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あかねぞら

ただいまと声をかければすぐにおかえりと返って来る二人暮しの家には、この日の俺達にとって定番の香りが漂っている。まろやかなミルクの香り、程よく効いたスパイス……それのためにわざわざ飲み会を蹴って家に直行してきたのだ。
「タカ?」
キッチンの奥から俺の気配に聞こえたらしい声が聞こえてくる。嬉しそうな感じが伝わってくるのに自分まで嬉しくなりながら居間に続くドアを開けた。



✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



その日、手越はどこか憂鬱な表情で学校中の女子達から貰った愛の詰め込まれしチョコ菓子を予め持ってきていたらしい紙袋に詰めていた。もちろん、そんな雰囲気はそれらをくれた子達には見せない。わざわざ男子サッカー部の部室に行ってその作業をしていた。
「すっげーな手越、紙袋もう一個いるんじゃない?モテる奴は違うねぇ」
「サッカー部現キャプテン様には言われたくないんだけど。多分本命チョコはまっすーの方が多いと思うよ」
「そんなことないっしょ。まああいつ確かにリア恋勢多いか……」
バレンタインの日は、そりゃもう大変だった。うちは男子校だから校内からはあまり供給は無い(あるにはある)が、校門にちらほらいる他校の女の子達はマラソン選手に水や軽食を渡すボランティアの如く丁寧にラッピングされた甘味を渡してきてくれる。その他にも、校門でスタンバってるうちの高校の学生が宅配便の役割をになったりもするので、そうなったら返すすべもないから持って帰るしかなくなる。甘いものが苦手な手越には結構キツかったりするけれど、言っておくことも出来ないからどうしようもない。
なんてあるあるを話しながら友人と別れてそのまま向かったバイトをこなし、やっと家に帰ると、シゲを幼稚園から迎えに行った貴久が玄関先でバスタオルを手に待ってくれていた。
「迎えに行ってあげられればよかったな」
そう言った彼は、パーカーのポケットから小袋を寄越して綺麗に微笑んだ。甘いのが苦手なのを知っている彼は甘さ控えめのパウンドケーキを作って渡してくれた。

┈┈┈┈それから約一ヶ月。俺はまだホワイトデーのお返しを決められていない。

そもそも俺は菓子作りが苦手だ。普通の料理が出来るのは何度も失敗しながら経験値を上げたおかげで慣れているからであって、トリュフとか、そういうチャラついたものはろくに作れやしない。ケーキ系も炭になる気がする。クッキーはどうだろうと考えても、どのみち自分が適切な味見できない不安要素があり没になった。
それでもホワイトデーで何かをあげたいと思うのには理由がある。俺はこのイベントを利用し、彼に面と向かって『好き』と言いたいのだ。告白された時にも『俺も……』と返しただけだから言葉でしっかりそう言えてこなかったのをずっと後ろめたく思っていたのだが、今までチャンスを逃し続けていた。告白された時も、パウンドケーキを渡されたバレンタインの日も。好きだよって言われて「うん」と答えるのではなくて、きちんと言葉にしようというのが目標だ。
それに今回は運が味方に付いている。タカのご両親とシゲが出掛けているので家の中には二人きりなのだ。俺達は午前中に用があったから、みんなに楽しんでおいでと言ったのが昨日の記憶。現在彼は大分遅れた部活の送別会に行っている。おそらく夕方くらいに帰ってくるだろうからそれまでには決めておかなきゃいけない。

───打ち上げには行かずに戻るから!

わざわざそう言ってくれたってことは、彼も俺と二人っきりの時間を楽しみにしてくれてるっていうことだと考えたらちょっと嬉しくて胸が高鳴った。
結局甘いお菓子は諦め、一応3月14日の意向に沿ったものを作ることにしてキッチンに立ち、おかわりのことも考えた三人分の食材を前に包丁を手に取った。

