「
さくら、済まん…」
浮竹は、心底
妻に詫びた。
切り裂かれしもの.壱
1
その日、予定通り十三番隊は現世に降り立った。
「任務完了だな」
席官は勿論、平隊員も成り立ての新人の誰一人として怪我を負うこともなく終えられた。
浮竹がこの任務に手を出す必要は一切なかった。
「よし、帰るか」
時間にして凡そ三時間。
新人の教育も兼ねた、容易な任務であった。
浮竹も何ら問題ない体調。これも妻
さくらの内助の効だ。
久しぶりの現世に興味を示す事なく、十三番隊は帰路へと向かう。
2
「開錠」
行きは仙太郎が、帰りは清音が穿界門を開けた。
先頭を十三番隊の三席二人が、最後尾を浮竹が歩く。
「ご苦労だったな」
「はい!いえ、いいえでありますっ」
入隊して間もない隊員は気さくに話しかけてくれる自隊の隊長に、いささか興奮気味に返事した。
皆の頭上や耳元をヒラヒラと音もなく羽ばたく地獄蝶。
三席の二人も喧嘩せずに穿界門を通過した。
後四人ほどで十三番隊全員が瀞霊廷に戻るといったところで、浮竹の二人前の死神の頭上を何かがかすめ飛んだ。
その何かに気付いたのは浮竹だけであった。
そしてその後、何が起こるのかを理解出来たのも。
3
「走れっ!」
浮竹は前の二人を突き飛ばした。
「わっ!」
穿界門の向こうへ押し出された死神は、地面に倒れた。
「てて、何が……… ! 」
倒れた自分の目の前に力無く落ちた黒い物が何なのか分かった時、血の気がすうーっと引いた。
そして何故浮竹隊長が自分達を突き飛ばしたのか、穿界門を未だくぐり抜け出ない隊長と同期の身に何が起きているか
状況を把握出来ていない他の隊員達に、目の前に落ちた僅かに繋がっている物を示しながら倒れた隊員は呟いた。
「地獄蝶が…
切れた―――」
4
「ヒィィ―――…」
平常心を取り戻せない新人の死覇装を掴んで浮竹は疾走する。
新人二人の地獄蝶は音も影も形もなく通り過ぎた何かによって死んだ。
地獄蝶を失った二人を突き飛ばすように門へと押しやったが、無事に帰還したのは一人だけだった。
出口間際で倒れた死神の肩を掴んだと同時に拘流が襲って来た。
穿界門とは逆方向とは分かっていたが、背を向けるしかなかった。
浮竹の地獄蝶は生きていたが羽をやられ穿界門へと翔ぶことは出来ない。
肩に当たって落ちた地獄蝶を掌に受けられただけでも運が良かったと思うしかない。
5
「しっかりしろ!」
部下に声をかけるが、彼が自分の力で逃げられるようになるまで拘流は待ってはくれない。
無理だ。
浮竹には分かっていた。
瞬歩の速度なら逃げ切れるだろうが、出口もわからない今、そう長くは続けられない瞬歩を使うのは拘流に捕まるのを早めるだけだ。
それも男一人を連れて走れる速さなど、たかが知れている。
鬼道衆の断界界壁固定は頼みに出来ない。
指示・伝令・召集・準備・開門処理まで、どれほど早くとも半刻はかかるからだ。
そして何より、浮竹達の現在地を掌握せずに界壁固定するには断界全域を対象とせねばならず、それは鬼道衆全員の力を要するに等しかった。
6
「
さくら、済まん…」
心の中で浮竹は、
心底 妻に詫びた。
一度もまともに走れず浮竹の足元に崩れた部下に覆い被さるようにして、浮竹は新人の首筋に手刀を食らわす。
「済まん…」
俺は護廷十三隊隊長だ。
何があろうとも、部下を見殺しにはできん。
悲しむぐらいなら
泣くぐらいなら
さくら、怒ってくれ。
お前を誰より愛してると言った俺を
「嘘つき」と―――
7
「
さくら…」
どんなに、無様でもいい。
誇りを持って
俺が 最後に
この眼に焼き付けたかったのは……
さくら…
お前の 笑顔…
砕けた地獄蝶の鱗粉に煌めく自らの指を、浮竹の目は最後に映して
閉じられた。
8
指を拭う感触に、浮竹は思わずそれを拒んだ。
