短い話
ずっと一緒にいてね、僕の神様。優しい声が耳をかすめて唇がふれた。あたたかい手が耳のふちをなぞった。きらきらの蒼い目にじっと強くみつめられて、私を五条くんへと釘付けにさせた。いつの間にかこめかみをつたってシーツに落ちた涙も、五条くんの舌がきれいにぬぐう。
この人の、何もかもが宝石のようだと思った。ほかに言葉も見つからないほどきれいだった。
「いなくならないでね。僕は最強だけど人間だから、神様がいないと生きていけないんだよ。お願いだから」
お願いというよりも、祈っているみたいな声だと思った。そうしていつものように、存在してくれるだけでいいよ、弱くても守るから死なないでね。と言葉を続けて、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。背骨がきしきしと音をたてているような気がしても、気づかないふりをした。思いたって、五条くんの背中にそっと腕をまわして抱きしめかえそうとしたけど、苦しくて力がはいらなかった。
「弱いのに神様なんだ。いいの?」
「いいよ。僕だけの神様でいてくれるなら、弱くたっていいよ。一緒にいて、いなくならないでくれたら、ずっと守ってあげられるだろ」
五条くんはずっと前に、私を信仰しているのだと言っていた。好きだけど、愛しているけど、恋人だけど、たったひとりの神様でもあるんだよ。と言う声を、いつまでも思い出せる。最強を冠する、弱肉強食の頂点みたいな人間が信仰するには、あまりにも弱くて非力で、一人で生きていけない神様。
・
五条をどうにかしろ。硝子ちゃんのめずらしく荒々しい口調は、酔っているからなのか、それともおこっているからなのか。はたまた両方か。しかしとくに、硝子ちゃんに怒られるようなことをした心当たりもないので、首をかしげた。言外にどうしたのという意味を含ませて、かしげた首にまばたきを合わせると、硝子ちゃんはグラスを乱暴に机へ置いて、地の底を通り越すほど深い深いため息を吐いた。
「僕の神様がかわいくてかわいくてしょうがない、閉じ込めてもいい?って。私に聞かれても困る。しかも仕事中に」
「それは…」
それは私のせいじゃない。でもごめんね。お酒が飲めない私の手元には、氷のたっぷりはいった烏龍茶のグラスがある。それを指先でいじりながら、私の非礼じゃない非礼を詫びた。心のこもっていないごめんねを聞いて、硝子ちゃんはまた、ため息を吐いていた。それを聞くとなんだか申し訳なくなって、もう一度心のなかで謝った。私の眉はきっと下がりきっている。そうして、どうやら心中を察してくれたらしい硝子ちゃんが、しょうがないなという顔でグラスをにぎりなおした。
「ところで、神様って、どうなの。五条に尽くされたりするの?」
「ええ?ううん…たまにそういうときもあるかな」
「例えば」
「例えば?そうだなあ…朝起きると、ご飯がもう出来てたり。それから、靴を履くときはね、五条くんが履かせてくれるの」
「へえ、そう。本当に神様みたいな扱い。ねえ。いいの、それで」
・
勢いよく開いた医務室の扉の音に、家入硝子は顔をあげた。そうして、次の瞬間には思いきりいやそうに顔を歪めていた。また来たな、帰れ。と彼女の目は、今しがた来たばかりの長身の同僚をじとり、とにらみつける。それでも、家入の雄弁に心を語る目線をあびても、同僚、五条はそこからなんとしても動こうとはしなかった。扉にもたれかかる五条としばしのにらみあいがつづいたが、やがて家入は先日ぶりのため息とともに、微動だにしない五条への石像かなんかかよという突っ込みを飲み込んでから、何しに来たの、と問うた。家入に問われてようやく五条の表情筋は少しだけ動きを取り戻し、硝子、あいつに何かよけいなこと吹きこんだだろ。と、かなり不機嫌と思われる声を出す。
「何かって、何を?」
「この間、硝子と飲みに出掛けた日。帰って来たときに靴を脱がしてやろうとしたら、自分でやるって言うんだよ。変だろ、突然、そんなこと言うなんて」
心底嫌そうに、こんなことは望んでいないと言いたそうに、忌々しそうに。五条の言葉の端々に、潜みもしないでどうどうと不満を表すとげとげしさに、家入は目をそらした。それは私のせいだ。とは、口には出せなかったので心の中で舌を出した。それだけで察したように、五条は地獄の業火でも通ってきたみたいな低い声で、そういうことは今後一切するなよ、と言った。言葉と同時に、布で隠れているはずの蒼い目に鋭くにらまれているような気がして、家入はいっそう目線を外した。顔ごとそっぽを向いている。
「僕の神様なんだから、勝手しないでね。硝子だって許さないよ」
「はいはい。ごめんね」
言いたいことだけ言って、責めたいことだけて責めおえると、五条はさっさと医務室から出ていった。いつものようなのろけを聞かされなかったから、よほどはらがたったんだろうと思ったが、思っただけに留めた。それを、五条を追いかけてまで言うことはしない。
五条だけの神様。でも、彼女は家入硝子の友達だった。五条の信仰や、最強であるためのよりどころをこわしてまで、彼女の目を覚まさせてやろうなんてそんなめんどうなことは思わないが、心配くらいはしてもいいだろう。いつか五条は、本当に五条だけにしか手の届かない神様にしてしまうかもしれないから、それまでは、彼女と友達としてご飯を食べたり遊びに出掛けたりしてもいいだろう。
