知らないけど分かってる。
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知らないけどわかってる。18
* * *
「……そんな、こと、急に言われても。」
「なんだ、答えが聞きたくて来たんじゃねェのか?」
ローは意地悪く笑うと、そのまま私から視線を外す。その一連の行動全てが、私の戸惑いを汲み取って、私がこの場から逃げ出す「隙」をわざわざ作ってくれているのだろう。彼の不器用な優しさは、ここ数日生活を共にする中で流石に私も分かるようになってきた。
ローが私に掛けてくれた言葉が、嘘偽りないことは分かっている。ベッドに腰かけたまま、ずっとローと向き合う形でいたが、居たたまれなくなって体を正面に戻す。全身強ばらせて無理な姿勢を続けたからだろう、体をあるべき姿勢に戻すと自然と深い呼吸になる。良くも悪くも深呼吸できたことで、少しだけ周りを見る余裕も生まれた。
ベッドに手をついた拍子に、左手に何か固いものが触れる。枕の下から茶色い角張ったものが見え、よくよく目をこらすとそれが本の背表紙だと気付く。ローもつられて視線を移し、私の手に触れた対象物を視認すると、少しだけ目を見開いた。
「あ、ごめんなさい……。勝手に私物を。」
枕元にあるなんてプライベートなものだろう。ローの少し驚いた表情からも、他人が勝手に触れて良いものではないと思い、すぐさま謝罪と共に手を離す。
「……いや、問題ねェ。」
そう言った後、ローはしばらく逡巡していたようだったが、大きく一息吐くと決心したように立ち上がった。私の正面に立ち、腰を屈めてそっと枕の下から先程の本を取り出す。そのまま体を起こすついでに、私の手に本を乗せる。
「それは、お前の日記だ。」
「え?」
「いつも、楽しそうに寝る前に書いてた。もちろん、おれも中身は知らない。今まで見せなかったのは……」
一瞬、ローの瞳が僅かに揺れる。ただすぐ私に視線を戻すと続けた。
「これを読むことで、おまえに余計なプレッシャーを与えたくなかった。きっと、これを書いていた時のおまえと、今のおまえは感じ方も考え方も違う。それを押し付けたくねェ。ただ、それはもともとおまえのものだ。読むも読まないも好きにしたら良い。」
そこまで淀みなく言うと、ローは名残惜しそうに茶色い本をひと撫でして、手を放す。
ローの支えを失ったからか、この本に込められた思い出のせいなのか、私の手はずしりとした本の重さに沈む。
ここに、記憶を失う前の「私」がいる。
これは記憶を取り戻す大きな前進だ、読まない手はないだろう。
それは頭で分かっているが、どうにも釈然としない。私はページもめくらず、そのままじっと日記帳に視線を落とす。形容しがたい苛立ちが、沸々と腹の底で燻っているようだ。
原因は、そう。
この日記に対するローの言動全てが気に食わなかった。あんな愛しそうに、名残惜しそうに、過去の私に触れるな。
私のことをさっき「惚れた女」と言ったくせに。
そこまで思考が至って、ハッと我に返る。
そこからはあまり記憶はない……。
ローを一瞥することもなく「イッカクを待たせているから、部屋に戻ります。」と言い捨てて、部屋を飛び出したような気がする。
心臓が早鐘のようだ。
これじゃ、まるで……まるで……。
* * *
部屋を飛び出した時、ローが何か言おうとしたような気がするが、気が動転しているから錯覚・妄想の可能性も十二分にある。
まずは頭を冷やそうと、少し歩くスピードを落として自室に向かう。もう時間も時間だ……潜水艦特有の機械音が一定のリズムで響くだけで、人の気配が感じられない。
日中はあんなに賑やかだったのに……
いよいよ自分が一人ぼっちになってしまったような気がして、鼻の奥にツンとした痛みを感じる。今日は朝から情緒不安定極まりない。いい大人が、こうも日に何度も泣きべそをかくなんて、恥ずかしさを通り越して惨めだ。
仄暗い廊下を一ヶ所、柔らかな明かりが照らしている。ふと足を止め、そこが食堂であること、そういえば前もこんなことがあったような気がすると、遠い記憶を手繰り寄せる。
