六番隊から子供を連れ帰った
さくらは物々しい雰囲気に、何か事件があったことを悟った。
「それで、二人に傷は見当たらなかったんだな?」
「はい。念の為に四番隊に診てもらうように言いましたが、自分達で向かったほどで…」
予想はついていたが、浮竹を視界に捉える前に聞こえてきた隊士との会話からすると十三番隊の隊士に何かあったようだ。
「界壁固定はどうだ。問題ないか?」
邪魔にならぬように曲がり角の手前で、夫の指示と確認が途切れるのを待つが……。
「それと至急、現世にも確認を入れたい」
機会を掴めない
さくらは「お昼にしましょうね」と言うと
十五とその場を離れた。
食事を終えても隊内が落ち着く気配はない。
十五がこの雰囲気に気付く前に隊舎を離れようと思うが、この様子では浮竹の手が空くどころか耳打ちする間もないだろう。
「…あ、あの!」
さくらは近くを通り過ぎようとした小椿を呼び止めると、宿舎に居る旨を後ほど浮竹に伝えてくれるように言って立ち去った。
1
小椿がそれを言伝(ことづて)られた頃には空に月が浮かんでいた。
十五は侍女が邸へ送り届けたらしく、浮竹が宿舎に戻ると
さくらは一人で待っていた。
「お疲れさまで御座いました」
「遅くなって済まん、
さくら。…昼頃、現世に破面が出現してな……」
平の自分が詳細を聞く必要はないと
さくらは思っていたが、浮竹は井上織姫が消息を絶っただけでなく藍染の手の者に攫われたと判断したことも告げた。
「………」
実は宿舎に居ても情報は届いていて、井上織姫は尸魂界を裏切り藍染側についたという、日のあるうちに耳にした内容と浮竹の説明はかけ離れている。
どちらが正しいか即座にわかったが、
さくらは隊長達の思惑を理解し正しく振舞える聡明な妻だ。
夫が自分に語ったことは、眠りに就いたら忘れてしまうことにした。
2
浮竹は翌朝、早くから身支度にとりかかった。
恐らくは一人だけ、何か厄介な仕事を請け負ったのだろう。
それも自ら………。
それは夫の性分からしても容易く想像がついた。
「今日は宿舎(ココ)に居ります」
さくらは隊首羽織を開きながら、雨乾堂に出向かないことを告げた。
「俺はお前がいても構わんが…」
袖を通した羽織の胸元を整えながら浮竹は柔らかい眼差しを送るが、
さくらは黙って首を振った。
「そうか」
「御用がございましたら、お呼びください。行ってらっしゃいまし、十四郎様」
夫の後ろ姿は惚れ惚れするほど素敵で、それでいて痛々しかった。
体の苦しみならば
さくらは誰よりも和らげてやれるが心の…それも隊長として対処しなければならない問題に関しては無力だ。
家族が傍に居ては、浮竹は無意識でも気を遣うだろう。
さくらにできることはせめてこの件が解決するまで隊舎に出入りせず、子供も近づけないことぐらいだった。
3
浮竹は現世から帰還した日番谷と話をしたようで
井上織姫が現世に戻った痕跡があったこと。
現世に戻っていながら消息を絶った彼女を、裏切り者と告げたが黒崎一護は全く信じなかったこと。
当然救出を申し出たこと。
尸魂界はこの件に一切関わらないと見放したこと。
虚圏にこちらから向かう方法はないこと……。
今日も
さくらにだけは包み隠さず事実を教えてくれた。
だからと言って
さくらに意見を求めるわけでも弱音を吐くわけでもない。
ただ、お前には全てを知っておいて欲しい。
そんな淡々とした"報告"だ。
しかしいくら妻とはいえ、他隊の平隊士。
結界を張ってまで夫が事実を告げるのは何故なのか。
さくらにはわからなかったが、理由を訊くことはできなかった。
問わずも哉、隊長としてあるまじきことであり、問うてしまえば己も自覚がありながら聴いていたことになる。
だからまるで夫婦の睦言のように腕の中の自分に囁く内容よりも、深く低く穏やかなその声に身を委ねた。
