ミステリーは突然に






 殺された村重の使っていた部屋は、遺体は運び出されてはいるものの、それ以外のものは吉野が遺体を発見した時のまま保全されている。

 「ここに集められた理由……、もちろん心当たりはお有りですよね?」

 部屋の入り口、通路側を向いて腰掛ける樹の正面。向かって左から桂田、吉野、白亜の順に並んで立っている。KEEP OUTのテープの向こうは警察による人払いが済んで、周囲には数人の警官と肇とレガリア、そして容疑者である三人が居る以外には誰も居ない。

 「にしても、現場の周囲が空いていて助かりました。昼間はいつもこんな感じですか?」

 村重の殺された個室を除いて、その一角、周囲の部屋は全て空席になっていた。だからこそ容疑者を集める場所に苦労はしなかったのだが、その状況に誓が純粋に疑問を呈する。

 「昼間はお客様も少ないので……。まあ、本日は喫煙席のご予約がかなり多くて、予め部屋を確保していたというのもあります」

 すぐに答えたのは吉野だ。

 「ほう、予約ができるのかい?」
 「ええ、インターネットでの申し込みのみですが。遠方からホテル代わりに利用してくださる方によく使っていただいてます」

 吉野がウエストバッグからスマホを取り出しながら説明する。

 「ホームページの予約フォームから入っていただくと、……こんな感じで空席が表示されるので、お好きな部屋と時間でご予約いただく感じです」

 スマホの画面に映し出されているのは、店内の見取り図。予約が可能な部屋は白、不可の部屋は黒で表示されている。

 「なるほど、映画館の予約のようなものですね」

 樹が画面を眺めながらふむふむと鼻を鳴らす。

 「警察が来てたのは気が付いたが、まさか殺されたのが村重のおっさんだとはな」

 ため息をつきながら、まるで独り言のようにそうこぼしたのは桂田。

 「おや?貴方は警察が来る以前から知っていたのでは?村重さんがもうこの世に居ないことを」

 それを聞いた樹が敢えて煽るような言い方をする。

 「おいおい、まさか俺を疑ってるのかよ。俺はあの人に呼ばれてここに来たんだぜ?取引にもしっかり応じてる。疑うならその机の上の封筒を開けてみろよ。あの人に頼まれた書類がちゃんと入ってるからよ」

 そう言われて誓が机の上に置かれたままになっている茶封筒を手に取る。中に入っていたのは、プリントアウトされた雑誌の記事だった。

 「村重には過去のやらかしを盾に金を要求されていたんだがな、最近書いたその記事を下げるならチャラにしてやるって言うから持って来たんだ」
 「記事……、という事はご職業はライターか何かでしょうか?」
 「そうだよ、フリーのな」

 誓の手元の記事を、樹が覗き込むように確認する。

 「地下アイドルのゴシップのようですね」
 「なんでそいつに拘るのかは知らねぇが、それを下げれば金は要らないって言うからな、要求を飲むことにしたんだよ」
 「お金を要求されていた過去のやらかしというのは?」
 「そいつぁここでは言えねぇなぁ。なんせ人が多すぎる。何処から情報が漏れるかわかったもんじゃねぇ」

 眉を顰め怪訝そうな顔で桂田が周囲を見渡す。警官だけでも十人弱、ついでに肇やレガリア、他の容疑者といった一般人も居る。いくら捜査に必要とはいえ、その場で正直に話させるのは厳しいだろうと、樹が納得したように一度目を伏せる。

 「わかりました、その内容については後で別室で伺いましょう。そちらのお二人も、それでかまいませんね?」

 吉野がギクリと肩を震わせる。その隣、白亜が腕を組み余裕たっぷりな表情で口を開く。

 「僕は別にここで話しても良いんだけど、そっちの二人が嫌がるなら従うことにしようか」
 「ということのようですが、吉野さん?」

 樹に問われ、吉野が肩をすぼめたまま視線を上げる。

 「僕もできれば、人は少ない方がいいです……。これが公になれば、僕以上に困る人が居ますから……」

 吉野の返事を聞き、「わかりました」と樹がその場で立ち上がる。ピアノを基調とした静かなBGMだけが流れる店内に、パンパンと服の皺を伸ばす音が響く。

 「それでは、一人ずつ別の部屋で事情聴取をさせていただきます。私と月嶋くん、それから神山さんとレガリアさんにも同席していただいてかまいませんか?」

 黙って頷き樹の後に続こうとする肇とレガリアを、桂田の声が制止する。

 「待ちな、その二人は一般人だろう?こっちは漏れたら困る秘密を話すんだ、同席させるならそれなりの説明をしてくれないと困るなぁ」

 そう言った桂田の顔を、肇のまだ幼さの残る大きな瞳が冷ややかさを持った視線で睨め付ける。

 「前提が違うんだよ」

 ゾクリ、と桂田の背中を何か冷たいものが通り過ぎる。桂田の体格は男性の中でも良い方だ。全体的に線の細い肇との体格差は歴然。その上童顔である肇の見た目は、お世辞にも迫力があるとは言えないものである。それでも、その瞳に捉えられた桂田の体は、蛇に睨まれたカエルのようにピタリと緊張して固まってしまう。

