ミステリーは突然に






 「なぁ、いい加減帰してくれねぇか?編集部に寄らなきゃならねぇんだ」
 「僕もシフト中抜けしてる形なので……、そろそろピークの時間ですし……」

 誓が左手の華奢な腕時計を確認する。十六時五十分。仕事や学校が終わる時間なのか、店内にもちらほらと人の気配が増えてきていた。

 「これといった証拠も出ていないですし、これ以降は任意でお願いするしかないのでは?」

 誓がこっそりと樹に耳打ちをする。一瞬考え込むように俯いた後、首を縦に振ろうとした瞬間。

 「いいや、待ってくれ」

 静止したのはレガリアだった。

 「大丈夫、すぐに終わらせるよ。時間はそこまで取らせない。そうだな、あと数分、あと数分僕にくれれば犯人が自白してくれるだろうから」

 まるで古典劇のような大仰な言い回しでそう言い切ると、ねっとりと舐めるような視線で三人を見る。

 「謎はほぼ解けているんだ、さっきの取り調べの内容でね」

 背後にバァーン!と効果音が見えるようにピシッと決めポーズを決めながら、レガリアはそう言い切る。その様子に小さくため息をついたあと、肇が視線をあげ三人を見る。

 「そうだな。それに、今帰らせたら証拠を捨てられてしまう」

 肇が言い切ると同時に、樹の携帯に着信。検死を頼んでいた化学班からだ。

 「はい藍葉。……そうですか、ありがとうございます」

 短く返事をして電話を切る。その口元には微かな笑み。

 「検死結果が出ました。予想通り、窒息死だそうです」

 樹の台詞に、レガリア達四人が意地の悪い笑みを浮かべる。多分、全員が同じ人物を見つめていた。

 「あくまで直接的な死因ですけど。それに至った理由はいくらでも考えられます。ただ食べ物を喉に詰まらせた事故死かもしれないし、誰かが鼻と口を塞いだり、毒物を投与したりした他殺かもしれない」

 樹は淡々とそう続ける。

 「んだよ、事故死の可能性もあんのかよ」
 「状況だけ見ればね、けど事故死にしては不自然な点が多い」

 ピンと人差し指を立ててレガリアは得意げな顔をする。

 「たとえば食べ物を喉に詰まらせた場合。部屋のゴミ箱に食べ物のゴミがないことから、彼がこの部屋で食べたのは昼食のこの皿の料理だけ。この料理を詰まらせたのだとすると、吐き出そうとした吐瀉物が残ったり、使っていたスプーンが体の近くに落ちていたりするはずだ。しかし、皿の上のものは綺麗に完食されていて、彼が使っていたであろうスプーンも綺麗に皿の上に置かれている。事故死にしては現場が綺麗すぎるんだ」

 なるほどな、とその場にいた全員が納得し静かになる。

 「けど、それこそ物理的に口を塞いだなら神山さんが気がつかないはずがないですし、毒だとしたら毒物反応?みたいなのも出るはずですよね?」

 しんとした場で吉野が素朴な疑問を投げかける。

 「もっともだ。だから言ったろう?あくまでそれは直接的な“死因”だと。たとえばそう、魔術を使えばもっと簡単に静かにできる」
 「吉野さん、貴方は最初からその可能性を考えていたのではないですか?遺体を発見した時、あなたが呼んだのは我々魔捜、つまり貴方が連絡をしたのはうちの課長ですから」

 樹の言葉に、レガリアが「ほう」と息を漏らす。

 「なるほど、君も櫂とは知り合いなのか」
 「まあ、あの人の交友関係は我々にも把握しかねるほど広大なので……。ここはあの広場からも近いですし、あそこの子達の中にはここで寝泊まりする者もいる。大方、何かあれば自分を頼るように連絡先を渡された、とかでしょうか」
 「まあ、そんな感じです……」

 嘘はついていないが本当のことも言っていない、目線を逸らす吉野の態度からはそう窺えたが、三人はあえて見て見ぬ振りをして話を進める。

 「小さな防御術くらいなら睡眠時に毎回かける人間もいるし、いちいちそこのレガリアのセンサーに引っかかるような魔力は放出されない。村重の部屋に練炭でも投げ込んでから部屋の周りを物理的に囲むバリアでも張れば、密室殺人の出来上がりってわけだ」
 「そんな馬鹿な。僕があの部屋を見た時にはそんなもの無かったですよ」

 吉野の言っていることに間違いはない。吉野が部屋を開けてからレガリア達が到着するまでは数十秒。その間に村重の部屋に近づく人間は防犯カメラの映像にも映っていなかった。

 「ところで吉野さん、村重さんの部屋に食器を下げに行くタイミングはスタッフ間で共有を?」
 「それはまあ。その時手が空いている人間はその時にならないとわからないですし……。フロントの人間が隙を見て取りに行くことが多いんですけど」
 「なら君は、その時間に彼の部屋に向かえるということがわかっていたわけだ」

 レガリアがわざと意地の悪い言い方をすると、吉野が少しムッとしたように身を乗り出す。ここまで来て、吉野はようやく自身に疑いが向けられていることに気がついたらしい。

 「さっきも言った事情で顔見知りですし、僕が居る日は僕が行くことが多かったですけど。まさかそれだけで僕が犯人だなんて言わないですよね」
 「スタッフなら不自然なく店内を自由に歩き回れますから、真っ先に疑われるのは仕方がないでしょう。それに、言い方は悪いですが、貴方も彼が亡くなって得をするのは確かでしょう?」
 「だからそれは僕だけじゃないでしょう!村重さんの部屋はドリンクバーのすぐ近くですし、ネットカフェは似たような道が多いので、道に迷ったフリでもすれば不自然なく店内を歩き回るなんて誰にだってできます!」