スムーズに作業を進め、あとは煮込むだけとなり、火を監視しつつ携帯と夕方のニュースに意識を向けていた頃。
「あ、雨……」
水滴が窓をまばらに叩き始めた。それは次第に強くなり、あっという間に本降りになった。
心配になり、
『雨、平気?傘持っていこうか?』
と、メッセージを送れば、
『大変じゃない?』
『全然!ちょうど暇してたし』
『あー、それなら。出来たらでいいよ?駅までお願いしていいかな』
その答えににっこり笑ったキャラクターのスタンプを送り、鍋の火を止めて身支度を済ますと傘を二つ持って家を飛び出した。
改札脇で待っているとちょっと早足でこちらに歩いてくる彼の姿が見えて胸が高鳴った。色んな事情があり同じ家に住まわせてもらってはいるが、こうやって駅で待ち合わせするだけで何故かドキドキするのは少女漫画思考が過ぎるかな、と思ったところで彼の手が俺の持つ傘の片方を持った。
「ありがと、帰ろっか」
「そだね……あ、タカ、濡れてる」
学校から駅までは走っていったのだろうか、派手な髪色を隠すための黒髪のウィッグもTシャツの上三分の一も結構濡れてしまっている。前髪から顔に滴る分だけでも拭いてあげようとハンカチをその辺りに軽く当てると、猫のような小動物みたいに体を縮こませて俺にされるがままになるのが可愛くてちょっと笑ってしまった。それがいくら同性とはいえ距離が近く、遠目から見ればイチャついて見えるのに彼らは気付かない。
「粗方拭けたし、行こっか」
そう言って彼に持ってきた傘を渡し、自分のを開こうとした時、ベキッと嫌な音がした。見てみると自分の使い古した傘の一部の布ごと骨がボッキリいってしまっている。どうしようと思ったが、それを見たタカはなんでもないように言う。
「俺の傘入ればいいじゃん。それは持って帰ってさ」
願ってもない提案。控えめに頷くと、グイッと腰に回された手で彼のすぐ隣に引き寄せられる。こんなの、こんなのって。
「た、タカ濡れない?」
「大丈夫!これ結構デカいから」
でもちょっと心配で寄り添うようにして身を寄せるけれど、彼が俺のために傘を傾けて自分の肩を濡らしているのには気が付かなかった。
「ね、手ぇ組んでよ」
「えっ、でも……」
「この雨だし誰も気にしないよ。ほら、てごし」
自分のよりもおっきな彼の手にそっと包まれる。それは結構冷えていて、温めようとそっと指を絡めた。
こういうのって、告白とかそういうシーンに繋がんのかな。自分でそう思って勝手にドキッとして繋いだ手に力が入る。彼はそれにちょっと笑って、
「どうした?それじゃ傘持てないんだけど」
ちょっとからかうような笑みを浮かべてそう言ってくる。なんだかめっちゃ恥ずかしい。
「ご、ごめん」
つい顔を背けてしまう。すると手が離され、少し寂しく思うと同時に首に何かが巻かれた。彼の使うマフラーだった。あっと思っている間に他が繋ぎ直されて彼のコートのポケットに一緒に入れられた。カイロが入っていたからか、それか彼の体温のせいか温かくて息が漏れる。
「薄着すぎでしょ。今日結構寒いじゃん」
「大丈夫!タカいるし」
そう言って肩に凭れかかるみたいに頬をつける。
「家帰ったらすぐ風呂ね。飯作ってあるけど……腹減ってる?」
「マジ!?超減ってる!やった、楽しみ〜」
飯のワードにはすぐ反応を示す素直なところが好きだ。ふわっと笑ったらぽこんと出る片エクボも可愛く細められる瞳も好き。好きなところなんてバカみたいにあるのに全くもって口に出せないんじゃあ仕方ないと、分かってはいるのだけど……。無意識に、組んでいる腕の力を強めてしまった。それに気付いた優しい彼は言う。
「あ、やっぱ寒いんだろ。ほら、こっち」
傘を持ち替え、自由になったこっち側の手が俺の肩を引き寄せた。自分よりちょっと厚みのある体に密着するような形になったせいで自分でも頬が火照っていくのが分かった。
「風邪引いたら大変でしょ?」
「あ、うん……」
や、やばい。この調子だと照れてばっかで『好き』って言うどころじゃなくなる。この人が風呂に入ってる間に気持ちを建て直して……
「何、照れてんの?」
「なっ、て、照れてねーし!!」
「ふふ……」
ああもう…俺のばか、あっという間に彼のペースに飲み込まれた。そのまま他愛もないことを話しているうちに時間は過ぎて、あっという間に家に着いてしまった。

