Short(短編)
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一杯目/はちみつミルク
* * *
「まだ、起きていたのか?」
背後から声をかけられて、思わず手元のノートを閉じた。声で分かる、キャプテンだ。別に就寝時間は個人の自由であり、翌日のパフォーマンスに影響がなければ咎められるわけではない……が、慌ててノートを隠した手前、後ろめたさもあり、少しだけ背筋を伸ばす。そして、いつもならスルーするところだが、わざわざ振り向いて頭を下げたのは、これ以上キャプテンの不機嫌を買わないための防衛策だ。当の本人は別にいつも通りなのだろうが、対峙するこちらが責められているような心持ちになるのは、彼の鋭い目つきと感情が読みにくい声色のせいだろう。
「新しいメニューを考えてて。」
「そうか。」
迅速且つ簡潔に会話は終了。
まず前提として、私はポーラータング号の乗船歴が短い。
古参のシャチやペンギン、ベポをはじめ他のクルーの熱狂的、ともすれば狂信的にも近いトラファルガー・ローへの忠誠心は、まだまだ私には理解しがたいものだった。尋常じゃない強さと、堅気には見えない刺青、無愛想な性格のキャプテンを盲信しているこの船の日常に加わる自分が、未だに想像できないのだ。
よっぽど先日まで一緒だった麦わらの海賊団のキャプテンの方が愛嬌があって可愛いじゃないか。そんなことを、先日ワノ国を出航する前に口にしたところ、まさかのジャンバールに「おまえは何も分かっていない」と説教をされた。
え、私がマイノリティなわけ?
既に会話が終了したキャプテンを改めて見つめると、ばっちり視線が絡み合う。
『……』
数時間前まで、飲めや騒げやで賑やかな食事風景だったこの食堂も、現在は最低限の明かりを灯し、言葉少ない2名のせいで、静寂に包まれている。
「キャプテンは何用で、こちらに?」
「あぁ、飲み物をとりにきた。」
どこかの海賊船で下積み時代があるのか、はたまた一人で生活していたのか、この男は一通りのことは自分でできる。下っ端に任せず自分で用意するところは、手がかからなくて良いボスだ。
私に背を向けて戸棚をゴソゴソと漁るキャプテンへの興味は薄れ、また自身のレシピ帳と向き合おうとしたところで、視界の隅に見慣れた小瓶が映る。ノートに下げた視線は再びキャプテンに戻り、彼の持つ小瓶に目を疑った。
「キャプテン……まさかとは思うけど、こんな時間にコーヒー飲むつもり?」
食堂の時計はとうに2本の針がてっぺんで重なりあった後だ。こんな時間に不寝番以外でブラックコーヒーを飲む神経が分からない。
え、オペオペの実の能力者は泳げない上に、眠れない呪いにかかってるわけ?
シャチが昼に騒いでいたが、現在、この男は三徹目らしい。コーヒーの小瓶を片手に不服そうな顔を向けたキャプテンの顔をまじまじと見ると、眼下を青黒い隈が綺麗に縁取っている。……ここにコーヒーとは狂気の沙汰だ。
「……温かい飲み物だとコーヒーくらいしかねェだろ。」
「ちょ、ちょっと待ってください。」
一瞬のうちに「こんな時間にキッチンに立つ手間」と「こんな時間にキャプテンにカフェイン摂取させる罪悪感」が天秤にかけられ、辛うじて後者が勝った。
「もう、私が準備するんでキャプテンは座っててください。」
「あ?これくらい、おれでも……
「い・い・か・ら、座っててください!」
私に気圧されてか、キャプテンは素直に取り出した小瓶をしまい、多少眉間の皺を濃くしながらダイニングに戻ってきた。入れ替わるように私がキッチンに立つと、ちょうど背後から声をかけられる。
「このノート、おれも見て良いか?」
