艶紅
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「まったくもって、何故私が…」
忍術学園の実技担当教師である山田伝蔵は、依然として歩みを緩めることなく独りごちた。
明日以降の授業の準備も済んでおり、珍しく仕事に追われない休日。今日は久しぶりに読書でもするかと思っていた矢先に学園長に呼び出されたのだ。
「伝蔵、ちょっと良いかの?」
良くない。
断じて良くないのだが、我儘でいい加減な老人から雇用される側である以上、断る術はない。
聞けば、案の定思いつきから始まった「学年混合忍術トライアスロン」なるイベントをするにあたり、現場の視察を依頼されたのである。
で、場面は冒頭に戻るわけだ。
(思ったより、範囲が広い。土井先生がいれば手伝ってもらうのだが…)
土井先生は朝から外出しており、姿を見ていない。おそらくきり丸のアルバイトのお目付け役か、もしくは実働部隊として駆り出されているのだろう。
「まずい、まずいぞ…」
ふと耳慣れた声と視界の端に見慣れた着物が目に留まる。今まさに思いを巡らせた張本人。土井半助の姿がそこにあった。
(こんな山奥に?半助が…?)
咄嗟に音を立てずに木の影に身を潜める。彼はこちらに気が付かないのか、かなり焦った様子で駆けていく。彼の姿を見送った後、林道に戻ると足元に小さな包みが落ちていた。
「半助が落としたものか…」
包みを落としたことにも気づかず、こちらの気配にも気づかないとは…忍術学園の教師ともあろうものが…とやや説教モードになるも、尋常ではない焦りっぷりだったと思いだす。何か非常事態でもあったのだろうか、そういえば朝から血相を変えて外出していたなと思いだす。
届けてやろうにも行き先が分からない。手元の包みに何か手がかりでもあればと思い、開けてみる。
「!」
そこにあったのは小さな白い蓋つきの陶器。
そして図らずも蓋を開けずとも、山田伝蔵は中身を知っていた。
艶紅だ。
実は、少し前に同じものを見かけているのだ。
偶然、忍術学園に立ち寄った息子、利吉が同じ陶器を持っていた。
今、町で流行りの艶紅で非常に色が鮮やかだという。商品が出れば、大店の奥方から町娘まで、店に列を成すほどだ、と。なかなか化粧品を揃えることも難しい場所に住む、母親に贈るのだという。「それもこれもなかなか帰らない父上のせいですよ、本来であれば夫から贈るのが筋というものです。」と少し冷めた目で見られたのは言うまでもない。
(そんな稀少価値の高い艶紅を、半助が…)
求めた理由は分からない。しかし、半助がとり乱しながら駆けていった理由には恐らくこの紅が関係しているのだろう。そしてその紅は持ち主の手を離れ、今は私の手の中にある。
「やれやれ…」
心の中で面倒なことになったという思いと、いったい半助は誰のためにこの紅を求めたのだろうという好奇心が沸き上がる。かつて韋駄天と謳われた速さをもって、山田伝蔵は林道を駆け抜けた。
* * *
(まずい、まずいぞ。これはまずい…。)
かれこれ四半刻(30分)程、全速力で走り続けているが、未だ待ち合わせ場所には到着できていない。町で買い物をしてから待ち合わせの場所まで、自身が本気を出して走れば十分間に合うだろうと考えていたのが、大きな間違いだった。それだけ艶紅を購入するのに、思わぬ時間がかかり、苦労してしまったのだ。
「朝早く出たんだけどな…。」
思うように上手くいかない自分に嫌気がさし、自然と声が漏れる。今日は早起きをして、生徒達に気付かれないうちに小松田君に外出届を出し、学園を出たのだが…、それもこれも流行に疎いが故に目測を誤った自分が恨めしい。
(〇〇先生はもう待っているだろうか)
想い人の姿を思い浮かべる。〇〇先生は忍術学園の同僚である。彼女はくの一教室の担任である山本シナ先生の補助を勤めている。非常勤講師であり、授業のない時期は利吉くん同様にフリーの忍として生計を立てていると聞く。そんな彼女に懸想したのは、いつからだったのか…。
彼女はとてもバランス感覚に優れていると思う。
それは筋力等の身体的な話ではない。現役で忍を務める彼女は、調査・斥候・暗殺まで請け負っており任務は幅広い。忍としての冷静で時に非情とも言える感覚と、純真無垢な生徒達に愛情と希望を持って接している姿に惹かれた。この相反する感覚を自身の中でコントロールするのは至難の業であり、昔同じように忍として活動していた自分には出来なかったことだ。
最初は憧れから始まったが、次第に柔らかな笑顔や気立てのよい人柄に惹かれ、今では彼女とのちょっとした会話や過ごす時間を大切にしている自分に気付いたのだ。
かといって、別に思いを告げるつもりはなかった。しかし1年は組の良い子達が「利吉さんって、絶対〇〇先生のこと好きだよな」とか、「6年生達がまた〇〇先生の部屋に入り浸っている」とか、良からぬ噂話ばかり耳に入るのだ。それを冷静に受け流せるほど、色恋については経験が乏しいため大人になれない。
(誰かのものになってしまう姿を想像して、悶々とするくらいであれば…)
だったらダメでもともと、せめて自分の想いは伝えてみよう、と思ったのが事の発端である。上手い誘い文句も見つからず、「〇〇先生、あのぅ…、少しお時間を休日にいただけませんか?」と奥歯に物が挟まったような言い方で、何とか約束をとりつけたのだ。
(せめて想いを伝える際は、はっきりビシッと伝えないと…)
* * *
ようやく視界に見知った着物が見えた。道に残った足跡と踏まれた木の葉や枝から半助が駆けていった方角に当たりをつけ、追いかけた結果だ。気付かれないよう、姿勢を低くし茂みに身を潜める。
(はて、半助一人か?)
