藍染惣右介らが尸魂界を去った翌日
浮竹は寝込んだ。
たった一人で双極を破壊できるほどの盾の封印を解き、山本総隊長と戦ったのだ。
寝込むのも無理はない。
誰もがそう思って不思議はなかった。
その日は妻の
さくらも非番であり、二人静かに過ごさせてやろうと
十三番隊だけでなく護廷十三隊全体が未だ慌ただしい中、皆が浮竹を気遣った。
1
「隊長はお膳より、おかゆか梅干茶漬けのほうがよろしかったですか?」
浮竹を心配する隊士に
さくらはゆっくり首を振り、食欲はあるからと隊支給の朝食を二膳受け取った。
布団から、白い髪が覗いているのは隊士にも見えただろう。
顔色は伺いしれなかったが、浮竹が横向きに寝ているなら大抵は症状が軽い時だ。
普段なら隊士に一言声をかけてくれる状態であったが、今朝の浮竹は背を向けたままだった。
「用意が整いましたよ、十四郎様」
さくらは障子を閉めて膳の前に座布団を置くと、夫を食事に誘った。
「………」
「どうなさったんですか?」
返事もなく、未だに背を向けている浮竹に尋ねる。
2
「お腹空いてらっしゃるでしょう?」
「……いや。それほど」
グウウゥっ、という腹の虫の音に浮竹の声が聞き取れなかったほどだった。
さくらはクスクスと笑った。
「昨夜、あれだけ泣かれたんですもの。当然です」
一番、浮竹が言われたくなかったことを言われた。
昨晩浮竹は自分の無力さを妻に嘆いてしまったが
さくらが湯浴みを済ませるまでに落ち着き、湯上りの妻を夫として労わる姿は普段どおりだった。
しかし一緒の布団で眠りたいと甘えてきた
さくらに身も心も寄り添った浮竹は、妻を腕に抱きながら我知らず悔し涙を零していた。
それは至って男らしく隊長として堂堂たる涙で恥じるようなものではなかったのだが、
さくらに涙を見せたのが自分としては途轍もなく恥ずかしかったのだろう。
3
「さ、ご飯にしましょう」
「…要らん」
答えると同時に布団に顔を突っ伏した。
「あなた?」
さくらが不機嫌そうに、浮竹を呼ぶ。
しかも名前でなく「あなた」と呼ばれたのは、初めてだった。
驚きも手伝って布団から身を起こして妻を見ると、「さぁ、こちらに来て」と嬉しそうに手招きをされる。
渋々布団から這い出し、二膳並べられた
さくらの隣に正座した。
4
膝の上で拳を作る浮竹の気持ちを本当にわからないのか、
さくらは何を拗ねてらっしゃるの?と首を捻っている。
「…昨夜。お前に泣き顔なんて、見られて……」
浮竹が正直に言うと、
さくらは両手で口許を覆った。
「ふふ、可愛い…」
「………ほら、見ろ」
事実だから仕方がないが、妻に笑われた浮竹はしょぼくれた。
「褒めてるんですよ、十四郎様を」
「可愛いなんて、男の褒め言葉じゃないだろ」
親友に言われ続けてでもいるのか、浮竹は可愛いという言葉に敏感に反応した。
項垂れる浮竹に、首を伸ばして覗き込むように
さくらは顔を近づける。
「素敵でした」
「空々しいぞ?」
「本当です」
そのまま
さくらは抱きつくと浮竹の胸に、頭を預けた。
5
「もっと言えば、嬉しかった…」
ぎゅっと精一杯抱き締めてくる妻に、浮竹はそうっと触れた。
「…
さくら?」
「十四郎様はね、いつも素敵なんです。本当なら今でも隊長ってお呼びしたいくらい、素敵…」
浮竹のぬくもりに頬ずりしながら、襟元の白い髪を引き寄せて指に巻きつけた。
「そんなあなたが、私に涙を見せてくれた。嬉しかった…」
「…男に泣かれて、嬉しいか?」
妻の言葉を素直に受け止められないのか、未だふて腐れているのか、ぶっきらぼうに問う。
「泣いてもいい。怒ってもいい。いっつも笑顔でいようとしなくていい…
私にそう、おっしゃったじゃありませんか」
だったらあなたもそうでしょう?と、またあなたと呼ばれた。
6
「あなたが辛い時、苦しい時、傍に居られて、良かった…」
ほっこり浮竹の胸に頭を預けるのは、
さくらが浮竹の全ての言動を受け入れた証拠だ。
