厄介な猫を拾いまして
乾杯!と三つのグラスがぶつかり合って高い音を鳴らす。今日集まったのは、小学校からの幼なじみの小山とシゲ、そして俺の三人。わざわざちょっと高い店に予約を取るなんてことをしたのは、小山が30歳になって、経営する猫カフェの二号店をオープンしたこと、シゲの担当した裁判が上手くいったこと、俺が勤めるデザインの会社で企画が通り、それが上手くいって昇進できたことが重なって祝わない手はないと集まったのだ。
久しぶりということもあって遅くまで居座り、気が付けばラストオーダーの確認をされるような時間帯になっていた。一旦トイレ行ってくる、とシゲが席を立っても止まらないほろ酔い小山の猫自慢に適当に相槌を打っていればシゲが戻ってきて、俺に向けられたスマホに映る小山の愛猫の写真にクスリと笑う。まだやってんのか、と言って。だが、そう言った彼は席を立つ前よりも明らかに顔色を悪くしていた。「酔っ払いに絡まれでもしたの?」と小山が問えばゆるく首を振る。
「そういうんじゃなくて」
「じゃあ何?」
黙り込んだ彼に慌てて「別に答えなくないいけど」とつけたすと、気を遣わせたと思ったのか軽く謝られた。こちらとしては別にどちらでもいいのだが。
「なに、どうしたのよシゲちゃん」
「ああ、いや……」
一瞬誤魔化そうとしたシゲに、小山は何かを察したようだった。
「手越を見かけたんだ」
その言葉は酷く苦々しさを帯びていた。彼らが言っている男のことは知らないし、それを聞いて小山がサッと顔色を変えた理由もそので話されるまで分からなかった。まっすーもこいつを見かけたら連絡して、と整った顔立ちをした金髪の男の写真が二枚トークアプリに送られてきた。
俺が最初に抱いた印象は、運のない奴。手越という珍しい苗字と澄んだ鳶色の瞳がとても頭に残った。
────────────────
「……先輩、マジでどこ連れてくつもりですか」
「いいとこ!いいじゃん増田、たまには浮ついたところに行っても。折角いい体してんだし」
「関係ないですよそれ……」
ある日、仲のいい先輩にほぼ無理矢理にオススメのBARとやらに連れ出された。俺は強い酒は家で飲めば十分楽しめるし、いい店を紹介してくださいと冗談でも言った覚えはない。しかも、タクシーが向かった先は歓楽街の方面だ。もし酒に弱い人だったら早めに言わせてさっさと帰ることが出来るが、この人はなかなかに強く、団体で飲みに行っても大体酔いつぶれたのを介抱する側だったからこの先逃げれるとは思えない。
せめて、せめてまともな店を選んでくれと切に願っていた。のだが。
「これから行く場所なんだけどさぁ、カクテルは最高だしバーテンも良いヤツらばっかなんだけど、たまにおもしれーことが起きるから」
「不安要素しかないんすけど」
「そう言うと思った〜。大丈夫大丈夫、この曜日にはあんま来ないから多分なんも無いって」
どの道怖ぇよ。ため息を飲み込みながら向かった先に見つけたBARは以外にも小洒落ていて変な雰囲気はあまり感じられなかった。けれど中に入ればチャラそうなやつがちらほら居て、偶然隣に座った顔の良い茶髪の男はあまり視界に入れないようにしながらも、先輩の話に耳を傾けながら酒を煽った。
酔ってきたらしい先輩に声をかけながら何となく流れてきたピアノの音に耳を傾けるていると、それがCDではなく生演奏だということに遅れて気がついた。赤っぽい照明の元で黒と赤の派手なピアノを弾くのは小柄な男。背中だけでも華奢だと分かるのはペラペラのダメージニットを黒のタンクトップ一枚の上から着ているだけの薄着で、その肩甲骨や細い腰までが顕になっていたからだ。決してじろじろ見ていた訳ではない。
演奏が終わると拍手が起こり、隣に座っていた男が入れ替わりステージに上がりテナーサックスを構える。次はあの男が演奏するのだろう。さて、ステージを降りた男は俺が座る席から一つ分空けたところに座った。赤いライトの下では分からなかったが、視界の端で捉えるその髪色は若干暗めの金だった。可愛らしい色のカクテルを出され、意外と小さく見える手で華奢なグラスを持っている。
「あんがと」
高めの声だな、そう思った。
「ねえ、おにーさん」
少し甘さのある声を、俺は淡々とシカトした。すればムスッとしたらしい雰囲気がありありと感じられて、仕方ないと諦め応じてやる。「増田だけど」そう答えれば「違うよ下!下の名前!」なんて馴れ馴れしく聞いてくる。
「このまま答えたら俺フルネーム答えることになんじゃん」
「苗字ぐらい忘れてあげるよ」
ニコッと笑った顔に不覚にも可愛いと思ってしまった。顔には出ていない自信はあるが、なんかそれだけで絆されたようで悔しい。
「……貴久。お前は?」
「たか、ひさ」
「……おい、ちょっと」
噛み締めるかのように俺の名前を呟いた彼の手からグラスが滑り落ちそうになっていたのをそっと受け取リクエストカウンターテーブルに置いてやると、ゆっくりと焦点が俺に合った。口元に添えられた手の薬指と小指には、似合わない黒と赤のマニキュアが色を差している。
「意外と古風な名前だね」
「悪い?」
「ううん、いいと思う。俺はユウヤ」
ゆうや──よくある名前だが、ついこの前友人達が探していると言っていた名前もそうだったな。薄暗がりで見えずらい彼の顔を見ようと視線を横に向けた時だ。スっと彼の前に小さな小さなグラスに入った酒が差し出された。「あちらの方からです」とお決まりの文句を言うバーテンは奥の方の席に座ったスーツ姿の男に指先を向ける。遠目からでも高そうなスーツとネクタイ、そして整った髪型。首元が緩められていても様になっている。
「初めての人だね」
ユウヤは微笑む。そこで俺は初めて彼の顔をはっきりと見た。長めの前髪で隠れていた瞳は透き通るような鳶色で、すっと通った鼻筋も綺麗に整えられた眉も美しく、小さな桜色の唇は少女のような愛らしさがあった。長い睫毛を伏せ、前に置かれた小さなグラスに顔を近づける。二層の茶色の酒が入れられた上にホイップクリームで飾り付けられた見た目だけは可愛らしいカクテルの名前は確か……