あぁ、そうだ。
きっと、今夜もいるかもしれない。
いつもツラい時は、よく泣き言を聞いてもらったっけ。
夢か現か分からない記憶を頼りに、誘われるようにドアを開ける。
「あれ、〇〇。どしたの?」
お決まりの帽子を被り、ダイニングテーブルに一人座るペンギン。机には湯気をたてるマグカップと、読みかけの本が置かれている。一言も発しない私を見て、何かを察したのか、ペンギンは穏やかな口調で続ける。
「そこ寒いし、中入れば?〇〇も何か飲むか?」
「……じの。」
「ん?」
「ペンギンと同じの。牛乳にブランデーいれたやつ飲みたい……。」
「!」
自分が手繰り寄せた記憶の答え合わせのつもりと、ペンギンにはワガママを言っても許される気がして、記憶を失ってから初めて素直な甘えを吐露する。ペンギンは帽子を目深に被っており表情は見えないが、明らかに驚いた様子だった。ただ、そこからは「そーか、そーか。おまえもコレ好きだもんなぁ」と嬉しそうに、厨房に姿を消す。
どうやら答え合わせは「正解」だったようだ。
こうやってペンギンと夜の食堂で話し込んでいる記憶の中の私は、くるくると表情を変えながら悩みや愚痴を吐き出し、幾夜も大先輩の胸を借りてきたのだろう。話のお供にブランデーとハチミツが入った温かいミルクを用意して。
ペンギンが厨房に姿を消している間に、彼のはす向かいに腰かける。ペンギンのマグカップは、既に中身が半分程だ。いったいどれくらいここで読書しているのだろうと、彼の読んでいた本のタイトルを見ようと顔を近づけたところで、「はい、どうぞ」と湯気をたてたマグカップが小さく音を立ててテーブルに置かれる。ふわりとブランデーの甘い匂いが届くと、臨戦態勢の涙腺と鼻腔の鈍い痛みが薄れていくようだった。
ふうふう冷ましながら、温かいミルクを喉に運ぶ。ペンギンは、毛を逆立てている子猫を見守る母猫のように私をじっと見守るだけだ。
「あ、随分と懐かしいもの持ってんね。」
最初に静寂を破ったのはペンギンで、テーブルに置かれた私の日記帳に手を伸ばし、人差し指でトントンと軽く叩く。
「懐かしい?」
「あぁ、そっか。これは、おれと街に出た時に買ったのよ。覚えてねェ?」
思わずマグカップを持つ手を止めて、ペンギンを凝視する。ペンギンは「そんなに見つめられると、穴が開いちゃう」と体をくねらせて軽口を叩くも、私が睨み付けると、肩をすくめて素直に続ける。
「芸術が盛んな街に降りたとき、一緒に買い出しに行って、偶然通りかかった古書店に売ってたんだよ。おまえの、その日記帳。
なんでも、すごく特殊な紙漉きの技法らしくてな。嘘か本当か、濡れても破けない、色褪せない、燃えないんだと。
結構な金額だったんだけど、どうしても欲しいって有り金はたいて買ってたよ。いつかお婆ちゃんになって記憶が薄れても、この船での思い出をずっと手元に残しておきたいんだってさ。」
そんなに高価なものだったのか……
そして当時の自分の気持ちを知った今、この日記帳を邪険に扱うこともできなくなってしまった。振り上げた拳の行き場に困り、罪のない日記帳に対して謝意を込めて表紙をひと撫でする。
「で、その日記帳をキャプテンから渡されたものの真意が分からなくて、イライラ、オロオロしてたってところか?」
「……なっ、に、を。」
予想だにしないペンギンからのカウンター。咄嗟に取り繕おうとするも逆効果で、あまりに歯切れの悪い私の言葉に、ペンギンは呆れたように笑う。
「あの人も言葉足らずだからなぁ。キャプテンは今も昔も目の前にいるおまえを大事にしているよ。ここ数日で、それはおまえも分かってんだろ?」
「……でも、この日記帳に対して、すごく優しい目を向けてた。それって、この日記の中にいる私に向けての優しさだと思う。」
ペンギンは空になったマグカップをコトリと置く。表情は見えないが、少しだけ空気がピンと張りつめた。何か気に触るようなことを言っただろうか、多少トゲのある言い方だが、それでも慎重に言葉を選びながらペンギンは続ける。
