小さな恋のうた
「俺の友達を探して欲しいんス」
椅子に腰掛け、眼前の少年を真っ直ぐ見据えながら
「俺、普段は東城シネマの近くでたむろってる子達にご飯とか配ってるんスけど」
「ああ、所謂トー横界隈ってやつか」
「そんなふうに呼ばれたりもするッスね」
そう言って玲司は少し俯いてしまう。ファイにそんな意図は無かったのだが、トー横界隈というものに対する世間の反応が良くないことを知っているのだろう。
「人が、居なくなるんス」
俯いたまま玲司は続ける。その表情には諦観に似た物が混ざっている。実績も何もない怪しい探偵社にわざわざ依頼しに来るのだ。これまで誰も相手にしてくれなかったのであろう事は想像に難くない。
「あの界隈ははぐれ者の集まりッスから…居なくなったって言っても足を洗ったならいいことだって、誰もまともに取り合ってくんないんス。ほとんどメッセージでやりとりしてたんで名前も住所も知らない奴が多いッスけど、それでも大事な友達なんス、もうアンタ達しか頼れないんスよ!」
お願いします、と玲司は深々と頭を下げる。テーブルが割れそうなほど額を擦り付ける玲司を見ながら、それまで黙って聞いていたファイは小さくため息をつく。
「顔をあげろよ、レガリアも悪人じゃない。僕たちなら解決できると思ったから君を呼んだんだ」
虚を突かれたような表情で玲司は顔をあげる。始終ぶっきらぼうなファイの様子から、きっと断られるだろうと思っていたからだ。
「えっ……と……あの……、それ……は……?」
予想外の言葉に返答がしどろもどろになってしまう。玲司が口をパクパクしていると、再びファイが口を開く。
「引き受けると言っている」
最初からそのつもりだったがな、と付け加え、ファイはテーブルに肘をつきながら姿勢を崩す。実に興味のなさそうな態度である。そういう性格なのか、単に素直じゃないのかは不明だが、そんなファイを見てニヤニヤしているレガリアとアンリの様子から察するに、おそらく後者なのだろう。
ようやく状況を飲み込めたらしい玲司が慌てて立ち上がり謝礼を口にする、ありがとうございます、ありがとうございます、と何度も頭を下げながら言うその声は、心なしか震えていた。
「本当に……ありがとうございます……!俺、こんな見た目だからちゃんと話聞いてくれる人も居なくて……聞いてくれたとしても、居なくなったのがあの界隈の奴だって分かったらみんな適当にあしらってまともに探してくんなかったんス……本当に……ありがとうございます……」
「礼は依頼を達成してから言え、引き受けると言っただけで見つけてやることを約束したわけじゃない」
「それでも、ありがとうございます」
何度もありがとうと言われて、ファイは少し困ったような表情でため息をつく。感謝される事に慣れていないのだろう。
「それじゃあ、詳細を聞かせてもらおうか」
慣れない感謝の言葉にいよいよ逃げ出しそうになっているファイを見かねて、レガリアがそう切り出した。
「あっ……すみません!はいッス!えっ……と……」
玲司は慌てて姿勢を直し語り始める。
「最初に連絡が取れなくなったのは、せーやって奴で一ヶ月くらい前ッスかね…?この界隈じゃいろんな事情で挨拶もなしに居なくなるやつも少なくないんで、最初はあんま気にしてなかったんスけど、その頃から音信不通になる奴が急に増え始めたんス」
「不審に思ったきっかけは?」
ファイに手帳を手渡しながら、続けて問いかけるのはレガリア。
「山崎って、一緒に炊き出しやってた奴が居るんスけど、突然キャバ嬢に入れ込むようになって、ほどほどにしとけよって軽口で注意したら翌日から来なくなったんス」
「それは注意されて気まずくなったからってだけじゃ?」
しゅんとしながら話す玲司の言葉に、いつのまにか近くの椅子に腰掛けていたアンリがツッコミを入れる。
「俺も最初はそう思ったんスけど、送ったメッセージの既読も付かなくて、おかしいと思って他の奴らに話聞いてみたら、最近行方がわからなくなった奴らがみんな同じキャバ嬢を指名してたみたいなんスよ」
