nine point eight
「別れたい」
目を合わせず、背を向けて彼にそう言った。
「嫌だ。だって手越、俺の事まだ好きでしょ」
あたりまえだろと言うような口振りで淡々と返される。掴まれて引き寄せられそうになった腕を引き離して居間に戻りテレビを消した。
「せめて理由ぐらいは教えてくれないの」
「……言っても、意味無い」
「だったら尚更嫌だよ。どうしたんだよ、本当に。お前がそんな支離滅裂にものを言うことなんて今まで無かっただろ」
「そんなことあなたに分かんの」
「分かる」
「なんで……いいからほっといてつってんじゃん」
「嫌だ」
「……何で、」
「好きだからに決まってんだろ」
振り返って見た増田さんは静かな黒い瞳を俺に向けていた。射抜くように見えて、怒りは感じられない。付き合って三年が経とうとしているけれど、恋人としての期間の中では見た事がない。でも仕事中に見る怖いぐらいの真剣な表情とも違う。この目は……そうだ、俺が体調を悪くしながらも点滴とかで無理やり復活して、『大丈夫』とメンバーやスタッフに言う時にこういう顔をする。『本当に?』と推し量るような瞳。
そんなふうに彼は俺を見ている。長くなった黒い前髪からでも、俺にはそう感じられた。声変わりの時期からの付き合いはそう短いもんじゃない。
「頼むよ。離れたい」
「なんで?」
「なんでって……」
「俺の事まだ好きだろ。違うの?」
「自信満々だな……、いっ」
さっき振り払った腕を掴まれ、彼の節立った手が俺の襟元から首にかかったチェーンに指をかけ、服の中から取り出した。「あ」と間抜けに声を漏らした俺としかと目を合わせる。そうされたら俺が逸らせなくなるのを知っているんだ。
その彼の手の中にあるのは、細く長いチェーンに繋がれた小さな二つの輪っか。
「俺と別れたいんなら、これなんてとっくにドブの中の捨ててるはずでしょ」
「わ、忘れてただけ」
「……ふうん」
そういうと器用にそのチェーンが外され、吊られていたそれらが彼の手に滑り落ちる。ポケットに入れられ、代わりに彼の指から同じものが引き抜かれてローテーブルに置かれて。
「満足?」
さっきより少し硬い声で、増田さんはそう言った。明らかに目が泳いだ俺に薄く笑って、背を向ける。
取られて、置かれていった輪っか。一年目、二年目と記念に渡し会ったもの。最初は俺で、次はタカ。三つ目は二人で選ぼっかって、去年言ってたっけ。
「……待って」
彼は足を止めない。玄関へ繋がる扉に手をかけ、回そうと力を込めた。
「待って!それは……それはダメ!!」
「……そんな簡単にボロが出んなら下手な嘘つくなよ」
彼のポケットに伸ばした手首を掴まれて引き寄せられ深く口付けられる。いやいやと肩を押しのけ逃げようとするもすぐに捕まってソファーに押さえつけられた。
「いや、離せ!」
「聞いてやると思う?やだよ。もう、こんなに好きなのに。もう遅い」
荒っぽくパーカーが脱がされ、薄いTシャツの中に手が侵入し身体をまさぐられ始めて、ぐっちゃぐちゃになった心ががむしゃらに彼に抵抗しようとする。でも彼はそんなものに構おうとしない。
「やめろ!!」
彼の胸を両手で強かに突っぱねた。息が荒くなる。動きをピタリと止めた彼の表情は長い前髪に隠れてよく見えない。でも苦しそうなことだけは分かった。
これ以上訳もなしに諦めてくれないことも。予感はしていたけれど。
脱がされたパーカーを掴んでそっと胸に抱える。この部屋は少し寒かった。彼が来ることを知っていて自分が温度を下げたから。無意識にこの人のことを意識してそんなことをしていたのを自覚する。
目線を上げるとやっぱり彼はまだ俺を見つめていた。彼の手が頬を滑る。泣く予定なんてなかったのにな。その手を取って、整えられた爪先を指でなぞりながら口を動かした。
「……苦しい」
詰めていたい気を吐き出して言う。
「苦しいんだよ。あなたのことが好きで」
「なんで、それがダメなの」
「……タカのせいだ」
重ねられた方と反対の手を強く握り締めた。