こんなにも近くに抱き寄せるのは、誰かに見られたとて内容を悟られない為かどうかはわからない。
第一、浮竹にそんな演技ができるものなのか……。
正直耳に触れそうなほど唇を寄せられては、
さくらの心拍数は上がる一方だ。
深刻な事態であるにも拘わらずときめく自分に罪悪感を覚えるほど、浮竹の腕の中は心地良かった。
4
翌日も
さくらは隊舎に立入らなかった。
その夜は浮竹が仕事の話をすることはなかったが、だからといってこの件が解決したわけではない。
寧ろそれは護廷十三隊が藍染側の動きを掴めずにいるということで喜ばしいことではなかった。
更には………。
「隊長。申し訳ありません…」
「何だ、どうしたんだ?」
十三番隊隊士である朽木ルキアが井上織姫の救出へ向かったという情報が、
さくらの耳にも届いた。
当然それは護廷十三隊の決定に背くもので、急遽開かれた隊首会で浮竹が問責されでもしたのではないかと気にかかったが、こんな時に限って夫は肝心なことを教えてはくれなかった。
「あの…そもそも、こちらから虚圏に行く手立てがなかったはずでは……?」
話の矛盾点ぐらいは訊いて支障ないだろうと
さくらが問うと浮竹は目を見開き、それからやれやれというような溜め息をついてみせた。
「…だから、お前という奴は。全く……」
さくらに意味はさっぱり分からなかったが、それもまた不問にすべきことだったらしい。
5
いいからもう寝ようと布団に押し込まれ、子供を寝かしつけるかのように布団をぽんぽんと叩かれる。
「寝たか?
さくら」
「ぇ?…あの、そんなに早く…」
「寝たか?」
「…………………」
浮竹は寝かしつけるふりを続けながら、護廷十三隊が決して協力を求めるはずのない者によって虚圏に向かうことが可能になったと教えてくれた。
「もう…寝たか…?」
この事件に関してしゃしゃり出るような真似はすまいと決めていたのに、自分からあの男の名を夫に語らせてしまった
さくらは申し訳なくて小さく頷いた。
「十……」
「おやすみ、
さくら……」
お前が聡明なのは今に始まったことではないと言うように、浮竹は撫でるような口付けを額に落として妻が詫びるのを遮ると、
さくらの隣に体を横たえた。
6
翌日も、浮竹は隊首羽織に袖を通した。
本来ならば非番だったが、朽木ルキアのこともあって仕事に赴くのだろう。
共に休む予定だった
さくらは既に着物に着替えていたので、夫を見送ってからどこかで時間を潰そうと考えた。
「…
さくら。一緒に来てくれ」
しかし浮竹は
さくらを連れだって雨乾堂へと赴いた。
隊首室に普段着で…と躊躇うが、隊士も浮竹も気にする様子はない。
「隊長、どうなさったのでありますか?」
「今日はお休みのはずじゃ……」
「ああ。お前達、ちょっと――――」
妻を連れていることに驚くより寧ろ急な仕事かと心配する三席らに、浮竹は"ある言葉"をかけた。
パシャ、パシャ…ン
雨乾堂の池に面した柵の前まで来ると、浮竹を認めた鯉達が集まってくる。
時折餌をやりながら、光る波間を縫って体をくねらせる鯉を眺めた。
暫くすると水面を賑わせていた鯉達が、もう餌をもらえないと判断したらしい。
徐々に色鮮やかな姿は池の奥へと消えていった。
7
今日は死覇装でもないので気が引けたが、浮竹とこうして雨乾堂の裏手で過ごす時間を
さくらは心密かに好んでいた。
夫は公私の区別なく優しく公平であるが、誰も踏み込めない領域を持つ男である。
その心を、その強さを、そして不安定な体調を象徴するかのように雨乾堂は池の上に建てられている。
フラリと御簾を上げて現れる京楽とも入室を許されて雨乾堂に入る部下達とも違い
此処から池を眺め浮竹と過ごすことができるのは、妻にだけ許された特権のようにも感じられた。
事実こうして夫婦で池を眺める時は必ず浮竹は隊士らに声をかけ、人払いをする。
「ちょっと、二人っきりにさせてくれ」
