ハイスクール・ロックンロール
「も〜う、有羽さんが校内パトロールなんて引き受けちゃったせいで、
有羽の後ろを歩きながら、央乃がぶつくさと文句を垂れる。薄暗く、人の気配のない廊下。有羽が押し付けられた放課後の校舎の見回りに、半強制的に付き合わされているのである。
「貴方、物怪ウォッチなんか見てるの?」
「あ〜!今馬鹿にしたでしょう〜!ストレス社会に生きる現代人にとって、ものウォの真っ直ぐで純粋なメッセージほど刺さるものは無いんすよ」
「身近に
「言われてみればそうっすけど、悪魔ってほんと身近っすし、割と人間っぽいし、異種族って感じがしないんすよねぇ〜」
「みんなが貴方みたいにお気楽に考えられたら、彼らも生きやすいでしょうね」
「へへっ、そっすか〜?」
「別に褒めてないわよ」
軽口を叩きながら、校舎の中を一巡する。昇降口付近まで戻ると、宵莉の姿が見えた。
「あれ、よっちゃんまだ居たの?」
「一応結果報告だけは聞いておこうかと思ってな。こいつも無理やり付き添わせた」
宵莉の指さす先で、米汰が不機嫌そうな顔をする。
「相変わらずの仏頂面っすねぇ〜。そんなに深くシワ刻んでるとなんだか押さえたくなっちゃうっす」
米汰の眉間をぐりぐりと押さえる央乃の手を、米汰が不機嫌な顔のまま黙って振り払う。
「やめとけ央乃、こいつはお前が思ってる以上に冗談が通じないからな」
「みたいっすねぇ〜、出会った頃の有羽さんみたいっす」
「はぁ!?あたしこんなに感じ悪かったかしら?」
冗談を言い合う3人の後ろで、冗談の通じない米汰がこほんと咳払いをする。
「無駄話はいいから、さっさと調査報告をしろ」
「自分一応先輩なんすけどねぇ〜。とりあえず目視での異常は確認できなかったんすけど、一応自分の魔術でも見とくっすね〜」
そう言いながら央乃が校舎の壁に手のひらを当てる。
「
央乃の手のひらを伝って、魔力の光が校舎を走る。目を閉じ、魔力の反応を探る央乃の脳内に、校舎の立体図が展開される。その中に赤い点で表示されるのが、校舎内の人間の反応。央乃達三人と、職員室のある場所に数人。大丈夫そうだな、とスキャンを終えようとした瞬間、あるはずのない場所に人物反応が検出される。
「有羽さん、自分ら教室全部見たっすよね?」
「……?ええ、間違い無いわ」
「誰か居るっす。三階の1番奥、家庭科室のところっすね」
央乃の脳内で展開する校舎の中、有羽たちの居る昇降口から1番遠い教室に、人物反応の赤い点。
「施錠に来た先生とかじゃないの?」
「一瞬そう思ったんすけど、自分の知らない魔力反応っすね、これ。教職員の人達ならみんな覚えてるっすから」
央乃の言葉に、有羽と宵莉が顔を見合わせる。
「仕方ない、確認しておくか」
吐息混じりにそう言って、先頭をいくのは宵莉。
「ちょっと思ったんすけど」
「どうした?」
「有羽さん、家庭科室ってちゃんと行ったっすかね……?」
「教室は全部見た……はずだけど、言われてみれば家庭科室に行った記憶がないわね」
央乃と有羽が顎に手を当て記憶を探るように考え込む。
「有羽が見落とすってことは……だ」
「姉さんはともかく、百瀬先輩も気が付かなかったってのは妙だな」
「この際米汰の余計な一言はスルーするとして、何かやられたわね。あたしとしたことが面目ない」
「たまにはそういうこともあるさ。全員気を引き締めてかかれよ」
♢♢♢
「ああ〜、なるほど、こういうタイプね」
3階の端、家庭科室のあるはずの廊下に立って有羽が言う。
簡単に言うと、廊下がそこで途切れている、ように見えるのである。家庭科室の隣、準備室の前に壁。校内の見取り図が頭に入っていれば不自然さに気がつくこともできるだろうが、そうでなければ行き止まりだと思って確認もせず引き返す者がほとんどだろう。
有羽が手を伸ばす。実体のない壁は容易に通り抜けることができた。
「有羽は精神や五感に作用する系統の魔術にはめっぽう弱いからな」
「悪かったわね、単純で」
実体のないハリボテの突き当たりを通り抜けると、その先にはまだ廊下があった。進行方向に向かって右、見慣れたはずの家庭科室の扉がどことなく異世界じみて見える。
「さっさと確認してさっさと終わらせるわよ」
そう言うと有羽は勢いよくドアを開け中に入る。
シンとした教室の中に、「ズズズ」と何かを啜る音だけが響く。
「あれ、なんか良い匂いしないっすか〜?」
有羽の後ろから央乃が顔を出す。目線の先、窓側の1番後ろの机、有羽と宵莉の特等席である机で、中学生くらいの少女が一人カップ麺を食べていた。
「あれ、誰?」
突然入ってきた有羽達を見て、少女は小首をかしげる。
「誰はこちらのセリフだ。下校時刻を過ぎての校舎への立ち入りは禁止されている。退出願えるか?」
粛々と低いトーンで宵莉が続く。足腰にぐっと力を入れ、すぐにでも戦闘に入れる姿勢である。数刻、静寂が両者を包む。破ったのは、少女がカップ麺を啜る音だった。