手持ち無沙汰なキャプテンは「何もしない」ことが苦手らしい。暇を持て余しているのも気の毒だし、こちらの作業をじっと観察されるのもあまり良い気分ではない。振り向かずにOKのハンドサインを作ると、キャプテンに見えるように顔の高さまで上げる。
さて、ここからは私の仕事だ。
と言っても大したものを作る気はない。
牛乳をミルクパン(極小さな片手鍋)にかけ、沸騰しないように気を付けながら温める。その間、戸棚から琥珀色の瓶と先が丸い木製の棒を取り出す。
「おい、その棒はなんだ?」
後ろから再度声が掛かる。どうやらもう私のレシピ帳を見るのは飽きたらしい。いつの間にか私の作業をダイニングテーブルから観察していたようだ。
「これはハニーディッパー、はちみつを掬う時に使う専用の棒です。」
返事はない。もしや寝たかと振り返ってダイニングの様子を見る。振り向きざまにばっちり視線が合うので、どうやら寝ていたわけでも退屈だったわけでもないらしい。ただ真剣にこちらを観察している。
興味深そうに見ている姿に、少しだけサービス精神が湧き、わざわざキャプテンに見えるように少しだけ体をダイニング側に向けて、はちみつの瓶からハニーディッパーを使い、くるくると棒を回して液垂れがしないようにしてから、琥珀色のはちみつを掬いとる。そのままハニーディッパーを使い、ゆっくりと鍋をかき混ぜた。
はちみつが溶けきった牛乳をそっと火から下ろし、大きめのマグカップに注ぐ。せっかくだからハニーディッパーもマグカップに残し、そのままキャプテンの前に置くと、私もキャプテンの向かいに腰を下ろした。ダイニングテーブルと陶器がコトリと小さな音を立てる。
「はい、ホットミルク。」
「あぁ、ありがとう。」
礼は言われたものの、じっとマグカップを見つめて微動だにしない。あれ、キャプテンって牛乳苦手だったっけ……コックとしてあるまじき行為をしてしまったのではないかと血の気が引く。そういえばレシピ帳のどこかにクルーの好みやアレルギーをまとめていたな、とパラパラとページをめくりながら視線を上げずに声をかける。
「ホットミルク、飲んだことありません?
……もしかして、そもそも牛乳嫌いでした?」
「……家族が風邪をひいた時によく飲んでいた。考え事をしていただけだ、いただく。」
初めてキャプテンから「家族」という単語を聞き、少しだけ動揺する。この人、無双のように強いけれど、家族のこととか、過去のこととか全く話さない。そして自分のことを話さない代わりに、他のクルーにも詮索は一切しない。仮にクルーに裏切られたとしても自分の責任下で仲間にしたのであれば、その非は全て自分が背負うくらいの覚悟を持っている。
トラファルガー・ローは、そういう男だ。
一口、二口、マグカップの熱で冷えた手を温めながらホットミルクを口にする。三徹目の殺伐とした雰囲気は多少丸くはなったが、どうにも様子がおかしい。キャプテンはここにいるのに、心はここに有らずだ。
マグカップの中の、少しだけ琥珀色が溶け込んだ白い液体をじっと眺めている。瞳はマグカップを捉えているが、どこか遠くを眺めているようだ。
「妹が……よく飲んでいた。こんな味だったんだな。」
初めて聞く、家族の話。
私はどう返すのが正解か分からないので、そのまま黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「妹はしょっちゅう風邪を引いて、咳が出て寝付きが悪い夜や、怖い夢を見て眠れない時は母様がよく作っていた。……なるほど、甘いな。」
マグカップの側面に這わせるようにハニーディッパーをくるりと回し、ミルクは先日沖合いで見た渦のようにマグカップの中心に向かって円を描いていく。
「おれは片意地を張って父様の真似ばかりしていた。……苦くて飲めやしないのにコーヒーとかな。」
彼の話している相手は私ではない。