「ブロージョブ」
俺達のやり取りを見ているだけだった先輩が小さく呟く。まさか今日見れるとはね、と言う声は楽しそうに聞こえた。
カクテルをくれたスーツの男に軽く微笑みかけながら、彼は小さな口を開いてそのグラスを咥え込む。飾り付けられていたクリームが口端を軽く汚して、クイッと顎を上げてカクテルを飲み干した。手を使わずに飲むカクテルだ。飲み込みきれなかった酒がたらたらと顎や喉仏を伝っていき、クリームが混じって白く濁ったそれらが口の周りを汚していく。
「あー美味し♡」
ペロリと口の周りに付いたクリームを舐め取って、口から抜いたグラスをカウンターに置く。そっとナプキンを渡してやれば礼を言って受け取った。
すれば、いつの間に来ていたのか、彼にこのカクテルを差し入れた男がユウヤの背後に立っていた。遠目で見てまあまあの男前かと思っていたが、顔が良くてもここまで劣情を全面に出しているのを見るとなんだか残念だ。その目は爬虫類のように、完全に狩る者の目をしている。今すぐ食べ尽くしたい、みたいな顔をされると、外野の自分から見ても魅力が下がってしまうような気がする。
「行っていいよね」
「待って、お代は……」
「俺が払った」
男はユウヤが椅子にかけていた上着を薄い肩に引っかけてそのまま店を後にして行ってしまったせいで、ユウヤから醸し出される空気にあてられていた店内は少し静かになった。
「あの、先輩が言ってたおもしれーことって……」
「このことだよ。運がいいね、まっすーは。そう、ユウヤ君、よくここに来るんだ」
「有名なんすか?ていうかあんなカクテル飲む人本当にいたんだ」
「カクテルってあの?さっき飲んでた?……ふふ、ありゃあ凄いよな」
「ニヤケないでくださいよ。顔キモくなってますよ」
「仕方ねぇだろ?あの後のこと想像したら」
どういう意味だ?と先輩を見上げたら、「鈍いなぁ」と笑われる。彼は酔ったのか興奮しているのか、紅潮した頬を緩めながら言った。
「あのユウヤは、あの酒を他人から奢ってもらったら毎度そいつにタダでフェラをサービスしてくれんだよ。本番は許してくれねぇんだけど、もう口でするテクがすげぇのなんのって……」
「え、やらせたことあるんですか」
明らかに口を滑らせた、という顔をしたが、すぐに開き直りユウヤのことを自慢げに話す。
「ほんっっとに上手ぇのよ!あのちっせぇ口だけで天国行けちゃう。でも聞いたらどうしても本番はダメって言うから、ちょっと固くなってたあの子のを扱いてあげるだけにしたんだけどさ、『もし無理やり襲ってきてたら催眠スプレーかけちゃってたんだから。お兄さん偉いね』ってニッコリ!ま〜あんな完璧な小悪魔中々いねーよ」
「先輩ってそっちでしたっけ?」
「いいやいやいや……んなわけないじゃん。お前も分かるだろ?ユウヤなら抱けるわって」
そんな馬鹿な話を数十分され続け、にへらにへらと笑い続けた男にもそろそろ飽きてきて、もう帰りますと言い切りBARから出た。先輩が無理やり渡してきたのは何かと思えばタクシー代で、そういう所は気の利く人なのにな、とちょっと残念に思った。
とはいえ、BARのある場所からタクシーが捕まりやすいスポットは駅と同じくらい遠く、大通りに出るまで少し時間がかかる。その道中には公園があり、そこの自販で水でも買うかと立ち寄った。その時、俺は何かを見つけて立ち止まった。コンビニと自販機の光で照らされた何かがその時ちらりと視界の端に映ったのだ。それはモゾりと動き、ベンチから転がり落ちた。パーカーのフードからはみ出るのは明るい髪色だ。男も女もよく分からないシルエットに少し心配になってペットボトル片手にその肩を揺らした。
「おい、ちょっと大丈夫ですか?」
「んーーー?」
高く掠れたその声は聞き覚えがあった。ユウヤ、あのBARで見た男。先輩は極上のbitchと呼んでいたあの金髪男。そして、幼馴染達が探している手越祐也だ。
彼は俺をその目に捉えるとヘラりと笑い、俺の両頬を両手で挟んで「えへへ」と子供みたいな笑い方をするのに驚いた。あの時からそんなに時間も経っていないのにどうしたらそこまで酔えるんだ、と思いつつ声をかけた。
「ん、むりぃ、おきれない」
「…………」
俺はなんて親切なんだろう。一体どうしてこんな面倒なこと……。
結局へばった猫を自宅に連れて帰り風呂に入れ、部屋着を着せてベッドに寝かせた俺はなんて親切なんだろうか。落としそうになっていたネックレスを拾ってやったり汚れた服を洗ってやったり……幸いこれから数週間はうちの会社では義務となっている有給消化期間に入るため休みだ。こいつも運がいいな、なんて思いながら、憎たらしいほどすやすや眠る彼に背を向けて眠った。
そして朝。背中にすがりつくようにピッタリと添い寝されている感覚で起きた。起き上がりその顔を見ればキョトンとした顔がこちらを見上げてくる。
「あれ……?」
「起きたか」
「あんた…、ますだ、たかひさ?」
「よく覚えてんね。あんなにベロベロに酔っ払ってたのに」
俺が俺だと知るとじわじわと笑みを深めた彼は、ありがとう!!と満面の笑みで俺の腰周りに抱きついた。
「っおい、お前……」
「ありがとう!タカ、助けてくれたんだマジで嬉しい〜!救う神あれば拾う神ありってこのことだね」
「別にいいけど……何があったんだよ」
「ああ、昨日相手した相手がまあまあ金持ちだったんだけどさ、でもただただ甘やかされてきたボンボンみたいで。口でイかせてあげたのにヤラせろヤラせろってうるさいのなんのって!俺はそういうのやらねえのって言ったら、周りにいた付き人達に抑え込まれちゃって、催眠スプレーも取り出せないしめっちゃ困って。ダメかもなって思ってたら、ケツから酒飲まされたの。しかもめっちゃ度数高いやつ!酷くない!?」