「見つかっちゃったんなら仕方ないな〜。木を隠すなら森って言うでしょ?私を隠すなら学校かなぁ〜って思ったんだけど、確かに放課後に無断で侵入するのは良くないよね。すいません、出て行きます、出ていくけど、これだけ最後まで食べさせてください!」
一息でそう言い切ると、少女は手元のカップ麺を勢いよく口の中に掻き込む。グビ、グビ、と喉元で良い音を鳴らしながらそれはみるみる少女の体の中へと消えて行き、最後の一口を飲み干した後、少女は丁寧に手を合わせ「ごちそうさまでした」と呟いた。
呆気に取られて少女を眺める。よく見ると、周囲にはケトルや洗剤など生活感のあるものがいくつか揃っている。
「一体いつからここに居た?」
沈黙を破ったのは宵莉だった。
「1ヶ月くらい前かなぁ?」
「毎日か?親御さん探してるんじゃないのか?」
「むしろ探してるのは私の方。笑っちゃうほど見つからないけど〜」
少女はケタケタと笑い声を上げる。
「これまではどこに?」
「孤児院〜、みたいなとこ」
「黙って抜けてきたら心配されるだろ」
「大丈夫でしょ、向こうも厄介払いだって思ってるんじゃない?」
少女の重たく長い前髪が揺れ、その奥に暗い瞳が顔を覗かせる。一瞬、宵莉の背中をぞくりと冷たいものが走る。にこやかな口元と話し方に反して、その瞳には一寸の笑みすら含まれていなかった。
「とにかく、見つけた以上校内に留まらせるわけにはいかない。保護者の方には連絡をつけさせてもらうぞ。前に居た施設でも良いし、遠縁の親類がいるならそこでも良い、連絡先を教えてくれ」
「だから知らないんだって。良いよ、勝手に出て行ってどっか適当に泊まるから」
「そういうわけにもいかないんだ。君、見たところ中学生だろう?そんな子をこんな時間に一人で放り出すわけにはいかない」
「へえ〜、案外優しいんだ。
その場にいた全員の表情が凍り付く。火撫の家が魔術師の間で強大な力を持っていることは周知である。しかし、その呼び名を知っているのは、長く火撫の家と親交を持ってきた一部の家だけであるはずだ。そもそも、彼女がまもなくそれを継ぐであろう事は近親者以外には秘匿されている。
「ほう、なかなか面白い呼び名だ。私に天使の名前をつけるってのはなかなか見る目があるんじゃないか?」
無理やり口角を上げ、宵莉が軽やかに少女の言葉を躱す。こんな子供が、意思を持って自分に危害を加えようとするはずがない、宵莉の頭の中の常識を心が否定する。宵莉の心は、彼女を危険だと認識した。
「別に〜、なんかお姉さんそんな呼び方が似合う気がして〜」
お互いに核心には触れずにはぐらかす。否定は肯定の意と取られかねない。最善は、このまま知らないという体で通すこと。
「キリスト教の三天使の一柱で、癒しを司る天使。君には私がそんなふうに見えてるんだな」
宵莉の言葉と重なるように、電子音が鳴る。規則的でシンプルな着信音。米汰のものである。
「はい、米汰」
「そこに中学生くらいの女の子が居ないか?」
「要件の前に名乗るのが礼儀だろ」
「相変わらず冷たいなぁ、櫂だよ、お兄ちゃんだよ」
「知らない人ですね」
電話口からは爽やかな笑い声。
「捜索願の出てた女の子がお前の学校に入って行ったって目撃情報があってな、ちょっと確認できるか?」
米汰が目を細め横目で少女を見る。
「……その子の特徴は?」
「年齢十五歳、身長百五十五センチ。黒髪のボブカット。名前は、
「……」
スマホのマイク部分を手で覆い、米汰が少女の方を向き直す。
「君、名前は?」
「杏花。橘、杏花」
「……ありがとう」
米汰は振り返り通話に戻る。
「今目の前にいる子がそうらしい」
「お、それはちょうど良かった。迎えを向かわせるから、それまで引き留めておいてもらえるか?」
「こっちも早く帰りたいんだがな。なるべく早く来てくれ」
「おっけーおっけー!じゃあ頼んだよ〜」
何かを言いかける米汰を無視して、ぶつりと通話が切られる。一方的に話して用件が終わったら突然切る、そういうところは有羽と同じだと、米汰は通話の終了したスマホの画面を見つめたまま大きくため息をつく。
「君に捜索願いが出されていたようだ。迎えが来るらしいから少し待っていてくれ」
「ああ〜、もう来ちゃったかぁ〜」
そう言って立ち上がる杏花。その様子に、思わず周囲に緊張感が走る。
「大丈夫、逃げたりしないって。ここには敵に回すと面倒なのが揃ってるからね。大人しくするよ」
ケケッと声をあげて杏花は不敵に笑う。掴みどころの無い少女だ。
「それが得策だ。暴れられたら命の保障はできないからな」
スマホを胸ポケットに戻しながら米汰が言う。
「知ってるか?この土地は実質治外法権だ。あとは言わなくてもわかるよな?」
「もちろん知ってるよ。だから大人しくしてるって言ってるじゃん。私も無意味に死にに来たわけじゃないからね」
杏花は重い前髪の奥の目を薄め、口角をにいっとあげる。
『ぶっ壊す時は確実に勝てるシチュエーションでって決めてるもの』
ヒリつく空気の中、杏花が声に出さずにそう呟いた。