彼は今、自分と対話している。
私は、キャプテンの世界に極力近づかないよう息を潜める。この食堂で私の存在は、紙が掠れる静かな音、ページをめくる音、そのものになる。
キャプテンがコーヒーを飲むようになったのは父親への憧れと背伸びした気持ちからだったとは……。それはそれで微笑ましい幼少期だったのだろうと、私は彼の心の里帰りを温かく見守るつもりだった。
しかし、そんな私の思いとは裏腹に、いつの間にかキャプテンのマグカップを持つ手には強い力が加わり、全身に強い緊張が走る。眉間の皺は一層深くなり、刺青が入った指先を見つめる目の焦点が僅かに揺れていた。
「……母様、父様、ラミ。どうしておれだけ……。」
キャプテンの事情も過去も、私は知らない。
ただ本能で分かった、これは置いていかれた者の叫びだ。
私の善意の一杯が、開けてしまったパンドラの箱だ。
キャプテンの小さな声が、私には痛いほどの叫びとなって胸を刺す。どうしたら良いのだろう、とにかく何とかしなければと、焦りから立ち上がる。ガタンと椅子が倒れた拍子に、キャプテンが苦しげに吐き出す。
「眠ると、本当は全ておれの都合の良い夢で、目覚めた時におまえらやこの船もいなくなるんじゃねェかと……」
ここまで絞り出すように声を出したキャプテンは、ゆっくり顔を上げる。立ち上がっていた私は見下ろす形で彼と正面から向き合った。
あぁ、少年の顔だ。
不安で不安で仕方がないのに、精一杯強がっている顔だ。
まだまだお父さんお母さんに甘えたい年頃だったのに、甘えれずにここまで来てしまったのか。
私は医者じゃないし、古参メンバーのように彼の過去を知る人間ではない。ただ、このままキャプテンを放っておくのはダメと、コックの勘が叫んでいる。
私はおもむろにキッチンに戻ると、戸棚から銀色の缶を取り出して大股でキャプテンに駆け寄る。そして缶の中から茶色い粉を大盛一杯、ぬるくなりはじめたミルクに入れると、乱暴に3回掻き回した。
「ホットミルクは甘いし、コーヒーはまだ苦いし、きっと『あなた』にはこっちの方が良いでしょ。」
ほんのり琥珀色だった白は、掻き回すうちに白と茶色のマーブル模様を描いて、そして次第に芳ばしい香りと色に馴染んでいく。26歳の『少年』のプライドを傷つけないようにそっと言葉を添える。
「ピュアココアなので、さっきのはちみつの甘さだけです。甘ったるくないので少し大人のココアです、どうぞ。」
言うだけ言って、回れ右のようにくるりと背を向ける。そのままシンクに戻ると、小鍋やスプーンなど最低限の調理器具を洗い、あっという間に片付けてまう。時折、背後からズズッと飲み物をすする音が聞こえるので、どうやら今度は思い出を呼び起こすパンドラの箱ではなく、飲み物としての責務を全うしているらしい。ピュアココアは自分のご褒美やお菓子作り用に買ったのだが、割りと良いお値段だったのだ……無駄にならず本当に良かった。
洗い物が終わり、タオルで手を拭きながら、改めてダイニングに視線を向ける。キャプテンの使ったマグカップは明日の朝食後にまとめて洗えば良いだろう、そのまま挨拶ついでにレシピ帳を回収してから自室に戻ろうと、キャプテンに近づく。既にマグカップは空になったところで、少し気持ちも落ち着いたのか欠伸を噛み殺している様子だ。眠気が訪れたなら何よりだ、身体が温まったからこそ歯を磨いて速やかにベッドに入るべきだろう。
「身体があったかくなると眠くなりますから、このまま歯を磨いて休んでください。今からだったら結構寝れますし。」
「……あぁ。」
申し訳ないが、追いやるようにキャプテンを立ち上がらせて一緒にドアの方に向かわせる。先にドアの外にキャプテンを誘導し、私はドア付近のスイッチをパチリと押して、1日の労働を共にした私の相棒であるキッチンに感謝を込めて、静寂という休息を贈った。