「ずっと好きで、叶うことなんて……叶わなくたっていいと思ってたのに、あなたも俺を好きだった。嬉しかったよ。すっごく。こんなことがあるんだなって、不思議なくらいだった」
「そんなの、俺だってそうだ。だから離したくないって……」
「ッ、そうじゃなくて」
抱きしめてくれようとした腕を柔く掴んで制する。この人に顔を向けられなくなって、ソファーの背に顔を突っ伏して腕で顔を囲んだ。
「俺は、嫉妬深かったりするかもだけど、好きな人にそんなに多くは求めないはずだった。ちょっとほかの人と電話して、連絡取ってご飯行って……当たり前だと思って受け入れられる。そんなふうなハズだった。少なくとも、付き合い始める前までは。でも、俺……」
ちょっとのことが気になるようになっていって、彼の仕事の付き合いの女性からご飯の誘いが……たとえ数人での食事だとしても気道が少し狭まるような心地がし始めた。彼の携帯の画面にそういうのが映し出されると叩き割りたいような衝動に駆られた。
『ある訳ない』
そんなことは分かってる。恋人はそんな簡単に靡く人じゃないし、俺のことを愛してる。分かっていても、それは不安と言うより恐怖だった。
嫉妬心だけじゃない。想いの重さだってどんどん加速していって、恋人としての日々を過ごすほど、「好き、愛してる」と言われ、同じ言葉を返してキスをすればするほど『好き』が爆発しそうに膨れ上がっていく。物体が空間を落下すると加速度がかかって速度を増すように、自分の彼への思いも心臓の深い奥の方まで根を張っていっていた。
それでも、好き同士だから大丈夫っしょ。
そう思っていながら心の均衡を保っていた。その支えをポキンと折った要因の一つは、メイクされている時に後ろから聞こえたメイクさん達の会話。その中の一人の友人が恋人からこっぴどくフラれたらしい。
『なんか、暑苦しいって言われたらしいよ。俺のこと好きすぎるからなんか申し訳なくなって重く感じるって。……でもさぁ、なんか分かるんだよねー。その子なんかもう…好き好きーー!ってのが溢れすぎててさ。いい子なんだけど、彼氏は結構クールな人だったし』
よくある話だとは思う。でも考えた。俺はあの人に好きって言うと、よく「好きって顔に出過ぎだよ」って言われてたな。重いなんて、思われてないはずだけど……
少し靄が心にかかった。
そんなある日に一人の男性スタッフの人が俺に話しかけてきた。強めの瞳をこちらに向けて。
「僕、増田さんが好きなんですよね」
「……え」
「手越くんってさ、増田さんと付き合ってるんでしょ?君軽そうだし、なんなら譲ってよ」
そういう言い方をするお前が一番軽いだろ。そう思いながら俺はその男に怒りは見せないようにして理詰めで言葉を返した。そうやって会話をしている途中で、彼は俺の言葉を遮り手を振った。
「あーごめんね、予想外。君めっちゃ重いじゃん。なんか増田さん可哀想になってきたわー……いいよいいよ、諦める。変に動いて君に恨まれたらかなわないし」
この男の言い様が、少し胸に刺さった。それに加え、増田さんが女性スタッフさんと話しながら歩いているのを見たりだとか、色々考えるだけで涙が溢れてしまったことだとか、大事にしてた食器が割れてしまったことだとか。自分でもよく分からないほどに彼のことになると不安定になっていってしまって。
「怖くなった。好きで、好きで。あなたのこと、縛り付けるような気がして。
最初、貴方を好きになった時は今までの恋と同じように、目が合ったり匂いを感じたりしたらときめいて、幸せな感じが広がっていって……叶わないって思い込んでたけど、幸せだった。貴方の広い交友関係とか、初対面でも和やかに人と話せるとことか、全部好きで、あなたの周り含めて全部好きだった」
でも、と続けながらソファーに爪を立てる。涙が滲んで、声が震え始める。
「でも、俺、今は、好きだったはずのあなたの大事なものにまで嫉妬して、憎らしくなってる。こわしたくなる。仲良いスタッフさんもジュニア時代から仲のいい友達にもそんなふうに思ってる自分が怖くて……でも、あなたの全部が俺のになったらいいのにって、思って」
