知らないけど分かってる。
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知らないけど分かってる。19
* * *
「……嫉妬。」
ペンギンに言われた言葉を反芻するように口に出す。
……が、いつまでたってもその言葉を消化することはできなかった。飲み込むことも、腹落ちすることもできないまま、こびりついた言葉にじわじわと思考が侵されるようだ。
ペンギンの言葉に気の効いた反論もできない。
無駄な抵抗として「あの」だとか「えっと」とか、大して意味をなさない言葉を続けるくらいしかできず、最後は彼が私のために作ってくれたブランデーミルクを一口啜って口を閉じた。
甲板での稽古に混じれなかった悔しさ。
ローが日記帳に向けた優しさへの苛立ち。
ローが向ける視線や感情の一つ一つが自分に向いていて欲しいというエゴを指摘されて、恥ずかしさから顔が熱い。一向に引かない顔の火照りを隠すように慌てて顔を下げて、やはり何か言い返そう、一言物申そうと思うも肝心の言葉が出てこない。これでは自分の気持ちを認めたようなものではないかと、あまりに惨めで膝の上で強く手を握りしめた。
「……なーんて、な。」
この空気に耐えかねたのか、先にペンギンが口火を切った。恐る恐る視線を上げると、目深にかぶった帽子で表情は分からないが、うっすらと口の端が上がっているので、怒っているわけではないらしい。
「まぁ、そういう解釈もできるってこと。」
そこまで言うと、ペンギンは立ち上がり飲み終わったマグカップをシンクに運び、慣れた手付きでスポンジで洗い終えると、水切りかごに静かに置く。
そして私が呆然と座るダイニングテーブルに戻ることなくドアに向かうとドアノブに手を掛けた。
「なぁ、〇〇。おれにとって、おまえもキャプテンもどちらも大切なわけ。だから二人には悔いない選択をしてほしいのよ。島に着くまであと一晩だけだろ、いつまでも意地張らないで……いや違うか。自分の気持ちに気付かないふりしてないで、後悔しないように歩み寄れよ。」
一人キッチンに取り残され、ペンギンが姿を消したドアをじっと見つめる。ペンギンの姿はないのに、彼が残した言葉だけが耳と心に反響しているようだった。このまま船に残って過去の自分に嫉妬しながらローの側にいることは、私にとって最善なのだろうか。それともこの船とは決別し、次の島で降りたとしたら……?
そこまで考えると、私は答えのない問題にこれ以上頭を悩ませるのはやめて、テーブルに突っ伏して目を閉じた。
* * *
「〇〇、こんなとこで寝るな。部屋に戻ってやすまんかい。」
誰かに肩を揺さぶられ、うっすらと目を開けるとマグカップと木製の大きなダイニングテーブルが視界に入る。僅か2日間ではあるが見慣れたイッカクと私の部屋ではないと気付くと、状況が読み込めず慌てて身体をガバリと起こす。その際に無理な姿勢で寝ていたからか、背中がミシリと嫌な音をたてた。
体を起こし、肩を揺さぶる張本人を見ると、訝しげな表情のコックさんと目が合った。不覚にもキッチンでうたた寝していたようだ。朝食の支度を始めるコックさんの邪魔になってはと重い体を引きずるようにノロノロと動く。
そして、飲みきったマグカップだけは最低限シンクに片付けた自分は偉いと思う。
部屋に戻るとイッカクの小さな寝息が響く。
まだ少しだけベッドで体を休める時間はありそうだ。船は海上をゆっくりと進んでおり、東の空が少しだけ白んで来ている。朝はすぐそこまで近づいている、つまり……私がポーラータング号で過ごす最後の1日が始まるのだ。
ローは到着時間は明言しなかったが、明日の今頃は島に到着しててもおかしくないのだから。
* * *
次に私が目を覚ましたのは、まさかの昼過ぎだった。これまでの睡眠不足と精神的疲れもあったのか、ペンギンが作ったブランデーミルクの僅かなアルコールで強制的に深い眠りに落ちたらしい。起床時間を過ぎても、せっかく眠ることができた私を慮んばかってか、イッカクは私を起こさなかった。しかもご丁寧に事情はキャプテンに説明してくれた上で、だ。