この人の、何もかもが宝石のようだと思った。ほかに言葉も見つからないほどきれいだった。
「いなくならないでね。僕は最強だけど人間だから、神様がいないと生きていけないんだよ。お願いだから」
お願いというよりも、祈っているみたいな声だと思った。そうしていつものように、存在してくれるだけでいいよ、弱くても守るから死なないでね。と言葉を続けて、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。背骨がきしきしと音をたてているような気がしても、気づかないふりをした。思いたって、五条くんの背中にそっと腕をまわして抱きしめかえそうとしたけど、苦しくて力がはいらなかった。
「弱いのに神様なんだ。いいの?」
「いいよ。僕だけの神様でいてくれるなら、弱くたっていいよ。一緒にいて、いなくならないでくれたら、ずっと守ってあげられるだろ」
五条くんはずっと前に、私を信仰しているのだと言っていた。好きだけど、愛しているけど、恋人だけど、たったひとりの神様でもあるんだよ。と言う声を、いつまでも思い出せる。最強を冠する、弱肉強食の頂点みたいな人間が信仰するには、あまりにも弱くて非力で、一人で生きていけない神様。
・
五条をどうにかしろ。硝子ちゃんのめずらしく荒々しい口調は、酔っているからなのか、それともおこっているからなのか。はたまた両方か。しかしとくに、硝子ちゃんに怒られるようなことをした心当たりもないので、首をかしげた。言外にどうしたのという意味を含ませて、かしげた首にまばたきを合わせると、硝子ちゃんはグラスを乱暴に机へ置いて、地の底を通り越すほど深い深いため息を吐いた。
「僕の神様がかわいくてかわいくてしょうがない、閉じ込めてもいい?って。私に聞かれても困る。しかも仕事中に」
「それは…」
それは私のせいじゃない。でもごめんね。お酒が飲めない私の手元には、氷のたっぷりはいった烏龍茶のグラスがある。それを指先でいじりながら、私の非礼じゃない非礼を詫びた。心のこもっていないごめんねを聞いて、硝子ちゃんはまた、ため息を吐いていた。それを聞くとなんだか申し訳なくなって、もう一度心のなかで謝った。私の眉はきっと下がりきっている。そうして、どうやら心中を察してくれたらしい硝子ちゃんが、しょうがないなという顔でグラスをにぎりなおした。
「ところで、神様って、どうなの。五条に尽くされたりするの?」
「ええ?ううん…たまにそういうときもあるかな」
「例えば」
「例えば?そうだなあ…朝起きると、ご飯がもう出来てたり。それから、靴を履くときはね、五条くんが履かせてくれるの」
「へえ、そう。本当に神様みたいな扱い。ねえ。いいの、それで」
・
勢いよく開いた医務室の扉の音に、家入硝子は顔をあげた。そうして、次の瞬間には思いきりいやそうに顔を歪めていた。また来たな、帰れ。と彼女の目は、今しがた来たばかりの長身の同僚をじとり、とにらみつける。それでも、家入の雄弁に心を語る目線をあびても、同僚、五条はそこからなんとしても動こうとはしなかった。扉にもたれかかる五条としばしのにらみあいがつづいたが、やがて家入は先日ぶりのため息とともに、微動だにしない五条への石像かなんかかよという突っ込みを飲み込んでから、何しに来たの、と問うた。家入に問われてようやく五条の表情筋は少しだけ動きを取り戻し、硝子、あいつに何かよけいなこと吹きこんだだろ。と、かなり不機嫌と思われる声を出す。
「何かって、何を?」
「この間、硝子と飲みに出掛けた日。帰って来たときに靴を脱がしてやろうとしたら、自分でやるって言うんだよ。変だろ、突然、そんなこと言うなんて」
心底嫌そうに、こんなことは望んでいないと言いたそうに、忌々しそうに。五条の言葉の端々に、潜みもしないでどうどうと不満を表すとげとげしさに、家入は目をそらした。それは私のせいだ。とは、口には出せなかったので心の中で舌を出した。それだけで察したように、五条は地獄の業火でも通ってきたみたいな低い声で、そういうことは今後一切するなよ、と言った。言葉と同時に、布で隠れているはずの蒼い目に鋭くにらまれているような気がして、家入はいっそう目線を外した。顔ごとそっぽを向いている。
「僕の神様なんだから、勝手しないでね。硝子だって許さないよ」
「はいはい。ごめんね」
言いたいことだけ言って、責めたいことだけて責めおえると、五条はさっさと医務室から出ていった。いつものようなのろけを聞かされなかったから、よほどはらがたったんだろうと思ったが、思っただけに留めた。それを、五条を追いかけてまで言うことはしない。
五条だけの神様。でも、彼女は家入硝子の友達だった。五条の信仰や、最強であるためのよりどころをこわしてまで、彼女の目を覚まさせてやろうなんてそんなめんどうなことは思わないが、心配くらいはしてもいいだろう。いつか五条は、本当に五条だけにしか手の届かない神様にしてしまうかもしれないから、それまでは、彼女と友達としてご飯を食べたり遊びに出掛けたりしてもいいだろう。
1/22ページ