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おかえり、透

横浜の郊外の方にある気が豊かに生い茂った敷地の広い公園。俺の手を引くほど元気になった大樹は久しぶりに見る日本の桜にはしゃぎ回っている。せっかく治療も終わって帰国できるほどに回復したのだから、新しく出来た横浜ハンマーヘッドなどにも行かせてやりたかったけれど、人が多いところはまだ心配だし、何より俺自身そんな洒落たところに行かないのであまり楽しめないだろう。だからこの子が病気を発症する小さな小さな頃に家族三人で訪れた、この何百本もの染井吉野が咲き誇る場所にやってきたのだ。一年遅れの小学校デビューのお祝いも兼ねている。
「あれ、だいきくん?」
「……さよちゃん!」
「やっぱりそうだ!」
息子に声をかけたのは可愛らしい女の子だ。長めの髪で耳の下に綺麗にお団子を作り桜色のリボンで飾られている。
「パパ!この子は小夜さよちゃん!前の病院にいた時に仲良かったの。一緒に遊んでもいい?」
「ああ、行ってきな」
小夜ちゃんは「ここで休んでいてください」と御丁寧にベンチまで案内してくれた。すぐ隣のベンチには彼女と彼女の母親と思われる女性と、他二人。子供たちの方を見れば透と小夜の他男児と女児が一人ずついたので、おそらく彼らの母親だ。大人たちの間では自然に軽い自己紹介の流れが始まる。どうやら彼女たちは大樹が入院していた病院にて病室が近かったらしく、空に消えた妻とも仲が良かったらしい。久しぶりに会えたとはしゃぐ子供たちの声を背景音楽にして、時折その微笑ましい光景を見ながら談笑していた時だ。不意に子供たちが静かになった。「どうしたの?」と一人の母親が問うと、声を潜めて「ミッフィー!」と言う。静かにしててということだろうか。なにか彼らの目を引くものがあったか?と辺りを見回した。
満開の桜に支配された公園の中にある幅の広い道は、薄桃をまとわりつかせた木々の枝達で可愛らしいトンネルのようになっている。その直下、俺たちのいるベンチの反対側を通り過ぎる黒髪の青年が車椅子を押している。「あ」とつい声が漏れた。紛れようもない、少し髪も伸びたし、仕事を共にしていた時より洒落た格好をしているが、あれは透だった。ということは、車椅子に乗った金髪の彼は手越くん、か。時折透の方を振り返って、微笑んで。何かを話しながら進んでいく。ここの道幅は結構広いので、何を話しているかまでは分からなかったは、和やかな雰囲気が伝わってくるようだった。
「透さんかっこいい……」
「え!?透ちゃんのこと知ってるの!?」
瞳をきらきらさせて言う小夜に大樹が目を丸くする。もちろん俺も然りだ。透を知ってるんですか?と母親に問えばにこりとして頷かれる。
「夫が娘のボディーガードとして雇ったんです」
「ぼ、ボディーガード?」
「高千穂さんのお家、とてもいいお家柄で大変なことも多いみたいで」
「とてもなんて……まあでも、狙われる可能性もあるからって夫が。……夫の方が代々官僚を輩出している家なんです」
それを聞いて、物騒な公務員をしているこちらとしては「すげえな」くらいの感想しか持てないが、安心した。いいとこで働かせてもらってんだな、見ての通り、彼と一緒に幸せになれているんだな、と。
小夜の母親は俺が透を知っていると見ると透を褒めちぎり始めた。あまり人にこだわらない長女とは違い次女の小夜は自分に付けられたボディーガードをなかなか気に入らなかった。最初は初老のベテラン、次は若い二十代、そして男がダメならと女性をつかせてみてもダメだった。だが長女がある時入院し、そこで偶然出会った透が妹の好みに合うのではと父親に進言したらしい。
「子供たち二人にも懐くし、主人も彼を気に入って気に入って!彼が交際している手越くん……あの金髪の子が足を事故で悪くして病院通いと聞いた時には、うちの敷地内にある使っていなかった離で住むようにとまで言ったんですよ」
「……ということは、今は二人ともそちらに?」
「ええ。提案された時はすごく遠慮して、そこまでされるようなことはしていないって言ってたんですけど、……遠慮し続けた一週間後にアパートに帰ったら手越くんが熱を出した上に手首を捻挫してしまったみたいなんです。ちょっとした怪我らしかったですけど、そこで透くんも主人に折れて」
でも本当に良かったわ、娘達も大喜びだし、たまに離れからピアノの音が聞こえてくるし。そう彼女は和やかに言った。
「彼奴も、良縁に恵まれましたね」
「透くんみたいな好青年中々いませんよ!樋口さんも相当可愛がったんじゃありません?」
「まあ、かわいい弟分ですね」
そう言うと、彼女の娘にも受け継がれたらしいぱっちりとした瞳で俺を見つめてきた。そして笑みを浮かべて、
「過去形じゃないんですね」
自分でも意識していなかった言い回しを指摘され驚いていると、
