Short(短編)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「これで酒とつまみを適当に頼む」
落ち着いた声と、トンとテーブルに物が置かれた音。
港から程なく近い行きつけの食堂、定位置のカウンターの端で遅めの昼食をとっていた私は、一席空けて隣に立った男に条件反射でチラリと視線を向ける。
おぉ、札束。
音の正体は無造作に置かれた札束。
マスターは驚くこともなく、札束の枚数を慣れた手付きでパラパラと確認する。満足のいく枚数だったのか、にこやかに頷くと厨房に声をかけるため奥に引っ込んだ。
随分と羽振りが良い男だなと、その顔を見ようと更に視線を上げる。
まぁ、随分と整った顔だこと。
それが最初の感想、次に目についたのは世の中の全てが不満だといわんばかりの眉間の皺。全身を守るように入れられた刺青が、いっそう男の鋭さを助長している。
鍛えられた肉体に飾り気のない白いシャツ、目深にかぶった帽子、強い眼光とよく通った鼻筋が印象的な男だ。
まぁ、堅気ではなさそうだけど。
でも、こういう登場人物の方が読者は喜ぶのか……
明日には担当編集から連絡がくる。次の話の構想を粗削りでも考えておかなければ……。明日が編集者の叱責に耐える日になるのか、褒められて手土産片手に気分よく帰宅できるかは全て今日の努力次第なのだ。
目の前の真っ白なノートに愛用のペンで無意味な丸をくるくると書き、無意識の手遊びを続けながら考える。
先ほど無造作にカウンターに置かれた札束と、対応に慣れたマスターを見ていても、おそらくこの男は街の重要な収入源、海賊関係者の一人なのだろう。
「キャプテン、女の子も呼んでいいですか!」
「キャプテン、ワンチャン朝帰りになっても良いですか!」
キャプテン……しかも「船長」ときた。
突如背後に現れたペンギンのマスコット付きの帽子の男性と細身のサングラスがよく似合う男性は二人仲良く肩を組みながら、キャプテンと呼ばれる男性に声をかける。
「勝手にしろ。……ま、いつも通りの結果になるんじゃないか。」
彼らのキャプテンは、浅く腰かけたスツールをくるりと反転させ、二人の正面に向き直ると薄く笑って付け加える。
おぉ、煽り上手!!
思わず変に感動してしまう。
整った顔立ちで煽り上手とか、読者に人気出そう。
作品の新たな可能性を早速メモしようとノートに向き合うが、ふと横からの視線を感じて顔を上げる。
「あ、おねーさん。こっち向いてくれた!」
目の前には先ほどの二人組のペンギン帽が至近距離に。
「ねぇ、俺ペンギンって言うの。おねーさん、一緒に飲まない?」
「あ、ずりぃ!俺はシャチ。おねーさん、なにしてんの?」
彼らのキャプテンと私の間にあった空席にペンギンとシャチと呼ばれる二人組は仲良く椅子を半分こにして腰かけている……仲良しか。
彼らから色んな話を聞いてみるのも刺激になって良いだろう。彼らが期待する朝帰りのお手伝いはできないだろうが、酒飲み相手なら問題ない。
「私で良ければ、お話しする?」
ひと昔前のモテる女の仕草と言われればそれまでだが、以前担当編集に「〇〇さん、飾り気ないんだから、せめてクロスの法則くらいは覚えておいて!!」と教え込まれた妙技を披露する時がきた。
利き手で反対側の耳に髪をかけながら、口元に笑みを浮かべ答える。私の張りぼてのような大人の余裕に「おねーさん、かっこいー!」「俺と、俺とっ!朝までお話しようぜっ」とやんややんやと喜ぶ二人。
担当編集の言うことは、たまには聞いてみるものだなと心の片隅で感謝していたところに、厨房から店一推しの高級ボトルとグラスを手にマスターが戻ってくる。ボトルがテーブルに置かれた瞬間、試合のゴングは鳴らされて、ペンギン達との酒飲み対決が開始した。
* * *
「あ~、キャプテン!聞いてくださいよ。〇〇ちゃんってば、めちゃくちゃ酒強いんですよ~。」
カウンターでマスター相手に、この島のログが溜まる期間や、近隣の海軍情報など知りたいことは大体聞けた。この島自体に海軍支部がないことは知っていたが、物資供給には重宝される位置のようで、海軍の船自体は思いの外、利用頻度が多いようだ。ログが溜まるのは約1週間。直近海軍がこの島に立ち寄ったのはおれ達の入港の少し前とのことなので、滞在中に出くわすこともなさそうだった。