 「お前も記者の端くれなら聞いたことくらいはあるだろう、神山肇って名前を」
 「神山……、地獄耳の情報屋・・・・・・・か……」
 「勝手に恥ずかしい二つ名を付けるのはやめろ。……けどまぁ、そういう事だ。僕はお前と村重の会話内容も知っている。僕“たち”が同席するのは内容を確認するためじゃない、お前が嘘をつかないための嘘発見器の役割だ」

 「僕たち」という肇の言葉に、桂田が視線をレガリアの方に移す。その視線に、レガリアがニッコリと笑ってヒラヒラと手を振る。

 「そういう事さ、理解したかい?」

 柔和な笑顔とは裏腹に、「わかった」以外の返事を許さない圧のある言葉。その頃には、桂田の脳内からは抵抗しようと意思は完全に失せていた。少し前まであった覇気は完全に萎み、ガタイの良いはずの桂田の身体が一回り小さく見える。

 「あ、ああ……、わかったよ。そういうことなら同席してくれて構わない」

 その言葉に、樹もまたニッコリと圧のある笑顔を向ける。

 「では、桂田さんから事情聴取をはじめましょうか」

 ダメ押しの樹の表情に、桂田の心は完全に折れてしまったらしい。ちいさく「はい」と呟いた彼の背中からは、威厳というものが微塵も感じられなかった。


♢♢♢


 「silentサイレント

 二人用のフラットシート。シングルシートに比べれば広々としているものの、大人の男が五人入るには少々手狭なその部屋に押し込まれる形で無理やり扉を閉めると、誓が盗聴防止の結界術を施す。

 「これでここでの会話が外部に漏れる事はありません。安心して正直に話してください」

 はぁ、と桂田が小さく頷く。その態度に、見ていた樹がほんの少しの違和感を抱く。

 「驚かないんですね」

 桂田の態度からは、結界術に対する驚きも不信感も感じられない。その態度は、“知っている”人間のそれである。樹にそこを突かれて、桂田が徐に手を上げ指を鳴らす。

 「点火」

 その音と声を合図に、桂田の指先に小さな炎が灯る。

 「ほんの少しだが使えるんだよ。謂わば同類さ。君らと違ってこれで食っていくほどの力はねぇが、そういうものへの理解は一般人に比べりゃあるほうだ」
 「なるほど、そういう事なら話は早いです」
 「とはいえ、俺の炎はせいぜいタバコの火をつけられる程度の強さしか無い。君らに対抗しようなんて気は天地がひっくり返っても起こらないから安心してくれ」

 ふぅ、と桂田が指先の炎に息を吹きかける。たったそれだけの刺激で、小さな炎は呆気なく消えてしまう。

 「では、早速始めましょうか」

 揺蕩う煙を見送り、樹がノートパソコンの画面で防犯カメラの映像を再生する。

 「ここに映っているのは貴方で間違いありませんね?」
 「ああ、俺だよ。ここへきた目的はさっき確認してもらった通りだ」

 肘を突いて横柄な態度であるが、受け答えは素直である。という事は、その態度はこの男の地であるということだろう。

 「ここまでの擦り合わせは問題ありません。では本題に入りましょう。村重さんに強請られていた過去のやらかしというのは?」

 一瞬、桂田は言い淀むように視線を外す。ちらり、と樹の顔を見る。樹の視線はブレない。穏やかな顔で静かに真っ直ぐと桂田を見つめるその表情からは、これ以上は待ってやらないという強い圧を感じる。

 「へいへい、話すよ、話せばいいんだろう」

 吐息混じりにそう言った桂田の脳内を支配するのは諦観だった。黙っていることも嘘をつくことも許されない、周囲を満たすのはそんな緊張感だった。

 「まだ駆け出しだった頃だよ。名前の売れていない俺の記事はどこも扱ってくれなくてな、必死だった。何でもいいからとっかかりが欲しかった。そんな時、ある情報が俺の所に転がってきたんだよ」
 「ある情報……とは……?」

