おかえり、透
突然、いつもと違う時間に帰ってきた貴方の顔は白いというよりも血色が悪くなりすぎていつもの健康的な肌の色をしていなかった。
「透……?」
恐る恐る呼べばのろのろと上がった視線が俺を捉える。一歩、二歩と進み出し車椅子に乗る足元まで歩み寄り手が届きそうになる範囲にに入ったと思うと支えを失ったように崩れ落ちた。床に座り込んで荒く息を吐き出し続けて手は膝の上の掛布を握り締めていた。その手を握って問いかける前に彼の強い瞳が俺を射抜く。
「ゆうや、俺、そろそろ決着をつけに行かなきゃいけないみたいだ」
「決着って……」
「俺の不覚で招いたこと。ほとんど自業自得と言っていい」
手を伸ばし首筋に手を添えたら激しく血管が脈打っている。
「あんな野郎の為に俺は、俺は……」
怒りに震える肩を見ていられなくて身を屈め首に手を回して抱き締めた。
「ちょっとだけこうしてて。俺はすぐに行かなきゃならないから」
そんな神妙にしてらしくもない。
あんたの周りで何が起きてたの。
あんたの大事にする家族は何か知っているの。
どこで、誰と会うの。
そんな死にに行くような顔させているのは誰なの。
「と、透?」
「……ごめん、行かなきゃ」
「どこに?」
「……」
「言えない、か」
気まづそうに俯き黒い前髪が目元を覆い隠す。
柔らかい唇が噛み締められているのが分かる。その手を取れば、いつもなら暖かい節立った指は冷えきっていた。
何かの感情を断ち切るように大きく息をつくと彼は俺の手を解いて背を向けた。
「透」
ドアノブを握った彼の動きが止まるった隙に、祈るような思いで彼に言葉を投げつける。
「簡単に逝ったりするほどあんたは弱くないって思ってるし信じてるけど、」
厚い背中が大きく上下する。
何かを裏切ろうったって、透には向いてない。最初っから無理だよあんたには。純粋にただ、愛嬌のある笑顔と徹底したスキルで憧れるその人の背中を追っかけてるのが何よりあなたらしいよ。そう言ったら怒るかな。でも心からそう思う。
結局何が言いたいかってそれは、
「勝手に死ぬ覚悟なんざして、簡単に死んだりしたら許さないからな」
彼を幼く見せている瞳が大きく見開かれる。一瞬噛み締めながら笑ったように見えたと思うと、「分かってる」と言い綺麗に微笑むと俺から視線を引き剥がして二人の部屋をあとにした。
「とお、る」
一度名前を呼んでしまうと歯止めが効かなくなって杖を手に取り玄関につっかえながら足を速めると、彼が弱ったように眉を下げて俺を見る。腕を掴んでみれば先程までの震えはなくなっている。
「分かってない……‼」
一人でなんて行くべきじゃない、せめて誰かを連れて行ってくれと懇願したら「頼りなくてごめんね」と零す。そうじゃない、そういう意味じゃないからと言い募ろうとした俺の口を塞いだと思うと何かが口内に押し込まれる。油断していたのかそのまま飲み込んでしまい、途端に視界が霞んでいく。
「ごめんね」
「ダメ、だ……行く…な……」
「こればっかは俺の責任だから、誰にも頼りたくない。せめてものケジメなんだ」
汚れのこびりついた上着を掴んで首を振る。崩れる身体を支える腕の熱を背に感じる。なぁ、やだよ。これがあんたに触れた最後の感触の記憶になったりしたら……どう責任とってくれんのさ。
「ごめん。今は眠ってて」
「と……る…、…ぅ……」
─────意識がふつりと途絶える。
「ごめんな、心配かけて」
透はベッドに横たえた恋人の頭髪を一撫ですると、祐也の香りが残る部屋から足を踏み出した。玄関のドアに背をつけ着信履歴の一番上を選択する。
「……兄貴?」
通話も終え車に乗り込んだ彼の表情には、先程までの温かさは微塵も残っていない。薄暗い駐車場で仄暗く光る黒曜の瞳が空気を冷やすようだった。