そのおかげでロー経由で食堂には私の遅い朝食兼昼食が準備されていた。私はつい数時間前にペンギンから指導を受け、コックさんにうたた寝を注意された食堂に舞い戻り、ハムとチーズのサンドイッチに根菜のコンソメスープを啜りながら、呆然と運命の選択が迫られる数時間の過ごし方を考えていた。
食事を終えて部屋に戻ると、イッカクは風呂上がりで髪を乾かしていた。明日の上陸を満喫するためにも身を清めておきたかったようで、部屋に戻ったばかりの私にタオルを持たせると、私はそのまま回れ右をして部屋から追い出される。
仮初めの自室を追い出された私は仕方なしにシャワールームに向かう。のろのろと緩慢な動きで脱衣場に鍵をかけ、服を脱ぐ。そう言えばここで金切り声をあげてから丸一日経ったのか……。一日やそこらで身体中に散りばめられた鬱血跡が消えるではないが、心なしか初めて見たときほど鮮やかに感じられない。
「本当に、これをローが?」
自分の胸元、本来であれば服で隠され、人目に触れるはずのない部分に残った無数の痕にそっと指を這わせる。
ローは一体どんなふうに私に触れるのだろう。
どんなふうに口付けて、この痕を残すのだろう。
ローとの夜に思いを巡らせたものの、それが私の妄想なのか真実なのかは分からないまま。最終的にはローのあられもない姿を勝手に想像した罪悪感で、頭から冷水をかけて風呂場を後にする。
記憶は実体験に紐付いて思い出される──。
これは既にイッカクやペンギンとの会話で実証済みだ。
となれば、だ。
昨夜、ペンギンが言った言葉が甦る。
『自分の気持ちに気付かないふりしてないで、後悔しないように歩み寄れよ。』
私は過去の自分に嫉妬する程度には、あの男に強い感情は抱いているらしい。ローと過ごす最後の夜にするのか、否か。後悔しないためには私が歩み寄らなければならない、だとしたら残された時間で私が出来ることは限られている。
今日の夜はローのもとに行こう。
そして朝まで彼と過ごすのだ。
* * *
「キャプテン、最寄りの島への到着は予定通り明日の午前中になりそうです。」
おれの気配を感じたハクガンが、舵と前方のモニターから視線を外さずに報告した。この大海原においては予定通りに事が運ぶ方が珍しいが、今回の航路は大きなアクシデントはなく、順調に航海が進んでいる。
もうすぐ日没なのだろう、海面は夕日を反射させ、海全体が燃えるようだった。
24時間後、〇〇はどこで、誰といるのだろう。昨夜の突然の訪問と、本人に明かすつもりもなかった想い、成り行きとは言え、今回の航海とは打って変わっておれたちの関係の方がアクシデントばかりだ。
「何か異常があったら呼ぶので、少し休んでても問題ないっスよ。」
今度はおれの背後から声がした。振り向くと腕を組み自信ありげなシャチと、うんうんと何度も首を縦に振るペンギン、いつもの二人だ。
徹夜なんて慣れたもので、別に辛いとも思わないが、この息苦しい時間を少しでも回避できるなら仮眠をとるのも良い選択かもしれない。本当ならもう共に過ごすことができない(可能性のある)恋人に時間を割くべきなのだろうが、その権利を自ら手放したのは昨晩の自分自身なのだ。
「……悪いが、そしたら任せる。何かあったら呼んでくれ。」
そう操舵室の面々に声をかけ、おれは大人しく自室に向かう。廊下を曲がり、この先にあるのはおれの私室、つまり船長室だけだというところで、おれの部屋の扉の前で、じっと立ち尽くす〇〇を視界に捉える。
反射的に〇〇から姿が見えないように廊下に身を隠す。
「あいつ、何してんだ……。」
船長室の扉を叩こうと手を上げるも、決心がつかないのか、その手は扉に触れることもなく、ゆるゆると下ろされる。
人のことを言えた義理ではないが、お前も煮え切らない態度で、これ以上おれを苦しめないでくれ。
胃の辺りが鉛を飲み込んだように重い。
ただ昨晩あれだけ大見得を切った手前、あいつが船長室に足を運んだ事実を無下にはできない。その真意を受け止めるのは、おれの役目だ。