「……おまえさぁ、気付いてんの?」
「何が?」
「それ『嫉妬』だよ。自分に嫉妬してんの。」
* * *
「……そんな、こと、急に言われても。」
「なんだ、答えが聞きたくて来たんじゃねェのか?」
ローは意地悪く笑うと、そのまま私から視線を外す。その一連の行動全てが、私の戸惑いを汲み取って、私がこの場から逃げ出す「隙」をわざわざ作ってくれているのだろう。彼の不器用な優しさは、ここ数日生活を共にする中で流石に私も分かるようになってきた。
ローが私に掛けてくれた言葉が、嘘偽りないことは分かっている。ベッドに腰かけたまま、ずっとローと向き合う形でいたが、居たたまれなくなって体を正面に戻す。全身強ばらせて無理な姿勢を続けたからだろう、体をあるべき姿勢に戻すと自然と深い呼吸になる。良くも悪くも深呼吸できたことで、少しだけ周りを見る余裕も生まれた。
ベッドに手をついた拍子に、左手に何か固いものが触れる。枕の下から茶色い角張ったものが見え、よくよく目をこらすとそれが本の背表紙だと気付く。ローもつられて視線を移し、私の手に触れた対象物を視認すると、少しだけ目を見開いた。
「あ、ごめんなさい……。勝手に私物を。」
枕元にあるなんてプライベートなものだろう。ローの少し驚いた表情からも、他人が勝手に触れて良いものではないと思い、すぐさま謝罪と共に手を離す。
「……いや、問題ねェ。」
そう言った後、ローはしばらく逡巡していたようだったが、大きく一息吐くと決心したように立ち上がった。私の正面に立ち、腰を屈めてそっと枕の下から先程の本を取り出す。そのまま体を起こすついでに、私の手に本を乗せる。
「それは、お前の日記だ。」
「え?」
「いつも、楽しそうに寝る前に書いてた。もちろん、おれも中身は知らない。今まで見せなかったのは……」
一瞬、ローの瞳が僅かに揺れる。ただすぐ私に視線を戻すと続けた。
「これを読むことで、おまえに余計なプレッシャーを与えたくなかった。きっと、これを書いていた時のおまえと、今のおまえは感じ方も考え方も違う。それを押し付けたくねェ。ただ、それはもともとおまえのものだ。読むも読まないも好きにしたら良い。」
そこまで淀みなく言うと、ローは名残惜しそうに茶色い本をひと撫でして、手を放す。
ローの支えを失ったからか、この本に込められた思い出のせいなのか、私の手はずしりとした本の重さに沈む。
ここに、記憶を失う前の「私」がいる。
これは記憶を取り戻す大きな前進だ、読まない手はないだろう。
それは頭で分かっているが、どうにも釈然としない。私はページもめくらず、そのままじっと日記帳に視線を落とす。形容しがたい苛立ちが、沸々と腹の底で燻っているようだ。
原因は、そう。
この日記に対するローの言動全てが気に食わなかった。あんな愛しそうに、名残惜しそうに、過去の私に触れるな。
私のことをさっき「惚れた女」と言ったくせに。
そこまで思考が至って、ハッと我に返る。
そこからはあまり記憶はない……。
ローを一瞥することもなく「イッカクを待たせているから、部屋に戻ります。」と言い捨てて、部屋を飛び出したような気がする。
心臓が早鐘のようだ。
これじゃ、まるで……まるで……。
* * *
部屋を飛び出した時、ローが何か言おうとしたような気がするが、気が動転しているから錯覚・妄想の可能性も十二分にある。
まずは頭を冷やそうと、少し歩くスピードを落として自室に向かう。もう時間も時間だ……潜水艦特有の機械音が一定のリズムで響くだけで、人の気配が感じられない。
日中はあんなに賑やかだったのに……
いよいよ自分が一人ぼっちになってしまったような気がして、鼻の奥にツンとした痛みを感じる。今日は朝から情緒不安定極まりない。いい大人が、こうも日に何度も泣きべそをかくなんて、恥ずかしさを通り越して惨めだ。
仄暗い廊下を一ヶ所、柔らかな明かりが照らしている。ふと足を止め、そこが食堂であること、そういえば前もこんなことがあったような気がすると、遠い記憶を手繰り寄せる。
あぁ、そうだ。
きっと、今夜もいるかもしれない。