「ね~、キャプテン聞いてます~。〇〇ちゃん、年上だけど話しやすくて可愛いんですよぉ~。あ~、彼女欲しい~。〇〇ちゃんによしよしされたい~。」
今、おれはペンギンとシャチがご機嫌で語る〇〇によって潰され床に転がった二人を、自身の能力でポーラータング号の甲板に連れてきたところだった。部屋に運ぶまで世話を焼く気にもなれず、適当に二人を甲板に転がし、自分も涼もうと甲板に座り足を伸ばす。
〇〇という女はペンギン達とハイペースで酒を飲みながら、何やら盛り上がって話し続けていたようだ。二人はあわよくば、そのまま……と考えていたようだが、おれの予想通りいつものように女に振られ、現におれの手によって甲板に転がされている。
あの〇〇という女は何者なのだろう。
商売女の匂いはしないが、海賊相手に物怖じしない変な度胸としなやかさがある。多少興味が湧いたが、ペンギンやシャチと一緒になって三人がかりで口説き落とすような情けない真似は御免だったので、今回は静観を決め込んだ。
「でも、キャプテンも一緒に話せば良かったのに~。だって、なぁ……」
「そうそう、何たってキャプテンも愛読している『海の戦士ソラ』のリメイク版を執筆している作家先生ですよ~」
「は?」
ペンギンとシャチのヘラヘラとした会話に聞き捨てならない単語を拾い、思わず二人を凝視する。
「だ~か~ら~。今、世界経済新聞で連載されてる『海の戦士ソラ』のスピンオフを書いてる新進気鋭の作家が〇〇ちゃん、なんスよ~。」
ご丁寧にシャチがもう一度説明してくれる。
海軍や同業達の動きを知るためにも、おれは定期的にニュースクーから世界経済新聞を買い求めている。そこで数ヶ月前から隔週連載が始まったのが、シャチとペンギンが言う『海の戦士ソラ』のスピンオフ作品だ。これまで適役として描かれていたジェルマ66に焦点を当て、何故ソラに挑むのか、ジェルマの葛藤や目的も描かれている。『海の戦士ソラ』を読んで育ったガキ達は既におれくらいの年齢だろう。おれ達世代をターゲットにしているのか、緻密な戦闘描写や悪役目線で描かれる心の葛藤がリアリティーに溢れており、連載がある週はまず先に目を通す記事だ。
その作者が、〇〇だと……?
あまりに衝撃的な事実に脳が処理しきれていない。ただ、不本意ながらも〇〇という女に対する興味が増したのは事実だ。
もう一度会えねぇものだろうか。
あの作品を産み出した〇〇の頭の中を覗いてみたいと思う。
少しずつ水平線が白んでくる。明日やるべきことが決まったからには少しでも体を休めておこう。甲板の二人を一瞥し、一晩そのままでも風邪をひくような気候ではないと判断すると、不寝番に気が向いたら二人を起こすようにと一声かけて、仮眠をとるべく船長室に戻った。
* * *
「あー……疲れた。」
昨晩はペンギンとシャチ相手に大量のアルコールを摂取し、肝臓が悲鳴をあげている。アルコールの分解に全てのエネルギーが搾取されているようで、重い足取りで昨日もお世話になった食堂の扉を開ける。
昨日はランチを外した遅い入店だったが、今日は逆に営業間もない時刻で、昼食前にコーヒーを飲みたいという物静かな客ばかりだ。
扉を開け、マスターとすぐに目が合う。
小さく頷くと昨日も座ったカウンターの一番奥を顎で指す。マスターの気遣いに感謝しつつ、コーヒーのブラックを一杯頼んで、そのままカウンターに突っ伏した。
やばい、体力と睡魔の限界だ……
昨晩はペンギンとシャチを潰した後、そのまま店を後にし、夜通し小説のブロットを組んでいた。新たな登場人物は「海賊」。ジェルマ66が、作中でソラと対立する背景に、かつて共に過ごした海賊の存在があったのだ……という展開だ。
これには担当編集も大満足で、特にジェルマ66のかつての盟友となる海賊のキャラクターについて大変お褒めの言葉を頂いた次第である。
ただ、目の前の課題が解決すれば、次の課題もあるわけで...…。リアリティーと機微な心情描写が売りの連載小説だからこそ「〇〇先生、海賊の描写を書くにあたり取材先のアテはありますか?」という担当編集の当然の質問に、こちらも愛想笑いで「いやぁ、どうでしょうね。あはは……」と返さざるを得なかった。
どうしよう。
どうやったら書ける?