その言葉が
さくらには特別で、夫にとても大切にされているように思えるのだ。
「座るか?」
「あ、はい…」
壁に凭れた浮竹はいつもよりゆっくり腰を下ろす
さくらに気付き、手を取った。
「そうか。着物だったな」
「いえ…この時期はどのみち正座でないと、腰が冷えますから」
「それは済まん」
そう言うと掴んだ手を引いて、
さくらを伸ばした片膝の上に座らせてくれた。
それだけでは不安定だからか、立てたままのもう一方の膝で
さくらの背を支え、更に腕で囲い込んだ。
8
「
さくら………」
さくらを雨乾堂の裏手に誘う。
それは浮竹の心に何かある時だ。
甘えたいのか
包み込みたいのか
いずれにしても
さくらにとって心地いい時間が流れた。
「今日は…少し、話をしようと思ってな…」
しかし普段とは様子が違い、改まって浮竹は話を切り出した。
「藍染のことだが…」
夫は井上織姫の件でも私にだけ真実を話してくれた。だからそういう話なのだろう、と
さくらは耳を傾ける。
「俺の報告で十分と判断され、元柳斎先生は調査を打ち切られた…」
隠密機動や二番隊だけでなく日番谷らが現世に派遣され情報収集をしている間、浮竹は中央四十六室の捜索を担当していた。
「今までに判明したことを整理してみると、この数十年…いや百年以上前から、尸魂界で起こっていた不穏な事件の数々は藍染に繋がっている。そう見て間違いないだろう…」
双極で判明した出来事は勿論
檜佐木達の院生時代に出会った虚
海燕夫婦らを喰らった虚
果ては百年も前にあった虚化の実験など
様々な事件が全て繋がった。
9
「俺も…死にかけたしな」
そして十三番隊の地獄蝶が断界で切り裂かれた事件。
目的は定かではないものの、あれも恐らくは藍染によるものだろう。
「
さくら…」
浮竹の手が
さくらの肩を掴んだ。
「……………」
あれはお前が助けてくれたんだろ?と、尋ねることはできなかった。
何故訊いてはいけないのか。
義弟との約束は憶えている。
何故黙っていたいのか。
浮竹にもその理由はわかっている。
掴んでいた肩を押し、仰向けるように
さくらを膝に凭れさせた。
「誰が俺達を助けてくれたのか、それはわからん。
だが俺は、今でも感謝している…」
さくらに動揺は見られなかった。ただ、無表情に…………
無表情を装うのが、精一杯なのだろう。
「俺達の為に、規則を破って……」
普段、些細な規則にすら順ずる律儀なお前が…
「恐らくは命懸けで、助けてくれた…」
暫くは俺の許に戻って来れないほど、力を使い果たして…。
「礼を言うことも、ままならん相手に…」
お前に――――。
「いくら感謝しても、しきれん…」
事実、藍染の計画で唯一成果が無かったのは、あの事件のみではないか。
それを報告すれば藍染のいいようにやられっぱなしだと歯ぎしりしている護廷十三隊には朗報だろうが、同時に阻止した者は一体誰かという追究が再び始まってしまうだろう。
それは浮竹としても避けたかった。
10
「
さくら。もし――、俺を救ってくれたのが誰だかわかったら、礼を言っておいてくれないか?」
「何故、私に…それを?」
「もしかしたら、俺は藍染との戦いで命を落とすかもしれんだろ?」
「そんなこと!」
「決して有り得ん、とは言い切れん」
さくらは身を起こして否定したが、だから俺の気持ちを聞いておいて欲しいと……浮竹は本人に頼む。
「俺はどの道、"お前が居なければ"今日まで生き存(ながら)えられなかった…」
「………生きてますっ」
震える声を、
さくらは絞り出した。
穏やかな浮竹の目は、まるで最後に妻をこの目に焼き付けておこうとしているようで
さくらはあらん限りの否定をするつもりだった。
「生きてらっしゃいます!!だからこうして――――…」
しかしそれ以上の言葉は続かず、
さくらは浮竹に縋りついた。