重たくなった愛を抱え込んで、その分加速がかかってさらに重力がかかったまま地の底に叩きつけられるような夢を何度も見た。自分はこのままこの人を愛し続けてしまったらどうなってしまうんだろう。この人はどう思うんだろう。
愛しさに狂った自分を見たら、あなたは……
「……ふッう、うぅ…」
「祐也」
力の抜けた体は、彼に引き寄せられるとそのまま暖かい胸にもたれた。匂いを嗅ぐだけで泣けるほどの『大好き』が込み上げてくる。抱きしめたら気が飛ぶまで離さなくなる気がして、逆に躊躇ってしまうのを、彼はそんなことは気にせぬまま俺の背に手を回して苦しいぐらいに抱きしめた。
「そんなに、俺のこと好き?」
「……」
「そっか、嬉しい」
彼は何を言おうか、考えているようだった。悩ませてごめん。そう思った時、彼が席を立った。自分は空中にさまよわせていた腕を伸ばし、でもそれは空を切って、勢いがあったのかソファーからずるりと落ちてカーペットに落下した。
「おい、平気か?」
ボロボロ泣いてる時点で平常な気性じゃないと思うけど、とにかく体は無事なので頷く。
「よかった。ちょっと待ってて」
その”ちょっと”は本当にちょっとで、部屋の向こうに行っただけで直ぐに戻ってきた。手に何かを持って。
ぺたんと座り込んだ俺のすぐ横のソファーに腰掛け、見上げる俺の頭を撫でた。
「俺の事まだ好きなら、これは必要だね」
持ってきたチェーンにポケットに入れられていた二つのリングを通して俺に付け、彼自身の指にも同じものが嵌められる。
「手越が初めてちゃんと付き合ったのは俺なんでしょ?だからちょっと気持ちがせいて慌てちゃっただけだよ
俺は嬉しいよ。そんなふうに思ってくれてて」
軽くおでこにキスを落とされる。
「手越が俺を好きすぎて、俺が引くとでも思った?」
「……こわかった。好きすぎて」
「そっか。俺としては、頭の血管ブチ切れるほど嬉しいよ。……っていうか、そんなことで別れるとか言う?」
「俺にとってはそんなことじゃ……!」
「ごめん、ごめんね」
子供みたいに頭を撫でられて、上からのしかかるように抱きしめられる。その全部が暖かく自分を包み込んだ。
「好き、大好き……」
「俺はもっと好きだよ」
「絶対に俺の方が……! 」
「祐也」
ゆっくり顔が近づいて、唇が合わさる。軽いキスを繰り返した後、恐る恐る突き出した舌をきつく吸い上げられて「んっ」と声が漏れた。それに満足気に目を細められるのがたまらなく嬉しくて。唇が離れてプツリと切れた銀糸を拭い、指についた唾液を舐めとる彼の仕草が妖艶で目眩がした。
「ずっと、手越が俺にもっと溺れてくれたらいいなって思ってた。知ってた?」
「知るわけないだろ!それに……もうとっくに、ーーッ」
喉が鳴って、視界が揺れる。泣きたくなんかないのにまた溢れ始めた。この重い想いを軽々と受け止めてくれたのが嬉しすぎて、ぎゅっと背に手を回し引き寄せ合う。タカは俺が泣き止んで眠ってしまうまでずっと背を撫で続けてくれた。綺麗な歌声での子守唄も聞けるオプション付きで。
「こんなに甘やかすのは祐也くらいだから。ちゃんと分かっててよ」
「そんなこと言ったら、俺、調子乗るよ」
「逆に嬉しいから」
「……大好き」
「うん。俺も」
あまりに深い恋に落ちてしまった人は、脳内の物質の数値が平常よりも大きく変わってしまっているらしい。ぶっちゃけ、精神病一歩手前なんだってさ。
うっかりあなたとの恋に足を滑らせて、一直線に底なしの崖の下に落ちていった俺は9.8m/s²の重力加速度に乗って底の底へ落ちていってしまった。堕ちてしまったら彼はどう思うんだろうと怖かったけれど、この人は底で先回りをして落ちてきた俺を抱き留めた。
なんだ、結局お互い様。
涙に濡れて赤みを帯びた顔で「愛してる」と震えながら言った俺を、あの人は両のかいなで抱き込んだ。
────愛してる、俺も。だから、俺のものになって。手越は俺のだってこと、これからはもっと解らせてあげるね
そうして首の辺りを撫でられる。
彼からの独占欲に震えるような歓喜を覚え、彼の襟首を引き寄せてキスをせがんだ。
