「
さくら。今朝は雲ひとつないぞ」
浮竹は戸を全開にすると、妻に今日の空模様を告げた。
しかし布団の中の
さくらは、首を動かさぬどころか目も開けはしない。
「少し庭に出てみるか?」
そう言うと浮竹は
さくらの上体を起こして上に一枚羽織らせ、抱き上げた。
「昨日より蕾が膨らんでるな。咲くのは明日か…明後日か……。お前、どう思う?」
浮竹の胸に凭れたまま、
さくらは花に視線を向けることはない。
だから浮竹は屈んで
さくらを膝の上に乗せ、花に近づいた。
それでもまだ花と
さくらとの距離はかなりある。
花を折らぬように、
さくらを落とさぬように、近づけていく………。
「とと様ぁー、かか様ぁー」
「お、
さくら。
十五が来たぞ」
死神である侍女が
十五を連れて出仕したので、一度息子に笑顔で応えると浮竹は部屋の前まで戻り通路に腰を下ろした。
「とと様、かか様、おはようございます。今日はこのお花だよ?」
「ああ、綺麗な花だな。何ていう花なんだろうな?」
父の腕の中
かくんと首を垂れたままの母の顔の前に花を差し出していた
十五は、暫くするとそっと手を引いた。
「…………かっか。…まだ、目ぇあけない、ね…」
「…だが、きっと香りはわかるぞ。いい匂いだ。なあ、
さくら?」
揺すられた
さくらは首の向きを変えたが、それは
さくらの意思ではない。
1
藍染を封印する為に霊力のみならず魂魄をも使い果たし仮死状態となった
さくらの体が、動き出した。
最初は日に一度、打つかどうかの鼓動にやきもきしたが 徐々に
日に数回
一時間に一度前後
十数分に一度という具合に
小さな心拍を認められるようになったのだ。
それでも呼吸を伴うといえるほどのものではなく、漸く一般的な心拍数の1/60を上回るようになったあたりから肺も動くようになった。
しかし動き出したと言っても弱い心拍数に見合う呼吸……。
当然動けるはずもなく、そこに意識があるとは言い難い状況だ。
だが
さくらの体が機能し始めたことに変わりは無いと、この微かな呼吸が安定した状態だと認められると浮竹は面倒を看させてくれと自ら申し出た。
以来、
さくらの世話は浮竹がしている。
当然一日一輪の花を買いに行く余裕はなく、その役目は
十五が引き継いでくれている。
朝一番で母に会いに来て面会時間より早く帰っていく為、護廷十三隊の誰も”知らない”
十五の日課だ。
「とと様、今度はいつ?」
「そうだなあ…。今週中に帰れると思うが」
「ばぁばね、待ってるって」
「…じゃあ明後日、伺うと伝えておいてくれ」
「うん!」
動けず物も言わぬ妻を介護しながら働けるものではないと、
さくらの両親は孫を使って毎週のように浮竹を“帰宅”させる。
その気遣いは有り難かったし、あまり
さくらを一人占めしてもと浮竹もなるべく厚意に甘えるようにしていた。
2
「かっか、あったかくなった?」
十五が
さくらの手を握る。
「どうだ?」
「んー…昨日より、あったかい」
「そうか」
いつものように話をしている間に侍女が一輪挿しを持ってきて、いつものように
十五が花を飾ってくれる。
「とと様、かか様、またあしたね」
「ああ。明日も頼んだぞ、
十五」
そうして元気よく手を振った
十五が帰ると、いつも入れ違いに隊士が現れる。
「おはようございます、浮竹隊長」
さくらの膳を用意するというのは隊士らにとっても空しいことなので、今朝も浮竹は一膳だけを受け取った。
それでも自分の隣に座らせ、ご飯のぬくもりを伝えようと茶碗を手のひらに乗せたり味噌汁や焼き魚の匂いが届くよう口許に寄せたりし、浮竹の食事と身支度が終われば
さくらもまた死覇装に着替えさせる。
十三番隊では隊舎で
さくらを抱いたり負ぶったりして連れ歩く浮竹を、誰も咎めはしない。
「おはようございます、浮竹隊長」
「おはよう」
浮竹の両手が塞がっているのは先刻承知なので雨乾堂まで同行し、三席らが布団を敷いてくれる。
浮竹の為ではなく、いつでも
さくらを寝かせられるようにだ。
3
大抵は書き仕事なので、まずは
さくらの表情が見えるように文机の隣に座らせる。
そして己の休憩の際には
さくらに声をかけ、手足をさすったり姿勢を変えてやる。
「喉…乾いてないか?」
飲みこむほどの量は勿論、滴ほども水分を必要としないが、時に湿らせた布で
さくらの唇を濡らしてやった。
しかし浮竹とて、流石に隊首会へ
さくらを抱いて現れるようなことはなかった。
その間に四番隊で検査を受けられるように、卯ノ花が手配をしてくれているのもあるのだが。
だから隊首会が終われば卯ノ花と共に、
さくらを迎えに行く。
「気持ち良かったか?