ドアを閉めた後、廊下に二人で佇んでも風邪を引くだけだ。キャプテンと私の自室は方向が逆なので、必然的にここで就寝の挨拶を交わす。
「キャプテン、おやすみなさい。ゆっくり休んでくださいね。」
こちらも普段から多忙で、クルーのことを大事に考えてくれるキャプテンへ労いを込めた挨拶を。私は少しだけ逡巡したが、これで不敬罪で下船になったらその時だと思い、勇気を出して一歩キャプテンに近づく。そして絶望と孤独に震えていた可哀想な少年が少しでも安らかな眠りにつけますように、と願いを込めて彼の頭に手を伸ばした。
背伸びをして2回、優しく跳ねた黒髪を撫でてやる。昔、母が寝る前の私にしてくれたように。
「おやすみなさい、ロー。」
キャプテンは目を見開き一瞬体を硬直させたものの、すぐに息を吐いて肩の力が抜けていくのが見て分かった。
「あぁ、おやすみ。」
口の端だけ僅かに上がったようで、どうやら私のおままごとは不敬罪には値しなかったようだ。そのまま私をじっと見つめてくる。
……目力が強い、そして顔が良くてしんどい。
たまらず先に目をそらし、キャプテンに背を向けて自室に向けて大股で歩き出す。キャプテンと二人で過ごす機会なんて早々なかったので、変に気疲れしたようだ。この調子で朝起きれるだろうかと一抹の不安を感じていたところ、背後からキャプテンに声をかけられる。
「おい、〇〇。今夜は、手間をかけた。……おまえがキッチンにいてくれて良かった。」
思わぬ言葉に慌てて振り向くが、当の本人は既に私に背を向けており、廊下を曲がって姿を消す。廊下には私と、キャプテンの思いもよらぬ言葉の余韻だけが残っている。
少しだけジャンバールの言っている意味が分かった。時折見せるガラス細工のような脆さ、私たちクルーは彼が抱える孤独や苦しみから、彼を守ってあげたいだけなのだ。彼がようやく見つけた安らぎが、このハートの海賊団なのだから。
彼が去り際に見せた笑顔と一言が頭から離れない。あんな風に言われたら、あと数時間の僅かな睡眠でも我慢してキッチンに立たなければなるまい。
「……人たらしだなぁ。」
皮肉と親愛を込めて、私は小さく呟くとイッカクを起こさぬよう細心の注意を払って自室のドアを開けた。
Fin.
* * *
「まだ、起きていたのか?」
背後から声をかけられて、思わず手元のノートを閉じた。声で分かる、キャプテンだ。別に就寝時間は個人の自由であり、翌日のパフォーマンスに影響がなければ咎められるわけではない……が、慌ててノートを隠した手前、後ろめたさもあり、少しだけ背筋を伸ばす。そして、いつもならスルーするところだが、わざわざ振り向いて頭を下げたのは、これ以上キャプテンの不機嫌を買わないための防衛策だ。当の本人は別にいつも通りなのだろうが、対峙するこちらが責められているような心持ちになるのは、彼の鋭い目つきと感情が読みにくい声色のせいだろう。
「新しいメニューを考えてて。」
「そうか。」
迅速且つ簡潔に会話は終了。
まず前提として、私はポーラータング号の乗船歴が短い。
古参のシャチやペンギン、ベポをはじめ他のクルーの熱狂的、ともすれば狂信的にも近いトラファルガー・ローへの忠誠心は、まだまだ私には理解しがたいものだった。尋常じゃない強さと、堅気には見えない刺青、無愛想な性格のキャプテンを盲信しているこの船の日常に加わる自分が、未だに想像できないのだ。
よっぽど先日まで一緒だった麦わらの海賊団のキャプテンの方が愛嬌があって可愛いじゃないか。そんなことを、先日ワノ国を出航する前に口にしたところ、まさかのジャンバールに「おまえは何も分かっていない」と説教をされた。
え、私がマイノリティなわけ?