「だからあんなに短時間でベロンベロンになってたのか」
「そう!腸からのアルコール吸収は早いからね。そうしたら『どっかの酔っぱらいにでも犯されてこいよ』って道路にポイってされて」
ユウヤが溜息をつきながら自分の尻を擦りため息を吐く。すると何かに気付き、驚いたようにこちらを見た。
「……ああ、悪趣味なオモチャは捨てといたから」
風呂に入れた時に気がついた、まるで尻尾のようなオモチャ。戒めるように差し込まれていたそれを仕方なく抜いてやった時は痛かったのか軽くすすり泣かれてこちらは焦ったのだが、まさか注ぎ込んだ酒が漏れないようにするためだったか。
「ありがとう」
「へ、」
「こーんな優しくしてくれる人、初めて!」
キラキラと効果音がつきそうな笑顔で言われるとなんだかんだ助けてやってよかったかも、と思った。ほっそい奴だし、本当に襲われたりしたら大変だろうなって少し同情して油断した……のが間違いだった。
するりと俺に撓垂れ掛かってきたと思うと完璧角度の上目遣い。
「はじめてだったから、俺、めっちゃうれしーの」
寝巻きにしているハーフパンツに手を掛けられた時にはもう遅い。自分のものをあっという間に下着から出され、朝勃ちのせいで緩く硬さを持っていたそれがあっという間にあの小さな手に握られていた。
「──お礼させて?」
ぱくりと薄く色付く唇に咥えられ、瞬時にヤバイと脳内で警報音が鳴り響く。ヤバイ──マジで、イイ。多分、いや間違いなく今まで自分でしてきたのよりも、女の子達にやってもらった時よりも。小さな金髪の頭が動くのを見つめながら「やめろ」と言うが、その声は酷く情けない。口では収まりきれなくなった根元を指で扱いたり、裏筋を舐めたり頬の粘膜に擦り付けたり、どこでそんなの覚えたか聞きたくなるようなテクで気持ちよくさせられてすぐにイってしまった。しかもこの頃自分でもやってなかったせいで量も多く密度も濃い。それを受け止めきれなかったらしい彼は口元や手に白濁をだらだらと溢れさせてしまっていた。
「……ッああもう、いいか、動くなよ」
「いいほ、なふぇえうひ 」
「舐めんな!いいからじっとしてろ!」
自分の服を整えながら流しに走り、適当なタオルをぬるま湯で濡らしてまた寝室に戻る。キョトンと大きな瞳をまん丸にしてこちらを見上げるユウヤの口元をグイッと拭う。
「ほら、吐けって」
「もう飲んだ」
「はあぁ!?……まあいいや、ほら手ぇ出せ」
どうやら舐めようとしていたらしい手もしっかり拭ってやり、引き立たせると洗面所に連れて行ってうがいをさせた。わざわざ水に濡れた口元まで拭いてやって、少し汚れたパーカーを替えてやり、最後に手を除菌シートで拭いてあげた。軽く朝食を作ってあげるからとソファーに行かせようとしたら、彼は不思議そうに俺をじっと見つめた。
「なに?」
「……あんた、やさしーね」
「別に普通だよ。───優しいのはお前の友達だろ?」
整った眉が顰められる。
「友達?」
「加藤シゲアキ、小山慶一郎。知らないわけないよね」
「……ッは、なんで」
後ずさりした彼の細っこい腕を掴み引き寄せる。未だにアルコールが廻りふらつく身体は力をかけずともこちらにもたれかかる。
「探してるよ」
「知ってる」
「連絡してあげないの?」
「うるさい」
離れようと身を捩る力はそう強くなかったが、幅の広い二重から睨み上げられる眼力は強くて。
「じゃあ、服返してくんない?会う人がいるんだけど」
腕を離してやったらまた生意気にそう言ってくる彼を無理矢理にソファーに座らせる。
「トーストくらい食ってきな」
腹は減っていたのか、三秒ほど悩んだ後、はちみつトーストに齧り付いた。その隣に洗って畳んでおいた彼の衣服や預かっていた貴重品を置いてやるが、持っているだけで着ていなかったトップスに取り替えて置いておく。
「これ……」
「こっちにしな。その方がかわいいよ」
「は、」
「それがお前の強みでしょ、違うの?……スケスケのダメージニット着てビッチ気取ったとこで、お前の根っこにある素直な優等生くんは消えないよ」
信じられないような瞳でこちらを見上げるユウヤ。なんで、と音のない声で呟く整った顔は、小山達が俺に見せた彼の中学時代の写真、黒髪の、まだ歯の矯正も終わっていない頃の彼と重なった。
「なんでこんなことしてんの」
「……」
「これから誰に会う気?……まさか、シゲ達が言ってた元彼じゃないよね」
「ッ……」
「ほんと、根っこは変わってないんだな。小山達が言ってた”素直でかわいい純な手越”から」
そう言った途端に顔を真っ赤にした彼はそそくさと着替え、スマホと財布を引っ掴み家を飛び出して行った。
「慶ちゃん達にはまだ言わないで」と言い残し俺があげた白いニットに十字架のネックレスをつけて出た彼は、これからまた男のモノでも咥えに行くのか、はたまた変な恋人に逢いに行くのか……どっちにしたって俺には関係の無いことだ。せっかくの休みを無駄にしたくない。小山とシゲに連絡して、俺はさっさと手を引くかと思っていた。
思っていたのだが。
「あの、ちょっと話してもらってもいいですか」
なぜ俺はあのBARで居合わせたサックス吹き、本業はモデルをやっているらしい男の元をわざわざ尋ねて来ているのだろう。俺の隣に座っていて、ユウヤと仲が良さそうだった彼は何かを知っているかも知れないとバーテンに聞き込みまでして。
彼はすぐに俺を思い出してくれたようで、聞いたら直ぐに色々と答えてくれた。彼がいきそうな場所、クソみたいな彼氏との思い出の場所やその男が懇意にしている店など、彼は細やかに話してくれた。頭も良くて素直で人を信じやすくて、歌も上手くピアノもギターも弾けてちょっといたずらっ子で、そして一途で。ユウヤの大学の時の先輩だった山下という男は少し泣きそうな顔でユウヤのことを話した。
