられる
これ以上の幸せが、そうそうあるだろうか。
「はい、十四郎様」
手を繋ぐと一度ぎゅっと握り締める。
放さないぞと想いを込めたような夫の癖は、相変わらずだった。
秋の早朝は殊の外澄んでみえた。
枯葉と言えば聞こえは悪いが、緑の葉が深い赤や鮮やかな黄色に色づいて舞う様は紅葉と呼ぶに相応しい。
「今日は天気もいいし。出かけるには最適だったな」
十四郎が朝日に向かって軽く伸びをした。
「…竜胆は、お天気のいい日にしか花を開かないんですよ?」
「そうなのか」
あの凛とした清々しい花は、確かに青空が似あうだろう。
11
人気の少ない時間に街中を抜け、郊外へと足を運んだ。
「空気が、違う…」
「秋だからですかね?」
十四郎の独り言に
さくらが相槌を打つ。
「それはお前と居るからだ」と、高く澄んだ空を見詰めながら十四郎は思ったが、言葉にはしなかった。
襟を掠める風は冷たかったが、
さくらが傍らにいる今はそれすら心地良い。
風に靡く白い髪に
さくらが見惚れるように、十四郎には妻と見る景色全てが輝いていた。
一頻り秋を堪能すると、十四郎はいい処へ行こうと
さくらを誘った。
「さ、着いたぞ」
「………」
「いらっしゃいませー」
さくらは何処へ出かけても恥ずかしくない装いだったのに、連れて行かれたのはただの甘味処だった。
「あのう…十四郎様?」
「なんだ?
さくら」
満面の笑みを夫に返される。
「先ほど、朝食を終えたばかりです…が?」
「もう一時
(二時間)は経ったぞ」
時間の観念というか、食べ物の観念というべきか。
ああ、この夫
(ひと)はこういう人だったと思い知らされる。
12
「お決まりですかー?」
「これをくれ」
「……ぇ」
「かしこまりましたー」
「じゅ、十四郎様っ」
「なーんだ、
さくら?」
どうして妻が慌てているのに、夫は肘をついて身を乗り出してくるのか、
さくらにはわからない。
十四郎は注文しただけでひゃんひゃん騒ぐ妻が可愛くて仕方が無くて笑みが零れる。
「お汁粉…。私、こんな量のお汁粉なんて、食べられませんってばっ」
「たった三人前だろ?」
「…十四郎様が、二人分食べてくださるんですか?」
「お前が、一人前食べられるならな」
ちゃんと一人分食べられるのかと問われ、またまたお腹の空き具合と相談しなければならない。
「ぅ……半分ぐらいで、お願いしますぅ」
さくらは小さくなって頭を下げた。
「そう言うと思って、五人前にしなかったんだ」
本気か冗談か、十四郎はくっくっと笑った。
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「お待たせしましたー」
鍋のような器に入ったお汁粉を、十四郎が椀によそう。
「白玉いくつだ?」
「えっと、二つ?」
「もっと食べろ。三つぐらい大丈夫だろ」
「…そう言うと思いました」
今度は
さくらがくすりと笑った。
「ぁ…熱ぃ、かな?」
猫舌の
さくらが恐る恐る汁粉を口にするのを、十四郎は感慨深げに眺めていた。
「やっと、食べられた」
「そんなに食べたかったんですか?」
「ああ。お前とな」
「―――え」
「約束しただろ?毎年、初めての汁粉は一緒に食べようって」
「それ、は………」
「柿もみかんも栗も餅も…お前と一緒に食べようって約束した」
「…はい」
旬の物を前にすると、十四郎は初物は一緒に味わおうなと必ず繰り返す。
14
「長かった…」
頬杖をついた十四郎が、
さくらを通して遠い過去を眺める。
「お前は一緒に出かけてくれないばかりか、俺からの差し入れも滅多に受け取ってくれなくて」
「だって…勤務時間中でしたし」
自分のまだ入隊間もない頃の話をしているのはわかっていた。
「だったらいつ誘えって言うんだ?仕事以外で会いたいから、誘ってたんだが」
「………ぁ」
十四郎は女心に疎いというが、
さくらもまた恋愛には疎すぎた。
「凛とした強さと、奥ゆかしさを持ち合わせたお前は…俺には、高嶺の花だったな…」
「……そんなこと、ありません」
「言ったな」
「―――はい?」
「
さくらは褒めると、いつも否定した…」
「十四郎、様…」
十四郎がさくらの手を引き寄せ、包み込んだ。
15
「
さくら。覚えてるか?」
「何を―――ですか?」
昔話の尽きない夫に、
さくらは首を傾げる。
「"
さくらは、いいお嫁さんになるだろうなあ…"」
海燕との婚約を破棄された
さくらが、恋愛や結婚に臆病になったのは仕方のないこと。
だが十四郎の眼差しは、俺の妻となった今はあの時のように否定するなと言っている。
「……そんなこと、ありません」
お前は最高の妻だと訴える十四郎の眼差しは、
さくらには真っ直ぐ過ぎた。
「私は、やはり…いいお嫁さんになれたか、どうか…わかりません。
ですが――――」
さくらは背筋を伸ばすと、しっかりと夫を見た。
「十四郎様の妻になれた私は、幸せです」
あなたとこうして手を重ね、心を重ね、あなたの傍に居られる存在になれた。
「私は、素敵な旦那様に、出逢えました…。あなたに――――」
「
さくら…」
十四郎が身を乗り出し、顔を近づけてくる。
「か…軽く、ですよ…?」
ほんのり頬を染めたさくらも、照れながら応じた。
この秋
あなたとの口付けは
ほんのり 甘い
味付け…でした。
fin*
************************************************風:浮竹隊長『四.哀秋』のお返事編(?)でした。
漸く双極完成…というか、こちらではあっという間でしたね。(^^ゞ
浮竹隊長にはパワフルに突っ走ってって欲しいです。そして突然喀血するあなたを介抱したい。(笑)
ご訪問ありがとうございました。
2009.11.24
浮竹隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月