少しだけ視線を先に向けると、よく見知った人物がいた。
(〇〇先生?)
(艶紅の相手は〇〇先生だったのか…。)
十中八九、想像の通りの関係、つまりは半助の片恋だとは思うが、別の可能性も必死で探す。二人の仲を認めないわけではない、寧ろ息子のように目をかけている半助と、真面目で誠実な働き者の〇〇先生であれば、心からお似合いだと思うし、祝福したい。
ただこの手の内容に疎い半助が、自分の気付かないところで色恋に現を抜かしていたことが、何ともしてやられた気がして素直に喜べないのだ。
「〇〇先生、お待たせしてしまいスミマセン。」
「土井先生、お疲れ様です」とサラリと流す〇〇先生。
半助を見ると、胃のあたりを押さえ、血の気の引いた顔をしながら必死で笑顔を張り付けている。
(おいおい…、それが懸想する女に見せる顔か。)
半分呆れて、もう半分は不甲斐ない半助の様子に気が気ではなくて、山田伝蔵はため息をつく。こちらが胃が痛くなりそうだ…。たかだか四半刻走ったくらいで、腹が痛くなるようなタマではない。おそらく現在、極度の緊張に見舞われているのだろう。
朝早くから学園を出て買い求めた艶紅。
極度に緊張した半助。
(ふむ、なるほどなぁ…)
この密会が何のために設けられたものか大方予想はついた。最近、任務の帰りに利吉が学園に立ち寄る回数も増えた。よく〇〇先生と任務で一緒になることもあるようで、その段取り等で打ち合わせをしていた。その様子を複雑な面持ちで見ていた半助だが、その理由も合点がいく。
(ふふっ…、あれは悋気か。)
切り札の艶紅がないことにも気が付いていない半助を見ながら、山田伝蔵は再度やれやれと言って、重い腰を上げた。
忍術学園の実技担当教師である山田伝蔵は、依然として歩みを緩めることなく独りごちた。
明日以降の授業の準備も済んでおり、珍しく仕事に追われない休日。今日は久しぶりに読書でもするかと思っていた矢先に学園長に呼び出されたのだ。
「伝蔵、ちょっと良いかの?」
良くない。
断じて良くないのだが、我儘でいい加減な老人から雇用される側である以上、断る術はない。
聞けば、案の定思いつきから始まった「学年混合忍術トライアスロン」なるイベントをするにあたり、現場の視察を依頼されたのである。
で、場面は冒頭に戻るわけだ。
(思ったより、範囲が広い。土井先生がいれば手伝ってもらうのだが…)
土井先生は朝から外出しており、姿を見ていない。おそらくきり丸のアルバイトのお目付け役か、もしくは実働部隊として駆り出されているのだろう。
「まずい、まずいぞ…」
ふと耳慣れた声と視界の端に見慣れた着物が目に留まる。今まさに思いを巡らせた張本人。土井半助の姿がそこにあった。
(こんな山奥に?半助が…?)