でも今は頭が働かない……
コーヒーが来るまで少しだけ目を瞑ろう。
そこまで考えると、私は意識を手放した。
* * *
昨日の店の前に来て、一瞬怖じ気づく。
〇〇がいるかも分からないのに、珍しく根拠も勝算もなく、思うがままに動いたからこそ自分の行動に躊躇いがあった。その時、後ろからコホンと咳払いが聞こえ、見ると老夫婦が入店のため自分の後ろに並んでいる。
仕方ない、と意を決して扉を開けると、すぐに昨日のマスターと目が合った。マスターは少しだけ目を見開くと、すぐに後ろの老夫婦と俺が無関係で、俺がクルーを連れずに一人で来たことを察したのか、一瞬考える素振りをしてから、そっと昨日と同じカウンター席を顎で指した。
スツールに腰かけるが、酒を頼む気にはなれず、アイスコーヒーを一杯頼む。
昨日〇〇が座っていた席には、突っ伏した女が静かに寝息を立てており、傍らに置かれたコーヒーカップはなみなみと黒い液体が入っているものの湯気一つ出ていない。
こいつ、どれだけ寝てるんだ。
昼間からだらしない女だなと妙な苛立ちと、店内に〇〇がいない落胆から思わず舌打ちする。
マスターはアイスコーヒーをカウンターに置き、寝ている女をチラと見ると、女が起きないよう声を潜めて話し出した。
「貴方が探しているのが〇〇ならば、そこの彼女がそうですよ。……彼女が物書きなのは貴方も既にご存知だと思いますが、大抵締め切りや打ち合わせ前に行き詰まるとここに来て、閃いたらいつの間にか帰って夜通し作業し、峠を越えるとまた来てコーヒーを飲みながら、寝ています。」
マスターにとっては見慣れた光景なのか、言い淀むことなく淡々と説明する。まさか探し人は既におり、おれの神経を逆撫でした奴だとは……。溜め息をつきつつ、ただこの女の睡眠という犠牲の名のもとにあの名作が産み出されるならば仕方ないと、アイスコーヒーを飲みながら〇〇が目を覚ますのを待つことにした。
* * *
「っ……。」
無理な姿勢で仮眠をとったからか、肩から腰が強張っており顔を上げた拍子に鈍く痛んだ。起き抜けに目の前の冷えきったホットコーヒーをアイスコーヒーの代わりに飲む。最初からアイスコーヒーを頼むと、起きた時に氷で薄まってたり、且つグラスの露でカウンターがびしょ濡れになってたりと、失敗を通して学んだ私の最善策だ。
苦味が口中に広がり、ようやく頭が少しずつ覚醒する。この後は空きっ腹に軽く何か入れてから帰ろうか、と考えていたら隣から声をかけられた。
「随分と長い仮眠だな。」
声のする方を見ると、ちょうど昨日のこれくらいの時間に会った男が目の前にいる。シャチとペンギンの船のキャプテンだ。長い足を組み、読んでいた本をそっとカウンターに置くと、じっとこちらを食い入るように見ている。
「え、なに?昨日潰れた二人のお礼参り?」
これくらいで海賊は報復するわけ?と目の前の海賊の逆鱗に触れてしまった可能性に背筋が寒くなる。当の本人はゆっくりとかぶりを振ると、重々しく口を開いた。
「……違う。おまえに聞きたいことがある。クルー達に聞いたが、おまえは、その……」
いかつい風貌の割に、言葉の歯切れが悪い。ふと昨夜、ペンギンとシャチが話していた内容を思い出して、合点がいった。
「〇〇ちゃん、『海の戦士ソラ』のリメイク書いてる作家先生なの!?そりゃ、うちのキャプテンが聞いたら泣いて喜ぶなぁ。」
「そうそう!キャプテン、あれが好きでニュースクーが来る日なんて朝からそわそわしてるから。」
なるほど……。
彼らから私の職業を聞いて会いに来たものの、どう切り出して良いか分からないといったところか。
そう思うと、急にこの身長190㎝をゆうに超える美丈夫に子どもの面影を垣間見ることができて、ぐっと精神的な距離が近くなった。そんな私の一方的な親近感が自然と次の言葉を紡ぐ。
「ねぇ。この後、時間ある?」
落ち着いた声と、トンとテーブルに物が置かれた音。
港から程なく近い行きつけの食堂、定位置のカウンターの端で遅めの昼食をとっていた私は、一席空けて隣に立った男に条件反射でチラリと視線を向ける。