この言葉、この抱擁に嘘はないと、浮竹も信じるに足りたのだろう。
浮竹も
さくらを抱き返した。
「どんな時でも、あなたの傍に居させてくださいね。たとえ私では、お力にはなれなくても…」
「
さくら、違…っ」
ううんと首を振ると、この話はもう止めにしましょ?と
さくらが顔を見上げる。
「だから――」
それから白い手が胸を這い上がり首筋を撫で頬を包み込み、妻の艶やかな唇が甘く浮竹を誘う。
「
さくら……」
ゆっくりと浮竹も唇を近づけた。
7
「――ご飯にしましょ?十四郎様」
にっこり微笑むと浮竹から離れ、
さくらは箸を手にした。
箸を手にした自分を呆然と見ていた夫に、どうかしましたか?と問うと
「…今のは、口付ける雰囲気じゃなかったか?」
肩透かしを食らった浮竹が拗ねていた。
「色気より食い気でしょ?」
「う…」
腹に手を当て、妻の言葉を自覚したらしい。
「いただきます…」
浮竹は素直に手を合わせた。
8
浮竹の朝は遅かったものの、昼には隊舎に顔を出していた。
「隊長、ゆっくりお休みください!」
「午前中はゆっくりさせてもらったから、大丈夫だ」
皆の表情から十三番隊(ウチ)には隊長を心配するゆとりがあることを確かめると、一番隊へと向かった。
昨日のうちに朽木ルキアの処刑を阻止しようとした死神――浮竹・京楽を含む更木、小椿、虎徹、阿散井、伊勢その他把握していない者も含め全員お咎め無しと山本総隊長に確認は取れている。
それでも浮竹はルキアの体調が回復次第、十三番隊即時復帰の確認に山本の許へ出掛け、そこで午前中に開かれた臨時の隊首会の主要目的・吉良と檜佐木への諮問で、新たに得た情報はないか尋ねた。
彼らが藍染の息のかかった者でないと信じるに足るほど精神的ダメージを負っているのは明らかであり、また目新しい情報を得られなかったことも浮竹は知った。
それならばと昨日決定したとおり、浮竹は藍染の潜伏していた中央四十六室の調査に今から赴くと山本に告げた。
9
「急ぐことはない。明日以降で、よかろう…」
昨日の今日で愛弟子に無理をしてもらいたくない山本は、浮竹の申し出に言葉を濁した。
「午前中の隊首会も欠席させてもらった身ですし、今から四十六室に向かいます」
しっかりと、浮竹は山本に意思を伝える。
妻は四番隊の、浮竹専任のような医薬品担当者だ。
結婚式以来まともに姿を目にしたこともないが、上官の卯ノ花も腕を買っているほどである。
「うむ…」
さくらの世話を要しないだけに浮竹の体力は回復しているのだろうと、山本は短く了承した。
10
中央四十六室全滅という嘗てない事態に、内部の調査は勿論その機能も一時山本に全権委ねられた。
そして浮竹は今後藍染に関する調査の為なら、山本にすら許可なく中央四十六室に自由に出入り可能と、昨日の隊首会で申し渡されている。
中央四十六室前の立ち入り禁止の結界を越える時、僅かにベールのような物を感じたが、それは浮竹の歩みを妨げることはなかった。
清廉とした霊子に包まれていることに変わりはなかったが
朽木ルキアに下った裁定に対し、浮竹が進言に赴いた時とは様変わりしていた。
斬られた門
用を成さなかったであろう中途半端に開いた何十もの防護扉
机上に乾いた血の残る地下議事堂
天上まで凍りついた跡
そして
未だに残る足許の水
其処と少し離れた場所に
新しい血痕……
昨日知った事実とこの状況が一致した浮竹は、暫しその場で目を閉じていた。
それから
ゆっくりと顔を上げた。
11
「…………藍染」
死を装って篭っていた藍染に、迷いや不安はなかったのだろう。
最低限の生活をしていた部屋と、目的を持って入室したであろう、霊圧の名残。
未だ藍染が崩玉を虚圏に持ち去った目的は定かではないものの、明らかに何か大きな意図があって此処に潜んで時を待っていたのだ。
「一番痕跡が残っているのは、此処か……」
恐らく偽りの死が発覚するまで、調べていたのだろう。