……あーあ、相合傘の中で想いを伝えるなんてことなかなかできやしないのに。

せっかくの機会を逃したみたいで少し悔しくなるが、まだホワイトデーは終わっていない。傘に着いた水滴を粗方振り払い終わると、風呂場に彼の部屋着とタオルを置き、すぐにキッチンに戻り火をかける。我ながらいい感じに野菜が柔らかくなり味付けも丁度いい。ちょっと胡椒を追加してもいいかな、とそれを加えたところで、彼がいつの間にか居間に来ていることを知る。キッチンカウンター越しにこちらを覗き込んで、キラキラとした目で俺を見つめた。
「めっちゃいい匂いなんだけど」
「ほんと?よかった。もうすぐ皿に盛るから待っててな」
「うん!シチューか……久しぶり」
そう。今日作ったのはホワイトシチュー。ホワイトデーにあやかって作ったのだが、この人は気がつくだろうか。
いただきます!と元気よく言うと大口でパクパク口に運んでいく。美味しい美味しい言ってくれるのが嬉しくて彼の食べる姿を見つめていると、
「食べないの?」
と聞かれたことで自分が一口も手をつけていないことを遅れて気付き、慌ててスプーンに手を伸ばす。
「ああ、食べる食べる。……ほんと、美味そうに食うな〜って思って」
「だって美味いし」
「……へへっ」
不器用な自分が出来る料理は限られているけれど、それでこんなに喜んでくれるならとても嬉しい。彼は俺が半分食べ終えたところで「おかわり、ある……?」と控えめに聞いてきた。
「あるよ。待ってて」
おかわりをよそってあげて、受け取った彼がそれをまた食べ始めれば、口元にスープがついていることに気付かないままあっという間に平らげた。俺が彼より数口遅れで食べ終わると率先して皿を流しに持って行ってくれて、そのまま洗ってくれた。ついでに鍋までやってくれた。自分はそれらを拭いて食器棚に戻し終わった後、スポンジや洗剤のポジションを整える背中をじっと見つめている。
ちょっと前までキッチンはこわい場所だった。親戚の家にいた時期は怒られる度に細長い空間の隅に追いやられ耳がもげるかと思うほどの甲高いヒステリーに責められて、鍋などを入れるための棚の扉をバタンバタンと開閉しながら腕や足や頭を痛めつけられたっけ。でもその背後には包丁を収納してある引き出しがあると考えるとおっかなくてろくな抵抗も出来ずされるがままだった。
思い出したせいでキンと耳鳴りがし、あの古い家よりも三回り広い増田家のキッチンの隅にかつての自分の残像が映った、とき。
「なに、どうした?」
その柔らかい声だけで、その亡霊はいとも簡単に霧消した。ここは安全だ、大丈夫だと、そう思えた。
「……ううん、なんでもない」
「なんだよ。なんかあるんじゃねーの?」
嫌な記憶のことはあなたがいたら大丈夫だし、本当になんでもないよ。
ただ、駅まで迎えに行って、二人でどうでもいい話をしながら夕飯を食べて、片付けも二人でやって。なんかそれって、それをこの人とできる人って、
「……いいなあって」
ぽつりとそう呟いた時、目の前の彼の顔色が変わりこちらに近付いてきた。あれ、変なこと言ったっけ。そう思っているうちに大きな手が顔の方に伸ばされ、そっと目元に触れた。「どうしたの、やっぱりなんかあった?」と言って。
ほんとになんでもない。へいき。そう言いながら首を振れば、ちょっと眉を寄せながら笑って、冷蔵庫にもたれかかる俺を抱き締めた。
「ホワイトデー、ありがとう」
「気付いてたんだ」
「そりゃ、ねえ。何くれるか楽しみにしてたし」
「よかった」
「それじゃあ手越、こうしない?」
タカは可愛く微笑んで言う。
「これからのホワイトデーは、毎年ホワイトシチュー作って待っててよ」
きょとんと彼を見上げる。なんて言った?これから?毎年?……でも空耳じゃなさそうだけれど深い意味はあるのだろうか。フリーズする俺を見て、彼はさらに微笑んで、
「てごし、」
そう言って押し当てられた柔らかいそれからは、ついさっきまで口にしていたクリームソースのふわっとした甘さが伝わった。ちゅ、ちゅ、と音が漏れ、「んっ」と声が出てしまった時、彼は静かに唇を離し、その吐息で震えた俺の耳元で囁いた。
「だいすきだよ」
その直後に見えた彼は少し大人びて見えた。そんな殺し文句を言って包み込むような優しい笑みを浮かべて、理由も知れない俺の涙を拭って。
「だから泣くなって。てごしの気持ちはもうとっくに知ってるからさ」
俺の気持ちを知っているってどういう意味だよ、そう聞く暇も与えずキッチンから手を引いてソファーに並んで座って手を繋ぎ直される。そしてまた口付けられて「好きだよ」と言われてしまうと簡単に体の力が抜けてしまった。眠気まで一気に襲ってくる。
「眠い?てごしは泣いたら眠たくなっちゃうからね」
「んな…、赤ちゃんみたいに言うな……って…」
「……おやすみ。明日も休みだよ、ゆっくり寝ろよ」
目の前の喉仏が霞んで、暖かい手が背を摩る。彼の声を聞いているとさらに力が抜けてきて、……