既に会話が終了したキャプテンを改めて見つめると、ばっちり視線が絡み合う。
『……』
数時間前まで、飲めや騒げやで賑やかな食事風景だったこの食堂も、現在は最低限の明かりを灯し、言葉少ない2名のせいで、静寂に包まれている。
「キャプテンは何用で、こちらに?」
「あぁ、飲み物をとりにきた。」
どこかの海賊船で下積み時代があるのか、はたまた一人で生活していたのか、この男は一通りのことは自分でできる。下っ端に任せず自分で用意するところは、手がかからなくて良いボスだ。
私に背を向けて戸棚をゴソゴソと漁るキャプテンへの興味は薄れ、また自身のレシピ帳と向き合おうとしたところで、視界の隅に見慣れた小瓶が映る。ノートに下げた視線は再びキャプテンに戻り、彼の持つ小瓶に目を疑った。
「キャプテン……まさかとは思うけど、こんな時間にコーヒー飲むつもり?」
食堂の時計はとうに2本の針がてっぺんで重なりあった後だ。こんな時間に不寝番以外でブラックコーヒーを飲む神経が分からない。
え、オペオペの実の能力者は泳げない上に、眠れない呪いにかかってるわけ?
シャチが昼に騒いでいたが、現在、この男は三徹目らしい。コーヒーの小瓶を片手に不服そうな顔を向けたキャプテンの顔をまじまじと見ると、眼下を青黒い隈が綺麗に縁取っている。……ここにコーヒーとは狂気の沙汰だ。
「……温かい飲み物だとコーヒーくらいしかねェだろ。」
「ちょ、ちょっと待ってください。」
一瞬のうちに「こんな時間にキッチンに立つ手間」と「こんな時間にキャプテンにカフェイン摂取させる罪悪感」が天秤にかけられ、辛うじて後者が勝った。
「もう、私が準備するんでキャプテンは座っててください。」
「あ?これくらい、おれでも……
「い・い・か・ら、座っててください!」
私に気圧されてか、キャプテンは素直に取り出した小瓶をしまい、多少眉間の皺を濃くしながらダイニングに戻ってきた。入れ替わるように私がキッチンに立つと、ちょうど背後から声をかけられる。
「このノート、おれも見て良いか?」
手持ち無沙汰なキャプテンは「何もしない」ことが苦手らしい。暇を持て余しているのも気の毒だし、こちらの作業をじっと観察されるのもあまり良い気分ではない。振り向かずにOKのハンドサインを作ると、キャプテンに見えるように顔の高さまで上げる。
さて、ここからは私の仕事だ。
と言っても大したものを作る気はない。
牛乳をミルクパン(極小さな片手鍋)にかけ、沸騰しないように気を付けながら温める。その間、戸棚から琥珀色の瓶と先が丸い木製の棒を取り出す。
「おい、その棒はなんだ?」
後ろから再度声が掛かる。どうやらもう私のレシピ帳を見るのは飽きたらしい。いつの間にか私の作業をダイニングテーブルから観察していたようだ。
「これはハニーディッパー、はちみつを掬う時に使う専用の棒です。」
返事はない。もしや寝たかと振り返ってダイニングの様子を見る。振り向きざまにばっちり視線が合うので、どうやら寝ていたわけでも退屈だったわけでもないらしい。ただ真剣にこちらを観察している。
興味深そうに見ている姿に、少しだけサービス精神が湧き、わざわざキャプテンに見えるように少しだけ体をダイニング側に向けて、はちみつの瓶からハニーディッパーを使い、くるくると棒を回して液垂れがしないようにしてから、琥珀色のはちみつを掬いとる。そのままハニーディッパーを使い、ゆっくりと鍋をかき混ぜた。
はちみつが溶けきった牛乳をそっと火から下ろし、大きめのマグカップに注ぐ。せっかくだからハニーディッパーもマグカップに残し、そのままキャプテンの前に置くと、私もキャプテンの向かいに腰を下ろした。ダイニングテーブルと陶器がコトリと小さな音を立てる。
「はい、ホットミルク。」
「あぁ、ありがとう。」
礼は言われたものの、じっとマグカップを見つめて微動だにしない。あれ、キャプテンって牛乳苦手だったっけ……コックとしてあるまじき行為をしてしまったのではないかと血の気が引く。そういえばレシピ帳のどこかにクルーの好みやアレルギーをまとめていたな、とパラパラとページをめくりながら視線を上げずに声をかける。
「ホットミルク、飲んだことありません?