市丸と東仙は別行動だったのか、大霊書回廊は藍染の霊圧しか感知できなかった。
此処には今までの尸魂界全ての事象・情報が強制集積されている。
「何を、見ていたんだ…?」
右を見ても左を見ても下を見ても上を見ても、何千年と蓄積された情報に埋め尽くされている。
その膨大な量にどこから手を着けるべきか、浮竹は暫し立ち竦んでいた。
「確か…情報自体は時期で分類されているから、内容を調べるなら一覧で確認するはずだ…。
あわよくば、藍染が見た記録も残っているかもしれん」
目の前のパネルを操作してみる。
「くそ。やはり閲覧記録は故意に削除されているか…」
中央四十六室の裁判官らならば何時でも閲覧は可能だし意図的に削除もできるかもしれないが、今までの閲覧記録が皆無というのは藍染が削除したとしか考えられない。
12
中央四十六室のメンバーを殺害し清浄塔居林に潜伏していただけでなく、大霊書回廊に用があったのは確かだ。
こうなれば地道に藍染の霊圧の名残を辿るしか、ないようであった。
しかし闇雲に捜し回っても、徒労に終わるか時間がかかりすぎる。
浮竹は隊首会で報告があった件を取っ掛かりに、資料のある階層に行ってみることにした。
ルキアの報告で、挙げられた事例の資料を直接手に取る。
藍染の霊圧の名残は
ない。
「海燕―――」
藍染は虚の死神化を試みたと言っただけで、都らの命を奪った虚が彼の生み出した虚とは限らない。
しかしルキアは間違いないと、力説していた…。
ルキアが正しかったとしても、既に隊長の座についていた藍染にとって『成功した満足のいかない実験』など、今更目にする必要はなかったのだろう。
ならば――と、ひとつの仮説を立て、浮竹は再び階層を移動した。
13
「こんな、以前の……」
阿散井やルキアが藍染から聞いたと思われる虚の件よりも遥か以前の、不可解で未解決な情報に目を通した。
今までの事例に無理矢理当てはめて納得するしかなかった件だ。
「此処に痕跡がある。…ということは、これらに藍染が関与してたってことか」
藍染が隊長に就任した後ならば隊首会にて全て耳にしていただろうが、副官以前ならば会で報告された内容は端折られたり股聞きで言葉のニュアンスが変わることもあろう。
「つまり…自分の過去の実験がどのように報告されていたのかを、確認していたってわけだな」
浮竹は今までの藍染の行動を顧みていた内容から、ある事件が頭を過ぎった。
それは不可解ではあったがほんの数年前の出来事で、自分の仮説からして藍染が目を通した可能性は無い。
しかし自分の身に起こったあの事件の資料を捜した。
何階層も戻り手にした情報は、浮竹が報告したものと一言一句違わなかった。
14
そこに藍染の痕跡は――
あった 。
藍染の性格からして、念の為に目を通したに違いない。
つまり十三番隊の地獄蝶が断界にて原因不明の理由で切り裂かれた件は、藍染が意図したものだったということだ……。
隣の情報は勿論周囲には全く触れた痕跡がないことからしても、そう見て間違いはないだろう。
結果
藍染惣右介が隊長に就任する以前の不可解若しくは虚に関しての情報には閲覧の痕跡があり、それ以降ではたった一件…
浮竹らを襲った断界でのあの事件にしか、痕跡は見られなかった。
唯一、藍染の『失敗した満足のいかない実験』。
それがあの事件だと確信するには十分だ。
断界にて地獄蝶の導きを失った死神は、アリ地獄に落ちた蟻に等しく為す術もなく拘流に呑み込まれるのが運命だ。
為す術もなく―――
「俺は、あの時…
死んでいた」
さくらが、居なければ
此処にこうして居ることすら、なかった。
15
あの事件に藍染達にはどんな意味があったのか。
それは、今はわからない。
今後も解明されることもなく、解明することもできないかもしれない。
下手に追究すれば、護廷十三隊の規則を破り並外れた力で浮竹達を救った、
さくらに皆の目が向いてしまうからだ。