頭を撫でた時、薄い体はかくんと俺の胸にもたれかかった。窮屈に眠る体を動かし膝に頭を乗せさせると、俺の腹に顔を寄せようとしたかと思えば頬をパーカーの布地にくっつけてへにゃりと笑う。
「たか……」
「何?」
「んーー……すき」
「……夢では言ってくれんだけどなあ」
まあでも、態度からは丸分かりだし、この照れ性が見れるのも若いうちだけかもしれないから楽しまなきゃ。
でも早くその綺麗な瞳に見つめられながら「好き」って言葉を聞きたいな。そう思いながら、俺は身体を屈めて膝の上で眠る彼のこめかみにキスをした 。



✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



小さな口がもぐもぐと動いて俺のよりも一回り小さい皿に盛り付けられたホワイトシチューを咀嚼するのを見つめている。おかわりいる?と聞かれて、祐也が食べ終わってから決めると言ってからずっとこういう感じだ。彼の食べ方は端々に男っぽい仕草もあるにはあるが、全体的に可愛らしい。形容するならハムスターだ。あの小さな口で入らないくらいの量を詰め込んで頬を膨らませるのは、高二だった彼と知り合った時から変わっていない。
今日はあの日から毎年恒例となった彼からのホワイトデーのお返しのために早めに帰ってきた。彼のホワイトシチューは相変わらず美味い。
大学生ともなれば他の人が作った料理を食べる機会もあるから分かるけれど、彼の料理はやっぱり男子飯というか、野菜の切り方などの観点から見るとどこか荒っぽい。だが料理が得意な子が作ってくれた繊細なそれよりも、彼のものの方が好きだし、いくつかあるメニューの中でシチューが一番クオリティが高いところも可愛く感じる。
「ん、悪くない!あ、タカおかわりいるよな?」
俺の前に置かれた空いた皿に手を伸ばしながら彼は言う。けれど俺は、口についた白いそれをぺろりと舐めとる仕草に目を奪われた。

────うまそうだな

刹那、獣のような衝動が自分を襲って。
「うッ、わ……」
「あ、ごめん」
気付いたら、カーペットの上に彼を押し倒していた。ごめんなんて言いつつもその白い首筋に顔をうずめ乳突筋のラインを舌の先でなぞり、辿り着いた耳朶を軽く食むと柔く外耳に歯を立てた。
「ちょ……待って」
我に返った恋人の唇に噛み付くようにキスをすると、さっきまで二人で食べていた料理の香りがしてくる。いたいけなミルクの香りに何故か煽られた。
彼の部屋着になっているのは俺が二年前に買ったパーカーだが、彼の体格ではダボダボで裾から手を入れることなど容易である。するりと脇腹を指先でなぞりあげると下の体が大袈裟に跳ねた。
「ひっ、や」
「……ごめん、ゆうや」
「はぁ?」
頬から目の周りが既に軽く赤くなり、照明の当たる大きな瞳は潤んでいる。無意識に唾液をゴクリと飲み込んだ。向こうも喉仏の動きでそれに気付いたのか、顔色が変わるのが分かった。
「シチューの残りは明日の朝食べるから……いい?」
二回ほど瞬きをした彼は、目を細めて薄く微笑む。いつも表情をコロコロ変えながらも明るく笑っていることの多いこの男がこのような静かな表情を浮かべると美しい顔の造形が際立ってくるなと思っていると、するりとその腕が俺の首に回された。
「いいけど……」
そう言われるや否や体を動かそうとした俺を頬を抓って止める。俺は犬じゃねえんだけどな。
「終わったら風呂に入れてやるし、皿も洗っとく。……だったらダメ?」
甘えるように鼻の先に口付けてそう問えば喉の奥で軽く笑われ、少し焦らされたあと「いいよ」と許可が降り、その腕を取ってベッドに向かった。




