純愛シリーズ
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それは本当に突然だった。
突然もぬけの殻になった彼の部屋。お揃いのマグカップ、色違いの箸。全てが片方だけ残されていた。昨日までもう1人一緒に住んでいたなんて、考えさせないようなそんな部屋の机の上に1枚だけ置かれた紙切れ。それを手に取る。気付けば視界は歪んでいた。ポタポタと目から涙が零れ落ちる。紙切れには涙が滲む。私は、小さく咽び泣いた。
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「わ!越前リョーマだ!」
「すげー!」
商店街の電気屋。何台か置かれたテレビに映るのは今大活躍中のプロテニスプレイヤー越前リョーマだ。子供たちが楽しそうにプレイを見てはしゃいでいる後ろでつい歩みを止めてしまった。ここ数年でいきなりプロの上位に現れた越前リョーマは、国内でも国外でも評判を集めていた。顔がとてもいいこともあり、「テニスの王子様」だなんてあだ名もつけられている。
こちら側を向いて少し怪しげに微笑む彼の姿を私はこうして画面越しにしか見ることが出来ない。もうあの頃とは違うのだと、実感せざるおえない。彼がカメラにサインを書いた。そのギラつくような瞳に、思わずその場から立ち去った。
嘘だと笑われるかもしれないけれど、私と越前リョーマは付き合っていた。中学一年生の頃から付き合い始め、長年二人で歩いてきた。大学生になって同棲を始めて1年が経つと彼はアメリカに飛んだ。私との思い出はほとんど捨ててたった一つの紙切れだけを残して、姿を消した。
受け入れられなかった。辛かった。寂しかった。でもこうして今でも画面越しに彼を見つめてしまう。まだ、あの頃の余韻に浸かりっぱなしなんだ。年月はたくさんたったのに私の心だけは置いていかれたまま。
いつだって彼は私の心から離れてくれない。
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買い物を済ませて、家に帰る。何となくテレビを付けたら夕方のニュース番組がデカデカと越前リョーマの特集を行っていた。どうやら彼はまた勝ったらしい。
「…遠くに行っちゃったんだな」
思わずポロリと零したその言葉に自分でハッとする。当たり前のことなのに何言ってるんだろ。試合のハイライトが写し出され、その後に彼のインタビューの動画が画面上にうつる。白い帽子をかぶった彼が、真っ直ぐな瞳をこちらにむける。まるで私のことを見ているようで、少し背筋が伸びた。
数問質問に答えた後、彼が突然自ら言葉を発した
「俺、この大会優勝したらするって決めてることがあるんです」
突然発せられた彼の言葉に記者たちがフラッシュ音をたてる。彼はいつも通りの無表情で、でもどこか楽しそうにカメラに視線を送ってこう言った
「絶対、帰るから」
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数日後、越前リョーマが優勝したことを知った。
私は、ひとりため息を零す。
あの日彼が発した言葉は思っていたよりも話題になり、ニュースや新聞などで大きく報道された。そのせいもあって、ここ数日は彼を見ない日はなかった。彼が言ったあの言葉は私に向けてのものではない。それだけは分かっていた。だけれどどこか胸の端っこで期待してしまっている自分もいた。
会ってない分だけ不安になる。あの日彼が残していった紙切れを、私は未だに大切に持っている。重い女だと思われるだろうか。それでも、彼が私に残してくれたこれだけはどうしても捨てられなかった。
仕事中も、頭の中を彼がグルグル回る。彼はいつだって私を振り回す。
残業が終わり、もう既に真っ暗になった夜道を歩き出す。所々星が見える。今日はやけに月も綺麗だ。思わず空を見上げていたら後ろからスニーカーの音が聞こえてくる。こんな夜中だと過剰に反応してしまうのは、仕方ないだろう。
「ねぇ、あんた。仕事、遅すぎるんじゃない?」
後ろから聞こえてきた声に私は、歩みを止めた。
まさか、そんなはずない。彼がここにいるはずない。脳みそでは理解しているはずなのに心臓は大きな音を立てる。ゆっくりと振り返れば、そこに居たのは、やっぱり正真正銘の、リョーマくんだった。テレビ越しでもない、新聞に載っている訳でもない、本物のリョーマくんがそこにはいた。
リョーマくんは一歩一歩とこちらに近づいてくる。あっという間に距離は1メートル程になった。出会った頃に比べたら私なんかより全然高い身長を見上げる。必然的に目があうと、リョーマくんはかじかんだ私の手を握った。
「ふっ、相変わらず泣き虫じゃん」
「うるさい!」
気づけば両目からボロボロと涙が零れていた。それを指でリョーマくんが拭う。本当に、本物だ。数年来にあった彼は変わっているようで、なんにも変わってはいない。その事実がなんだかやけに嬉しくてまた涙が溢れ出す。
「約束、覚えてくれたんだ」
「当たり前じゃん。あんたこそ、守ってくれた?」
「当たり前じゃん!!ばか!」
ばか、ばかと連呼する私をリョーマくんは呆れつつ抱きしめた。久しぶりに感じる彼の体温はやけに暖かい。嘘ではなかった。彼が残した紙切れに書いてあった「待ってて」という4文字は嘘ではなかったのだ。数年間、馬鹿みたいにその言葉に縛られていた。もうリョーマくんのことなんて忘れて幸せになろうとと思った。でも、出来なかった。彼のことを待ち続けてしまった。結果、彼は帰ってきてくれた。
「…待っててくれて、ありがとう」
そう言うと、リョーマくんは瞳から涙をひとつ零した。
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