「ありがとう…」
小さな体で精一杯抱きしめてくれる
さくらが愛おしくて、浮竹の口許は自然と綻ぶ。
「ありがとう、
さくら…」
「嫌です、嫌っ」
礼を言う浮竹に対し、うなじを顕わにした
さくらは頭を右に左に何度も振った。
11
「そんな風に、言わないで…」
とうとう、声は湿り気を帯びてきた。
「まるで、死にに行く みたい…、に………」
さくらは涙を拭うと、諦めたように浮竹の胸に体を預けた。
諦めたのだろう。
自ら死という言葉を使ってしまったのだから。
護廷十三隊の手に負えない戦いだと認めてしまったも同じだ。
隊長の妻として、今まで正しい判断を常に心がけていたつもりだった。
だが今はもう一人の女として浮竹の身を案じずにはいられず、
さくらは素直な心をぶつけた。
「十四郎様ほど霊圧(ちから)のある方は、ご存じないのかもしれません。でも、戦場では…死を受け入れた者から死んで行くんですよっ?」
「それなら、大丈夫だ。
俺は死ぬこと以上に生きていることを受け入れている。いつ命尽きてもおかしくない、この俺が生きていることを…な」
強い口調とは裏腹に弱々しく凭れていることしかできない妻の頭を、浮竹はいつものように撫でてやった。
12
「
さくら――――
お前と出逢えた
お前と結ばれた
お前との子に恵まれた
俺はもう満ち満ちている。
だから、何があっても…
俺のことで
悲しまないでくれ」
さくらは滔々と涙を流したまま、浮竹に身を委ねていることしかできなかった。
「やはり泣かせてしまったな。ただ今までの俺の気持ちを知っておいて欲しかっただけだが……」
「十四郎様はいつも勝手過ぎますっ。
すっぽり腕の中に包み込んで私の全てを受け入れて、そして己の信念の為ならあっさりその腕を解いてしまう………。
取り残された私が…どれほど、どのくらい 貴方、の――――…」
もう何を言っても無駄だとは……最初から
さくらにも、わかっていた。
「済まん。だからこそこんな俺を、しっかり送り出してくれるか……?」
「十四郎、様……?」
「明日――――」
浮竹は現世へと 戦いに赴く。
それを知った
さくらは子供のように唇を噛み締めた。
13
「大丈夫だ。死にに行くのと、死を覚悟するのは似て非なるものだ。俺は必ず、帰ってくる」
「………本当、に…?」
「ああ。本当だ。
さっきも言っただろう?お前が居てくれるなら、俺は命に満ち満ちているんだ」
「嘘」
「嘘なものか」
さくらが薬を担当するようになって、寝込む回数は格段に減った。
少し体調が思わしくない程度なら、
さくらが傍に居てくれるだけで回復する。
愛、故に―――
と、茶化す親友も居たが、卯ノ花ですらその結論に暗に同意している。
浮竹の温かな掌に妻の自覚を取り戻してきた
さくらは、涙を堪え精一杯の笑顔を見せようとした。
しかし浮竹は無理に微笑まなくてもいいと、
さくらの強張った頬を包み込む。
「でも…笑顔で、お見送りしたい です…」
「ああ。明日は頼んだぞ?」
滴る妻の涙が指を伝うのを構わず、浮竹は
さくらの顔をじっと見つめていた。
「…十四郎様は、私が泣いてても、本当に平気ですね」
「はは。お前は泣き顔も可愛いからな」
「…ぇ? ぁ…」
さくらが訊き直す間もなく、浮竹の唇は涙を拭い始めた。
何度も
長く
涙が乾くまで
さくらの睫毛も頬も
唇も―――
拭ってくれた。
「十四郎様…」
深く夫に宥められ落ち着きを取り戻した
さくらは、浮竹の首に腕を絡めた。
「必ずや尸魂界(ココ)に…生きて、お戻りくださいませ…」
「ああ。必ず、お前の許に戻ってくる」
さくらに誓う浮竹に応えるかのように、遠くで跳ねた鯉の水音が波紋となって雨乾堂まで届いた。
fin*
************************************************浮竹隊長〔二〕 風⋆花⋆雪⋆月