────
性欲オバケだった高校生時代に散々我慢したせいか、大学生の今、一回一回の行為が濃厚すぎるとよく文句を言われる。加えて、家に自分たちしかいない時しかこういうことは出来ないから……尚更激しくなる。
「ふっ、う…あんッ、まって」
「無理」
指が十分抜き挿しできるようになって早々に彼の中に入る。薄い腹は彼が自分で吐き出した白濁で前戯で割とクタクタになっていた彼はリビングでのいたずらっ子のような駆け引きなど出来なくなり、小刻みに体を震わせながら時折喘いで俺の腕をぎゅっと掴んだ。
「ふあ、あ、っひぁあ……!」
「……ん、…きもちい? ゆうや」
「は、ん…あんッ…見て、わかん、だろ」
「っふ、」
熱っぽい息を吐き出しながら笑うと悔しそうに綺麗な顔が歪み後ろ髪を掴まれる。でもちっとも痛くなんかなくて、足を抱え直すと同時にぐいと腰を突き入れれば一際高い声が上がって薄い身体が一瞬宙に浮いた。目は虚空を見て呼吸も不規則になっている。
やば、やりすぎた。つい夢中になって攻めすぎたかと自分のを一旦抜いてその顔を覗き込んだ。
「ぅあ、ッう……」
「ゆうやーー、ごめん、やり過ぎた。しっかり、」
頬をぺちぺち叩くとようよう焦点が合ってきて俺をしかと捉えた。顔に当てられた俺の手を握って何をするかと思えば、ただ自分の顔に押し付けて甘えるように擦り寄る。こんなこと今までしなかったはずなのにどうしたんだ。
「たかぁ」
「あ、あぁ。どうし……」
「すき」
…………へ。今、なんと。
うわぁ、こいつこんな顔してこんなふやけたような声でなんで…なんでそんなこと言うかなあ。いまどっかから放たれた矢が俺の心臓にぶっ放されて深々と刺さっている気がする。可愛い通り越してもはや心臓が痛い。
「たか?」
ハッと顔をあげれば不思議そうにこちらを見つめる涙に濡れた瞳と目が合った。それらはとろんとしていて明らかに眠そうだが、下を見ると彼の中心は未だに硬いままで彼が初めて中だけでイったことに気づいた。これ以上無理を強いるのもこのままやめてしまうのも可哀想だ。
身体を動かし、自分のと彼のを一緒に握り込んで上下に手を動かして刺激し始めると、祐也は力の入らない腕で抵抗し始める。やだやだとかだめ、またイっちゃう等と言ってペシペシ腕を叩き、そして、
「ほら、いいよ」
俺がそう声をかけた瞬間、彼は体を震わせて絶頂を迎え、俺も後に続いた。
輪をかけてとろんとした瞳の上の形の良い眉にキスをする。「眠い?」と問えば緩慢な仕草で頷いた。あんなことをした直後だというのにまるで眠る寸前の幼稚園児のようにすら見える。
「……ちょっと」
「うん。寝ていいよ。疲れたろ?」
そう言えば、彼は「ああ」と「うん」の間ぐらいの返事をしてストンと眠りに落ちた。やっぱり結構体力を使っていたのだろう。意識を飛ばした体を清め、シーツを新しくして清潔な下着と寝巻きに変えてやり、自分はざっとシャワーを浴びてから彼の隣に潜り込む。自分と同じボディーソープも香りに何故か心が和らいだ。