 目を伏せ、手のひらを頭に回す。自らの黒歴史を口にするような苦い表情で、桂田は言いにくそうに訥々と続ける。

 「五年ほど前、癌の特効薬を発見したって話題になった医学者を覚えてるか?」

 その場にいた人間が一斉にハッとした顔をする。レガリアだけが、知らないという風に小首を傾げる。
 当時はテレビのニュースがその話題で持ちきりだった。発見したのが若くて綺麗な女医だったこともあり、メディアはただの医学ニュース以上の盛り上がりを見せていた。

 「ああ、なんとなく。結局あったのか無かったのか分からないまま収束した気がするけど」

 続いたのは肇。そう、見つかった特効薬は結局、その存在すらあやふやなまま、承認されるまでに至らなかった。
 新薬の話題はしばらく盛り上がり続け、それがピークに差し掛かった頃、彼女の研究を否定する声が上がり始めたのだ。ここまでならよくある事。嫉妬、プライド、それによる足の引っ張り合い、大きな発見にはそういう人間の業が付きまとう。様相が変わり始めたのはその後。彼女は結局、否定派を黙らせる証拠を出すことができなかった。
 見つけたと大々的に触れ回った、人類が待ち望んでいた癌の特効薬は、最終的には初めから存在していなかったという結論に落ち着いたのだ。

 「彼女の研究を疑問視する記事をはじめに出したのは俺なんだよ」
 「なんだって?」

 肇が目を丸くする。隣で聞いていた樹と誓が軽蔑の目を向ける。その反応と会話内容から状況に察しがついてきたらしいレガリアが「ほう」と漏らして口角を上げる。

 「俺に情報を売ったのは彼女の商売敵。彼女が研究データを改竄していると。俺はその情報を鵜呑みにして、大した裏取りもせずに記事を書いたんだよ。持ち込んだ出版社からも特ダネだって絶賛されてよ、俺も舞いあがっちまって、情報収集を怠ったんだ。俺に情報を売った奴が情報源として信用に欠けるってのを知ったのは、記事が世に出回った後だった」

 その言葉に混ざるのは後悔。桂田は絞り出すように言葉を紡ぐ。樹がチラリと肇の方を見るが、肇もレガリアも何の反応も示していない。どうやら嘘は言っていないようだ。

 「俺の記事をきっかけに、続々といろんな出版社から似たネタが上がって、俺の記事の信憑性が薄いことも有耶無耶になって……。もう誰も覚えてねぇと思っていたが、あいつはニヤケ面でそれを突きつけてきたんだ」
 「それで、カッとなって殺害を?」

 桂田の贖罪の気持ちなんて知る由もなく、樹の態度は冷ややかである。

 「やってねぇよ!例の記事を下げれば他には漏らさないって言われたから、今日ここに持ってきたんだっつの!」

 あまりに冷ややかな姿勢に、桂田はつい声を荒げてしまう。反響する自分の怒声でふと我に返り、周囲を見回す。反応を観察する者、逐一メモを取る者、パソコンを開き情報の擦り合わせをする者、皆それぞれに桂田の出方を伺っている。

 「貴方が村重さんと言い争いをしている声を聞いた人が居るんですが」

 慎重に、樹が一つ一つの言葉を置くように桂田に問いかける。逆上されては捜査がしにくくなる。とはいえ、適当に誤魔化して隠されても話が進まない。あくまで確認。樹の言い方は、ギリギリではあるがその体裁を保っていた。

 「そりゃそうだ。食い扶持を一つ潰されてるんだ。文句の一つくらい言いたくもなるだろうよ」

 樹の言葉の棘を感じ取ったのか、桂田は所在悪そうに口元を歪める。

 「ところで、この店にはよく来るのかい?」

 口を開いたのはレガリアだった。試すような、含みのある言い方。
 
 「ああ、オープンスペースのカフェなんかとは違って、ここは情報の売買に打ってつけだからな」
 「ほう、案外素直だね」
 「そりゃあな、そいつの前で嘘をつくのは得策じゃないだろう?」

 ククッ、とレガリアが喉を鳴らす。その様子に、それまで傍観者に徹していた肇がかなり強めに肘を入れる。
 
 「ポケットの中には何が?金属音がするようだけど」

 大袈裟に痛がるレガリアを無視して、肇が続く。

 「ああ、取っていた部屋の鍵だよ。無くしそうだったからな、入れたままにしてるんだ」
 
 桂田のポケットから出てきたのは、部屋番号の書いたタグのついた小さな鍵だった。

 「174、ここからは少し離れた個室のようですね」

 誓の手元にはフロアマップ。村重の部屋のある通りから通路二つ分奥に入った場所。

 「なるほど、わかりました。ご協力ありがとうございます」

 樹はそう言うと丁寧にお辞儀をして桂田を送り出した。
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