咄嗟に音を立てずに木の影に身を潜める。彼はこちらに気が付かないのか、かなり焦った様子で駆けていく。彼の姿を見送った後、林道に戻ると足元に小さな包みが落ちていた。
「半助が落としたものか…」
包みを落としたことにも気づかず、こちらの気配にも気づかないとは…忍術学園の教師ともあろうものが…とやや説教モードになるも、尋常ではない焦りっぷりだったと思いだす。何か非常事態でもあったのだろうか、そういえば朝から血相を変えて外出していたなと思いだす。
届けてやろうにも行き先が分からない。手元の包みに何か手がかりでもあればと思い、開けてみる。
「!」
そこにあったのは小さな白い蓋つきの陶器。
そして図らずも蓋を開けずとも、山田伝蔵は中身を知っていた。
艶紅だ。
実は、少し前に同じものを見かけているのだ。
偶然、忍術学園に立ち寄った息子、利吉が同じ陶器を持っていた。
今、町で流行りの艶紅で非常に色が鮮やかだという。商品が出れば、大店の奥方から町娘まで、店に列を成すほどだ、と。なかなか化粧品を揃えることも難しい場所に住む、母親に贈るのだという。「それもこれもなかなか帰らない父上のせいですよ、本来であれば夫から贈るのが筋というものです。」と少し冷めた目で見られたのは言うまでもない。
(そんな稀少価値の高い艶紅を、半助が…)
求めた理由は分からない。しかし、半助がとり乱しながら駆けていった理由には恐らくこの紅が関係しているのだろう。そしてその紅は持ち主の手を離れ、今は私の手の中にある。
「やれやれ…」
心の中で面倒なことになったという思いと、いったい半助は誰のためにこの紅を求めたのだろうという好奇心が沸き上がる。かつて韋駄天と謳われた速さをもって、山田伝蔵は林道を駆け抜けた。
* * *
(まずい、まずいぞ。これはまずい…。)
かれこれ四半刻(30分)程、全速力で走り続けているが、未だ待ち合わせ場所には到着できていない。町で買い物をしてから待ち合わせの場所まで、自身が本気を出して走れば十分間に合うだろうと考えていたのが、大きな間違いだった。それだけ艶紅を購入するのに、思わぬ時間がかかり、苦労してしまったのだ。
「朝早く出たんだけどな…。」
思うように上手くいかない自分に嫌気がさし、自然と声が漏れる。今日は早起きをして、生徒達に気付かれないうちに小松田君に外出届を出し、学園を出たのだが…、それもこれも流行に疎いが故に目測を誤った自分が恨めしい。
(〇〇先生はもう待っているだろうか)
想い人の姿を思い浮かべる。〇〇先生は忍術学園の同僚である。彼女はくの一教室の担任である山本シナ先生の補助を勤めている。非常勤講師であり、授業のない時期は利吉くん同様にフリーの忍として生計を立てていると聞く。そんな彼女に懸想したのは、いつからだったのか…。
彼女はとてもバランス感覚に優れていると思う。
それは筋力等の身体的な話ではない。現役で忍を務める彼女は、調査・斥候・暗殺まで請け負っており任務は幅広い。忍としての冷静で時に非情とも言える感覚と、純真無垢な生徒達に愛情と希望を持って接している姿に惹かれた。この相反する感覚を自身の中でコントロールするのは至難の業であり、昔同じように忍として活動していた自分には出来なかったことだ。
最初は憧れから始まったが、次第に柔らかな笑顔や気立てのよい人柄に惹かれ、今では彼女とのちょっとした会話や過ごす時間を大切にしている自分に気付いたのだ。
かといって、別に思いを告げるつもりはなかった。しかし1年は組の良い子達が「利吉さんって、絶対〇〇先生のこと好きだよな」とか、「6年生達がまた〇〇先生の部屋に入り浸っている」とか、良からぬ噂話ばかり耳に入るのだ。それを冷静に受け流せるほど、色恋については経験が乏しいため大人になれない。
(誰かのものになってしまう姿を想像して、悶々とするくらいであれば…)
だったらダメでもともと、せめて自分の想いは伝えてみよう、と思ったのが事の発端である。上手い誘い文句も見つからず、「〇〇先生、あのぅ…、少しお時間を休日にいただけませんか?」と奥歯に物が挟まったような言い方で、何とか約束をとりつけたのだ。
(せめて想いを伝える際は、はっきりビシッと伝えないと…)
* * *
ようやく視界に見知った着物が見えた。道に残った足跡と踏まれた木の葉や枝から半助が駆けていった方角に当たりをつけ、追いかけた結果だ。気付かれないよう、姿勢を低くし茂みに身を潜める。
(はて、半助一人か?)
少しだけ視線を先に向けると、よく見知った人物がいた。
(〇〇先生?)
(艶紅の相手は〇〇先生だったのか…。)
十中八九、想像の通りの関係、つまりは半助の片恋だとは思うが、別の可能性も必死で探す。二人の仲を認めないわけではない、寧ろ息子のように目をかけている半助と、真面目で誠実な働き者の〇〇先生であれば、心からお似合いだと思うし、祝福したい。
ただこの手の内容に疎い半助が、自分の気付かないところで色恋に現を抜かしていたことが、何ともしてやられた気がして素直に喜べないのだ。
「〇〇先生、お待たせしてしまいスミマセン。」
「土井先生、お疲れ様です」とサラリと流す〇〇先生。
半助を見ると、胃のあたりを押さえ、血の気の引いた顔をしながら必死で笑顔を張り付けている。
(おいおい…、それが懸想する女に見せる顔か。)
半分呆れて、もう半分は不甲斐ない半助の様子に気が気ではなくて、山田伝蔵はため息をつく。こちらが胃が痛くなりそうだ…。たかだか四半刻走ったくらいで、腹が痛くなるようなタマではない。おそらく現在、極度の緊張に見舞われているのだろう。
朝早くから学園を出て買い求めた艶紅。
極度に緊張した半助。
(ふむ、なるほどなぁ…)
この密会が何のために設けられたものか大方予想はついた。最近、任務の帰りに利吉が学園に立ち寄る回数も増えた。よく〇〇先生と任務で一緒になることもあるようで、その段取り等で打ち合わせをしていた。その様子を複雑な面持ちで見ていた半助だが、その理由も合点がいく。
(ふふっ…、あれは悋気か。)
切り札の艶紅がないことにも気が付いていない半助を見ながら、山田伝蔵は再度やれやれと言って、重い腰を上げた。