おぉ、札束。
音の正体は無造作に置かれた札束。
マスターは驚くこともなく、札束の枚数を慣れた手付きでパラパラと確認する。満足のいく枚数だったのか、にこやかに頷くと厨房に声をかけるため奥に引っ込んだ。
随分と羽振りが良い男だなと、その顔を見ようと更に視線を上げる。
まぁ、随分と整った顔だこと。
それが最初の感想、次に目についたのは世の中の全てが不満だといわんばかりの眉間の皺。全身を守るように入れられた刺青が、いっそう男の鋭さを助長している。
鍛えられた肉体に飾り気のない白いシャツ、目深にかぶった帽子、強い眼光とよく通った鼻筋が印象的な男だ。
まぁ、堅気ではなさそうだけど。
でも、こういう登場人物の方が読者は喜ぶのか……
明日には担当編集から連絡がくる。次の話の構想を粗削りでも考えておかなければ……。明日が編集者の叱責に耐える日になるのか、褒められて手土産片手に気分よく帰宅できるかは全て今日の努力次第なのだ。
目の前の真っ白なノートに愛用のペンで無意味な丸をくるくると書き、無意識の手遊びを続けながら考える。
先ほど無造作にカウンターに置かれた札束と、対応に慣れたマスターを見ていても、おそらくこの男は街の重要な収入源、海賊関係者の一人なのだろう。
「キャプテン、女の子も呼んでいいですか!」
「キャプテン、ワンチャン朝帰りになっても良いですか!」
キャプテン……しかも「船長」ときた。
突如背後に現れたペンギンのマスコット付きの帽子の男性と細身のサングラスがよく似合う男性は二人仲良く肩を組みながら、キャプテンと呼ばれる男性に声をかける。
「勝手にしろ。……ま、いつも通りの結果になるんじゃないか。」
彼らのキャプテンは、浅く腰かけたスツールをくるりと反転させ、二人の正面に向き直ると薄く笑って付け加える。
おぉ、煽り上手!!
思わず変に感動してしまう。
整った顔立ちで煽り上手とか、読者に人気出そう。
作品の新たな可能性を早速メモしようとノートに向き合うが、ふと横からの視線を感じて顔を上げる。
「あ、おねーさん。こっち向いてくれた!」
目の前には先ほどの二人組のペンギン帽が至近距離に。
「ねぇ、俺ペンギンって言うの。おねーさん、一緒に飲まない?」
「あ、ずりぃ!俺はシャチ。おねーさん、なにしてんの?」
彼らのキャプテンと私の間にあった空席にペンギンとシャチと呼ばれる二人組は仲良く椅子を半分こにして腰かけている……仲良しか。
彼らから色んな話を聞いてみるのも刺激になって良いだろう。彼らが期待する朝帰りのお手伝いはできないだろうが、酒飲み相手なら問題ない。
「私で良ければ、お話しする?」
ひと昔前のモテる女の仕草と言われればそれまでだが、以前担当編集に「〇〇さん、飾り気ないんだから、せめてクロスの法則くらいは覚えておいて!!」と教え込まれた妙技を披露する時がきた。
利き手で反対側の耳に髪をかけながら、口元に笑みを浮かべ答える。私の張りぼてのような大人の余裕に「おねーさん、かっこいー!」「俺と、俺とっ!朝までお話しようぜっ」とやんややんやと喜ぶ二人。
担当編集の言うことは、たまには聞いてみるものだなと心の片隅で感謝していたところに、厨房から店一推しの高級ボトルとグラスを手にマスターが戻ってくる。ボトルがテーブルに置かれた瞬間、試合のゴングは鳴らされて、ペンギン達との酒飲み対決が開始した。
* * *
「あ~、キャプテン!聞いてくださいよ。〇〇ちゃんってば、めちゃくちゃ酒強いんですよ~。」
カウンターでマスター相手に、この島のログが溜まる期間や、近隣の海軍情報など知りたいことは大体聞けた。この島自体に海軍支部がないことは知っていたが、物資供給には重宝される位置のようで、海軍の船自体は思いの外、利用頻度が多いようだ。ログが溜まるのは約1週間。直近海軍がこの島に立ち寄ったのはおれ達の入港の少し前とのことなので、滞在中に出くわすこともなさそうだった。
「ね~、キャプテン聞いてます~。〇〇ちゃん、年上だけど話しやすくて可愛いんですよぉ~。あ~、彼女欲しい~。〇〇ちゃんによしよしされたい~。」