 ねえ、と吉野が桂田と白亜の方を振り返る。もちろん、二人は助け舟なんかは出さない。自身から疑いが逸れたのを良いことに、我関せずといった態度である。

 「吉野さん、貴方はお客様に貸した部屋の場所を全て把握を?」

 焦る吉野に樹が畳み掛ける。

 「え?いやまさか!常連さんとか、あと印象的だった方は覚えてますけど……。この店全部で何部屋あると思ってるんですか!」
 「ここにいる人間の中で覚えているのは?」
 「覚えていますよ、二人とも。白亜さんはさっき言った理由で。桂田さんは普段とちがう注文をされたので」

 吉野の言葉に、桂田の額には冷たい汗。ぎくりと目尻が痙攣したのを三人は見逃さなかった。

 「普段と違う注文というのは?」
 「桂田さん、いつもはリクライニングを希望されるのに、今日はフラットシートをご希望だったので。珍しいですねって思わず聞いたら、気分だって」
 「ちなみにその部屋とは?」
 「ここの裏にあたる部屋ですよ。その時間は予約がたくさん入っていて……、空いているフラットシートはそこしなかったので」

 そう答える吉野の言葉を聞きながら、桂田が背を丸めて顔を俯かせる。

 「だとさ、桂田」

 ニヤリと口角を上げそう言ったのは肇。

 「失礼しますね」

 そう言って樹が桂田の右手を捻りあげる。その手に強く握られているのは個室の鍵。

 「よくこの店に来ている君なら、ここの鍵と似たフォントのものを用意することも可能だろう」

 レガリアがそう言いながら鍵についているナンバープレートのプラケースを開く。“174”と書かれた紙の下に、もう一枚の紙。

 「254、ちょうどこの裏の部屋のようですね」

 見取り図を指差しながら樹が言う。

 「わざわざこんな偽装をしてまで自分の部屋を遠くのリクライニングシートだと思わせた理由……、そんなものは一つしかないよな」
 「自分が桂田さんの隣の部屋だとバレると何か不都合があった、違いますか?」
 「隣の部屋、火を扱う魔術、窒息死……、トリックの概要が見えてきたね」

 肇、樹と続いてそう言うと、レガリアがクックッと喉を鳴らしながら心底楽しそうな笑みを浮かべる。

 「君の敗因は、そうだね。僕と肇がこの場所に居たこと、そして、ここにやってきた警察官が魔捜のふたりだったことさ」

 桂田は俯いたまま強く歯を噛み締める。

 「もっとも、君もそう思ったからつまらない嘘をつく羽目になったんだろうけど」

 細めた瞼の奥、そう語りかけるレガリアの瞳は、楽しそうに上げられた口角とは裏腹に冷ややかな光を放っていた。


♢♢♢


 「対価は用意してきたかい?」

 相変わらず太々しい男だ。綺麗に切り揃えられ、丁寧にセットされたグレイヘア、上品な光沢を放つ生地のスーツ。その容姿は、ただ生きるだけには十分過ぎるほどの貯蓄を蓄えている男のそれだ。その貯蓄も、自分と同様に誰かを脅した結果によるものかと思うと反吐が出る。

 「ああ、もちろんだ」

 頼まれていたのはとあるアイドルの熱愛記事。次号の目玉にするために書き上げた、とっておきの記事だった。提出すれば一面は固かっただろう。フリーのライターに固定給は無い。報酬を期待して記事に注ぎ込んだ分の時間ごと、本来支払われるはずだった給料が吹っ飛ぶわけだ。そんなことが、この男に掴まって以降幾度となく繰り返されている。
 渋々ながら記事の入った茶封筒を男に渡す。この記事をもとに、この男はまた誰かを脅すのだろう。自分の渡した記事をもとに男がまた新たな食い扶持を得る。初めは罪悪感もあった。しかし、何度も繰り返すうちにそれにも慣れた。自分もまた、この男と同類なのだと、他人の不幸を踏み台に生きている、どうしようもない側の人間だと、痛みの薄れた自分を俯瞰するたびに自覚する。

 「いつもありがとう、これからも頼むよ」

 封筒の中身をにやけた笑顔で確認しながら、男は念を押すようにそう言った。何も言い返さない、いや、言い返せない。自分が言いなりになっている限り、自分の弱みが世間に公表されることはない。男と自分の間にある信頼はその点においてのみだった。
 けど、大丈夫。そんな歪んだ信頼関係も今日限りで終わる。正義の味方になんてなるつもりはない。自分と同じように苦しむ人間のためなんてつもりも微塵もない。ただ、ただ自分が解放されたかった。終わりの見えないこの暗闇の中で、ぼんやりと見えた光がそれだった。もう、やるしかない。
 ぐるぐるとどうしようもない思考を巡らせながら、震える手でドリンクバーのホットコーヒーのボタンを押す。渋みと深みの同居した香りが澱んだ思考をクリアにしていく。

 「ああ、いったい何をそんなに迷っていたんだろう」

 計画は練った、環境も用意した、あと足りないのは自分の決心だけ。だった。コーヒーの香りで冴え渡った今の自分の脳内には、足りないものは何もない。ズズズ、と空気と共にホットコーヒーを口に含む。淹れたてのそれは、芳醇なアロマを立たせながら舌の上にピリピリと刺激を与える。
 妙に冴え渡る頭は、単に緊張とカフェインを交互に摂取してショートしていただけなのだと、この時の自分は気がついていなかった。なんだかスッキリとした気分で部屋へと戻るその背後を、長身の綺麗な金髪の男が通り過ぎていったことに、気が付いていたならば何かが変わったのだろうか。
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