これまでの話を手帳にまとめていたファイが「ほぅ」と息を漏らす。キーワードの羅列したページを一瞥すると、その視線を玲司へと向ける。
「そのキャバ嬢については調べたのか」
「もちろんッスよ。何人かに事情を説明して一緒にその店に行ったんスけど、そのうちの1人もその後連絡が取れなくなって…」
そこまで言って、玲司は言いづらそうに口ごもってしまう。
「どうした?」
「いや……その……」
どうにも歯切れが悪い。どう伝えるかをを迷っているわけではない、そもそも伝えて良いものかどうかを測りかねている様子。目を逸らし、テーブルの下では骨張った手をギュッと握りしめている玲司を、ファイは黙って見つめて話の続きを待っている。
「そいつと連絡が取れなくなった時点ではまだギリギリスマホのGPSが生きてたんで、それを頼りに追ったんス、これがその時のスクショなんスけど……」
絞り出すようにそう続けて、玲司が提示するスマホの画面を3人が覗き込む。地図が指す場所は「
「この場所、何度行ってもただの路地で…ビル自体が存在しないんスよ……」
信じてくれないでしょうけど、と付け加えて。ファイは画面を見つめたまま「ふうん」と小さく呟くと、徐ろに立ち上がりバーカウンターの中へ入っていく。
「その路地にスマホが落ちてたとかでもないんだな?」
カウンターの中で何かを探しながら、加えて玲司に質問を投げかける。
「ッス……、一応その路地と付近のビルもかなり探したッスけど、居なくなった奴もそいつのスマホも見当たらなかったッス」
なるほどな、と言いながらファイが取り出したのは都内を網羅した地図。バーの中央、玲司の居るテーブルの上で、歌舞伎町の記されたページを開く。
「地図自体に問題はない……か……、件のビルの場所も間違いない……取り壊しの話も特には聞いていないし……」
地図とスクショを見比べながら何やらブツブツと言っているファイを、玲司は不安そうな表情で見つめている。
顎に手を当てて考え込んでいたファイが、地図へと目線を落としたまま「レガリア」と、彼の後ろから地図を覗き込んでいた男に問いかける。
「誰にも気付かれずにビルを一つ消すことは可能か?」
その問いに目を丸くする玲司。考えるまでもない、不可能だ。まだ地図の改竄の方が可能性があると思っていた。「まさか」と思わず口に出しそうになるが、問われたレガリアの表情を見て出かけた言葉が引っ込む。真剣だった。彼らはこの出鱈目な仮説を冗談ではなく真剣に語っているのだ。
「物理的……には多分不可能かな。空間転移だとすると転移先の方に違和感が現れるし、破壊だとすると仮に誰にも気付かれずに出来ても不自然な空間や瓦礫は残る。それに、理由がない」
レガリアは真剣な表情を崩さない。「理由?」と、ファイがレガリアの方へ視線を移す。
「端的に言えば、らしくない。彼らは人間以上に欲に忠実な生き物だからね。破壊衝動ならビル一つでは済まないし、ビルを転移させる事で満たされる欲ってものにも心当たりが無い」
レガリアの話を聞きながら、ファイは考え込むようなポーズで「うーん」と唸る。
「けど」
未だピンと来ていないファイの様子を見ながら、レガリアは得意げな表情を浮かべて付け加える。
「“消す”じゃなくて“隠す”であれば、可能性は高いと思うよ」
「例えば?」
「認識阻害系の結界とかね。そこにあるものを“無い”と思い込ませる事であれば可能だ」
「それに、隠す方が“らしい”か……」
どうやら彼らの間では話は決着したらしい。お互いに何かに納得したようにウンウンと頷き合っている。話について行けていない玲司だけが、そんな彼らを見つめたまま目を白黒とさせていた。
彼らが真剣な顔で話し合っていた内容は、とても現実の世界で起こるとは思えない物だった。それこそ、漫画やアニメの世界でよく見る「魔法」の類のもの。それを、あたかも当然の法則ように、まるで科学や物理の話でもしているかのように話し合っている。玲司は、自分だけが突然ファンタジーの世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。