目を合わせず、背を向けて彼にそう言った。
「嫌だ。だって手越、俺の事まだ好きでしょ」
あたりまえだろと言うような口振りで淡々と返される。掴まれて引き寄せられそうになった腕を引き離して居間に戻りテレビを消した。
「せめて理由ぐらいは教えてくれないの」
「……言っても、意味無い」
「だったら尚更嫌だよ。どうしたんだよ、本当に。お前がそんな支離滅裂にものを言うことなんて今まで無かっただろ」
「そんなことあなたに分かんの」
「分かる」
「なんで……いいからほっといてつってんじゃん」
「嫌だ」
「……何で、」
「好きだからに決まってんだろ」
振り返って見た増田さんは静かな黒い瞳を俺に向けていた。射抜くように見えて、怒りは感じられない。付き合って三年が経とうとしているけれど、恋人としての期間の中では見た事がない。でも仕事中に見る怖いぐらいの真剣な表情とも違う。この目は……そうだ、俺が体調を悪くしながらも点滴とかで無理やり復活して、『大丈夫』とメンバーやスタッフに言う時にこういう顔をする。『本当に?』と推し量るような瞳。
そんなふうに彼は俺を見ている。長くなった黒い前髪からでも、俺にはそう感じられた。声変わりの時期からの付き合いはそう短いもんじゃない。
「頼むよ。離れたい」
「なんで?」
「なんでって……」
「俺の事まだ好きだろ。違うの?」
「自信満々だな……、いっ」
さっき振り払った腕を掴まれ、彼の節立った手が俺の襟元から首にかかったチェーンに指をかけ、服の中から取り出した。「あ」と間抜けに声を漏らした俺としかと目を合わせる。そうされたら俺が逸らせなくなるのを知っているんだ。
その彼の手の中にあるのは、細く長いチェーンに繋がれた小さな二つの輪っか。
「俺と別れたいんなら、これなんてとっくにドブの中の捨ててるはずでしょ」
「わ、忘れてただけ」
「……ふうん」
そういうと器用にそのチェーンが外され、吊られていたそれらが彼の手に滑り落ちる。ポケットに入れられ、代わりに彼の指から同じものが引き抜かれてローテーブルに置かれて。
「満足?」
さっきより少し硬い声で、増田さんはそう言った。明らかに目が泳いだ俺に薄く笑って、背を向ける。
取られて、置かれていった輪っか。一年目、二年目と記念に渡し会ったもの。最初は俺で、次はタカ。三つ目は二人で選ぼっかって、去年言ってたっけ。
「……待って」
彼は足を止めない。玄関へ繋がる扉に手をかけ、回そうと力を込めた。
「待って!それは……それはダメ!!」
「……そんな簡単にボロが出んなら下手な嘘つくなよ」
彼のポケットに伸ばした手首を掴まれて引き寄せられ深く口付けられる。いやいやと肩を押しのけ逃げようとするもすぐに捕まってソファーに押さえつけられた。
「いや、離せ!」
「聞いてやると思う?やだよ。もう、こんなに好きなのに。もう遅い」
荒っぽくパーカーが脱がされ、薄いTシャツの中に手が侵入し身体をまさぐられ始めて、ぐっちゃぐちゃになった心ががむしゃらに彼に抵抗しようとする。でも彼はそんなものに構おうとしない。
「やめろ!!」
彼の胸を両手で強かに突っぱねた。息が荒くなる。動きをピタリと止めた彼の表情は長い前髪に隠れてよく見えない。でも苦しそうなことだけは分かった。
これ以上訳もなしに諦めてくれないことも。予感はしていたけれど。
脱がされたパーカーを掴んでそっと胸に抱える。この部屋は少し寒かった。彼が来ることを知っていて自分が温度を下げたから。無意識にこの人のことを意識してそんなことをしていたのを自覚する。
目線を上げるとやっぱり彼はまだ俺を見つめていた。彼の手が頬を滑る。泣く予定なんてなかったのにな。その手を取って、整えられた爪先を指でなぞりながら口を動かした。
「……苦しい」
詰めていたい気を吐き出して言う。
「苦しいんだよ。あなたのことが好きで」
「なんで、それがダメなの」
「……タカのせいだ」
重ねられた方と反対の手を強く握り締めた。