大きく息を吸い、そして〇〇のもとに足を一歩踏み出した。
「船長室に何のようだ?」
* * *
「……嫉妬。」
ペンギンに言われた言葉を反芻するように口に出す。
……が、いつまでたってもその言葉を消化することはできなかった。飲み込むことも、腹落ちすることもできないまま、こびりついた言葉にじわじわと思考が侵されるようだ。
ペンギンの言葉に気の効いた反論もできない。
無駄な抵抗として「あの」だとか「えっと」とか、大して意味をなさない言葉を続けるくらいしかできず、最後は彼が私のために作ってくれたブランデーミルクを一口啜って口を閉じた。
甲板での稽古に混じれなかった悔しさ。
ローが日記帳に向けた優しさへの苛立ち。
ローが向ける視線や感情の一つ一つが自分に向いていて欲しいというエゴを指摘されて、恥ずかしさから顔が熱い。一向に引かない顔の火照りを隠すように慌てて顔を下げて、やはり何か言い返そう、一言物申そうと思うも肝心の言葉が出てこない。これでは自分の気持ちを認めたようなものではないかと、あまりに惨めで膝の上で強く手を握りしめた。
「……なーんて、な。」
この空気に耐えかねたのか、先にペンギンが口火を切った。恐る恐る視線を上げると、目深にかぶった帽子で表情は分からないが、うっすらと口の端が上がっているので、怒っているわけではないらしい。
「まぁ、そういう解釈もできるってこと。」
そこまで言うと、ペンギンは立ち上がり飲み終わったマグカップをシンクに運び、慣れた手付きでスポンジで洗い終えると、水切りかごに静かに置く。
そして私が呆然と座るダイニングテーブルに戻ることなくドアに向かうとドアノブに手を掛けた。
「なぁ、〇〇。おれにとって、おまえもキャプテンもどちらも大切なわけ。だから二人には悔いない選択をしてほしいのよ。島に着くまであと一晩だけだろ、いつまでも意地張らないで……いや違うか。自分の気持ちに気付かないふりしてないで、後悔しないように歩み寄れよ。」
一人キッチンに取り残され、ペンギンが姿を消したドアをじっと見つめる。ペンギンの姿はないのに、彼が残した言葉だけが耳と心に反響しているようだった。このまま船に残って過去の自分に嫉妬しながらローの側にいることは、私にとって最善なのだろうか。それともこの船とは決別し、次の島で降りたとしたら……?
そこまで考えると、私は答えのない問題にこれ以上頭を悩ませるのはやめて、テーブルに突っ伏して目を閉じた。
* * *
「〇〇、こんなとこで寝るな。部屋に戻ってやすまんかい。」
誰かに肩を揺さぶられ、うっすらと目を開けるとマグカップと木製の大きなダイニングテーブルが視界に入る。僅か2日間ではあるが見慣れたイッカクと私の部屋ではないと気付くと、状況が読み込めず慌てて身体をガバリと起こす。その際に無理な姿勢で寝ていたからか、背中がミシリと嫌な音をたてた。
体を起こし、肩を揺さぶる張本人を見ると、訝しげな表情のコックさんと目が合った。不覚にもキッチンでうたた寝していたようだ。朝食の支度を始めるコックさんの邪魔になってはと重い体を引きずるようにノロノロと動く。
そして、飲みきったマグカップだけは最低限シンクに片付けた自分は偉いと思う。
部屋に戻るとイッカクの小さな寝息が響く。
まだ少しだけベッドで体を休める時間はありそうだ。船は海上をゆっくりと進んでおり、東の空が少しだけ白んで来ている。朝はすぐそこまで近づいている、つまり……私がポーラータング号で過ごす最後の1日が始まるのだ。
ローは到着時間は明言しなかったが、明日の今頃は島に到着しててもおかしくないのだから。
* * *
次に私が目を覚ましたのは、まさかの昼過ぎだった。これまでの睡眠不足と精神的疲れもあったのか、ペンギンが作ったブランデーミルクの僅かなアルコールで強制的に深い眠りに落ちたらしい。起床時間を過ぎても、せっかく眠ることができた私を慮んばかってか、イッカクは私を起こさなかった。しかもご丁寧に事情はキャプテンに説明してくれた上で、だ。