しかしこれはファンタジーではなく、現実で、自分と同じか少し上くらいの、良い歳した男女が真剣な表情で語っているのである。これが若い少年であれば厨二病の一言で片付けられたかもしれない。いや、今でも話しているのがファイ一人ならばそう思えたかもしれない。玲司を戸惑わせるのは、ファイの後ろで話している見た目の綺麗な男女の存在だ。
「一度現地に行ってみる必要はあるな……、えっと……ごめん、名前……」
チカチカと視界が明滅する。ぼんやりとした意識の先で、おーい、とアンリが手を振っているのがわかった。ハッと我に返る。テーブル越し、目の前に座るファイが、相変わらず愛想の無い表情で玲司の顔を覗き込んでいる。
あ、そうか、俺に話しかけてるんだ
状況を理解してようやく、玲司はまだ自身が彼らに対して名乗っていなかった事を思い出す。
「あっ……!すみません!玲司、轟玲司ッス!」
慌てて名乗る玲司。背筋はピンと伸び、その表情には未だ困惑を浮かべている。
「じゃあ改めて。玲司、案内頼めるか?」
「は、はいッス……!」
じゃあ早速……と立ち上がりかける玲司。正直、早くこの場を去りたかった。
「待て。レガリア、今何時だ?」
そんな玲司を、ファイの質問が制止する。
「午前四時を少し回ったところ。日の出までに往復するのは厳しいかもね」
「そういうわけだから、明日の日没ごろにまた顔を出してくれ」
言われた玲司がキョトンとした顔を浮かべている。
「えっ、はい??行かないんスか???」
ワンテンポ遅れて言葉が出る。今は完全に行く流れだったでしょうと、予想していなかった展開を理解するのにコンマ数秒要してしまった。
「悪いが、ファイは日中は出歩きたがらないんだ」
「はぁ」とわかっているのかいないのかわからない返事をする玲司の方へと、レガリア胡散臭い笑顔のまま近づいていく。真意の見えない奇妙な笑顔に、玲司は少し身構えてしまう。
何をされるのかと表情が強張る玲司に構わずさらに近づくと、レガリアがその脇腹に手を回し、そのまま中途半端に立っていた玲司の身体を引き上げる。どうやら立ち上がりかけた中途半端な体制のままの玲司を気にしていただけらしいが、イケメンによる突然のボディタッチに玲司の心臓はドクリと波打ち、顔はカァッと熱くなる。
これは、あれだ!突然体に触れられた驚きだ!断じてこの男の美貌にやられたわけではない!
「あっ……どもッス……」
玲司が顔を赤くして謝辞を述べると、レガリアはクスッと柔らかい笑みで会釈して、またファイの背後に戻っていく。心なしかレガリアを見つめる玲司がボーッとしている気がするが、まぁ気のせいということにしておこう。
「手間をかけてすまないな、明日の予定は大丈夫か?」
ファイの声に、玲司は煩悩を振り払うように頭をブンブンと振り表情を戻す。
「はいッス、基本暇なんで」
「なら良かった。それじゃ、また明日頼む。アンリ、送ってやれ」
「はいはーい」
ファイに促され、アンリはタタッと玲司の方へ走り「帰ろっか」とその手を握る。送ってもらうなんて悪いと断ろうとしたが、アンリにグイグイと手を引かれ、そのまま店の外へと連れ出されてしまう。
「あの!本当にありがとうございます!また明日よろしくお願いします!」
カラランと軽やかな音色のドアベルが鳴る。手を引くアンリのあまりの勢いに、玲司は首だけで振り返りながらそう言うだけでやっとだった。
外に出ると、空がぼんやりと明るんでいた。賑やかな声に振り返れば、スーツの集団が千鳥足で駅の方へと歩いていく。彼らとすれ違うようにやってくるのは、眠たそうな顔でキャリーケースを転がす少女。牛丼屋の前を通り過ぎると、カウンター席には仕事終わりらしいホストたち。眠らない街は眠らないまま、また新しい一日が始まるのだ。
アンリに手を引かれながら、玲司は早朝の青みがかった空を見上げる。ふと、星一つ見えない都会の空に寂しさを感じた。星なんて普段意識して見もしないくせに。そう思ってしまった自分がおかしくて、玲司は前を歩くアンリにバレないように口元を隠して少しだけ笑った。