「俺は全然助けてやれなかったからさ」
「助けてって、ユウヤの元恋人から?」
「元じゃないよ。多分、手越はあいつに声かけられたらまた……」
大手レコード会社に就職したばかりの頃に事故で両親を亡くし、不安定になっていた祐也につけ込んだ男は、彼を心配した友人達からわざと遠ざけて自分に依存するように彼を洗脳した。暴力と賭事と信憑性のない愛の言葉しかくれないような相手に、彼はどんどんのめり込んでいって、友人達が訴えを起こし祐也と男を引き剥がした頃にはもう壊れてしまっていた。
「有罪判決が出たよ、あいつはお前に酷いことしただろって言っても会いたい会いたいって……。泣きながら。あのクソ男に貰ったネックレス握ってさ」
「そのネックレスって、悪趣味な十字架の?真ん中に赤い宝石の入った」
「あ、ああ。そうだけど。……まさか手越があれを付けてたの?」
「はい。財布に入れてたのを今朝つけてるのを見ました」
彼は目を見開き項垂れた。どうしたんですかと問えば、
「手越はね、あの男と会う時はいっつもあれをつけていくんだ」
そう手を握り締めながら言う。いてもたってもいられなくなって、山下さんから聞いた心当たりのある場所をスマホのマップに入力し始めた俺を見た彼は少し驚いているようで。
「増田くんはさ、手越とは昨日初めて会ったんだよね」
「はい」
「仕事で行けない俺としてはすっごく嬉しいんだけど、どうしてそこまで……もしかして好きになっちゃった?」
「かもしれませんね……っえ?」
言ってから自覚した。飲まされた酒のせいでぐったりしていながら恋人の名前を健気に呼んだり、びっくりすると見せるきょとんとした顔を可愛いと思ったり。俺は、小山達が見せてくれた写真のような自然な彼の笑顔が見たいと思うようになっていた。
「山下さん、俺行ってきます」
自覚したらもう止まらない。ユウヤを探し出して、変な男から引き剥がして正気に戻さなきゃいけない。それが一方的な思いだとしたって、たったの一日さえも二人で過ごしたこともなく、抱いてもいない男にここまで必死になる理由なんて上手く言えないが。
『そっか、まっすー手越のこと好きになったか』
『い、いや……別に、貸したセーター返してもらおうとしてるだけです』
山下さんにはからかわれたが、理由なんて後付でいい。
とにかくあいつを助け出したくて、BARやホテルを数件当たって、ようやく見つけたのは地下で経営されるクラブだった。ボーイにユウヤの画像を見せるとVIPルームにいるから会わせられないと言われたので山下さんから渡されていたよく分からないバッチを見せると直ぐに通してくれた。厚い扉を開き部屋に入る。そこには。
「ふ、ふぁ…んむ……んっ」
「じょーずじょーず……はッ、ほらもっと奥まで……っあぁ…!」
「んっ」
男達に囲まれ、恍惚とした表情で口淫をし、汚い手に体をまさぐられながら細い体躯を震わせるユウヤがいた。出された口元を拭いながら振り返った彼は俺を見つけると心底驚いた顔をした。
「たかひさ?」
俺が言葉を失っていると、高みの見物のようにユウヤが男達に囲まれているのを見ていた男がユウヤの肩を蹴り飛ばし、地面に伏した彼の頬を強かに張った。パン、と痛々しく音が個室に反響したと思うと今度は襟首を掴まれ腹を蹴られたようだ。
「っおい、」
俺が声をかけようが男は意に介さない。
「祐也、お前、まさかアイツ新しい彼氏か」
「ちがッ……」
「黙れ」
瞬間、ユウヤはズボンを膝まで下ろされ、ろくにならしてもいない秘孔にガン勃ちのモノを突き入れられた。悲痛な叫びが響き渡る。俺は一瞬あまりの展開に頭が追いつかず立ち尽くしていたが、白い太腿に血が伝い、男の手が細い首にかけられたところでようやく足が動いた。二人を引き剥がし、男の腹に蹴りを入れる。ユウヤは震えるだけでなんの抵抗もしないのにも腹が立った。このまま連れて帰りたいぐらいだったが、ガタイのいい男数人に強制的につまみ出され後は何がなんでもその個室には入らせてもらえなくなった。俺に出来ることといえば、ボーイに住所の書かれた名刺と金を渡してユウヤが出てきたら渡すようにと伝えることくらいだった。
俺には何もできないのか、とむしゃくしゃしたままタクシーに揺られながら、果たしてユウヤは来るのだろうかと考える。山下さん曰くDVとギャンブルをやりまくっていたクソ男に夢中なのだからそう簡単に洗脳は解けないだろうし、こればっかりは俺一人で頑張っても空振るだけだと思ってなんだか落ち込んでいたのだが、日付が変わる頃に押されたインターホンに俺はふんぞり返った。
「……ユウヤ?」
「たかひさ、いる?」
ずぶ濡れのユウヤが『開けて』と言ってきたのだ。驚きながらも迎え入れ風呂に入らせると、昨日までは無かった傷がいくつもついていて湯がかかる度に体を震わせた。風呂が終われば着替えさせてやって……まるで傷だらけの捨て猫の世話をするような感覚だった。しかも前回家に入れた時よりも素直な態度に心配したが特に異状はないようだった。
だが、彼が着ていた服のポケットから十字架のネックレスを見つけて見せてみると堰を切ったように泣き出した。赤い装飾がついていた真ん中から折れて壊れたそれをゴミ箱に入れるように促すと、きゅっと唇を引き結んでめいっぱいの力で投げ入れた。剥がれかけていたマニキュアも剥がしてやればもっと声を上げて泣き出した。小さい子みたいにひきつけを起こすんじゃないかと思うほど泣くもんだから、ずっと付きっきりで毛布をかけてやったりぬいぐるみを握らせてやらきゃいけなかった。
背中を摩ってやり、目も鼻も真っ赤にした後にやっとすすり泣きぐらいにまで収まると、祐也は泣きすぎでガサガサの声で独り言のように今日あったことを話した。ぽっきり壊れたあのネックレスは彼からの貴重なプレゼントで、また会うための約束として渡されたものだったらしく、それをいとも簡単に壊されたことが本当にショックだったらしい。こちらから見ればただの派手目なアクセサリーだったが、そのお陰でユウヤは少しはまともになってくれたらしかった。