「ずっと好きで、叶うことなんて……叶わなくたっていいと思ってたのに、あなたも俺を好きだった。嬉しかったよ。すっごく。こんなことがあるんだなって、不思議なくらいだった」
「そんなの、俺だってそうだ。だから離したくないって……」
「ッ、そうじゃなくて」
抱きしめてくれようとした腕を柔く掴んで制する。この人に顔を向けられなくなって、ソファーの背に顔を突っ伏して腕で顔を囲んだ。
「俺は、嫉妬深かったりするかもだけど、好きな人にそんなに多くは求めないはずだった。ちょっとほかの人と電話して、連絡取ってご飯行って……当たり前だと思って受け入れられる。そんなふうなハズだった。少なくとも、付き合い始める前までは。でも、俺……」
ちょっとのことが気になるようになっていって、彼の仕事の付き合いの女性からご飯の誘いが……たとえ数人での食事だとしても気道が少し狭まるような心地がし始めた。彼の携帯の画面にそういうのが映し出されると叩き割りたいような衝動に駆られた。
『ある訳ない』
そんなことは分かってる。恋人はそんな簡単に靡く人じゃないし、俺のことを愛してる。分かっていても、それは不安と言うより恐怖だった。
嫉妬心だけじゃない。想いの重さだってどんどん加速していって、恋人としての日々を過ごすほど、「好き、愛してる」と言われ、同じ言葉を返してキスをすればするほど『好き』が爆発しそうに膨れ上がっていく。物体が空間を落下すると加速度がかかって速度を増すように、自分の彼への思いも心臓の深い奥の方まで根を張っていっていた。
それでも、好き同士だから大丈夫っしょ。
そう思っていながら心の均衡を保っていた。その支えをポキンと折った要因の一つは、メイクされている時に後ろから聞こえたメイクさん達の会話。その中の一人の友人が恋人からこっぴどくフラれたらしい。
『なんか、暑苦しいって言われたらしいよ。俺のこと好きすぎるからなんか申し訳なくなって重く感じるって。……でもさぁ、なんか分かるんだよねー。その子なんかもう…好き好きーー!ってのが溢れすぎててさ。いい子なんだけど、彼氏は結構クールな人だったし』
よくある話だとは思う。でも考えた。俺はあの人に好きって言うと、よく「好きって顔に出過ぎだよ」って言われてたな。重いなんて、思われてないはずだけど……
少し靄が心にかかった。
そんなある日に一人の男性スタッフの人が俺に話しかけてきた。強めの瞳をこちらに向けて。
「僕、増田さんが好きなんですよね」
「……え」
「手越くんってさ、増田さんと付き合ってるんでしょ?君軽そうだし、なんなら譲ってよ」
そういう言い方をするお前が一番軽いだろ。そう思いながら俺はその男に怒りは見せないようにして理詰めで言葉を返した。そうやって会話をしている途中で、彼は俺の言葉を遮り手を振った。
「あーごめんね、予想外。君めっちゃ重いじゃん。なんか増田さん可哀想になってきたわー……いいよいいよ、諦める。変に動いて君に恨まれたらかなわないし」
この男の言い様が、少し胸に刺さった。それに加え、増田さんが女性スタッフさんと話しながら歩いているのを見たりだとか、色々考えるだけで涙が溢れてしまったことだとか、大事にしてた食器が割れてしまったことだとか。自分でもよく分からないほどに彼のことになると不安定になっていってしまって。
「怖くなった。好きで、好きで。あなたのこと、縛り付けるような気がして。
最初、貴方を好きになった時は今までの恋と同じように、目が合ったり匂いを感じたりしたらときめいて、幸せな感じが広がっていって……叶わないって思い込んでたけど、幸せだった。貴方の広い交友関係とか、初対面でも和やかに人と話せるとことか、全部好きで、あなたの周り含めて全部好きだった」
でも、と続けながらソファーに爪を立てる。涙が滲んで、声が震え始める。
「でも、俺、今は、好きだったはずのあなたの大事なものにまで嫉妬して、憎らしくなってる。こわしたくなる。仲良いスタッフさんもジュニア時代から仲のいい友達にもそんなふうに思ってる自分が怖くて……でも、あなたの全部が俺のになったらいいのにって、思って」