さくら」
検査だけでなく体を洗ってもらったり、筋が衰えぬようマッサージを施してもらっていたりすることもある。
「少し血流が良くなっているようですね。濃度はこのままで点滴の間隔を狭めましょうか」
卯ノ花が
さくらの検査結果を浮竹に告げると、そうしてくれと微笑んだ。
それから
さくらの耳元で、良かったなと囁き髪を撫でた。
そこまではいつもの光景だったが……。
「………卯ノ花」
今日はその手をはたと止め、浮竹は指に纏わりつく細いものを黙って卯ノ花に見せた。
それはたった一本の髪。
「まあ…。きっと、順調に回復しているんですわ」
今まで爪も伸びず髪も抜けたことのなかった
さくらだ。
そしてこの状況からすれば、代謝での抜け毛と考えられる。
4
卯ノ花はいい兆しだと言ったが、多少
さくらの体に変化があったとて浮竹は一喜一憂しない。
ある日突然
さくらが瞳を輝かせ駆け寄り「十四郎様!」と抱きついてくれることがあり得ないということは、卯ノ花の説明で十分わかっているからだ。
それでも明らかないい変化に浮竹は四番隊の皆に礼を言うと、
さくらを背負うのを手伝ってもらった。
「また、
さくらを宜しく頼むな」
笑顔で去っていく浮竹を見送ると誰もが笑みを返すが検査結果を見れば絶望的で、よしんば体の機能が完全に回復したところで脳は無反応かもしれない。
寧ろその可能性のほうが高く、今後は声をかけたり体を摩るなど、あらゆる感覚に訴えることだけだと…浮竹は事実を告げられた。
その説明を受け「それなら俺にやらせてくれ」と浮竹が申し出た時、一ヶ月続ければ諦めるであろうと思った。
それどころか隊首業務をこなし介護を行うことが如何に難しく、そして空しいかを知るには一月も必要ないであろうと考えていた。
5
しかし浮竹は根を上げなかった。
「ご立派ですね、浮竹隊長…」
献身的なその姿に、山田が思わず言葉を漏らした時も浮竹はそうか?ときょとんとした顔で答えると
「
さくらはこの何倍も、俺の世話をしてくれた。それに比べたら、俺なんか何年尽くしても敵わん」
と、また笑顔を見せた。
だが、浮竹ならば体調が思わしくない時もあるが調子のいい日もある。
薬が効かずとも礼を言う。こうして笑顔を返してくれる。
対して
さくらの動きといえば先日自ら目を開けたが閉じることはなく、偶然そのようなことが起こっただけらしい。
唇も、微かに開いたような…偶々そう見えたような……そんなことがあり、もしかしたら体を動かせないだけで意識はあるのではないかと脳波の測定なども試みたが、呼びかけや刺激に応えはしなかった。
この状況で浮竹が笑顔でいればいるほど、周囲の者は気がかりだった。
「浮竹隊長。本当に、大丈夫ですか?」
「少しは休まれたほうが……」
「本当に、無理はしていないんだ。寧ろこのところ、ずっと調子がいいぐらいだ」
さくらの母親達の助力もあるのは承知だが、それにしても浮竹が張り切りすぎなように見受けられた。
だが浮竹の言葉は真実だった。
ひとつには
さくらが書き続けた日記の支えがあったかもしれない。
始めは遺品のようで見る気にもならなかったが、あの日の気持ちを知ることができるのではないかと
そっと 開いてみたところ…
当日の分はまだ、書かれていなかった。
しかし浮竹をどれほど想い見送りの日を迎えたかは、前日の日記にて知れた。
6
最後まで―――
浮竹の身を案じていた
さくら。
何度も何度もその日の日記を読み返すうちに、少しずつ二人の時間を遡ることを許して貰おうという気持ちになった。
二人と言っても当然
十五のことも書かれていて、寧ろ浮竹と