久しぶりということもあって遅くまで居座り、気が付けばラストオーダーの確認をされるような時間帯になっていた。一旦トイレ行ってくる、とシゲが席を立っても止まらないほろ酔い小山の猫自慢に適当に相槌を打っていればシゲが戻ってきて、俺に向けられたスマホに映る小山の愛猫の写真にクスリと笑う。まだやってんのか、と言って。だが、そう言った彼は席を立つ前よりも明らかに顔色を悪くしていた。「酔っ払いに絡まれでもしたの?」と小山が問えばゆるく首を振る。
「そういうんじゃなくて」
「じゃあ何?」
黙り込んだ彼に慌てて「別に答えなくないいけど」とつけたすと、気を遣わせたと思ったのか軽く謝られた。こちらとしては別にどちらでもいいのだが。
「なに、どうしたのよシゲちゃん」
「ああ、いや……」
一瞬誤魔化そうとしたシゲに、小山は何かを察したようだった。
「手越を見かけたんだ」
その言葉は酷く苦々しさを帯びていた。彼らが言っている男のことは知らないし、それを聞いて小山がサッと顔色を変えた理由もそので話されるまで分からなかった。まっすーもこいつを見かけたら連絡して、と整った顔立ちをした金髪の男の写真が二枚トークアプリに送られてきた。
俺が最初に抱いた印象は、運のない奴。手越という珍しい苗字と澄んだ鳶色の瞳がとても頭に残った。
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「……先輩、マジでどこ連れてくつもりですか」
「いいとこ!いいじゃん増田、たまには浮ついたところに行っても。折角いい体してんだし」
「関係ないですよそれ……」
ある日、仲のいい先輩にほぼ無理矢理にオススメのBARとやらに連れ出された。俺は強い酒は家で飲めば十分楽しめるし、いい店を紹介してくださいと冗談でも言った覚えはない。しかも、タクシーが向かった先は歓楽街の方面だ。もし酒に弱い人だったら早めに言わせてさっさと帰ることが出来るが、この人はなかなかに強く、団体で飲みに行っても大体酔いつぶれたのを介抱する側だったからこの先逃げれるとは思えない。
せめて、せめてまともな店を選んでくれと切に願っていた。のだが。
「これから行く場所なんだけどさぁ、カクテルは最高だしバーテンも良いヤツらばっかなんだけど、たまにおもしれーことが起きるから」
「不安要素しかないんすけど」
「そう言うと思った〜。大丈夫大丈夫、この曜日にはあんま来ないから多分なんも無いって」
どの道怖ぇよ。ため息を飲み込みながら向かった先に見つけたBARは以外にも小洒落ていて変な雰囲気はあまり感じられなかった。けれど中に入ればチャラそうなやつがちらほら居て、偶然隣に座った顔の良い茶髪の男はあまり視界に入れないようにしながらも、先輩の話に耳を傾けながら酒を煽った。
酔ってきたらしい先輩に声をかけながら何となく流れてきたピアノの音に耳を傾けるていると、それがCDではなく生演奏だということに遅れて気がついた。赤っぽい照明の元で黒と赤の派手なピアノを弾くのは小柄な男。背中だけでも華奢だと分かるのはペラペラのダメージニットを黒のタンクトップ一枚の上から着ているだけの薄着で、その肩甲骨や細い腰までが顕になっていたからだ。決してじろじろ見ていた訳ではない。
演奏が終わると拍手が起こり、隣に座っていた男が入れ替わりステージに上がりテナーサックスを構える。次はあの男が演奏するのだろう。さて、ステージを降りた男は俺が座る席から一つ分空けたところに座った。赤いライトの下では分からなかったが、視界の端で捉えるその髪色は若干暗めの金だった。可愛らしい色のカクテルを出され、意外と小さく見える手で華奢なグラスを持っている。
「あんがと」
高めの声だな、そう思った。
「ねえ、おにーさん」
少し甘さのある声を、俺は淡々とシカトした。すればムスッとしたらしい雰囲気がありありと感じられて、仕方ないと諦め応じてやる。「増田だけど」そう答えれば「違うよ下!下の名前!」なんて馴れ馴れしく聞いてくる。
「このまま答えたら俺フルネーム答えることになんじゃん」
「苗字ぐらい忘れてあげるよ」
ニコッと笑った顔に不覚にも可愛いと思ってしまった。顔には出ていない自信はあるが、なんかそれだけで絆されたようで悔しい。
「……貴久。お前は?」
「たか、ひさ」
「……おい、ちょっと」
噛み締めるかのように俺の名前を呟いた彼の手からグラスが滑り落ちそうになっていたのをそっと受け取リクエストカウンターテーブルに置いてやると、ゆっくりと焦点が俺に合った。口元に添えられた手の薬指と小指には、似合わない黒と赤のマニキュアが色を差している。
「意外と古風な名前だね」
「悪い?」
「ううん、いいと思う。俺はユウヤ」
ゆうや──よくある名前だが、ついこの前友人達が探していると言っていた名前もそうだったな。薄暗がりで見えずらい彼の顔を見ようと視線を横に向けた時だ。スっと彼の前に小さな小さなグラスに入った酒が差し出された。「あちらの方からです」とお決まりの文句を言うバーテンは奥の方の席に座ったスーツ姿の男に指先を向ける。遠目からでも高そうなスーツとネクタイ、そして整った髪型。首元が緩められていても様になっている。
「初めての人だね」
ユウヤは微笑む。そこで俺は初めて彼の顔をはっきりと見た。長めの前髪で隠れていた瞳は透き通るような鳶色で、すっと通った鼻筋も綺麗に整えられた眉も美しく、小さな桜色の唇は少女のような愛らしさがあった。長い睫毛を伏せ、前に置かれた小さなグラスに顔を近づける。二層の茶色の酒が入れられた上にホイップクリームで飾り付けられた見た目だけは可愛らしいカクテルの名前は確か……
「ブロージョブ」