今、おれはペンギンとシャチがご機嫌で語る〇〇によって潰され床に転がった二人を、自身の能力でポーラータング号の甲板に連れてきたところだった。部屋に運ぶまで世話を焼く気にもなれず、適当に二人を甲板に転がし、自分も涼もうと甲板に座り足を伸ばす。
〇〇という女はペンギン達とハイペースで酒を飲みながら、何やら盛り上がって話し続けていたようだ。二人はあわよくば、そのまま……と考えていたようだが、おれの予想通りいつものように女に振られ、現におれの手によって甲板に転がされている。
あの〇〇という女は何者なのだろう。
商売女の匂いはしないが、海賊相手に物怖じしない変な度胸としなやかさがある。多少興味が湧いたが、ペンギンやシャチと一緒になって三人がかりで口説き落とすような情けない真似は御免だったので、今回は静観を決め込んだ。
「でも、キャプテンも一緒に話せば良かったのに~。だって、なぁ……」
「そうそう、何たってキャプテンも愛読している『海の戦士ソラ』のリメイク版を執筆している作家先生ですよ~」
「は?」
ペンギンとシャチのヘラヘラとした会話に聞き捨てならない単語を拾い、思わず二人を凝視する。
「だ~か~ら~。今、世界経済新聞で連載されてる『海の戦士ソラ』のスピンオフを書いてる新進気鋭の作家が〇〇ちゃん、なんスよ~。」
ご丁寧にシャチがもう一度説明してくれる。
海軍や同業達の動きを知るためにも、おれは定期的にニュースクーから世界経済新聞を買い求めている。そこで数ヶ月前から隔週連載が始まったのが、シャチとペンギンが言う『海の戦士ソラ』のスピンオフ作品だ。これまで適役として描かれていたジェルマ66に焦点を当て、何故ソラに挑むのか、ジェルマの葛藤や目的も描かれている。『海の戦士ソラ』を読んで育ったガキ達は既におれくらいの年齢だろう。おれ達世代をターゲットにしているのか、緻密な戦闘描写や悪役目線で描かれる心の葛藤がリアリティーに溢れており、連載がある週はまず先に目を通す記事だ。
その作者が、〇〇だと……?
あまりに衝撃的な事実に脳が処理しきれていない。ただ、不本意ながらも〇〇という女に対する興味が増したのは事実だ。
もう一度会えねぇものだろうか。
あの作品を産み出した〇〇の頭の中を覗いてみたいと思う。
少しずつ水平線が白んでくる。明日やるべきことが決まったからには少しでも体を休めておこう。甲板の二人を一瞥し、一晩そのままでも風邪をひくような気候ではないと判断すると、不寝番に気が向いたら二人を起こすようにと一声かけて、仮眠をとるべく船長室に戻った。
* * *
「あー……疲れた。」
昨晩はペンギンとシャチ相手に大量のアルコールを摂取し、肝臓が悲鳴をあげている。アルコールの分解に全てのエネルギーが搾取されているようで、重い足取りで昨日もお世話になった食堂の扉を開ける。
昨日はランチを外した遅い入店だったが、今日は逆に営業間もない時刻で、昼食前にコーヒーを飲みたいという物静かな客ばかりだ。
扉を開け、マスターとすぐに目が合う。
小さく頷くと昨日も座ったカウンターの一番奥を顎で指す。マスターの気遣いに感謝しつつ、コーヒーのブラックを一杯頼んで、そのままカウンターに突っ伏した。
やばい、体力と睡魔の限界だ……
昨晩はペンギンとシャチを潰した後、そのまま店を後にし、夜通し小説のブロットを組んでいた。新たな登場人物は「海賊」。ジェルマ66が、作中でソラと対立する背景に、かつて共に過ごした海賊の存在があったのだ……という展開だ。
これには担当編集も大満足で、特にジェルマ66のかつての盟友となる海賊のキャラクターについて大変お褒めの言葉を頂いた次第である。
ただ、目の前の課題が解決すれば、次の課題もあるわけで...…。リアリティーと機微な心情描写が売りの連載小説だからこそ「〇〇先生、海賊の描写を書くにあたり取材先のアテはありますか?」という担当編集の当然の質問に、こちらも愛想笑いで「いやぁ、どうでしょうね。あはは……」と返さざるを得なかった。
どうしよう。
どうやったら書ける?