十五の「二人の時間」だと苦笑したぐらいだ。
浮竹の薬を変えた日、寝込んだ日、
十五が何かできるようになった日、おもしろいことを言った日は勿論
毎日が記念日のように瑞々しく書かれていて、結局
さくらが手元に置いてあった護廷十三隊に入隊した年の日記まで全てを読んでしまった。
やはり求婚するまで、全く異性として見られていなかったのではないかという内容だ。
だが自分が担当していた所為か、護廷十三隊内で最も名前が挙がっていたのは浮竹でもある。
よく読んでみると、もしかしたらこの日から少しは意識してくれていたのではないか…
などと思えてきて、何度読んでも飽きることはなかった。
7
時に
さくらを包み込んだまま
時に
さくらに膝枕をして
日記のページをめくる。
「お前…。あの時の桜、押し花にしてたんだな……」
薄茶に変色し、今ではその色すらも褪せた一枚の花弁。
――――私が詫びると十四郎様は「…咲くという字は『花笑う』という意味だ。お前が傍にいて笑ってくれれば、花見など何時でもできる」と、まるで子犬でも撫でるように花弁に触れられ、掌で温まった花びらを私に差し出された。
私が受け取ると、この世にお前の笑顔以上の美しい花は咲いてない等と……普段甘い囁きもされない十四郎様が仰るものだから、返答に困ったけれど……冗談を返したのだけれど…本当は、嬉しかった――――。「俺はこんな事を言っていたのか……」
無意識に言ったことが
さくらの記憶に残っていて、しかも喜んでくれていたとは。
「普段、甘い囁きって……何を言えばいいんだ?」
腕の中の妻に問うが、答えてはくれない。
「もしかして、お前が一日一輪の花を欲しがったのって……」
浮竹は最近の日記を手に取ると、とっくの昔にページの当たりをつけられるぐらい読みこなした目的の日を開いた。
―――――十四郎様に、何故一輪なのかと尋ねられた。
だって…たった一輪の花を、その花を選ぶ為だけに出かける。それも毎日。なんて贅沢。なんて幸せ。
それは私が十四郎様にして差し上げたいこと。
でも、十四郎様がお花をもらって喜んでくれるとも思えない。
だから私は夢を見る。
一日一輪の花を贈ってくださることを我儘でないと言ってくれた十四郎様が――――――…。ふと関連があるのかと思って読み返したが、やはりはっきりとはしない。
翌日からはまさか浮竹が使者も立てずに自ら花を携えて実家を訪れるとは夢にも思わず、
さくらは一日中嬉しくて泣いていたこと。それが毎日続くことの幸せと申し訳なさが綴られている。
時には花言葉も添えられていて……
―――十四郎様がまさか「夢でもあなたを想う」という花言葉を知っていて、贈られたはずがない。
でも…私の今の気持ちを察してくれたようで――――何度読んでも赤面するようなものもある。
8
この手のものを読むとやはり人の日記は読むものではないと反省したが、同時に
さくらの心に触れられた喜びが込み上げてくる。
―――――あの日…
「…待つさ。俺はお前と一緒に居られるようになるなら、五十年だって百年だって待つつもりだった。この任務はほんの数ヶ月だ」
十四郎様はそう仰ってくれた。
双極だけならば、数ヶ月もかからない。
そんなことすら告げられぬ私に……。
崩玉は遠い昔、天支光輪がもたらしたもの。
それ故に朽木ルキアさんは殺されそうになり、十四郎様は総隊長に背いてしまわれた。
たとえ弦昇叔父様さえもご存じなかったとて、主として私は失格。
でも天支光輪は、全て必要なことと言う。
わからない…。
何も、わからない。
……何故、私が天支光輪に認められたの?