「あ!!」
とだれかの驚いた声。大樹の目線を追うと、車椅子に乗っていた彼が肘掛に手を付き、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。透は転けてもすぐ受け止められるような位置に立っている。全神経は手越くんに向けられている。少し緊張しているようだ。その彼に見守られながら、三年前に立つことさえも困難だろう診断されていた青年は立ち上がった。そして、一歩、二歩と足を動かす。三歩目に少しふらついていたところを過保護な恋人に受け止められると、脇の下に手を通されてひょいと持ち上げられ、ベンチに座らされた。そして、
「すげーじゃん!!」
一回ぎゅうっと抱き締め、金髪をわしわし撫でながら満面に笑みを浮かべる透。ふわりと吹いた風に煽られた桜の花びらが金髪に絡む。透の方は服の中に入ったらしく、それを二人で笑い合っている。そして、手越くんが車椅子に座り直してまた散歩を再開しようとした際に俺達の方に顔を向けた。その中で大樹を見つけ、俺と目が合うと深々と頭を下げた。すると大輝がぱたぱたと透達に駆け寄っていく。
「透ちゃん!いつか遊びに行くね!」
「……うん。楽しみにしてる!」
あどけない笑みを浮かべて手を振り、勤め先の夫人と少女に会釈して彼は去っていった。
「嬉しそうな顔してるね!大樹くんのパパ!」
「うん!僕も嬉しい!ねえ小夜ちゃん、たまに透ちゃん達に会ってもいい?」
「いいよ!」
可愛らしいやりとりを聞きながら桜並木に消えていく背中を見送っていた、その時だった。
突如二人の前に黒いパーカーの男が二人立ち塞がった。身長は透より高い。片方が車椅子に乗る彼の目の前に何かを差し出したように見えた。こちらからは見えなかったが、二人もっと話そうと透に近付いていた大樹と小夜は足を止め、固まっていた。嫌な予感、気配を察知することは数十年仕事上培われてきているが、今回のはあまり計画的にも見えないし、慣れていないのが見え見えだった。馬鹿なことをしようとしているのは三人。透のところの二人と、今隣にいる小夜の母親を襲おうとしている一人だ。手早くそいつが伸ばした腕を掴み、ベンチの背を飛び越えて地面に伏せさせ上から押さえつける。透の方は大丈夫だったかとそちらに目を向ければ既に男二人は伸びていて、片方は倒れた車椅子に足を引っかけた下敷きにされたようで、次いでに肩の関節も外されているように見える。そしてもう一人はもがきながらも小夜のものと思われる縄跳びで後ろ手を括られている真っ最中だった。
間もなく警備員が、遅れて交番の巡査がやって来てそれらを連れて行った。呆気なすぎる収束に奴らも呆然としていたようだった。
「透、平気か?……此奴は、」
「ああ、手越は大丈夫です。気絶してるだけなので」
「……気絶?」
あの一瞬で?と首を傾げると、力を失った体の上体が地面につかぬよう支えていた大樹と小夜から手越の体を受け取りそのまま抱き上げながら、透は苦笑した。
「俺が彼奴にボッコボコにされて死にかけた時、手越も巻き込まれて、腹を……刺されてたじゃないですか。それからナイフ類が何故か漠然と怖いみたいで」
「ああ、そうだったな。……あ?漠然とってなんだよ。あんなことがあったんだし、普通にトラウマだろ?」
「……俺が退院する数日前に、突然『なんで俺こんな怪我したんだっけ』って、言ってきて。俺が重症で病院に入院してたのは理由も含め覚えてるんですけど、自分が暴行されてたことだけ、忘れたらしいんです」
空いたベンチに彼を横たえて自分の長いカーディガンをかけてやりながら言い、「まあ正直その方が俺も嬉しかったですけどね」と付け足した。
「だが、漠然としたトラウマは残ってるってか?勇気が有り余ってんだか、そうでもねえのか分かんねえやつだな」
「ははっ、そうっすね。あれ、なんで兄……、」
「呼べよ兄貴って。あー、防犯カメラにそいつがいたぶられる映像が残ってたんだけどよ、相手を煽るは挑発するわでどんな奴だと思ってたが、なんだかんだ怖かったのか」
「そうだったみたいですね」
透は大事そうに彼の頭を撫でると故障したらしい車椅子を近くに持ってきて、その体にかけていたカーディガンの上から膝掛けをかけてやっていた。「送るわ」と言った夫人の言葉に恐縮しながらも応じた透と、小夜も大輝ももっと話したいと言うので俺も彼女の世話になることになり、六人は高千穂家のリムジンに乗り込んだ。彼女は俺と透に何度も礼を言い、家に着くと透と手越は住まわせてもらっているという離れに(離れと言うには豪華すぎる邸宅であったが)、俺と大樹は豪邸と呼ぶに相応しいセキュリティも完璧な部屋に招待された。正直に言えばもう少し、透と話したいと思ったが、恋人を守ろうとする背中はあの頃よりずっと頼もしく成長しているように見えて。
それだけで十分、そう思えた。




✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼




「ん……あれ?」
帰った覚えのないまま、気が付けば寝室、しかも外は夕暮れだった。傍らにはクッキーが置いてある。恐らくここの奥さん、美姫さんの手作りのものだろう。
「とおるー?」
返事はない。
代わりに外から彼のものらしい声が聞こえてきて、ベッドのすぐ横にある窓を開けて見下げてみれば、樋口さん親子を透が玄関先で見送っているところだった。じゃあ、と声をかけあっている所に俺からなにか言うのもどうかとは思ったが、彼らが行ってしまわないうちに窓を開けた。
「またいらしてくださいねー!」
向こうも聞こえたようで、樋口さんは手を振り返し、大樹くんは「ゆうやくーん!大丈夫!?」と俺の事を心配してくれた。自分に何があったか覚えていないからなんとも言えないが、今普通に動けているし、平気だろうと思い大丈夫と返せば、安心したように笑ってくれた。彼らが背を向けてから数秒後、階段を駆け上がる音がして振り向けば、透にそっと抱き締められた。
「平気?気分は?」
「大丈夫!ねえ、何があったんだっけ?樋口さん達にばったり会って、ばいばいしたとこまでは覚えてるんだけど……帰った覚えが全く無くて」
「気にしないでいいよ」
「でも、」
「狙いは小夜ちゃんだったみたい。祐也は催眠スプレーかけられちゃって。俺が気がつくのが遅かった、ごめん」
「ううん、守ってくれてありがと」
全然覚えていないけれど、ずっと彼の手に抱かれていた気がした。ベッドの縁に腰掛けローテーブルのクッキーに手を伸ばす。
「これ、小夜ちゃんと雪江ちゃんから。小夜ちゃんが巻き込んじゃったお詫びですって持ってきてくれた」
「へえ!上手になったね。…すごい、ちゃんと俺用に甘さ控えめ」
素晴らしい邸宅に住む御家族のご意向で俺たちは非常にいい環境に置いてもらっている。
俺がリハビリを続けていたある日、病院内で事件があった。でも俺は関わっていないしあまり覚えていなくて、ひかりさんがヤンデレ女に付け回されたとかそういう噂を聞いただけだ。
その間、ひかりさんの後押しもあって束の間の復活をした透は現役と変わらない仕事ぶりを見せたらしい。その最中、蹴っ飛ばされたかなんかで暴走した無人の車椅子と事故りそうになっていた女の子を身を呈して守ったらしく、その女の子が小夜ちゃんお姉さんの雪江ゆきえちゃんだった。そこからなんやかんやあって、透の今までを受け入れた寛大な高千穂家に働くようになった。広めのアパートの一階から高千穂家の敷地内のステキな一軒家に住む場所が変わったのは、留守番中に熱が出た挙句、来る予定だったヘルパーさんが来れなくなったことか。『何とかなりますから』と遠慮してしまった自分も悪かった。家に帰った透にソファーからずり落ちてぐったりしているのを発見されてしまったのだ。次いでにどこでぶつけたのか分からないが左手首を捻挫していて、さんざん心配をかけてしまった。そしてその次の日には引越しが始まっていた。『祐也に何か起こるのなんて俺は絶対嫌だ。だから、俺の為に引っ越して』そう言われて。
過保護すぎるってほど、大事にされている。
甘やかされて溶けそうになるほど愛されてる。
今日の朝、あの桜に囲まれた広い公園の名所の一つであるしだれ桜の下でキスをした。
『こんな俺だけど祐也のこと、幸せにするから』
そう言って俺を抱き締めた。
『祐也には何度も助けられた。だからこれからはずっと、守らせてね』
俺があなたにできたことって、せいぜい悪夢から現実に引き戻すくらいなのに。罪の意識に苛まれて、毎晩死んでいった人達が真っ赤な姿で手を伸ばしてくるのを夢に見て。死んだら楽に……と血迷う透に上手くフォローする言葉なんて見つからなかった。励ましなんて、透は悪くない、前に進もうよって言ったって、あのマジメがそれに首を縦に振るわけがない。