……もしかして、そもそも牛乳嫌いでした?」
「……家族が風邪をひいた時によく飲んでいた。考え事をしていただけだ、いただく。」
初めてキャプテンから「家族」という単語を聞き、少しだけ動揺する。この人、無双のように強いけれど、家族のこととか、過去のこととか全く話さない。そして自分のことを話さない代わりに、他のクルーにも詮索は一切しない。仮にクルーに裏切られたとしても自分の責任下で仲間にしたのであれば、その非は全て自分が背負うくらいの覚悟を持っている。
トラファルガー・ローは、そういう男だ。
一口、二口、マグカップの熱で冷えた手を温めながらホットミルクを口にする。三徹目の殺伐とした雰囲気は多少丸くはなったが、どうにも様子がおかしい。キャプテンはここにいるのに、心はここに有らずだ。
マグカップの中の、少しだけ琥珀色が溶け込んだ白い液体をじっと眺めている。瞳はマグカップを捉えているが、どこか遠くを眺めているようだ。
「妹が……よく飲んでいた。こんな味だったんだな。」
初めて聞く、家族の話。
私はどう返すのが正解か分からないので、そのまま黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「妹はしょっちゅう風邪を引いて、咳が出て寝付きが悪い夜や、怖い夢を見て眠れない時は母様がよく作っていた。……なるほど、甘いな。」
マグカップの側面に這わせるようにハニーディッパーをくるりと回し、ミルクは先日沖合いで見た渦のようにマグカップの中心に向かって円を描いていく。
「おれは片意地を張って父様の真似ばかりしていた。……苦くて飲めやしないのにコーヒーとかな。」
彼の話している相手は私ではない。
彼は今、自分と対話している。
私は、キャプテンの世界に極力近づかないよう息を潜める。この食堂で私の存在は、紙が掠れる静かな音、ページをめくる音、そのものになる。
キャプテンがコーヒーを飲むようになったのは父親への憧れと背伸びした気持ちからだったとは……。それはそれで微笑ましい幼少期だったのだろうと、私は彼の心の里帰りを温かく見守るつもりだった。
しかし、そんな私の思いとは裏腹に、いつの間にかキャプテンのマグカップを持つ手には強い力が加わり、全身に強い緊張が走る。眉間の皺は一層深くなり、刺青が入った指先を見つめる目の焦点が僅かに揺れていた。
「……母様、父様、ラミ。どうしておれだけ……。」
キャプテンの事情も過去も、私は知らない。
ただ本能で分かった、これは置いていかれた者の叫びだ。
私の善意の一杯が、開けてしまったパンドラの箱だ。
キャプテンの小さな声が、私には痛いほどの叫びとなって胸を刺す。どうしたら良いのだろう、とにかく何とかしなければと、焦りから立ち上がる。ガタンと椅子が倒れた拍子に、キャプテンが苦しげに吐き出す。
「眠ると、本当は全ておれの都合の良い夢で、目覚めた時におまえらやこの船もいなくなるんじゃねェかと……」
ここまで絞り出すように声を出したキャプテンは、ゆっくり顔を上げる。立ち上がっていた私は見下ろす形で彼と正面から向き合った。
あぁ、少年の顔だ。
不安で不安で仕方がないのに、精一杯強がっている顔だ。
まだまだお父さんお母さんに甘えたい年頃だったのに、甘えれずにここまで来てしまったのか。
私は医者じゃないし、古参メンバーのように彼の過去を知る人間ではない。ただ、このままキャプテンを放っておくのはダメと、コックの勘が叫んでいる。
私はおもむろにキッチンに戻ると、戸棚から銀色の缶を取り出して大股でキャプテンに駆け寄る。そして缶の中から茶色い粉を大盛一杯、ぬるくなりはじめたミルクに入れると、乱暴に3回掻き回した。
「ホットミルクは甘いし、コーヒーはまだ苦いし、きっと『あなた』にはこっちの方が良いでしょ。」