浮竹は脳裏に焼き付いた、花に囲まれ闇の中に横たわる
さくらを、首を振ってかき消そうとした。
それでも瞼の裏に浮かんでくる
さくらを紛らわそうと、今度は額に当てていた己の掌を見た。
空の掌を物理的に見ているはずなのに、そこに煌めく麟粉…次に地獄蝶が浮かんできた。
今でもあの地獄蝶の腹の動きや砕けた羽は勿論、触覚や足の当たっていた感覚さえ甦る。
痛々しいまでに、己を犠牲にして
それに何の愚痴も不満も零さず……
あの柔で脆くボロボロな地獄蝶の姿が、
さくらと重なる。
「
さくら―――」
あの日の
さくらを見た涙に比べれば、昨夜
さくらの前で泣いたことなど些細なことだったと、心底思えるようになっていた。
16
都や海燕、ルキア…。十三番隊隊士と己だけでなく
さくらまでもが藍染の計略の犠牲になるところだったと知った今、羞恥心に揺らいでいた浮竹の心は確固たるものになった。
「俺は二度と部下を。そして
さくらを、あんな目に遭わせはしない―――」
浮竹が決意を胸に誓ってから長く其処に留まっていたのか。
それともそれまでに相当な時間を費やしたのか………。
それは
日が暮れても戻らぬ浮竹にやきもきし、山本とパニック状態になった三席らに迎えに来られても、定かではなかった。
寧ろ彼らが中央四十六室に来るまでに十三番隊隊士が一番隊に押しかけ大騒動となっていた為、浮竹が中で何をしていたかなど全く問題ではなくなっていた。
十三番隊が一番隊に押しかけた時点で山本が四十六室に行くと言ったのだが、それでは治まらない隊士らの浮竹を心配する気持ちを酌んでほしいと、
さくらが頭を下げて代表として三席二人を連れ添って迎えに行ったほどとは…
「どうしたんだ?一体…」
浮竹に目を丸くされて悪気なく問われ、山本に「おぬしが、こんな時間まで何をしておるのかと皆が騒いでの…」と穏やかに叱られても
「そういえば、もうこんな時間ですか。どうりで腹が空くわけだ」
と、あっけらかんと言われては責める気も起こらず、隊士らはただ浮竹の膳を用意するしかなかった。
17
「そうか、心配をかけたな。済まん…」
日もとっぷり暮れた頃、緩い夜風に身を任せ、十三番隊隊士らの心配ぶりを一通り耳にした浮竹は
さくらと手を繋いだまま謝った。
「あなたが無事なら、いいんです…」
妻の頭が肩に凭れかかってくると、浮竹は
さくらの肩を抱き空を見上げた。
奇しくも空にはあの夜と同じ月が懸かっている。
「なあ、
さくら……」
「何ですか?」
浮竹は「あの時俺が死んでいたら、どうしていた?」と問うぐらいはいいだろうかと、断界での事件のことを考えていた。
しかし浮竹の言葉が途切れたのを、
さくらは中央四十六室の惨状に気が沈んだとでも誤解したのだろう。
「今日も、お疲れ様でした」
ぼーっとしていた浮竹の口角辺りに、ちゅっと口付ける。
悪戯な妻の行為に、浮竹が甘えたくなったのは仕方のないことだ。
「もっと、深いのがいい」
拗ねたように、唇を尖らせる。
「十四郎様、可愛い…」
着物の袖で口許を隠して笑う妻に、今朝もお預けを食らったことを思い出す。
「……俺が可愛くないとこ、見せてやる」
浮竹が眉を吊り上げてみせた。
fin*
************************************************ラストの可愛くない浮竹隊長…
怒ってみせた顔のことだったかどうかは、
さくら様の解釈に委ねます。(〃∇〃)←委ねてない?
タイトルは「ねぇ、あなた」「なあ、お前」と互いに呼びかける感じです。
藍染隊長の謀反という喜ばしくない出来事ですが、それをきっかけにいい意味で夫婦の狎れ合いが始まった…みたいに思っていただければいいのですが。
ご覧いただき、ありがとうございました。
2009.06.30
浮竹隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月