私にできることは、あるの――――?「…あったさ」
さくらの額に頬を擦り寄せ、
さくらの日記に読みひたる。
「お前にしかできない、任務というには重すぎる責を…しっかり果たしてくれた……」
夫に会えない淋しさと毎朝の喜びと家宝刀の主としての不安と任務への誇りが混ざり合った日記。
いつか……必ず伝えたい言葉を今は飲み込んで、毎晩の挨拶を“交わす”。
「
さくら……待っている。いつまででもお前を、待つ……」
妻の体を褥に横たえると、浮竹は必ず胸に耳を当て、小さくゆっくりとした心音を聴く。
さくらは、帰ってきている……。
これは
さくらが近づいている足音だと、柔らかく微かなぬくもりに浮竹もまたゆっくりと呼吸した。
9
「とと様、かか様、おかえりなさいー」
「ただいま、
十五」
さくらの実家でも、
さくらも皆と一緒の部屋に居る。
布団も用意してあるが、それは雨乾堂に敷かれたものと同じ理由だ。
浮竹が
さくらを下ろすと、
十五は
さくらの顔をじっと眺めた。
「どうした?」
「かっか…あったかくなった?」
「うん?ああ、あったかくなってきてるぞ」
浮竹の言葉は嘘ではなかった。
先頃、漸く体温が初の三十度台を記録した。
これも近頃義母が欠かさず鬼道とマッサージを施してくれたおかげだろう。
最初は四六時中
さくらの世話をしている浮竹の息抜きの口実かと思えたが、時間は不定期なれど
はるかは毎日
さくらを看に来た。
護王宝音の力と四番隊。
それでもまだ足りぬものを何か見つけたのか、それとも母の愛情か……
浮竹が風呂からあがっても終わっていないマッサージを見ていると、独特のやり方をしているようには思えないのだが。
それだけでなく
はるかが特別な鬼道を施していることも浮竹は知っていた。
さくらの代謝では肌が潤うほどの水分を保持できない。
髪も爪も伸びることなく唾液も出ず涙も出ないのだから、当然のことだ。
これとて
はるかなりの思い遣りだろう。
10
浮竹は義父母の前でも
さくらに茶碗を握らせた。
護廷十三隊では時に視線を向けるのも躊躇われる光景だが、
はるか達は違った。
皆が一品一品を
さくらに説明し、談笑が混じる。
此処には
さくらを囲んで、変わらない家族の姿があった。
しかし食事も終わりかけになると、
十五の様子が普段とは些か違うことに浮竹は気付いた。
「どうした、
十五。お前の好きな
黒糖饅頭だろう」
「この子…
黒糖饅頭だけでなく、最近お菓子を全然食べないんですの」
「お前が?これは格別に美味いぞ?」
「…だって。…かっか…………」
十五はそこまで言うと俯いた。
「どうも
さくらの作ったお菓子でないと、駄目なようで……」
はるかも
十五に与える菓子は十分
さくらに似せて作っているつもりだったが、このところは無理に食べなくとも良いという言葉を毎日かける有様だ。
「かっか…ほんとうに目ぇあけてくれる?」
「―――ああ、きっと…」
それほどまでに母の味に飢えているとは考えてやれなかったことに、浮竹は胸が痛んだ。
11
「かっか、真ん中~」
しかし先程の沈んだ表情とは打って変わって、寝室での
十五は母に抱きついて頬ずりをした。
気候の所為か、慣れてきたのか、
さくらの体温もほとんど人並みのように思えるぐらいだから子供がそういうことをしても不思議ではないが、
十五も
さくらの心音を聴きながら眠りに就くのだ。
つくづく親子というものは似るというか似ているものだと実感させられる。
今夜ぐらい息子に
さくらを一人占めされても仕方ないと思いつつ、
十五に見えないように
さくらの反対側の手に手を重ね、浮竹も目を閉じた。
明朝。
「ぅ…ん …かっか……?」
目覚めた
十五は体を起こすと、暫く
さくらの顔を見詰めていた。
「おはよう、
十五。
さくらも起きような」
浮竹は母親を眺める
十五に断って、
さくらを布団から移動させる。
「とと様。…あと どれだけ…?」
「何がだー?」
倒れないようにと
さくらばかりを気にしていた浮竹は、息子を見ずに問い返した。
「あと、どれだけお花あげたら、かか様…目ぇ開けてくれる……?」
「…………
十五」
始めた頃はあと百本贈ったらと言っても数えられなかった。
十本を十回で百と数えていた
十五が、とうに百以上の数も数えられるようになっていた。
12
「ねえ…いつ?
かか様、いつ笑ってくれるの?
十五、しかるの?」
いけないことをしたら母に叱られる。
いい子にしていたら笑ってくれる。
そう言い聞かせられ
そう信じてきた、
十五。
「おかし、がまんしたよ?」
「……
十五。どういう意味だ?」
「お花、ひゃくあげた…。ひゃくを十あげた。でも…だめだったでしょ?」
「だが、母さんの体は起っきしたじゃないか…」
「ほんとうの起っきじゃないって。まだねんねだって……だから
十五、がんばったよ?かか様、あったかくなったでしょ?