ほんのり琥珀色だった白は、掻き回すうちに白と茶色のマーブル模様を描いて、そして次第に芳ばしい香りと色に馴染んでいく。26歳の『少年』のプライドを傷つけないようにそっと言葉を添える。
「ピュアココアなので、さっきのはちみつの甘さだけです。甘ったるくないので少し大人のココアです、どうぞ。」
言うだけ言って、回れ右のようにくるりと背を向ける。そのままシンクに戻ると、小鍋やスプーンなど最低限の調理器具を洗い、あっという間に片付けてまう。時折、背後からズズッと飲み物をすする音が聞こえるので、どうやら今度は思い出を呼び起こすパンドラの箱ではなく、飲み物としての責務を全うしているらしい。ピュアココアは自分のご褒美やお菓子作り用に買ったのだが、割りと良いお値段だったのだ……無駄にならず本当に良かった。
洗い物が終わり、タオルで手を拭きながら、改めてダイニングに視線を向ける。キャプテンの使ったマグカップは明日の朝食後にまとめて洗えば良いだろう、そのまま挨拶ついでにレシピ帳を回収してから自室に戻ろうと、キャプテンに近づく。既にマグカップは空になったところで、少し気持ちも落ち着いたのか欠伸を噛み殺している様子だ。眠気が訪れたなら何よりだ、身体が温まったからこそ歯を磨いて速やかにベッドに入るべきだろう。
「身体があったかくなると眠くなりますから、このまま歯を磨いて休んでください。今からだったら結構寝れますし。」
「……あぁ。」
申し訳ないが、追いやるようにキャプテンを立ち上がらせて一緒にドアの方に向かわせる。先にドアの外にキャプテンを誘導し、私はドア付近のスイッチをパチリと押して、1日の労働を共にした私の相棒であるキッチンに感謝を込めて、静寂という休息を贈った。
ドアを閉めた後、廊下に二人で佇んでも風邪を引くだけだ。キャプテンと私の自室は方向が逆なので、必然的にここで就寝の挨拶を交わす。
「キャプテン、おやすみなさい。ゆっくり休んでくださいね。」
こちらも普段から多忙で、クルーのことを大事に考えてくれるキャプテンへ労いを込めた挨拶を。私は少しだけ逡巡したが、これで不敬罪で下船になったらその時だと思い、勇気を出して一歩キャプテンに近づく。そして絶望と孤独に震えていた可哀想な少年が少しでも安らかな眠りにつけますように、と願いを込めて彼の頭に手を伸ばした。
背伸びをして2回、優しく跳ねた黒髪を撫でてやる。昔、母が寝る前の私にしてくれたように。
「おやすみなさい、ロー。」
キャプテンは目を見開き一瞬体を硬直させたものの、すぐに息を吐いて肩の力が抜けていくのが見て分かった。
「あぁ、おやすみ。」
口の端だけ僅かに上がったようで、どうやら私のおままごとは不敬罪には値しなかったようだ。そのまま私をじっと見つめてくる。
……目力が強い、そして顔が良くてしんどい。
たまらず先に目をそらし、キャプテンに背を向けて自室に向けて大股で歩き出す。キャプテンと二人で過ごす機会なんて早々なかったので、変に気疲れしたようだ。この調子で朝起きれるだろうかと一抹の不安を感じていたところ、背後からキャプテンに声をかけられる。
「おい、〇〇。今夜は、手間をかけた。……おまえがキッチンにいてくれて良かった。」
思わぬ言葉に慌てて振り向くが、当の本人は既に私に背を向けており、廊下を曲がって姿を消す。廊下には私と、キャプテンの思いもよらぬ言葉の余韻だけが残っている。
少しだけジャンバールの言っている意味が分かった。時折見せるガラス細工のような脆さ、私たちクルーは彼が抱える孤独や苦しみから、彼を守ってあげたいだけなのだ。彼がようやく見つけた安らぎが、このハートの海賊団なのだから。
彼が去り際に見せた笑顔と一言が頭から離れない。あんな風に言われたら、あと数時間の僅かな睡眠でも我慢してキッチンに立たなければなるまい。
「……人たらしだなぁ。」
皮肉と親愛を込めて、私は小さく呟くとイッカクを起こさぬよう細心の注意を払って自室のドアを開けた。
Fin.