俺達のやり取りを見ているだけだった先輩が小さく呟く。まさか今日見れるとはね、と言う声は楽しそうに聞こえた。
カクテルをくれたスーツの男に軽く微笑みかけながら、彼は小さな口を開いてそのグラスを咥え込む。飾り付けられていたクリームが口端を軽く汚して、クイッと顎を上げてカクテルを飲み干した。手を使わずに飲むカクテルだ。飲み込みきれなかった酒がたらたらと顎や喉仏を伝っていき、クリームが混じって白く濁ったそれらが口の周りを汚していく。
「あー美味し♡」
ペロリと口の周りに付いたクリームを舐め取って、口から抜いたグラスをカウンターに置く。そっとナプキンを渡してやれば礼を言って受け取った。
すれば、いつの間に来ていたのか、彼にこのカクテルを差し入れた男がユウヤの背後に立っていた。遠目で見てまあまあの男前かと思っていたが、顔が良くてもここまで劣情を全面に出しているのを見るとなんだか残念だ。その目は爬虫類のように、完全に狩る者の目をしている。今すぐ食べ尽くしたい、みたいな顔をされると、外野の自分から見ても魅力が下がってしまうような気がする。
「行っていいよね」
「待って、お代は……」
「俺が払った」
男はユウヤが椅子にかけていた上着を薄い肩に引っかけてそのまま店を後にして行ってしまったせいで、ユウヤから醸し出される空気にあてられていた店内は少し静かになった。
「あの、先輩が言ってたおもしれーことって……」
「このことだよ。運がいいね、まっすーは。そう、ユウヤ君、よくここに来るんだ」
「有名なんすか?ていうかあんなカクテル飲む人本当にいたんだ」
「カクテルってあの?さっき飲んでた?……ふふ、ありゃあ凄いよな」
「ニヤケないでくださいよ。顔キモくなってますよ」
「仕方ねぇだろ?あの後のこと想像したら」
どういう意味だ?と先輩を見上げたら、「鈍いなぁ」と笑われる。彼は酔ったのか興奮しているのか、紅潮した頬を緩めながら言った。
「あのユウヤは、あの酒を他人から奢ってもらったら毎度そいつにタダでフェラをサービスしてくれんだよ。本番は許してくれねぇんだけど、もう口でするテクがすげぇのなんのって……」
「え、やらせたことあるんですか」
明らかに口を滑らせた、という顔をしたが、すぐに開き直りユウヤのことを自慢げに話す。
「ほんっっとに上手ぇのよ!あのちっせぇ口だけで天国行けちゃう。でも聞いたらどうしても本番はダメって言うから、ちょっと固くなってたあの子のを扱いてあげるだけにしたんだけどさ、『もし無理やり襲ってきてたら催眠スプレーかけちゃってたんだから。お兄さん偉いね』ってニッコリ!ま〜あんな完璧な小悪魔中々いねーよ」
「先輩ってそっちでしたっけ?」
「いいやいやいや……んなわけないじゃん。お前も分かるだろ?ユウヤなら抱けるわって」
そんな馬鹿な話を数十分され続け、にへらにへらと笑い続けた男にもそろそろ飽きてきて、もう帰りますと言い切りBARから出た。先輩が無理やり渡してきたのは何かと思えばタクシー代で、そういう所は気の利く人なのにな、とちょっと残念に思った。
とはいえ、BARのある場所からタクシーが捕まりやすいスポットは駅と同じくらい遠く、大通りに出るまで少し時間がかかる。その道中には公園があり、そこの自販で水でも買うかと立ち寄った。その時、俺は何かを見つけて立ち止まった。コンビニと自販機の光で照らされた何かがその時ちらりと視界の端に映ったのだ。それはモゾりと動き、ベンチから転がり落ちた。パーカーのフードからはみ出るのは明るい髪色だ。男も女もよく分からないシルエットに少し心配になってペットボトル片手にその肩を揺らした。
「おい、ちょっと大丈夫ですか?」
「んーーー?」
高く掠れたその声は聞き覚えがあった。ユウヤ、あのBARで見た男。先輩は極上のbitchと呼んでいたあの金髪男。そして、幼馴染達が探している手越祐也だ。
彼は俺をその目に捉えるとヘラりと笑い、俺の両頬を両手で挟んで「えへへ」と子供みたいな笑い方をするのに驚いた。あの時からそんなに時間も経っていないのにどうしたらそこまで酔えるんだ、と思いつつ声をかけた。
「ん、むりぃ、おきれない」
「…………」
俺はなんて親切なんだろう。一体どうしてこんな面倒なこと……。
結局へばった猫を自宅に連れて帰り風呂に入れ、部屋着を着せてベッドに寝かせた俺はなんて親切なんだろうか。落としそうになっていたネックレスを拾ってやったり汚れた服を洗ってやったり……幸いこれから数週間はうちの会社では義務となっている有給消化期間に入るため休みだ。こいつも運がいいな、なんて思いながら、憎たらしいほどすやすや眠る彼に背を向けて眠った。
そして朝。背中にすがりつくようにピッタリと添い寝されている感覚で起きた。起き上がりその顔を見ればキョトンとした顔がこちらを見上げてくる。
「あれ……?」
「起きたか」
「あんた…、ますだ、たかひさ?」
「よく覚えてんね。あんなにベロベロに酔っ払ってたのに」
俺が俺だと知るとじわじわと笑みを深めた彼は、ありがとう!!と満面の笑みで俺の腰周りに抱きついた。
「っおい、お前……」
「ありがとう!タカ、助けてくれたんだマジで嬉しい〜!救う神あれば拾う神ありってこのことだね」
「別にいいけど……何があったんだよ」
「ああ、昨日相手した相手がまあまあ金持ちだったんだけどさ、でもただただ甘やかされてきたボンボンみたいで。口でイかせてあげたのにヤラせろヤラせろってうるさいのなんのって!俺はそういうのやらねえのって言ったら、周りにいた付き人達に抑え込まれちゃって、催眠スプレーも取り出せないしめっちゃ困って。ダメかもなって思ってたら、ケツから酒飲まされたの。しかもめっちゃ度数高いやつ!酷くない!?」
「だからあんなに短時間でベロンベロンになってたのか」
「そう!腸からのアルコール吸収は早いからね。そうしたら『どっかの酔っぱらいにでも犯されてこいよ』って道路にポイってされて」