『一緒にいてくれるんじゃないの?』

『俺を一人っきりにする気かよ』

『なあ、行かないで』

『お願いッ、いくな!!』

『一緒にいようよ』

『置いていく気?ふざけんな!』

ふらふらと歩き、どこかへ消えていきそうな男を自分のエゴで必死に呼び止めるしか出来なかった。でもとおる、と呼べば、戻ってきてくれた。情けなくってごめんね、なんて言って。こんな優しい人に酷な役を与えた悪魔の殺人鬼をその度に呪った。けれどあの時肩を震わせて涙していた彼は、いつの間にか呪縛が解かれたように、前を向いてくれた。そして俺の手を握ってくれた。
「とおる」
「んー、どうしたぁ?」
「きて」
「ん?」
「きーてー!!」
「え、なになに!?」
慌ててキッチンから戻ってきた彼は俺の姿を見てぽかんと呆ける。両手を伸ばし、もう一度「きて」と言えば、ちょっと笑って隣に腰かけてきて、その胸と腕に体を包み込まれた。暖かくて力強い。昔とは打って変わって筋力の落ちた俺とは大違いだ。
「祐也、どうしたの?」
「なんでもないよ」
広い肩口に頬を預け、しばらくの間彼の心音に耳を澄ませる。
「あいしてる」
「……ッ、なに、びっくりした」
「へへ、なんか本当に、好きだなぁって」
「俺だって祐也好きだし」
いい大人のくせに、ムッとした顔は子供みたい。でも俺をころりとベッドに転がし覆い被さってカーテンを閉めるのは悔しいくらいにかっこいい。
「ゆうや」
「なに?」
「絶対に幸せにしてみせるから」
「……うん」
「ずーっとだよ。だから、」
「ずーっと一緒にいようね」
「………ばか、言わせてよ」
「俺だって言いたいもん」
頬を撫でられる。その大きな手で光るのは桜の下で俺にも嵌められた銀色のリングだった。ベタだけど苦しいほど嬉しい。右手に指を絡められれば、彼の薬指を飾るリングが触れる。プラチナのそれが体温で暖かくなっているのに嬉しくなって、我慢できずに俺からキスをした。
今日は俺からしたかったのに、と拗ねる恋人は世界一かわいい。でも俺しか知らないところではたまらないくらいかっこいいんだ。
























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