重たくなった愛を抱え込んで、その分加速がかかってさらに重力がかかったまま地の底に叩きつけられるような夢を何度も見た。自分はこのままこの人を愛し続けてしまったらどうなってしまうんだろう。この人はどう思うんだろう。
愛しさに狂った自分を見たら、あなたは……
「……ふッう、うぅ…」
「祐也」
力の抜けた体は、彼に引き寄せられるとそのまま暖かい胸にもたれた。匂いを嗅ぐだけで泣けるほどの『大好き』が込み上げてくる。抱きしめたら気が飛ぶまで離さなくなる気がして、逆に躊躇ってしまうのを、彼はそんなことは気にせぬまま俺の背に手を回して苦しいぐらいに抱きしめた。
「そんなに、俺のこと好き?」
「……」
「そっか、嬉しい」
彼は何を言おうか、考えているようだった。悩ませてごめん。そう思った時、彼が席を立った。自分は空中にさまよわせていた腕を伸ばし、でもそれは空を切って、勢いがあったのかソファーからずるりと落ちてカーペットに落下した。
「おい、平気か?」
ボロボロ泣いてる時点で平常な気性じゃないと思うけど、とにかく体は無事なので頷く。
「よかった。ちょっと待ってて」
その”ちょっと”は本当にちょっとで、部屋の向こうに行っただけで直ぐに戻ってきた。手に何かを持って。
ぺたんと座り込んだ俺のすぐ横のソファーに腰掛け、見上げる俺の頭を撫でた。
「俺の事まだ好きなら、これは必要だね」
持ってきたチェーンにポケットに入れられていた二つのリングを通して俺に付け、彼自身の指にも同じものが嵌められる。
「手越が初めてちゃんと付き合ったのは俺なんでしょ?だからちょっと気持ちがせいて慌てちゃっただけだよ
俺は嬉しいよ。そんなふうに思ってくれてて」
軽くおでこにキスを落とされる。
「手越が俺を好きすぎて、俺が引くとでも思った?」
「……こわかった。好きすぎて」
「そっか。俺としては、頭の血管ブチ切れるほど嬉しいよ。……っていうか、そんなことで別れるとか言う?」
「俺にとってはそんなことじゃ……!」
「ごめん、ごめんね」
子供みたいに頭を撫でられて、上からのしかかるように抱きしめられる。その全部が暖かく自分を包み込んだ。
「好き、大好き……」
「俺はもっと好きだよ」
「絶対に俺の方が……! 」
「祐也」
ゆっくり顔が近づいて、唇が合わさる。軽いキスを繰り返した後、恐る恐る突き出した舌をきつく吸い上げられて「んっ」と声が漏れた。それに満足気に目を細められるのがたまらなく嬉しくて。唇が離れてプツリと切れた銀糸を拭い、指についた唾液を舐めとる彼の仕草が妖艶で目眩がした。
「ずっと、手越が俺にもっと溺れてくれたらいいなって思ってた。知ってた?」
「知るわけないだろ!それに……もうとっくに、ーーッ」
喉が鳴って、視界が揺れる。泣きたくなんかないのにまた溢れ始めた。この重い想いを軽々と受け止めてくれたのが嬉しすぎて、ぎゅっと背に手を回し引き寄せ合う。タカは俺が泣き止んで眠ってしまうまでずっと背を撫で続けてくれた。綺麗な歌声での子守唄も聞けるオプション付きで。
「こんなに甘やかすのは祐也くらいだから。ちゃんと分かっててよ」
「そんなこと言ったら、俺、調子乗るよ」
「逆に嬉しいから」
「……大好き」
「うん。俺も」
あまりに深い恋に落ちてしまった人は、脳内の物質の数値が平常よりも大きく変わってしまっているらしい。ぶっちゃけ、精神病一歩手前なんだってさ。
うっかりあなたとの恋に足を滑らせて、一直線に底なしの崖の下に落ちていった俺は9.8m/s²の重力加速度に乗って底の底へ落ちていってしまった。堕ちてしまったら彼はどう思うんだろうと怖かったけれど、この人は底で先回りをして落ちてきた俺を抱き留めた。
なんだ、結局お互い様。
涙に濡れて赤みを帯びた顔で「愛してる」と震えながら言った俺を、あの人は両のかいなで抱き込んだ。
────愛してる、俺も。だから、俺のものになって。手越は俺のだってこと、これからはもっと解らせてあげるね
そうして首の辺りを撫でられる。
彼からの独占欲に震えるような歓喜を覚え、彼の襟首を引き寄せてキスをせがんだ。
1/1ページ