ユウヤが溜息をつきながら自分の尻を擦りため息を吐く。すると何かに気付き、驚いたようにこちらを見た。
「……ああ、悪趣味なオモチャは捨てといたから」
風呂に入れた時に気がついた、まるで尻尾のようなオモチャ。戒めるように差し込まれていたそれを仕方なく抜いてやった時は痛かったのか軽くすすり泣かれてこちらは焦ったのだが、まさか注ぎ込んだ酒が漏れないようにするためだったか。
「ありがとう」
「へ、」
「こーんな優しくしてくれる人、初めて!」
キラキラと効果音がつきそうな笑顔で言われるとなんだかんだ助けてやってよかったかも、と思った。ほっそい奴だし、本当に襲われたりしたら大変だろうなって少し同情して油断した……のが間違いだった。
するりと俺に撓垂れ掛かってきたと思うと完璧角度の上目遣い。
「はじめてだったから、俺、めっちゃうれしーの」
寝巻きにしているハーフパンツに手を掛けられた時にはもう遅い。自分のものをあっという間に下着から出され、朝勃ちのせいで緩く硬さを持っていたそれがあっという間にあの小さな手に握られていた。
「──お礼させて?」
ぱくりと薄く色付く唇に咥えられ、瞬時にヤバイと脳内で警報音が鳴り響く。ヤバイ──マジで、イイ。多分、いや間違いなく今まで自分でしてきたのよりも、女の子達にやってもらった時よりも。小さな金髪の頭が動くのを見つめながら「やめろ」と言うが、その声は酷く情けない。口では収まりきれなくなった根元を指で扱いたり、裏筋を舐めたり頬の粘膜に擦り付けたり、どこでそんなの覚えたか聞きたくなるようなテクで気持ちよくさせられてすぐにイってしまった。しかもこの頃自分でもやってなかったせいで量も多く密度も濃い。それを受け止めきれなかったらしい彼は口元や手に白濁をだらだらと溢れさせてしまっていた。
「……ッああもう、いいか、動くなよ」
「
「舐めんな!いいからじっとしてろ!」
自分の服を整えながら流しに走り、適当なタオルをぬるま湯で濡らしてまた寝室に戻る。キョトンと大きな瞳をまん丸にしてこちらを見上げるユウヤの口元をグイッと拭う。
「ほら、吐けって」
「もう飲んだ」
「はあぁ!?……まあいいや、ほら手ぇ出せ」
どうやら舐めようとしていたらしい手もしっかり拭ってやり、引き立たせると洗面所に連れて行ってうがいをさせた。わざわざ水に濡れた口元まで拭いてやって、少し汚れたパーカーを替えてやり、最後に手を除菌シートで拭いてあげた。軽く朝食を作ってあげるからとソファーに行かせようとしたら、彼は不思議そうに俺をじっと見つめた。
「なに?」
「……あんた、やさしーね」
「別に普通だよ。───優しいのはお前の友達だろ?」
整った眉が顰められる。
「友達?」
「加藤シゲアキ、小山慶一郎。知らないわけないよね」
「……ッは、なんで」
後ずさりした彼の細っこい腕を掴み引き寄せる。未だにアルコールが廻りふらつく身体は力をかけずともこちらにもたれかかる。
「探してるよ」
「知ってる」
「連絡してあげないの?」
「うるさい」
離れようと身を捩る力はそう強くなかったが、幅の広い二重から睨み上げられる眼力は強くて。
「じゃあ、服返してくんない?会う人がいるんだけど」
腕を離してやったらまた生意気にそう言ってくる彼を無理矢理にソファーに座らせる。
「トーストくらい食ってきな」
腹は減っていたのか、三秒ほど悩んだ後、はちみつトーストに齧り付いた。その隣に洗って畳んでおいた彼の衣服や預かっていた貴重品を置いてやるが、持っているだけで着ていなかったトップスに取り替えて置いておく。
「これ……」
「こっちにしな。その方がかわいいよ」
「は、」
「それがお前の強みでしょ、違うの?……スケスケのダメージニット着てビッチ気取ったとこで、お前の根っこにある素直な優等生くんは消えないよ」
信じられないような瞳でこちらを見上げるユウヤ。なんで、と音のない声で呟く整った顔は、小山達が俺に見せた彼の中学時代の写真、黒髪の、まだ歯の矯正も終わっていない頃の彼と重なった。
「なんでこんなことしてんの」
「……」
「これから誰に会う気?……まさか、シゲ達が言ってた元彼じゃないよね」
「ッ……」
「ほんと、根っこは変わってないんだな。小山達が言ってた”素直でかわいい純な手越”から」
そう言った途端に顔を真っ赤にした彼はそそくさと着替え、スマホと財布を引っ掴み家を飛び出して行った。
「慶ちゃん達にはまだ言わないで」と言い残し俺があげた白いニットに十字架のネックレスをつけて出た彼は、これからまた男のモノでも咥えに行くのか、はたまた変な恋人に逢いに行くのか……どっちにしたって俺には関係の無いことだ。せっかくの休みを無駄にしたくない。小山とシゲに連絡して、俺はさっさと手を引くかと思っていた。
思っていたのだが。
「あの、ちょっと話してもらってもいいですか」
なぜ俺はあのBARで居合わせたサックス吹き、本業はモデルをやっているらしい男の元をわざわざ尋ねて来ているのだろう。俺の隣に座っていて、ユウヤと仲が良さそうだった彼は何かを知っているかも知れないとバーテンに聞き込みまでして。
彼はすぐに俺を思い出してくれたようで、聞いたら直ぐに色々と答えてくれた。彼がいきそうな場所、クソみたいな彼氏との思い出の場所やその男が懇意にしている店など、彼は細やかに話してくれた。頭も良くて素直で人を信じやすくて、歌も上手くピアノもギターも弾けてちょっといたずらっ子で、そして一途で。ユウヤの大学の時の先輩だった山下という男は少し泣きそうな顔でユウヤのことを話した。
「俺は全然助けてやれなかったからさ」
「助けてって、ユウヤの元恋人から?」
「元じゃないよ。多分、手越はあいつに声かけられたらまた……」