でも今は頭が働かない……
コーヒーが来るまで少しだけ目を瞑ろう。
そこまで考えると、私は意識を手放した。
* * *
昨日の店の前に来て、一瞬怖じ気づく。
〇〇がいるかも分からないのに、珍しく根拠も勝算もなく、思うがままに動いたからこそ自分の行動に躊躇いがあった。その時、後ろからコホンと咳払いが聞こえ、見ると老夫婦が入店のため自分の後ろに並んでいる。
仕方ない、と意を決して扉を開けると、すぐに昨日のマスターと目が合った。マスターは少しだけ目を見開くと、すぐに後ろの老夫婦と俺が無関係で、俺がクルーを連れずに一人で来たことを察したのか、一瞬考える素振りをしてから、そっと昨日と同じカウンター席を顎で指した。
スツールに腰かけるが、酒を頼む気にはなれず、アイスコーヒーを一杯頼む。
昨日〇〇が座っていた席には、突っ伏した女が静かに寝息を立てており、傍らに置かれたコーヒーカップはなみなみと黒い液体が入っているものの湯気一つ出ていない。
こいつ、どれだけ寝てるんだ。
昼間からだらしない女だなと妙な苛立ちと、店内に〇〇がいない落胆から思わず舌打ちする。
マスターはアイスコーヒーをカウンターに置き、寝ている女をチラと見ると、女が起きないよう声を潜めて話し出した。
「貴方が探しているのが〇〇ならば、そこの彼女がそうですよ。……彼女が物書きなのは貴方も既にご存知だと思いますが、大抵締め切りや打ち合わせ前に行き詰まるとここに来て、閃いたらいつの間にか帰って夜通し作業し、峠を越えるとまた来てコーヒーを飲みながら、寝ています。」
マスターにとっては見慣れた光景なのか、言い淀むことなく淡々と説明する。まさか探し人は既におり、おれの神経を逆撫でした奴だとは……。溜め息をつきつつ、ただこの女の睡眠という犠牲の名のもとにあの名作が産み出されるならば仕方ないと、アイスコーヒーを飲みながら〇〇が目を覚ますのを待つことにした。
* * *
「っ……。」
無理な姿勢で仮眠をとったからか、肩から腰が強張っており顔を上げた拍子に鈍く痛んだ。起き抜けに目の前の冷えきったホットコーヒーをアイスコーヒーの代わりに飲む。最初からアイスコーヒーを頼むと、起きた時に氷で薄まってたり、且つグラスの露でカウンターがびしょ濡れになってたりと、失敗を通して学んだ私の最善策だ。
苦味が口中に広がり、ようやく頭が少しずつ覚醒する。この後は空きっ腹に軽く何か入れてから帰ろうか、と考えていたら隣から声をかけられた。
「随分と長い仮眠だな。」
声のする方を見ると、ちょうど昨日のこれくらいの時間に会った男が目の前にいる。シャチとペンギンの船のキャプテンだ。長い足を組み、読んでいた本をそっとカウンターに置くと、じっとこちらを食い入るように見ている。
「え、なに?昨日潰れた二人のお礼参り?」
これくらいで海賊は報復するわけ?と目の前の海賊の逆鱗に触れてしまった可能性に背筋が寒くなる。当の本人はゆっくりとかぶりを振ると、重々しく口を開いた。
「……違う。おまえに聞きたいことがある。クルー達に聞いたが、おまえは、その……」
いかつい風貌の割に、言葉の歯切れが悪い。ふと昨夜、ペンギンとシャチが話していた内容を思い出して、合点がいった。
「〇〇ちゃん、『海の戦士ソラ』のリメイク書いてる作家先生なの!?そりゃ、うちのキャプテンが聞いたら泣いて喜ぶなぁ。」
「そうそう!キャプテン、あれが好きでニュースクーが来る日なんて朝からそわそわしてるから。」
なるほど……。
彼らから私の職業を聞いて会いに来たものの、どう切り出して良いか分からないといったところか。
そう思うと、急にこの身長190㎝をゆうに超える美丈夫に子どもの面影を垣間見ることができて、ぐっと精神的な距離が近くなった。そんな私の一方的な親近感が自然と次の言葉を紡ぐ。
「ねぇ。この後、時間ある?」