「…気が付かれたようですね?」
聞き覚えのある声。
嗅ぎ慣れた詰所の臭い。
「……卯ノ 花?」
卯ノ花が何をしているのか視界には入らなかったが、記憶を辿ればその手には最後に見た地獄蝶がいたはずだ。
ああ、だから俺は…
助かった理由がわかり、そして気を落とした。
「…………俺の、部下は…?」
自分は翔べないでも地獄蝶を手にしていた。
しかしあの入隊したての死神は――――
聞きたくはなかったが、上官として確認せずに済まされることではない。
9
「無事です」
卯ノ花の言葉を「俺を心配させまいとして嘘を言っているのでは?」と、浮竹は素直には受け入れられなかった。
「本当か?本当に――」
何故喜ばしい事なのに驚くのか、信じられないのか……。
それが、有り得ないことだからだ。
しかしそれは卯ノ花も同様のようであった。
「十三番隊があるだけの地獄蝶を籠に詰めて再び穿界門を開門したところ、断界の一部は界壁固定されそのドームの中には浮竹隊長。貴方と部下が倒れられていたそうです」
10
「――――」
「鬼道衆ではありません」
浮竹が問う前に卯ノ花は答えた。
「鬼道衆には召集命令さえ行き渡っていなかった時点で、既にお二人を捜し出して界壁を固定した何者かがいたのは確かですが、確認できていません」
「……………」
断界内では結界を張り終える前に霊圧にて拘流を呼び寄せてしまう。だからこそ地獄蝶が必要なのだ。
浮竹は手の中の地獄蝶に最後の望みをかけて部下の気を失わせ霊圧を消したのだが、それだけでは助からなかったであろうことを漠然と理解し始めていた。
11
「浮竹隊長のお体が回復次第、この件の詳細はご報告願いたいとのことです」
「………」
界壁固定のおかげで助けられ、そして誰がそうしたのかはわかっていない。
遅れ馳せながら、卯ノ花の説明に浮竹の思考も徐々に追いついていた。
「それともう一点」
ああ、報告か…一体何と説明すればよいのか…。
いや、事実だけならば説明はできるがどうやってあの拘流から逃れられたかについては…と、
深く息を吸った時だ。
「
さくらと直接連絡が取れません」
「なっ!」
驚いて起き上がろうとした浮竹を、卯ノ花は制した。
「直接連絡が取れないだけです。ご家族の話では母娘二人っきりで旅行に出られたとのことでした」
12
さくらが…
俺を置いて
旅行だと?
莫迦な………。
卯ノ花の突然の話の切り替えに疑問を抱く余地もなく、浮竹が妻の行動を訝しがるのは当然であった。
今日、確かに
さくらは非番の母と旅行の打ち合わせをしていたはずだ。
しかしそれは再来週の浮竹も同行する家族旅行の打ち合わせだ。
浮竹がこの任務を終え、報告書を作成し、不在の間の隊の留守居を頼んで出掛けられる、丁度よい日を選んであった。
13
「浮竹隊長…」
呆然としていた浮竹は、卯ノ花の呼びかけにゆっくりと顔を向けた。
「差し出がましいようですが
さくらの旅行先…詮索為さらない方が宜しいかと……」
「卯ノ花?」
どういう意味だ?と問おうとした時だ。
「
さくらも母親の
はるかさんも、鬼道には長けております。
――意味は、おわかりになりますよね?」
「…………」
また浮竹の思考がついていかなくなっていた。
しかし、
今回の鬼道衆によらぬ界壁固定
そのようなことが可能な人物…
14
最も浮竹の霊圧を知り
最も浮竹を愛する者でなければ
いいや、それでもこれだけのことが可能なはずはないのだが……
卯ノ花が導き出したのは
浮竹も最もよく知った
己の最期を覚悟した瞬間にも脳裏を過ぎった……
俺の―――
さくら、が………。
有り得ないと思いつつも、浮竹もまた卯ノ花と同じ答えを導き出していた。
15
************************************************浮竹隊長〔一〕 風⋆花⋆雪⋆月