「ねえまっすー、起きてまっすー」
朝、俺を起こしたのは腕の中に囲いこんで眠る恋人ではなくその弟だった。その兄を起こさない為か声を潜めて彼は言う。
「ええ……まだ七時前じゃん。寝かせてよ日曜日なんだし。てかシゲなんでここに?」
「いいからいいから!ゆうやのかわいいとこ見せてあげるからさぁ」
「……ほう?」
来年度から小三になるシゲは年齢に見合わず大人びていて、俺達が”そう”だと言う前にもう察していたらしく、時折こうしてからかうようなことをしてくる。マセガキ、という言葉が頭をよぎるが、こういう場合はこの弟君の提案に乗るのが吉だと俺は知っている。自分がいた位置に抱き枕を置いてシゲの後に続いた。
彼が行った先は祐也が作ったシチューの残りが置いてあるキッチンだった。昨夜も恋人を寝かせシャワーを済ませた後に皿洗いをしにここに来たが、何かあったか?とシンク周りを見ていたら肩を叩かれ、祐也に似たいたずらっ子のような顔をしたシゲと目が合う。
「冷蔵庫開けてみて」
指をさされた二番目の引き出しを開けると、そこには見覚えの無い銀色のバット。シゲはそれを取り出して台の上に置いた。そこに並べられているのは白い何かの小さな塊。実態がよく分からないそれを摘み、シゲはそれを口の中に放り込んだ。
「……うん、多分味は悪くない」
「シゲ……これって」
「ゆうやが頑張って作ろうとして、でも上手く形成できなくて渡すに渡せなかった白いチョコトリュフだよ」
何回か練習したみたいだけどどうしても綺麗に出来なかったみたいだね、と彼は笑った。それを手に取ってぱくりと口にすれば、三歳児が作った崩れかけの雪玉のような見た目と違って美味しくて、次は二つ同時に頬張った。
「どう?美味い?ゆうやも俺も甘いものは得意じゃないからさ」
「いや美味しいよ」
「……ほんと?」
効果音がつく勢いで声が聞こえた方向に振り向くと、いつの間に起き出したのか祐也がそこにいた。そして黙って立ち去ろうとするシゲの襟首を掴む。
「シゲなんでここにいんの。タカのご両親と泊まりで出かけてたはずじゃ……」
「ちょっと俺だけ早めにってお願いしたの!じゃなきゃこのチョコ捨てられちゃってたかもしれないし。まっすーが喜ぶこともなかっただろうしね」
するりと兄の手から抜け出した彼は走って自分の部屋に戻っていった。
「……生意気」
シゲの背中にそう呟いた彼をぎゅっと抱き締めた。ありがと、と囁くが彼はちょっと不満げで。
「もっと俺が器用だったらな……」
「でも美味しいよ?」
もう三つ摘んで一気に頬張る。もぐもぐと咀嚼する俺を見て彼の頬が少し緩んだ。
「最後のひとつ、いる?」
「……あなたが美味しいって言うなら、食べてほしい」
「そ?ありがとー」
それを飲み込んで、それらを入れていた容器を片す彼を見つめる。
「ねえ」
「何?」
「なんで突然これ作ってくれたの?美味しかったけど、今までシチューだけでやってきてたのに」
「同じの続けんのもなって思ってたし、たまにはちゃんとホワイトデーっぽいもの作りたいなって」
「へぇ……別にいいのに。俺祐也のシチュー好きだし」
ピッと音が鳴って、昨日おかわりになるはずだったそれに火がかけられる。俺の言葉にちょっと照れた笑顔を浮かべた彼は「本当に?」と聞いてきて。
「当たり前じゃん。ほら、なんかあったよね、そういう詩」
「詩?ポエムの?」
「ほらあの、サラダ……なんちゃら」
「……『サラダ記念日』のことか?俵万智の」
「そーそーそ!!さすが!だから祐也にとっては、────君が美味しいと言ったから、3月14日はシチュー記念日────みたいな」
そういうと彼はこらえきれなかったように笑う。タカもそういうこと言うんだね、と言ってケラケラ笑った。でも明らかに嬉しそうで、火に気を付けながらも彼の背に腕を回した。
「お菓子も嬉しいけど、一番はやっぱりこれだから!これからも毎年よろしくね?」
この記念日、ずっとやってこうね、と赤らんだ頬に口付けた。









「……プロポーズかよ」
ませた弟が一部始終をうっかり聞いてしまって、小さくツっこんでいるのにも気付かないままに。
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