大好きなもの、がまんしたら、かか様目ぇ開けてくれるって。でも…
十五、あとどれだけお花あげたら、おかしがまんしたら、かか様笑ってくれるの……?」
幼子はその小さな体で精一杯、母の愛を得られぬ日々を耐えていた。
誰に教わったのか、願掛けまでして………。
だが、とうとう限界が来たのだろう。
はっきりと答えてくれぬ父に、
十五は唇を噛みしめて叫んだ。
「こんなかか様、イヤ!きらい!」
「
十五!!!」
「ふぇっ、だって、だっ…かか様…だっこして。好きって、言って。かか様、かか様ぁ…」
父に叱られたのを皮切りに、
十五の目から涙が零れた。
13
もう何度も何度も
さくらの体が温かくなったら抱っこしてくれると、好きと言ってくれると励ましてきた。
わかっているのだと思っていた。
けれども
十五にとっては約束の日が来たのに約束のことが起こらない状態だったのだ。
「あったかくなったでしょ?でもかっか、笑ってない。おこらない。抱っこして…」
「っ、
十五」
浮竹は
十五を抱き締めた。
しかしどうあっても、息子に
さくらと同じぬくもりも柔らかさも与えてやることはできない……。
「とと様、泣いてる…」
「……済まん」
我が子の寂しさを思い、己の寂しさと重なり、父親としてしっかりせねばと心堅く誓ったはずなのに息子に涙を見せるなど不覚だった。
「泣いてる…」
「そう、だな…」
小さな体を抱き締めて、この顔を見せてはいないのに。
子供というものは敏感だと浮竹はもう一度、己の涙を認めた。
14
「とと様、泣いてる。かか様が…」
かか様が…
さくらが泣いている―――
十五の言葉の意味が分かった瞬間弾かれたように浮竹は顔を上げると耳にした言葉を脳内で反芻し、それから息子と同じ方をゆっくりと向いた。
さくらは先程と変わらず浮竹が座らせた姿勢のままだ。
だが這うようにして近づいてよく見れば開かれた瞳は微かに目尻に水分を含み、今までとは違い芯のある視線を送っているようにみえる。
血が逆流しているのではないかと思える火照りに覆われた浮竹は震える体を鎮められない。
それでも一度大きく深呼吸をすると
予てより卯ノ花に教えられたとおり
震える喉からゆっくりと、はっきりと聞き取れるように
さくらに語りかけた。
「…
さくら。聞こえる、か?聞こえたら 一度、 瞬きを、して、くれ…」
さくらの瞼は閉じられた。
それから、ゆっくりと
開いた。
「……あり、がとう。ありがとうな、
さくら……。
さくら… 俺が、誰だか わかる、か?わかるなら、もう 一度。瞬きを、して くれ」
再び、
さくらの瞼は下りた。
そしてつうーっと細い雫が頬を滑り落ちると
ゆっくり
ゆっくり
瞼は持ち上げられた。
15
「……
十五。 おいで」
浮竹は息子を呼ぶと肩を抱き寄せ、再び深く呼吸した。
「
十五――…。母さんはな、動けないだけ。動けないがお前を抱っこしたいと思っているし、大好きだって…言って、るんだ ぞ…」
「…ほんと? かか様、ほんとに、言った?」
「…そうだ。確かに言った……」
「
十五も、かか様のこえ…聞こえる?」
「今、は…母さんは、言葉では言えないが………」
さくらの目の前に顔がくるように、
十五の体を支えてやった。
「
さくら。
十五だ。お前が恋しくて……
お前も―――愛してやまない
十五だ…。そうだろう?
十五に、瞬きをしてやって、くれ」
ゆっくりと長い睫毛に覆われた目が、ゆっくりと開かれる。
「かっか…動いた…。…かっか、かっか!」
「そうっとだ。そうっと、かあさんをぎゅ、してやってくれ…」
「かっか…、
十五みえる?
十五のこえ、聞こえる?かっか、
十五いっぱい好き?」
息子の矢継ぎ早の質問にも、
さくらは
一度…
二度
三度
ゆっくりと瞬きをしてみせた。
たった それだけ
それだけ、だったが…
いくつもの朝を迎え
いくつもの夜をこえて
瞬きひとつの大きな大きな愛を示してくれた妻に
浮竹は今、一番伝えたい言葉を…
「
さくら……おかえり。
お前
本当に―――
よく、頑張ったなぁ…」
ずっと伝えたかった言葉を
漸く、告げられた。
fin*
************************************************今回のお話は誰もが頑張っていることがテーマでした。
なので現在お預かりさせていただいてる魂魄の半分をお返しさせていただきます。
殊更、3月11日に三陸沖を震源に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に伴う被害に遭われた方々へのお悔やみとお見舞いと、そして何より災害に負けないお姿に敬意を表して――――。
2011.03.21
浮竹隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月