大手レコード会社に就職したばかりの頃に事故で両親を亡くし、不安定になっていた祐也につけ込んだ男は、彼を心配した友人達からわざと遠ざけて自分に依存するように彼を洗脳した。暴力と賭事と信憑性のない愛の言葉しかくれないような相手に、彼はどんどんのめり込んでいって、友人達が訴えを起こし祐也と男を引き剥がした頃にはもう壊れてしまっていた。
「有罪判決が出たよ、あいつはお前に酷いことしただろって言っても会いたい会いたいって……。泣きながら。あのクソ男に貰ったネックレス握ってさ」
「そのネックレスって、悪趣味な十字架の?真ん中に赤い宝石の入った」
「あ、ああ。そうだけど。……まさか手越があれを付けてたの?」
「はい。財布に入れてたのを今朝つけてるのを見ました」
彼は目を見開き項垂れた。どうしたんですかと問えば、
「手越はね、あの男と会う時はいっつもあれをつけていくんだ」
そう手を握り締めながら言う。いてもたってもいられなくなって、山下さんから聞いた心当たりのある場所をスマホのマップに入力し始めた俺を見た彼は少し驚いているようで。
「増田くんはさ、手越とは昨日初めて会ったんだよね」
「はい」
「仕事で行けない俺としてはすっごく嬉しいんだけど、どうしてそこまで……もしかして好きになっちゃった?」
「かもしれませんね……っえ?」
言ってから自覚した。飲まされた酒のせいでぐったりしていながら恋人の名前を健気に呼んだり、びっくりすると見せるきょとんとした顔を可愛いと思ったり。俺は、小山達が見せてくれた写真のような自然な彼の笑顔が見たいと思うようになっていた。
「山下さん、俺行ってきます」
自覚したらもう止まらない。ユウヤを探し出して、変な男から引き剥がして正気に戻さなきゃいけない。それが一方的な思いだとしたって、たったの一日さえも二人で過ごしたこともなく、抱いてもいない男にここまで必死になる理由なんて上手く言えないが。
『そっか、まっすー手越のこと好きになったか』
『い、いや……別に、貸したセーター返してもらおうとしてるだけです』
山下さんにはからかわれたが、理由なんて後付でいい。
とにかくあいつを助け出したくて、BARやホテルを数件当たって、ようやく見つけたのは地下で経営されるクラブだった。ボーイにユウヤの画像を見せるとVIPルームにいるから会わせられないと言われたので山下さんから渡されていたよく分からないバッチを見せると直ぐに通してくれた。厚い扉を開き部屋に入る。そこには。
「ふ、ふぁ…んむ……んっ」
「じょーずじょーず……はッ、ほらもっと奥まで……っあぁ…!」
「んっ」
男達に囲まれ、恍惚とした表情で口淫をし、汚い手に体をまさぐられながら細い体躯を震わせるユウヤがいた。出された口元を拭いながら振り返った彼は俺を見つけると心底驚いた顔をした。
「たかひさ?」
俺が言葉を失っていると、高みの見物のようにユウヤが男達に囲まれているのを見ていた男がユウヤの肩を蹴り飛ばし、地面に伏した彼の頬を強かに張った。パン、と痛々しく音が個室に反響したと思うと今度は襟首を掴まれ腹を蹴られたようだ。
「っおい、」
俺が声をかけようが男は意に介さない。
「祐也、お前、まさかアイツ新しい彼氏か」
「ちがッ……」
「黙れ」
瞬間、ユウヤはズボンを膝まで下ろされ、ろくにならしてもいない秘孔にガン勃ちのモノを突き入れられた。悲痛な叫びが響き渡る。俺は一瞬あまりの展開に頭が追いつかず立ち尽くしていたが、白い太腿に血が伝い、男の手が細い首にかけられたところでようやく足が動いた。二人を引き剥がし、男の腹に蹴りを入れる。ユウヤは震えるだけでなんの抵抗もしないのにも腹が立った。このまま連れて帰りたいぐらいだったが、ガタイのいい男数人に強制的につまみ出され後は何がなんでもその個室には入らせてもらえなくなった。俺に出来ることといえば、ボーイに住所の書かれた名刺と金を渡してユウヤが出てきたら渡すようにと伝えることくらいだった。
俺には何もできないのか、とむしゃくしゃしたままタクシーに揺られながら、果たしてユウヤは来るのだろうかと考える。山下さん曰くDVとギャンブルをやりまくっていたクソ男に夢中なのだからそう簡単に洗脳は解けないだろうし、こればっかりは俺一人で頑張っても空振るだけだと思ってなんだか落ち込んでいたのだが、日付が変わる頃に押されたインターホンに俺はふんぞり返った。
「……ユウヤ?」
「たかひさ、いる?」
ずぶ濡れのユウヤが『開けて』と言ってきたのだ。驚きながらも迎え入れ風呂に入らせると、昨日までは無かった傷がいくつもついていて湯がかかる度に体を震わせた。風呂が終われば着替えさせてやって……まるで傷だらけの捨て猫の世話をするような感覚だった。しかも前回家に入れた時よりも素直な態度に心配したが特に異状はないようだった。
だが、彼が着ていた服のポケットから十字架のネックレスを見つけて見せてみると堰を切ったように泣き出した。赤い装飾がついていた真ん中から折れて壊れたそれをゴミ箱に入れるように促すと、きゅっと唇を引き結んでめいっぱいの力で投げ入れた。剥がれかけていたマニキュアも剥がしてやればもっと声を上げて泣き出した。小さい子みたいにひきつけを起こすんじゃないかと思うほど泣くもんだから、ずっと付きっきりで毛布をかけてやったりぬいぐるみを握らせてやらきゃいけなかった。
背中を摩ってやり、目も鼻も真っ赤にした後にやっとすすり泣きぐらいにまで収まると、祐也は泣きすぎでガサガサの声で独り言のように今日あったことを話した。ぽっきり壊れたあのネックレスは彼からの貴重なプレゼントで、また会うための約束として渡されたものだったらしく、それをいとも簡単に壊されたことが本当にショックだったらしい。こちらから見ればただの派手目なアクセサリーだったが、そのお陰でユウヤは少しはまともになってくれたらしかった。
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