そのおかげでロー経由で食堂には私の遅い朝食兼昼食が準備されていた。私はつい数時間前にペンギンから指導を受け、コックさんにうたた寝を注意された食堂に舞い戻り、ハムとチーズのサンドイッチに根菜のコンソメスープを啜りながら、呆然と運命の選択が迫られる数時間の過ごし方を考えていた。
食事を終えて部屋に戻ると、イッカクは風呂上がりで髪を乾かしていた。明日の上陸を満喫するためにも身を清めておきたかったようで、部屋に戻ったばかりの私にタオルを持たせると、私はそのまま回れ右をして部屋から追い出される。
仮初めの自室を追い出された私は仕方なしにシャワールームに向かう。のろのろと緩慢な動きで脱衣場に鍵をかけ、服を脱ぐ。そう言えばここで金切り声をあげてから丸一日経ったのか……。一日やそこらで身体中に散りばめられた鬱血跡が消えるではないが、心なしか初めて見たときほど鮮やかに感じられない。
「本当に、これをローが?」
自分の胸元、本来であれば服で隠され、人目に触れるはずのない部分に残った無数の痕にそっと指を這わせる。
ローは一体どんなふうに私に触れるのだろう。
どんなふうに口付けて、この痕を残すのだろう。
ローとの夜に思いを巡らせたものの、それが私の妄想なのか真実なのかは分からないまま。最終的にはローのあられもない姿を勝手に想像した罪悪感で、頭から冷水をかけて風呂場を後にする。
記憶は実体験に紐付いて思い出される──。
これは既にイッカクやペンギンとの会話で実証済みだ。
となれば、だ。
昨夜、ペンギンが言った言葉が甦る。
『自分の気持ちに気付かないふりしてないで、後悔しないように歩み寄れよ。』
私は過去の自分に嫉妬する程度には、あの男に強い感情は抱いているらしい。ローと過ごす最後の夜にするのか、否か。後悔しないためには私が歩み寄らなければならない、だとしたら残された時間で私が出来ることは限られている。
今日の夜はローのもとに行こう。
そして朝まで彼と過ごすのだ。
* * *
「キャプテン、最寄りの島への到着は予定通り明日の午前中になりそうです。」
おれの気配を感じたハクガンが、舵と前方のモニターから視線を外さずに報告した。この大海原においては予定通りに事が運ぶ方が珍しいが、今回の航路は大きなアクシデントはなく、順調に航海が進んでいる。
もうすぐ日没なのだろう、海面は夕日を反射させ、海全体が燃えるようだった。
24時間後、〇〇はどこで、誰といるのだろう。昨夜の突然の訪問と、本人に明かすつもりもなかった想い、成り行きとは言え、今回の航海とは打って変わっておれたちの関係の方がアクシデントばかりだ。
「何か異常があったら呼ぶので、少し休んでても問題ないっスよ。」
今度はおれの背後から声がした。振り向くと腕を組み自信ありげなシャチと、うんうんと何度も首を縦に振るペンギン、いつもの二人だ。
徹夜なんて慣れたもので、別に辛いとも思わないが、この息苦しい時間を少しでも回避できるなら仮眠をとるのも良い選択かもしれない。本当ならもう共に過ごすことができない(可能性のある)恋人に時間を割くべきなのだろうが、その権利を自ら手放したのは昨晩の自分自身なのだ。
「……悪いが、そしたら任せる。何かあったら呼んでくれ。」
そう操舵室の面々に声をかけ、おれは大人しく自室に向かう。廊下を曲がり、この先にあるのはおれの私室、つまり船長室だけだというところで、おれの部屋の扉の前で、じっと立ち尽くす〇〇を視界に捉える。
反射的に〇〇から姿が見えないように廊下に身を隠す。
「あいつ、何してんだ……。」
船長室の扉を叩こうと手を上げるも、決心がつかないのか、その手は扉に触れることもなく、ゆるゆると下ろされる。
人のことを言えた義理ではないが、お前も煮え切らない態度で、これ以上おれを苦しめないでくれ。
胃の辺りが鉛を飲み込んだように重い。
ただ昨晩あれだけ大見得を切った手前、あいつが船長室に足を運んだ事実を無下にはできない。その真意を受け止めるのは、おれの役目だ。
大きく息を吸い、そして〇〇のもとに足を一歩踏み出した。
「船長室に何のようだ?」