いつもツラい時は、よく泣き言を聞いてもらったっけ。
夢か現か分からない記憶を頼りに、誘われるようにドアを開ける。
「あれ、〇〇。どしたの?」
お決まりの帽子を被り、ダイニングテーブルに一人座るペンギン。机には湯気をたてるマグカップと、読みかけの本が置かれている。一言も発しない私を見て、何かを察したのか、ペンギンは穏やかな口調で続ける。
「そこ寒いし、中入れば?〇〇も何か飲むか?」
「……じの。」
「ん?」
「ペンギンと同じの。牛乳にブランデーいれたやつ飲みたい……。」
「!」
自分が手繰り寄せた記憶の答え合わせのつもりと、ペンギンにはワガママを言っても許される気がして、記憶を失ってから初めて素直な甘えを吐露する。ペンギンは帽子を目深に被っており表情は見えないが、明らかに驚いた様子だった。ただ、そこからは「そーか、そーか。おまえもコレ好きだもんなぁ」と嬉しそうに、厨房に姿を消す。
どうやら答え合わせは「正解」だったようだ。
こうやってペンギンと夜の食堂で話し込んでいる記憶の中の私は、くるくると表情を変えながら悩みや愚痴を吐き出し、幾夜も大先輩の胸を借りてきたのだろう。話のお供にブランデーとハチミツが入った温かいミルクを用意して。
ペンギンが厨房に姿を消している間に、彼のはす向かいに腰かける。ペンギンのマグカップは、既に中身が半分程だ。いったいどれくらいここで読書しているのだろうと、彼の読んでいた本のタイトルを見ようと顔を近づけたところで、「はい、どうぞ」と湯気をたてたマグカップが小さく音を立ててテーブルに置かれる。ふわりとブランデーの甘い匂いが届くと、臨戦態勢の涙腺と鼻腔の鈍い痛みが薄れていくようだった。
ふうふう冷ましながら、温かいミルクを喉に運ぶ。ペンギンは、毛を逆立てている子猫を見守る母猫のように私をじっと見守るだけだ。
「あ、随分と懐かしいもの持ってんね。」
最初に静寂を破ったのはペンギンで、テーブルに置かれた私の日記帳に手を伸ばし、人差し指でトントンと軽く叩く。
「懐かしい?」
「あぁ、そっか。これは、おれと街に出た時に買ったのよ。覚えてねェ?」
思わずマグカップを持つ手を止めて、ペンギンを凝視する。ペンギンは「そんなに見つめられると、穴が開いちゃう」と体をくねらせて軽口を叩くも、私が睨み付けると、肩をすくめて素直に続ける。
「芸術が盛んな街に降りたとき、一緒に買い出しに行って、偶然通りかかった古書店に売ってたんだよ。おまえの、その日記帳。
なんでも、すごく特殊な紙漉きの技法らしくてな。嘘か本当か、濡れても破けない、色褪せない、燃えないんだと。
結構な金額だったんだけど、どうしても欲しいって有り金はたいて買ってたよ。いつかお婆ちゃんになって記憶が薄れても、この船での思い出をずっと手元に残しておきたいんだってさ。」
そんなに高価なものだったのか……
そして当時の自分の気持ちを知った今、この日記帳を邪険に扱うこともできなくなってしまった。振り上げた拳の行き場に困り、罪のない日記帳に対して謝意を込めて表紙をひと撫でする。
「で、その日記帳をキャプテンから渡されたものの真意が分からなくて、イライラ、オロオロしてたってところか?」
「……なっ、に、を。」
予想だにしないペンギンからのカウンター。咄嗟に取り繕おうとするも逆効果で、あまりに歯切れの悪い私の言葉に、ペンギンは呆れたように笑う。
「あの人も言葉足らずだからなぁ。キャプテンは今も昔も目の前にいるおまえを大事にしているよ。ここ数日で、それはおまえも分かってんだろ?」
「……でも、この日記帳に対して、すごく優しい目を向けてた。それって、この日記の中にいる私に向けての優しさだと思う。」
ペンギンは空になったマグカップをコトリと置く。表情は見えないが、少しだけ空気がピンと張りつめた。何か気に触るようなことを言っただろうか、多少トゲのある言い方だが、それでも慎重に言葉を選びながらペンギンは続ける。
「……おまえさぁ、気付いてんの?」
「何が?」
「それ『嫉妬』だよ。自分に嫉妬してんの。」